骰子の眼

world

2010-09-12 10:00


キューバ紀行 最終回:国のスローガンより、国民の生活状況に目を向けるべきだ

コントリビューター山本さんが2ヶ月にわたる庶民との触れ合いをふりかえり、日本人のキューバに対する視点にあらためて疑問を呈する
キューバ紀行 最終回:国のスローガンより、国民の生活状況に目を向けるべきだ
いつもSolidaridad(=協力するカサのオーナーのサラと同じアパートの1Fに住むマリー

キューバの大学とビザ一悶着

ハバナ大学はキューバの名門大学で、日本で言う東大、京大のような位置づけらしい。そのハバナ大学には、外国人向けのスペイン語コースがあり、誰でもお金を払えば受講することができる。そして短期履修でも長期履修でも学生ビザが発行されるのだけれど、私はビザ取得の手続きがうまくいかなかった。外国語コースを履修すれば、必ず学生ビザも発行してくれるのだが、事務所が数件あり、それぞれ違う仕事をしている。
大学内のオフィスでは入学手続き、大学横の外国人用オフィスではビザ関係の手続き、そして授業料を払うオフィスは大学から30分ほど歩かなければならない場所にある。スムーズに進んでもたらい回しに感じる、スタンプラリーのような手続き。授業料を払うように言われていた日時にオフィスへ行くと、今まで言われたこともなかった書類を提出しろと言われたり、ハバナ大学が正式に公開している外国語コース学生ビザ取得のための案内書通りに手続きを進めれば、結局フルの期間でビザがおりなかったり。

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雨のカピトリオ。旧国会議事堂。正面はバスロータリー。カピトリオ内部にはインターネットスペースがある。1時間5CUC(約500円)。

私のキューバ2ヶ月滞在のうちの約3週間は、本当にこのビザや手続きの問題であちこち動いていた。 当初は、ビザ関係のオフィスで働いている人が、私の帰国日6月16日までのビザを発行できると言っていたにもかかわらず、最終的には、私のビザは5月31日までいうことになった。正式な案内書通りにビザ2ヶ月分のための小切手を買って提出したにも関わらず、だ。
結局はメキシコへ出国してから、キューバへ再入国し、ビザを一旦クリアする形でなんとか2ヶ月滞在した。 そのとき、もうキューバの旅を終わらせて、帰国のチケットの日程変更をし経由のトロントで滞在することも考えた。けれども、当時の私は、考えに考え抜いた結果、キューバに再度入国することを決めていた。食事のまずさが辛く、いろいろ腹立つことも多かったキューバ、生活に不満がたまっていたはずだった。それでもキューバに戻ったのは、私が気づいていないキューバの魅力がそうさせたのかもしれない。

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大学内のカフェ。これは何かの揚げ物の屋台。ソフトクリーム屋台もあり、店内でハンバーガーやスパゲティも食べられる。

人によって言うことが違う。

そもそも、私のビザの手続きが複雑になってしまったのは、私が素直にそれぞれの担当者の言うことを鵜呑みにしていたからだ。 大学内のスペイン語コース事務の女性、大学の横の留学生ビザ手続き関係のオフィスの担当者、イミグレーションの職員、それぞれが言うことを信じて手続きを進めると、最終的には私の条件ではビザ延長ができなかった。
最後の最後に、ビザ手続き関係のオフィスにいる別の女性に、「いいえ、あなたは延長できないよ。航空券の日程変更しなきゃ」と一蹴されてしまった。 同じ事務所でも、担当者によって言うことが違う。予想はしていたが、いろいろな事務所に足を運んだ結果であったため、どっと疲れてしまった。 日本以外の国ではよくあることなので仕方ないが、面白いのは、例えばバスについてキューバ人に聞いても人によって答えが違ったりする。
「◯◯へ行くにはどこで降りればいい?」とバスの中で周りの人に聞いてみると、ある人は「次のバス停だ」と言うし、ある人は「次の次のバス停だ」と言う。キューバ人は、「わからない」と答えられない親切な人たちなのかもしれない。と、最終的には超ポジティブな思考でとらえることにしていた。

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3輪カーも現役で走る。
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サイドカーは当たり前。

