骰子の眼

cinema

2010-10-19 15:00


トシコの内的外的宇宙へのお誘い─ミディアムとしてアート作品を産み続けるNYの日本人女性アーティスト、トシコ・ニシカワ

NY在住のコントリビューター・タハラレイコさんが綴る、ニューヨークでアーティストとして存在することのつれづれ
トシコの内的外的宇宙へのお誘い─ミディアムとしてアート作品を産み続けるNYの日本人女性アーティスト、トシコ・ニシカワ
トシコとオーブ(写真提供:ヴィルチェック財団)

来たる10月29日より、マンハッタン東73丁目(アッパー・イーストサイド)にあるヴィルチェック・ギャラリーで、ニューヨーク在住の日本人女性アーティスト、トシコ・ニシカワの 「千羽鶴:一千個の鏡球体に映し出される世界(Senbazuru: Reflections of the World in 1,000 Mirrored Orbs)と題されたミックスド・メディア作品の個展が開かれる。夏の始め頃、そのカタログのイントロ・エッセイを書いた。ある人物についての文章を書くのは、ポートレイト・ドキュメンタリーを作るのに似ている。今回は少し映画の話題から離れるが、日本の読者の皆さんにも興味を持っていただけるアーティストだと思うのでご紹介したく、そのエッセイの日本語訳に多少手を加えたものを今回の記事として掲載させていただくことにした。

イントロ・エッセイ
トシコの内的外的宇宙へのお誘い
タハラレイコ(映像作家)

トシコ・ニシカワは自分を“ミディアム”(媒介者)と呼ぶ。アーティスト・ステートメントの中でも二度繰り返している:
「私はアート作品を産むために生まれて来たミディアム」
「私は科学者でも哲学者でもないただのメディアム、だから何らかのエネルギーがやってきて生まれるべき何かが体内に形成されるのを待つだけ」
春、マンハッタンのアッパーウェストサイドにあるヴィルチェック・ギャラリーのスタッフから、この秋開催予定の展示会パンフ用のイントロ・エッセイ執筆の依頼を受けた。彼らによれば、そのアーティストの作品は“優しく”“パステル調で”“自然派”、そして“インタラクティブ”。その展示で使うというオーブ(球体)の見本を見せてもらった─半分が光る銀色、半分が透明の、シンプルな玉だ。 ギャラリースタッフのリックとアンは、瞳にいたずらっぽい笑みをたたえながら、ギャラリー内につり下げられた千個のこの玉が、来訪者の姿を反射しながらフシギな世界を創りだす構想を説明してくれた。

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トシコのオーブ(写真提供:ヴィルチェック財団)

過去の作品

家に帰ってトシコの過去の活動について調べてみた。様々な陰影の白とパステルの筋が下の層の流れを見せ隠ししながら流れ落ちる平面の作品、それらは雪、水、雲などを連想させる、とあった。その後、アクリル画の箱とキャンバスを組み合わせた新しいスタイルを発表、透明の箱にアクリル絵の具で描かれた多様な形がキャンバスに落とす影を利用して、見る人と共に創って行くアートの形態を提示した。

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Mr. 0525195500, 2006
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Mr. 0616195600, 2006
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Metamorphosis 1 , 2009

「光源の場所や皆さんの立ち位置によって私の作品の見え方はまったく変わる。だから、皆さんのイマジネーション抜きでは私の作品は完成し得ないのです」と彼女は書いていた。アゴラ・アーツ・ギャラリーのプレス・リリースによれば「絶えずうごめく西川の作品は静かで穏やかで、乱れ狂うことがない。繋がることを目指しながら、私たちが実はどんなに色々な方法でものを知覚できるかを親密に見せてくれる」。なんか、よさそうではないか。彼女のスタジオを訪れて会うのが楽しみになった。でもその時には、彼女の作品の“形を持った精神性”のパワーも、彼女のミディアムとしての存在感も、知る由はなかった。

