骰子の眼

art

東京都 渋谷区

2010-09-25 11:35


「東京のビジュアルで汚れてしまった目をデルニエ・クリのビジュアルで洗い流しに来てください」初来日を果たしたマルセイユの出版芸術家、パキート・ボリノにインタビュー
UPLINK GALLERYで開催中の「LE DERNIER CRI vs ハッテンバプロダクション」より

東京日仏学院の招聘により、マルセイユの"出版芸術家"パキート・ボリノが初来日を果たし、東京の四つの場所で同時に展示を行っている。"出版芸術"とは聞き慣れない響きだが、これはパキート・ボリノが注目するアーティストの本を作るという行為そのものを意味する言葉。各会場に展示されているものは、人に与えるインパクトが強すぎる作風であるために、なかなか既存のメディアでは紹介されることの少ないアーティストたちによる強力なビジュアルを用いた、シルクスクリーン刷りの巨大ポスターの数々だ。そして、この週末には六本木「スーパーデラックス」にて二日間に渡って開催されるイベント「超解毒波止場」で、かねてより彼が出会いを熱望していた日本人アーティストたちと対面し、様々なコラボレーションが行われる。
アーティスト集団「ル・デルニエ・クリ」を束ね、シルクスクリーン刷りの毒々しくも色鮮やかなアートを世界中にばらまき続ける確信犯的アーティスト、パキート・ボリノに話を聞いた。

ストーリーではなくて、まずグラフィズム(絵)を見る

──初めての日本はいかがですか?

「湿気が多いですね。まるでタコの中にいるみたい(笑)」

──日本へ来ることがあなたの長年の夢だったそうですね。日本に来てやりたかったことは?

「とにかく、自分がル・デルニエ・クリで出版した本の作家たちに会いたかった。勿論、日本の怪獣の模型や古い漫画にも興味がありました」

──作家たちとはつまり、根本敬さん、市場大介さん、太田螢一さん、セキンタニ・ラ・ノリヒロさんのことですね。

「はい。蛭子能収さんや佐川一政さんにも会いたかったですね」

──あなたがル・デルニエ・クリから出版してきた日本の作家たちは、ここ日本でも独自の活動をされている方ばかりです。彼らの、どのような部分に惹かれたのですか?

「最も重要なのはデッサン(線)です。私はそれを最初に見ます。彼らの作品を見た時に、それぞれが特別な線を持っていることに気付きました。ストーリーではなくて、まずグラフィズム(絵)を見るんです。ル・デルニエ・クリは世界中のアーティストたちの作品を出版していますが、彼らの絵は一つの線で繋がっていると思います。ル・デルニエ・クリは音楽のレーベルのような役割を持っていて、作家たち一人一人の繋がりが視覚化されているという見方もできますね」

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ル・デルニエ・クリの看板アーティストの一人にして“King of Photoshop”の異名を持つフレドックスによるビジュアル。

──ル・デルニエ・クリの活動はパリで始まったのですよね?

「はい、93年に。それまではパリ市内に住んでいましたが、作品を印刷できるような場所がなかなかみつからず、パリから電車で一時間くらいのところで始めました」

──そこからマルセイユに移り住んだのは、活動を維持するための金銭的な事情から?

「そう、パリは何もかもが高すぎるから。印刷するために広いスペースが必要だし、高い家賃を支払うために高収入の仕事を優先していかなければならなくなる。私は自分のスタイルで仕事を続けたかったからマルセイユに移り住みました」

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ル・デルニエ・クリの入口

──昨年の秋にマルセイユを訪問しましたが、ル・デルニエ・クリのアトリエの近所にはライヴハウスやレコード屋、そしてそこに関わる人々の行きつけの食堂があったり、まるでル・デルニエ・クリのコミュニティが形成されているようにみえました。

「全員がマルセイユ出身という訳ではないんですけどね。最近、フランスのあちこちの街から越してきた人たちなんです。それまでに住んでいた街がクリーン過ぎるとか、家賃が高すぎるなどの理由でね」

──マルセイユにル・デルニエ・クリがあったからこそ集まったのでは?

「それはわからないけど……もしかしたら、そうなのかもしれないね。彼らはマルセイユに来る前から既にグラフィックをやっていたし、今は一緒にやっていたりするからね」

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マルセイユのライブハウス「L'Embobineuse」のエントランス風景

──あなたのアトリエ周辺のコミュニティは、ル・デルニエ・クリが経営しているようにみえてしまうくらいでした。

「私がコンセプトをオーガナイズしているわけじゃないけど、みんな一つの場所に集まって同じような活動をしてるからじゃないかな。もちろん、場所だけでなく気持ちの中でも共に活動しているという意識があるし。今は10人くらいの人間が集まってオーガナイズしてる。近々、ビルを借りようと思ってるんだけど、そこの場所は彼らが使うことになる。『俺達はとまらないぜ』って意味をこめてね」

──アーティストたちがみんなで一緒に生きている感じがしました。

「一緒に住んでるわけではないけどね(笑)。でも、私の家に集まってたり、食事を作ったりすることはあるよ。なぜなら場所はあくまでみんなのものであって、なんでも思ったことが自由に出来る環境でないといけないから」

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ル・デルニエ・クリのアトリエの様子

爆弾を世界中にばら撒いている

──ル・デルニエ・クリは今年17年目とのことですが、どういった気持ちから活動を始めるに至ったのですか?