先生は絶対的存在。キューバに新しい風はいらない。

ところで、ハバナ大学の授業はというと、最初の1週間教えてもらった先生は、スパルタでハイスピードな授業だった。 その先生に対して「わかりません」と言うと、先生はイライラしてしまい、突き放されてしまう。 「なんでこれがわからないの?バカじゃないの!?」とでも言いたそうな顔をされる。 同じクラスのアンゴラ人の男の子は、たまに的を得ない回答をするので、先生は「あの子は問題のある学生ね」というような発言をした。
たかがキューバ旅行中の外国人がお金を払えば受けることができる授業だし、何もそこまでヒステリックにならなくても、と思っていた。 そしてこれが続くのなら精神的にもきついので、オフィスに交渉して先生を代えてもらえないだろうか、とも思っていた。
そんなところに、ハバナで音楽留学中のある日本人に聞いた驚いた話があった。その人はある音楽学校に通っていたのだが、担当の先生が授業時間中にどこかに行ってしまったりして真面目に教えてくれないという不満があり、学校の事務所にクレームを伝えたとのこと。そしてその音楽学校を辞めることにして、別の音楽学校へ入学手続きをすると、クレームをつける生徒だということがその学校に伝わっており、入学を拒否されたということだった。その話を聞いたとき、私は不真面目な先生に抗議した態度に感心し、勢いで「新しい風を吹かせたんですね!」と言って少しはしゃいだのだが、その人は「いや、キューバでは新しい風なんていらないんだよ」と冷静に答えた。
キューバでは、先生は絶対の存在。日本のように先生や学校に対してクレームをつけるということはあり得ない行為らしい。 そして狭いハバナ。学校同士が繋がっており、すぐに情報が交換されるようだ。 教わる側が教える側に改善要求を出すことは日本やアメリカでは当たり前のようになっているが、キューバではかなり勇気のいることだったりする。キューバ社会って難しい。

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ハバナ、ミラマールにある大きな小学校。

メキシコショック

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カンクンセントロの街並。マクドナルドもあるし、コンビニもある。

ビザをクリアする為に、メキシコに2日間滞在してからキューバに戻ってくるという手段をとった。 キューバから外国に出国するには、現在ではメキシコのカンクンへ行くのが一番安い。 カンクンにはスーパーマーケットがあるし、ウォルマートもある。商店街も屋台もある。キューバに慣れていたときだけに、メキシコのモノの洪水にびっくりした。
まず、空港を降りてバスに乗ってからの車窓も、広告看板が立ち並ぶ。キューバのような政府プロパガンダ看板ではない。商品・企業広告の海。2010年のオスカー短編アニメ賞を受賞した『LOGORAMA』という作品を、ちょうど成田─トロントの機内で見ていた。登場人物がすべて企業キャラクター、画面に映るものすべてが企業ロゴというアニメ作品。まるで、自分がその『LOGORAMA』の世界に入ってしまったようだった。
キューバのハバナ空港から市街地までの車窓、メキシコのカンクンの空港から市街地までの車窓を動画に残していた。対比してみると面白いかもしれない。やはり日本人の私たちからすると、安心してしまうのは、カンクンの車窓だろうか。


・カンクンの車窓

・キューバの車窓

5月末のメキシコカンクンは、かなり蒸し暑く汗だくだった。宿のWi-Fiを使って久々にインターネットで情報収集をし、残りのキューバ生活の準備に徹した2日間だった。また、キューバでは食べられないがメキシコでは食べられるものも多い。なんといっても、メキシコで一番うれしかったのが、辛い食べ物があること!キューバ人は辛い食べ物が苦手らしく、カレーなんてほとんど聞かなかったし、唐辛子を使った料理もほとんどない。 隣国のジャマイカではカレーもあるしスパイスにつけ込んだジャークチキンもあるが、キューバ料理はスパイスと縁遠い。
日本で足しげくインド・ネパール料理やアジア料理屋に通う私。生の青唐辛子もかじってしまうくらいの辛い物好きなので、キューバで辛い物がないのがとてもつらかった。 メキシコのタコスのソース、サンドイッチの横についた青唐辛子、久々に舌にピリッとくる感覚にリフレッシュされた。
カンクン中心街のチェドラウイというスーパーマーケットに行くと、中にパン屋があり、大量、多種のパンが並んでいる光景に圧倒された。フランスパン、総菜パン、菓子パン、さらにはドーナツ、ケーキ、プリンまで。日本でよく見る普通の光景だが、パンに種類があって多数の中から選ぶという状況が久々で、また、見るからに美味しそうなパンで、感無量とはこのことだと思った。並んだパンを見て思わず「うわー!すごい!」と感嘆した。本当に叫んだ。社会主義であれど、美味しい食べ物は欲しい!贅沢なのだろうか?


