渋谷アップリンク・ファクトリーで行われたトークショーより、会田誠(左)とリンダ・ホーグランド監督(右)
渋谷アップリンク、横浜シネマ・ジャック&ベティほかで全国ロードショー中の映画『ANPO』公開を記念して、9月19日渋谷アップリンク・ファクトリーにて、今作に出演する美術家の会田誠と監督のリンダ・ホーグランドがトークショーを行った。
普天間基地問題のニュースが日々報じられる現在、今作は60年安保とは何だったのか、そして現在まで続く日本とアメリカの屈折した関係をアートの側面から明かにしている。アーティストの作品と証言を縦横に構成することにより、アートの力と重要性をあらためて確認できるドキュメンタリーであり、そこには映画の冒頭にフィーチャーされた会田氏の言葉が重要な推進力となっている。かつてニューヨークで会田氏の通訳を担当したリンダ監督とのこの日のトークは、辛辣でありながらユーモアも交えた内容となった。
アートとして基地や戦争体験をどうやって表現するか(リンダ・ホーグランド)
リンダ・ホーグランド(以下、リンダ): 会田さんを期待していたらかなりズッこけるほど短い登場だったので、申し訳ありません。でもそういう意味ではマラソンのトップランナーを走っていただいて感謝しています。
会田誠(以下、会田): とにかく使えるようなことを全然しゃべらなかった、しゃべれなかった故なんですけどね。昨日完成した映画を初めて観たんですが、しゃべれなかった事についてはずっと考えてるんですけれど、上手くまとまらないですよ。
リンダ: 本当に会田さんのヒリヒリっていう言葉が、この映画の入り口というか定義のようになって日本人の方にも欧米のお客さまにも受け止められたんじゃないかなと。何よりも絵画、作品から先に入ることで、この映画の行く末みたいなものが見えてくるので。
この映画は基本的に日本の歴史なので、非常に丁重に遠慮して編集したら、2時間10分というとても観られない尺になってしまって。それで日本に来て何人かの監督に観てもらったら「誠実すぎる」「歴史の本にあるものは全部捨てて、客をビックリさせろ」と。あとは「このアートは誰も知らないから、とにかくアート、アート、アートで引っ張ったほうがいい」って言われたので、ニューヨークに帰ってバッサリ一時間以上切りました。不思議なもので、最初にアートから入っていって、アートからアートへカットしていくと「今のへんちくりんな世界だったけど、次もへんちくりんだね」って、訳が解らなくてもいいような世界になってしまったので、必然的にああいう作りになったんです。
会田: 確かに政治とか歴史を題材に作品を作ることもあるくせに、語るのがとても苦手ということもあるんですけど、どうも語りたくない。極端なところが沖縄在住の女性写真家の石川真生さんのように、怒りが伝わって、主張があって、その主張を表現するために写真とか表現があるような方に比べると、僕はそういうタイプじゃないんですよね。だからこういう場に来ると窮地に陥るんです(笑)。
リンダ: 全然追い込んでるつもりはないですよ(笑)。
会田: これはやりたくて、わざと自らやってることで、ある種こんな場は拷問なんですけどね。自分のまいた種というか。でも昨日からぶつぶつ何の発展性もなく頭の中で安保のこととか考えてるんですけど、何の言葉にもなってない。だから今日もあんまりしゃべれないですし。撮影の際も一時間くらいぶつぶつしゃべったのを撮っていただきましたよね。ドキュメンタリーっていうのはそういうものだし、他の人がいっぱいしゃべったのももちろんいっぱいカットするんでしょうけどね。
リンダ: けっこう有名な方でも全部ばっさりカットした人が10人ぐらいいますよ。
会田: そうなんですか。じゃあその中では、一言あっただけでもましなんですね。
リンダ: それも最初の一言ですから、ただの一言とは違うと思います。
会田: にしても、なぜ僕の出演が短かったか、今日のお客さんは「これは使えんわ」と解ると思います。
リンダ: 会田さんとニューヨークで何度かお会いして通訳をさせてもらって、そういうときに私が持ってる会田さんの印象って、いい意味で素直なジョーカーみたい。会田さんが政治とか歴史のことをまっすぐじゃなく話してるのを通訳するのが好きなんです。棘のある人の通訳のほうがよっぽど面白いんですよね。ところが京都に撮影に行ったら、非常に真面目に安保について答えてくださって、期待してなかった真面目さがあったので、私もちょっとショックでした。