「私はオルタナティヴな漫画、グラフィック、音楽が大好きで、80年代に自分が影響を受けたアーティストたちに会いたかったからパリに出たんだけど、90年代の始め頃はインディペンデントの出版社は殆ど無くなっていて、80年代に活躍していた人たちも殆どいなかったんです。『ラ・ソシエーション』のような、それぞれ単独で活動していたアーティストたちがインディペンデントな出版社を始めるという動きはあったんだけど。でも、僕たちには自分の作品を編集してくれる人がいなかったから、自分自身が編集者になろうと思いました。パリは人がたくさんいるのに好きなことが何も出来ない、そういう環境だったから自分でやろうと思ったんです。シルクスクリーンを印刷できるアトリエを見つけた時に、まだ出版されていないアーティストたちに声をかけて、カオティックでめちゃくちゃな本を自分たちで作りました。今でもそのやり方を続けています」

──出身はマルセイユではないのですね。

「それよりも南の小さな街で、マルセイユではないです。みんなからマルセイユは『汚くてマフィアがいっぱいいる』と聞いていたから、『じゃあ汚い街でヤバいから、ル・デルニエ・クリの拠点としてピッタリだろう』って考えたんだよね。でも、マルセイユの人たちはル・デルニエ・クリのことが嫌いだと思います(笑)。家賃や物価が上がったりすると困るし、良くない噂があった方が自分たちにとっては好都合だね(笑)」

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ここから数々の野心的なシルクスクリーンが生まれる

──マルセイユの街でル・デルニエ・クリのビジュアルを見たときに、実際に街自体がワイルドですから、人に危害を加えるビジュアルではなく、寧ろあなたたちのテリトリーを守るための自衛的なビジュアルに見えました。

「そうかもしれないね。でも、爆弾はその外で、世界中にばら撒いている(笑)」

──ル・デルニエ・クリのアトリエは、たくさんのアーティストたちがアトリエを構える巨大な複合施設「ラ・フリッシュ・ラ・ベル・ド・メ」の中にありますよね。しかし、あなたのアトリエはきれいな表玄関の方ではなく裏側の方にあるでしょう。表側からル・デルニエ・クリのアトリエに向かう途中、壁や道路にかかれた落書きの画風が徐々にハードになっていったのがとても面白かったです(笑)。

(笑)

──ル・デルニエ・クリは、今回あなたが日本で行っているようなスタイルで、世界中でツアーを行っていますよね。反応はどうですか。

「驚かれることも多いですが、世界中にル・デルニエ・クリを支持してくれる大勢のアーティストたちがいて、みんな同じスピリッツを持っていることがわかります。東ヨーロッパの人たちはシルクスクリーンで本が出来ることを知らなかったし、考えていなかったようです。東ヨーロッパやロシアの国々がだんだんシルクスクリーンの本を作り始めていますね。アンダーグラウンド系の本はテレビではぜんぜん放送されないので、自分の活動とメディアは関係ない。全て自分で最初から最後まで作るしかない。シルクスクリーン作品を展示することで、『こういうことができるんだ』と教えてあげることが出来ると思います。色々な国を旅しながらル・デルニエ・クリの展示を行うことで、新しいアーティストたちと会う機会も増えています」

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複合施設「ラ・フリッシュ・ラ・ベル・ド・メ」の外観

──あなたのエネルギーの大半は、未だに世に紹介されていないアーティストと直接会って、マルセイユのアトリエで本を作るという仕事に注がれているんですね。そのやり方は、パリで活動を始めた頃から変わっていない?

「パリに住んでいた頃はパリジャンとだけやっていて、パリの書店がアーティストたちとのコネクションを担っていた。でも今は本というオブジェ(物)だけのコネクションで世界中のアーティストたちと繋がっているんだ」

──あなたがパリを出て、マルセイユへ行ったのが97年頃ですよね。その頃の日本は、世紀末ということもあってバッド・テイストがメディアに多く露出した時代でした。それは悪趣味ブームと呼ばれるものだったのですが、ル・デルニエ・クリのビデオ作品『邪眼』もその流れの中で知られていったという経緯がありました。しかし、2010年の今でも、その頃から作品を作り続けているアーティストは本当に強いと思います。これは当たり前のことですが、その強度はル・デルニエ・クリから出版される作品にも現れていると思います。

「流行、ファッションに流されてはいけない、絶対に。それを壊して、自分のスタイルを貫くんだ」

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アトリエ近くの壁には無数の落書きが

──セキンタニ・ラ・ノリヒロさんは、10代の頃に90年代の悪趣味ブームを体験したせいで、ある種の免疫が身に付いたというようなことを言っていました。それが彼の活動の原動力になっているらしいんです。ル・デルニエ・クリの絵に影響を受けて、「こういうことをやってもいいんだ」と。それはとてもポジティヴなフィードバックですよね。