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作業風景

オーブの秘密

トシコを初めて訪れた時、彼女は整列された半球たちの真ん中に姿勢よく座って、明らかに集中した様子で、その半球の内側に、一つ一つ、 線を描いていた。彼女のトライベッカのスタジオは静まり返っており、その空間で唯一認知できた動きは、彼女がひっそりと息を吐きながら手のひらの上の半球にあてる、筆運びの小さな弧のみだった。これがこれからの数ヶ月間に繰り返されてそれぞれの半球の内側に複雑な線の模様が描かれ、それが二千個作られて、千個のオーブができ上がるのだ。

彼女が説明してくれた、この作品の摂理、というか、奇蹟というか、は以下の通り:「この線たちが、オーブの真ん中に小さな地球を創りだすの。線がなければ、オーブの内側はただのぼんやりとした空間。もともとの太い線がまず反射して細い線を生み、その反射がさらに細い線を生む。そのうち私たちの目が、オーブの中の小宇宙の真ん中に美しい小さな地球を見始める。線が太すぎても細すぎても、地球は生まれないのです」。

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オーブ

アクリル・ボックスのシリーズを創った後、トシコの作品はさらなる進化を遂げた。自分自身と作品を平面性や箱という閉塞感から完全に解き放ちたいと考えていた2009年初頭のある日、突然に“ビジョン”はやってきた。いつものように、午前3時頃だ。そのビジョンにオーブの中の宇宙を見て以来、それを具現化する方法を探し始めた。「このオーブを店で見つけた時、単純に、あ、これだ、と思ったの。だってオーブの中の線のアイデアはすでに私のビジョンの中にあったから」と彼女は言う。同年春トライベッカのオープンスタジオ・ツアー「トーストウォーク」に参加した時、すでに幾つかの試作品を展示している。そのうちどこかで、どうにかして、たとえどんなに途方もないアイデアだとしても、千個のオーブを創って展示したい、と考えるようになった。ニューヨークをベースにアメリカ一世移民のアーティストや科学者を応援するヴィルチェック財団が、何か展示会をしてみないか、と偶然にもトシコに連絡したのは、それから間もなくしてのことだった。

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Gallery Guide April 2009より

一緒に創り一緒に存在し繋がっている世界

「私たち日本人は平和や病気の回復を願う時千羽鶴を折りますが、それと同じ気持ちで、この千個のオーブで皆さんに、皆さんご自身が実はどんなに美しいかに気づいてもらいたいのです。オーブの中の小さな宇宙に皆さんをご招待して、ご自分の姿を見てほしい。そして、皆さん一人一人こそが、この小さな、美しい世界であることを実感してもらいたい。私たちはこの世界に共存していますが、だからといってホコリの粒みたいに小さいということじゃないと思うんです。私たちが一緒に創る世界に共に存在している、ということだと思うんです。だから、このプロジェクトに参加していただくことでご自身のポートレートを創ってもらい、それがキレイだな……と感じていただけたら嬉しいです」と彼女は言う。展示では、オーブ同士すべてが糸で結ばれるという。トシコの世界の中では、オーブに触れたりその中に自分の姿を見たりする私たち“見る者”同士もまた、複雑で反射的でマジカルな回路で、繋がれるのである。

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ミディアムとしてのトシコ

数ヶ月に渡り彼女を訪れ幾度か座って話をする期間中、私はずっと、ミディアム〈媒介者〉として存在することについて考え続けていた。彼女はあのオーブの中の反射する線のように多次元的な意味でミディアムであるのだろうと思えた。まず第一に、トシコはヒトと自然を媒介する。作品群の着実な進化の過程で、様々な形態での自然が─雨、雲、雪、影、さらにはミトコンドリアまでも─彼女が世界を見る見方を表現している。ここで何よりも驚きなのは、トシコに単なる自己表現としてアートを創る気持ちが、からっきしないことである。今回のミックスド・メディアのオーブ・インスタレーションは、トシコの創る宇宙の小さな細胞になりませんか、という私たちへの誘いだ。そしてこの宇宙に足を踏み入れると、私たち一人一人の心にまた自分なりの宇宙を創るよう誘われ、その心の小宇宙が私たちを現実の外の宇宙へとつなげる窓となる。東洋思想か、はたまた手塚治虫の世界か、トシコのアートは見る者をミクロとマクロ、内向きと外向きの世界に同時に存在するよう誘う─“自然”と私たちが呼んでいるこの世界の一部として。