会田: 『紐育空爆之図(戦争画RETURNS)』(1996年)は解りやすいブラックジョークといえばそうですし、もっと解りやすくジョークみたいな作品も多くありますが、作品は政治的な主張とは違うという考えなので、その作品について基本的には語らなくていいですし、語るとしたらジョークみたいなことになるんです。そこで安保についての話が来たでしょ、日本のアメリカ軍基地をもし無くすとしたら、無くして軍事力ゼロなわけにはいかないから、防衛をどうするかとか、普通に真面目に考えちゃってね。さっき言った沖縄在住の石川真生さんもそうですけれど、加藤登紀子さんや石内都さんも、女性の表現者の方々にはなにかそういう感情に根ざした体感的で体験的な、悪く言えば近視眼的なところがある。それに比べて、中村宏さんはいろいろしゃべってるけど、どちらかいうと僕のタイプ。横尾さんも結局社会正義によってなにかを表現しようとしているところもあるし。
リンダ: 会田さんが引き受けてくれなかったジョーカー的な役割を横尾さんがこの映画で引き受けてくださった。
会田: 要するに現実的に考えると、僕は安保の取り決めとかについての話はリアルに考えるとどんどん真面目になっちゃうというか、現実的にはいろんな力関係があってのことじゃないですか。
リンダ: というか、この映画では結果的にはあんまりリアルに考えたくなかったんですよね。アートとして基地とか戦争体験をどうやって、どういう創作過程で表現するか。確かにおっしゃってた3人の女性たちは、創作の原動力みたいなものも何かしら個人的なところがあると思います。でも結果的にはやっぱりアートで始まりアートで終わり、具体的に安保条約がどういうものなのかも、この映画を観てよく解らないし、どうすればいいか私が思ってるかもたぶんこの映画を観てもあんまり解らない。結果的に作っていくうちに現実からどんどん引いていって、最終的にはギリシャ悲劇ぐらいのところまで引きたかったんですよ。物事を見つめる目線を引いて、戦争という営みを人間がどうやって見つめ、どうやってそれが人間の心や表現の中に残るかという、エピック性を持った作品にしたかったんです。
会田誠
『ANPO』は議論の公平さを目指しているわけではない(会田誠)
会田: なるほど。たぶんその京都で取材したとき僕の予想外の真面目さの理由はもう一つあって。確かに僕がやりすぎちゃったのかもしれないですが、題材が題材なだけにどうしてもリンダさんの思想というか政治的立場が現れてきていて。少なくともある種の議論の公平さみたいなものを目指しているわけではないじゃないですか。『朝まで生テレビ』みたいに、米軍基地が日本には必要派の人と反対派の人を登場させて、いうことではないから。やはりリンダさんの立場というのがあると思うんですけど、そういうことをこちらも読もうとしてしまった。リンダさんはそれまでも通訳を通して、この通り妙に気さくな人であり、日本の西で育ったせいか、標準よりもちょっとこう荒っぽい感じの日本語で語る方ですから(笑)。
リンダ: すいません(笑)。
会田: 気心知れてると思いつつも、他の人は緊張しなかったのかな。リンダさんが安保について取材するって、場合によってはアメリカ人の悪口とかにもなるわけじゃないですか。
リンダ: 半藤(一利)さんが立派に「アメリカ嫌いでした」って言ってくれたのは、絶対に使うって決めましたね(笑)。
会田: 言う方もすごく複雑な心境ですよね。
リンダ: 半藤さんはあまり複雑がってなかったですよ(笑)。もしかしたらちょっとだけ会田さんの立場と違うからかもしれない。私は、そのときどうだったかというのを「これは覚えてますか」といった質問から彼らの記憶を呼び起こしたかったんです。でも何を聞いても、池田さんも中村さんも60年安保の当事者、実体験者だから、笑いながら話してくださって、緊張はしてなかった。
会田: 緊張してたのは僕だけですね(笑)。でも確かにそうでしょう。風間(サチコ)さんがいて、次に若かったのが僕だと思います。風間さんは僕が紹介したんですが、とにかく特殊な方で、現代っ子としてあんな方他にいませんからね。もしかしてこのドキュメンタリーを見て、日本には風間さんみたいな若い人がいっぱいいると外人のお客さんが誤解しそうな。
リンダ: そう思わせときましょう。
会田: 彼女は昭和史オタクみたいな部分もありますし、ご家庭がハード左翼だったりもして。だから風間さんは信念がしっかりあって堂々としたものですけれど、僕は京都の撮影では今と同じようにウロウロしてましたしね。
映画『ANPO』より、会田誠『紐育空爆之図(戦争画RETURNS)』(1996年)
安保は当事者の方々のようにしっかりは語れない(会田誠)
リンダ: でもいつも面白いのが会田さんで、これは最初会ったときからの会話なんですけど、絵が全然ウロウロしてないんですよね。ちょっと聞いていいですか。『紐育空爆之図(戦争画RETURNS)』のニューヨークの空上のゼロ戦という発想はどこから出てきたんですか?