「そう、だからデルニエ・クリを作ったんです。ちゃんと自分のスタイルを持って、自分らしい作品を作ればいいのだと思う。『売れるために作ろう』という考えは間違いです。そういう意味で、私は最近映像作品を作ることが大切だと思っています。ビジュアルが与える影響はビデオの方がインパクトあるでしょう?
特に若い人たちは本というもの自体にあまり慣れていないから。若い人のためにそれをやることが大切だと思います。本を作るように、ビデオを作りたい。絵を描いて、編集して、折って、切ってというように、最初から最後までの全てを自分でやるという考え方です。今ではコンピューターなどがあるから全部自分でできるでしょう?それこそ、セキンタニ・ラ・ノリヒロがそうしているように」


Super Deluxeのイベントに出演するミュージシャン、MaruosaのPVをセキンタニ・ラ・ノリヒロが手がけている。

──今後、ル・デルニエ・クリとしての展望がありましたら聞かせて下さい。

「日本に来て直接会った人たちと一緒に何かを作っていけたら嬉しいです」

──それは、あなたがル・デルニエ・クリでずっと続けてきたスタイルですよね。

「それが自分にとって一番面白くて、重要なこと。自分だけが変人ではないということがわかって安心もするし(笑)」

──実際に日本に来て、既に色々とアイディアが浮かんでいるのではないですか?

「そうですね、根本さんと一緒に本を作りたいですね。蛭子さんとも大きな絵を書いてみたい。アメリカやイギリスでは『ガロ』やその周辺の文化について紹介されたことはありますが、フランスではまだなんです。それが一番やりたいことかな。太田螢一さんの本も作りたいですね」

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ビジュアルの交換のみで書籍の制作を続けていた根本敬とパキート・ボリノ、15年越しの初対面の瞬間。(撮影協力:青林工藝舍)

──もしかしたら、ご本人にこの記事をご覧頂けるかもしれませんね。最後に、日本のル・デルニエ・クリのファンに一言あれば。

「東京のビジュアルで汚れてしまった目を、展示されたル・デルニエ・クリのビジュアルで洗い流しに来てください」

(インタビュー・文:倉持政晴)

LE DERNIER CRI vs ハッテンバプロダクション

2010年9月26(日)まで 12:00~22:00
入場無料
会場:渋谷UPLINK GALLERY(Bunkamuraより徒歩3分)
東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1階(UPLINK FACTORY併設の展示スペース)[地図を表示]

関連企画1

超解毒波止場 / Super Detox in Super Deluxe

【展示】
2010年9月26日(日)まで
『超解毒波止場2010』
2010年9月25日(土)19:00
出演:パキート・ボリノ、ハッテンバプロダクション、市場大介、宮西計三、他
『LE DERNIER CRI vs MUSIC (& !!??)』
2010年9月26日(日)19:00
出演:OFFSEASON feat.パキート・ボリノ、煙巻ヨーコ、セキンタニ・ラ・ノリヒロ、MARUOSA、他
会場:六本木Super Deluxe

関連企画2

『パキート・ボリノ“SPERMANGA”展覧会&ブックフェア』
2010年9月26日(日)まで 12:00~20:00
パキートのBD『スペルマンガ』の原画展示とデルニエ・クリのアートブック販売。
会場:中野タコシェ

関連企画3

『Pakito Bolino, collectif Le Dernier Cri“MENTAL DISCHARGE”』
2010年10月26日(火)まで
デルニエ・クリによるシルクスクリーン製ポスター、アートブックの展示。
会場:飯田橋日仏学院東京 1階ホール





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パキート・ボリノ プロフィール

スノッブなアート界や既存の出版システムに媚びる必要のない“自由な出版”を自らの表現と定め、南仏の港町マルセイユに構えるアトリエ=印刷所より真にプリミティブ且つ高純度のシルクスクリーン刷りアートブック/ポスターを世に送り出し続ける確信犯的“出版芸術家”、パキート・ボリノ。
彼の主宰する「Le Dernier Cri」(デルニエ・クリ=最後の叫び)とは、彼がその才を見出した無名(だが、たいへん強力な作風)のアーティストたちと組むチームの名前であり、自身の営むアトリエの屋号であり、彼の出版芸術という行為自体につけられたタグである。
パキート・ボリノはデルニエ・クリの活動を通して、これまでにブランケ、フレドックス、レティシア、ステュメッド、アンディ・ボリュスといったヨーロッパ中の異才たちを紹介してきたが、彼は、ここ日本でも独自の表現活動を行う太田蛍一、根本敬、市場大介、セキタニ・ノリヒロといったアーティストたちにもいち早く注目し、彼らのアートブックやポスターを製作/出版することで交流を育んできた。
「流行とは全く無関係に一生を通して自分のことをしている人々が、僕の心を打つ。ギャラリーで展示することもなく、公の場で発表する機会もなく、自分の為だけに、他人に媚びることなしに、一生我が道を行く人こそ評価したい」(「骰子」25号掲載のインタビューより抜粋)
http://www.lederniercri.org/


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