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第二に、トシコは私たちを分け隔てるすべてのもの─距離や時間や国籍や性別といった─を超えて人間を媒介する。彼女が最近の作品になるべく色を使わなくなったのは、光にはすでにすべての色が入っているからだという。自分の選んだ色で事物を表現したくない、そのかわりに、見る者に光そのものを見せ一緒にアートを創りたいのだという。色はただの光の反射、光が事物をどう照らすかにより私たちの目が受け取る錯覚に過ぎないという。「色にせよ人種にせよ、発生の時点ではとても単純だったと思うの。私たち人間はそれに名前を付け、カテゴリーに分類し、国境や民族を定めて分けてしまう。でも私は私たちの発生の起原に戻りたい」。

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Metamorphosis 3, 2009

2004年にトライベッカに移って間もない頃、トシコは世界貿易センタービル跡地を初めて訪れた。その時、失われた生命のエネルギー体を感じ動けなくなったという。「短く終わってしまってやりたいことができなかった命たち─それらがまだそこに残っていて私の中に入って来たのです。一千という数字はまた、彼らの希望であり平和への祈りでもあります。その意味では、今回のプロジェクトはここトライベッカで生まれるべきものだったとも言えます」。

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写真提供:ヴィルチェック財団

オーブに映る1000年後の子孫の姿

媒介者トシコのベクトルは、私たちを未来にも運ぶ。なぜこの作品を今創るのかというと、世界の終わりを唱える悲観論者たちが間違っていることを証明したいからだという。今から1000年後に、私たちの子孫は必ずここにいる、彼らとこのインスタレーション・アートを共有することが、今回のプロジェクトの最大の意義だ、とトシコは言う。西暦3000年を生きる子孫がどう思うか、と思いを馳せながら、自分だけの基準で作品を判断しないようにしながら創る。オーブにも人間にも生き残ってほしい、そしてオーブに現代人の顔とは色々違うかもしれない未来人達の姿を映し出してほしい。「その時その中に映る美しい球体を彼らがどう思うか……できれば、“これって、わたしそのものだな”って素直に思えるような子孫でいてほしい」。

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ミディアムというのは、古くから女性であることが多い。日本だけじゃなく、アジア全体を見ても古代ギリシャでもアフリカでもアメリカ先住民族でも、果てはハリー・ポッターに出てくる預言者シビル・トレローニーも、 いろいろな文化で霊媒の女性が登場する。あの卑弥呼も女性であり、シャーマンであった。それはなぜなのか。トシコはすぱっとこう言う。「私はアートを創るけれど、作品は私の創造物とは思えない。生まれるべくして出て来ただけのこと……私たちの子供と同じ。確かに産んだのは私だけれど、彼らを私が創ったわけじゃない。時々自分の子供を見て、“こんな子がよく私から出てきたものだなあ”と感心することがある。それと全く同じで、自分の作品でも、よくこんなのができたなあ、よく自分から出てきたなあ、と思うことがある。でも落ち込んだ時は、私が未熟だからせっかく生まれて来たものに対してそういう評価しかできないんだ、って自分は思うようにしているんですけど。自分の仕事は作品を宿し産むことであって、評価することではないんだ、って」。

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トシコ・ニシカワ(写真提供:ヴィルチェック財団)

光と影

こうした前向きな姿勢の裏側には、影がある。トシコは横浜で、石油業を営む裕福な家に三女の末っ子として生まれた。 両親は長男の誕生を待ち望んでおり、 望まれない3人目の娘だった。男の子として育てようと、両親はトシコの髪を剃った。幼稚園入園初日に、ベレー帽を取りなさいと先生にしかられた時のことを今でも覚えているという。ぼうず刈りの頭を他の子たちに見られたくなかったのだ。女の子でいるのはよくないこと、と子供ながらにはっきり感じていたその気持ちが、時とともに“なぜ女の子じゃいけないの?”、そして“私はトシコ、一人の人間、一つの命”と変遷していった。考え深く生まれつきの才能もあったトシコは、次第に胸のうちの言葉で説明できないような事柄はアートで表せばいいのだ、と思うようになった。年少にして多くの賞をもらい、多摩美術大学に合格した。そこでは油絵と版画を学んだ。卒業後ほどなくして結婚して立て続けに子供が二人生まれた。プロポーズを承諾する条件は、創作を続けることだった。子供達がまだ小さい頃に、夫の仕事で家族はアメリカに移住し、トシコはかなりの努力とエネルギーで創作活動を続けてきた。油絵の油が子供の体に悪いから、と、サンフラワー・オイル等色々なオイルで試してみたが、うまく行かず、結局アクリルに転向した。