会田: あれに限らず全ての作品がそうですが、それまでのイメージとか記憶、ビジュアルや言葉の蓄積があるときポンッと一緒になる。例えば『戦争画RETURNS』というシリーズは、僕もそんなに特殊なわけではなくて、日本では8月15日の3日前から主にNHKを中心に戦争を振り返るみたいな番組があるわけなんですよね。それを毎年見るのはなんとなく恒例行事で。ああいうのは子供心にもトラウマに残るような白黒映像があったり。観て子供の頃泣いたりしたような記憶もあります。学校の平和教育や勉強をして蓄えた知識というわけではないですけど、日本人で昭和40年ぐらいに生まれると自然と得るイメージから偶然合成された集積で。さらに言えば、ここはちょっと僕は特殊かと思うんですが、大げさに言えば物心ついたときから反米的だったかもしれなくて。さっき風間さんをハード左翼と言ったのに対比して言えば、うちの父親はソフト左翼、漠然と社会党支持みたいな社会学の田舎教授で、母親も平和主義者かつフェミニズム的で、家庭の中でもそういう雰囲気だった。父親はソフト社会学者としてアメリカの資本主義は敵で、でも共産主義もなんだなぁみたいな、北欧あたりの福祉国家のほうががいいみたいな無難な感じだったのかもしれないです。政府与党は悪者だというのは前提で、アメリカってのはでかくて、力にものを言わせてる憎い国だというイメージがあった。そんな言葉使いませんけどね。そして母親は『大草原の小さな家』のような憲法9条が作ったアメリカのある種の人道主義みたいな雰囲気は大好きで、マッカーサーの従順な娘というか。なので家庭内でもアメリカ感が少し根付いてはいたとも思います。
とにかくアメリカを前提として、それにプラスして、手塚治の漫画とかには、少年漫画だからSF仕立てにして露骨にやらないけど、どう見てもアメリカとソビエトをモデルにしたような、二大国の冷戦で地球が滅びるストーリーがあって。僕の生まれ育った昭和40年代はそういうものが溢れていたと思います。安保と関係のある時代の空気感ですよね。簡単に言えば60年安保と70年安保と二つあって、今回は主に60年安保についてが多かったわけですよね。僕は65年生まれでちょうど二つの安保のピークの真ん中辺りに生まれたので、70年安保も5歳で、具体的には覚えてない。あさま山荘事件が72年ですか、そこら辺はなんとなく覚えてるんですよね。70年安保のあとの左翼運動の最後のちょっとまがまがしい打ち上げ花火みたいな。だからその空気感ぐらいは残ってるけれど、当事者の方々のようにしっかりは語れないんです。
リンダ: 別にしっかり語らなくても、絵がしっかり語っていらっしゃる。『紐育空爆之図』について質問したいんですが、まずはジョークにしてはあまりにも美しくて、あまりにも洗練されたテクニックで書かれていらっしゃるので、傑作になっていると思うんですけど、実際描くのにどのくらいかかるんですか。
会田: あれは足掛け2年ぐらいはかかったと思います。そんなに大きくはないですよ。このことはあんまり言ってないんですけれど、あれを何で描いたかというと、確かに日本画の加山又造の『千羽鶴』というミックスしたとかそういうこともあるんですけど、直接的には実はニューヨークのクリスチャン・リーという、その頃割に飛ぶ鳥を落とす勢いのスター・キュレーターがいて、その方が来日して若手の作品を見るみたいな企画があって。僕もあんまり知らなかったんですけど、見せて驚かせてやれと思って。それで鉛筆の走り書きみたいなアイディアを嬉々として持っていったんですよね。
リンダ: 15年前の話ですよね。
会田: そうですね。その前にも僕の違う作品を見る機会があって、気に入ってたみたいなんです。もっと気に入られようと思って、ニューヨーカーだしこれなら刺激があっていいかなと思ったら、いきなりパタッと連絡が来なくなって、あぁやっぱりやりすぎたかなと。
リンダ: ホイットニー・ビエンナーレに招待されて展示されたんですよね。アメリカ人からあの作品について文句が出たっていう記憶があるんですけど、具体的にはどういう体験でした?