障害は子育てだけではなかった。結婚生活の影もいつもつきまとった。それはきっと、日本社会の今の世代とその前の世代の間の価値観のゆがみのせいだ、とトシコは言う。今を生きる日本人女性にとって独特の挑戦:人生の目標に向かって生きろと教育されながら、一方では、意識的にせよ無意識的にせよ変化を望まない社会や配偶者、そして自分自身とも対峙してゆかねばならない。困難な時を子供たちのために耐え忍び、夫がいつか今の時代には受け入れられない行動を避けるようになって二人一緒に成長していけるように望み続けた。その間、創作は絶対にやめなかった。アーティスト・ステートメントの中の次の言葉が新しい意味を持ち始める:「悶えと想像を絶する痛みがあるから、自分の役割の重さを認識できる。女として生きるのは素晴らしい。アーティストとして生きるのはすごいことだ。人間として生きること自体が、私にとっては驚くべき体験だ」。純粋で光りに満ちた世界を生み出したいというトシコの欲求は、長く暗い夜に熟成されていたのだ。

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Metamorphosis into Love, 2008

ジャンプ

成長した子供達が家を出た2003年、彼女の夫が日本に呼び戻された。トシコはアメリカに残り、 創作に没頭できるようにニューヨークに単身移った。彼女の第2の人生はその日に始まった。 夜も昼もアートのことを考え、夢の中でも考えた。さびしいなんて全然思わなかったという。「ニューヨークに来て、私一人になって、すべてが変わりました。やはりすぐそばに家族がいて、子供がいて、その中から創る作品というのとは入り込み方が全く違って……それまで創っていた私のアートは、いわばスポーツ選手が怪我してしばらくスポーツできない間のリハビリ?だったのかな、と思いますね」とトシコは笑う。アートの世界に身を置くすべての女性にとって心に響く言葉だ。経済的・精神的な複雑な問題をお腹に抱えながら、私たちは皆それぞれに、ヴァージニア・ウルフが『自分自身の部屋(A Room of One's Own)』と呼び、アリス・ウォーカーが『母の庭(Our Mothers' Gardens)』と呼んだ場所を探し続ける。それは実は女性だけではなく、“お金がいる”“家族の必要が優先”の日常を送りながらもアートを続ける(または自分を探し続ける)すべての人に共通のジレンマなのだと思う。でも、その膝をかがめて待ち続けたリハビリのおかげで、いざ跳んだ時のジャンプはより高く、はじける瞬間のはじけ方が普通の人とは違ったという。

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その後の7年間に、トシコはニューヨーク・チェルシーのアゴラ・ギャラリーで個展を開き、さらに活動を拡げ、ニューヨーク州各所、韓国、日本、オーストリア、イタリア等でグループ展に参加している。「それは自分の中に、絵に携わる人間として“創りたい、やりたい”っていう気持ちが長年積み重なっていたからこそできたことなのです。私才能とかあんまり考えたことないんですけど、もしかしたらそういうものがある種の才能というか、一番作家として重要なことなんじゃないか、という気がしています。どんな状況/苦境をもバネの一つに組込めるかどうか、というのが大切なんじゃないかと思います」。成長した子供達が遠くの街で悲しい体験をして電話をしてくる時、トシコは夜通し彼らを思って絵筆を運ぶ。それが今、唯一彼女がしてあげられることであり、またそれが彼女の職業であり運命なのだ。

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20年使ってきた筆。これでないと繊細な線が描けない。
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トシコ、トライベッカのアトリエで

プラトンは太陽を善の象徴として捉えた。彼によれば、私たちの目とは、光がなければ機能せず事物を認識できない、つまり媒体を必要とするという点で特殊な感覚器官である。トシコはその媒体、光となって、私たちの心に太陽を届けようとする。私たち一人一人の心の中で光って、裸眼が認識してくれないかもしれない物事を私たちが見られるように照らしてくれる。そのやさしく、いたずらっぽい心で、私たちが光の中へと踏み出せるよう誘ってくれる。光は物事に輪郭を与えるだけではない。生体電子的な熱も生む。トシコの招待を受けて私たちがギャラリーを訪れるとき、私たち自身が周囲の人達と一緒に癒しのエネルギーを生み出し、ギャラリー内の特別空間は反射性の熱を帯びて光ることだろう。

(文章・写真:タハラレイコ[記載のあるもの以外])

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「Senbazuru: Reflections of the World in 1,000 Mirrored Orbs」1週間後のオープニングを待つギャラリー空間(撮影:トシコ・ニシカワ)

西川敏子ウェブサイト:
http://www.toshikon.com/

トシコ・ニシカワ
ヴィルチェック・ギャラリー個展インフォ:

10/29/2010 - 12/09/2010
The Vilcek Gallery
167 East 73rd Street, New York, NY 10021
Hours: Wednesday - Saturday, 12 PM - 6 PM and by appointment
Press Contact: Anne Schruth; 212.472.2500/ anne.schruth@vilcek.org
http://www.vilcek.org/gallery/on-view-now.html

トシコの作品を販売しているオンライン・ギャラリー:
アートネット
http://www.artnet.fr/artist/425796887/toshiko-nishikawa.html

その他、トシコの作品を掲載しているサイト:
Arts in Spectrum (レビューあり)
http://www.artisspectrum.com/Artist-Profiles/Volume-21/toshiko-nishikawa.html

アーティストレジスター
http://www.artistregister.com/nishikawa.html

アゴラギャラリー・アーティストページ
http://www.agora-gallery.com/artistpage/toshiko_nishikawa.aspx

Agora Gallery 2006年個展レビュー
http://www.agora-gallery.com/SpecialExhibitions/The_Enigmatic_Existence.aspx

Agora Gallery グループ展レビュー
http://www.agora-gallery.com/exhibitions/reviews/review_Japanese_Painting.aspx


■タハラレイコ PROFILE

東京、吉祥寺出身。91年イリノイ大へ奨学生留学渡米、92年からNY。94年以降は夫の上杉幸三マックスと二人でドキュメンタリーや実験映画を製作。日本で見る西洋のイメージについての思索実験映画『レムナンツ 残片』(1994)は全米30以上の映画祭やアートセンターで上映、今年7月カナダの新世代シネマ祭でリバイバル上映される。マックスと共同監督の『円明院~ある95歳の女僧によれば』(2008)は岡山の老尼僧の人生を綴った探偵風私的長編ドキュメンタリー。ハワイ国際映画祭でプレミア後、NY、日本、スリランカなどの映画祭やギャラリーで上映、2011年2月にポレポレ東中野で公開予定、その後日本各地での展開を目指す。2007年度文化庁新進芸術家海外研修生としてデオドラ・ボイル教授(NY ニュースクール大学)のもとで先生修行、また映像作家アラン・ベルリナー氏に師事。以後、NY近郊の大学・大学院でドキュメンタリー史、制作、日本映画史などを非常勤講師として教えている(ニュースクール、NY市立大、テンプル大、ハンターカレッジ、来春からはNYUも)。2009年11月、次作の撮影のためマックスが故郷の岡山県玉野市宇野港に拠点を移し、瀬戸内海のアートアイランド直島を訪れる外国人観光客のための宿屋を開業、18年ぶりに日本に住み始めた。タハラは高校受験を控えた12歳の娘とブルックリンに暮らす。2010年夏より始まった宇野港芸術映画座上映シリーズ「生きる、創る、映画」( http://unoportartfilms.org , http://www.facebook.com/UnoPortArtFilms )は上杉・タハラの共同プロデュースで、毎年世界各地からの心を揺さぶる秀作品を紹介していく家族再会イベント。晩の野外上映では瀬戸内の島々を背景に、ビール片手にいい映画が見れる!世界中の映像作家とスカイプトーク等もあり。早稲田大学第一文学部卒、ニュースクール大学メディア学部修士課程修了。
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