会田: 英語のせいで、僕はいつも海外に行っても状況がわからずに帰るばっかりなんですが、ただあの時はオープニングで僕の絵を前に多少の論争が起きたのは、横でぽけっと当事者のくせに、まるで関係ない人のように見ていました。戦後間もなくから長くニューヨークに住んでいる日本人女性、白髪で英語は上手いんだけど発音が完全に日本語英語みたいな英語を話すおばあちゃんとアメリカ人が、僕の絵の前で論争し始めて。おばあちゃんは「東京はこういうふうに空襲されたんだ」みたいに、僕の絵を弁護するのかなんなのかわかんないけど話して、それにアメリカ人の記者が興奮して反応してるのは見ました。その後いろいろ否定的な記事が書かれたことは聞いてますね。でもそれを見つけて訳してもらって読もうとはちょっと思いませんでした。
リンダ・ホーグランド監督
アートの中に宿ってるのは、主観的な記憶の結晶(リンダ・ホーグランド)
リンダ: しばらくニューヨークに住んでたことがあるんでしたっけ?
会田: ええ、2000年に9ヶ月くらいですね。
リンダ: 住んでみてどうでした?
会田: いいといえばいいけど、特に好きにならなくてもいいような気もするし、全然悪さはない街です。最初に外国に行ったのがニューヨークなんですよね。大学院を出て、すぐ翌年ぐらい。その前の2年間くらいで貯めたなけなしのバイト代をつぎ込んで行ったわけです。後にも先にも自腹で外国いったのはそれだけなんですけれど。たぶんその頃から酒の席あたりで友達レベルにはアメリカ嫌いだとか言ったりもしてたと思います。もちろん美術の中心地がニューヨークっていう現実が一番ですけれど、美術のことは置いておいても、特にニューヨークは気になるんですよね。ワシントンも、アメリカ政府みたいなものも気になるけど、僕は漠然と何かアゲインストっていうか。ワシントンだと100パーセントアメリカな感じだけど、ニューヨークってヨーロッパの要素があるじゃないですか。
リンダ: そうですね。
会田: かつインターナショナル。敵の総本山と言えば今でもそうですし。でも現実に住んでみると、僕はそんな車乗って高層ビルのエレベーターで高いとこまで上って、ビジネスマンのようなニューヨーク生活をしたわけじゃなくて、結局路上歩いてるわけで。そこで目にするのはニューヨーカーと言っても、プエルトリカンなのか中国人なのか、いろいろな有象無象の有色人種だったりするし。でもときどきはね、キチガイじみた金持ちのパーティーとか月に一回ぐらいは、間接的に呼ばれて行って、変なの見ちゃったとか、そんな感じでした。
リンダ: 私がインタビューしたときに、この映画の中で使う予定をしていた50年代の絵画のスキャンをお見せして、何枚かは知ってたけどそんなに知らなかったとおっしゃってましたね。あらためて映画の中で中村さん、山下さん、石井さんの絵を見て、素直にどうですか。
会田: まず個人的にちょっとイラスト的な要素というか体質を持ってる中村さんの作品は、昔から好きでした。今回見て山下菊二さんも好きですが、うねるような線中心の中村さんの絵はやっぱり好きだなぁと思いました。
リンダ: 線中心というのはどういうことですか。
会田: 中村さんはやはり独特の曲線が等高線のように繰り返される、線が強い絵だと思うんです。山下菊二さんは以前から気になってはいた人です。簡単に言うと僕の世代、僕みたいなタイプのアーティストはなんだかんだ60年代あたりのハイレッド・センターとか反芸術といった暴れる感じの人たちとご縁があることが若干多くて。ご縁がないのがこの後の70年代、80年代の世界的に言えばミニマル的な美術。美術大学にいた頃の教授や現代美術の先生にも、そのようなクールな70年代型の人が多い。それに比べて、父親よりもちょっと上ぐらいの世代だと思いますけれど、臭いがしてくるようなこういう方のほうが好きだった。だから、学生の頃山下菊二さんの絵の図版をちらっと見たとき、前の前の世代の方がどろっとしてていいじゃないかというような感じで興味を持ったことはあります。
リンダ: 今僕みたいなタイプのアーティストっておっしゃったんですけど、会田さんみたいなタイプって他にもいるんですか?
会田: それは大きくいえば90年代辺りにデビューした、具象的なイメージを持ってわりに派手な表現を好むアーティストのことで、村上隆だって入れてもいいし、ヤノベケンジとか、森村泰昌とかも入れていいでしょうかね。ここら辺の方と何か多少呼応するところがあるような気がしています。
(会場からの質問): 絵のことで、今日紹介していただいたような年代の人たちと、会田さんと同年代の作家とは匂いがあるから解りあえるような気がするけど、それ以後のミニマルな方たちとはなんとなく解り合えないというお話でしたが、そこをもうちょっと説明していただきたいです。
会田: 大枠を言えば、それはつまらないぐらい簡単なことなんだと思いますよ。70年代の頃は還元主義といった言葉もあったりして、国や民族の個性とか癖は度外視して、とにかくインターナショナルで世界中が同じ抽象的な問題に取り組むことを美術が求めるべきだというのが主流だった。それが僕やヤノベケンジがデビューした頃は、マルチカルチュアリズムといって、いろいろ国ごとに事情が違うことを見せていいんだと、そんなことがあって僕は幸いにしてデビューできたわけで。さらに、安保のあった時代はまだ現実に日本がそんなに国際的ではなかったこともあり、日本的なものがいっぱい残ってたんでしょう。そこが今は何か新鮮に映ったところだったのかと思いますけれどね。
(会場からの質問): リンダ監督がアートに思い切って絞り込む形で今回の映画を作られたその理由と、アートというものが持っている可能性について、お考えになってることがあったらお聞きしたいです。映画を観て、記憶の通路みたいなものが開いたという感想を持ったんです。
リンダ: 私は60年代安保闘争も70年も、ベトナム戦争も知らない、すごくかくまわれた宣教師の地方の娘でしたが、それをアートを通して発見しました。そのアートの中に宿ってるのは、主観的な記憶の結晶で、一人一人のアーティストのものすごい努力と工夫によって、世の中に残るものとして、加工して発信しています。トロント映画祭でワールドプレミアをしたんですけど、二回上映で最初の質問は、「このあとの展覧会いつ見られますか?」、次の質問が「この画集どこで買えますか?」でした。やっぱりアートが一番人間の心に、国境を越えて伝わりやすいんだと思います。
(取材・文:駒井憲嗣)
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■リンダ・ホーグランド プロフィール
日本で生まれ、山口と愛媛で宣教師の娘として育った。日本の公立の小中学校に通い、アメリカのエール大学を卒業。2007年に日本で公開された映画『TOKKO-特攻-』では、プロデューサーを務め、旧特攻隊員の真相を追求した。黒澤明、宮崎駿、深作欣二、大島渚、阪本順治、是枝裕和、黒沢清、西川美和等の監督の映画200本以上の英語字幕を制作している。
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■会田誠 プロフィール
1965年新潟県生まれ。日本の戦後の根本的な矛盾を油絵、漫画、彫刻、写真などに描写している。2006年から2009年まで、制作活動の傍ら武蔵野美術大学の非常勤講師を務める。また、アーティストグループ『昭和40年会』に参加したり、若手の芸術家や学生をまとめ、自宅で『西荻ビエンナーレ』を開催するなど、幅広い活動をしている。平面作品に限らず、映像作品の監督・出演、またフィギュアなどの制作も行っている。『横浜トリエンナーレ2001』『六本木クロッシング2004』などに出品。
映画『ANPO』
渋谷アップリンク、横浜シネマ・ジャック&ベティほか全国順次公開中
監督・プロデューサー:リンダ・ホーグランド
撮影:山崎裕
編集:スコット・バージェス
音楽:武石聡、永井晶子
出演・作品:会田誠、朝倉摂、池田龍雄、石内都、石川真生、嬉野京子、風間サチコ、桂川寛、加藤登紀子、串田和美、東松照明、冨沢幸男、中村宏、比嘉豊光、細江英公、山城知佳子、横尾忠則
出演:佐喜眞加代子、ティム・ワイナー、半藤一利、保阪正康
作品:阿部合成、石井茂雄、井上長三郎、市村司、長濱治、長野重一、浜田知明、濱谷浩、林忠彦、ポール・ロブソン、丸木位里、丸木俊、森熊猛、山下菊二
2010年/カラー/6:9/89分/アメリカ、日本
配給・宣伝:アップリンク