ハバナを歩けば毎日1回ぐらいは目にする光景。人力リフト。

違法と合法

「これは違法だけどね。見つかれば逮捕されるんだ」「これがバレたら高いペナルティを払わないといけないんだ」というような話をよく聞いた。 例えば、カサ・パルティクラル。外国人に対する間貸し制度、いわば民宿だが、違法のカサは相当安い。外国人に貸す部屋は、ドミトリーのようにベッドが数個あってはいけないのだが、違法カサではドミトリーにしているところもある。短期の宿泊だと合法カサでは1泊20CUC(約2,000円)を下回らないことが多いが、違法カサは1泊10CUC(約1,000円)ぐらい。 政府にカサの申請はしているけれどもドミトリーになっている半違法カサもあるし、まったく政府に申請していない完全な違法カサもある。
合法のカサ・パルティクラルには政府の抜き打ちチェックがやってくる。 1週間に1回、予告なくやってくる。検査員は、カサにある宿帳を見て、記入漏れがないか、違法な間貸しをしていないかどうか、などをチェックする(地域によっては抜き打ちチェックではなく、宿泊客が来るたびにカサのオーナーがイミグレーションへ宿帳を提出しなければならない)。
私は、一度、いつも泊まっていたサラという女性のカサで、うっかり宿帳を書き忘れていたことがあった。運悪くその日に検査員が来てしまい、サラはかなり焦っていた。サラはなんとかうまく説明して最後に少しお金を握らせたりもしていた。 というのも、宿帳に書かれていない外国人を泊めていると150CUC(15,000円)のペナルティがあるからだ。 結局、24時間以内にイミグレーションへ行って宿帳を再提出するように言われ、サラは翌朝イミグレーションへ行き、ペナルティを払う必要はなかったようだ。
闇取引も盛んだ。カサのオーナー、サラと一緒に外を歩いていたら、サラは友人のおじさんと出会い、「あなたコーヒー持っていたよね?」と言ってコーヒーを3袋買った。店で見るコーヒーのパックは密封された立派なものだが、そのコーヒーは簡素な袋に密封されずに入っているものだった。そのおじさんは、売り子のような格好はしておらず、道端で立ち話をしていただけなのだが、腰に巻いたウエストポーチにコーヒーのパッケージがたくさん隠されていた。どうやら警察や役人にばれないように闇コーヒーを売っているらしい。確か100gぐらいのパックで1つにつき10MNP(約50円)ぐらいの値段だった。 店で公に販売しているキューバコーヒーはとても高くて、1袋600円ぐらい。キューバ人は、イタリア式のやかんで抽出するエスプレッソコーヒーが大好きなのに、店で見かけるコーヒーはすごく高いので、一体どうやってコーヒーを手に入れているのだろう、と思っていた。 なるほど、こういうことだったのか、と理解できた。闇取引は想像以上に盛んだ。
あと、売春婦も実は多く、失礼ながら見た目にわかってしまう。 白人男性と黒人女性が一緒に歩いていて、やたらと黒人女性が綺麗で服装が華やかだと、「Puta(プータ=売春婦)」とコソコソ言われている。 キューバでは売春は違法。警察に見つかれば必ず職質され、売春とバレれば逮捕されるらしいが、意外とよく見かけた。 「キューバの女性は安くて良い」という評判があるそうで、北米から買春目的で訪れる男性旅行者も多いらしい。 東南アジアにも同じ問題はある。北の男性が南の安い女性を買い求めて旅行にでかける。この南北関係は世界で共通しているようだ。

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たった2日間体験したリゾートのうち、マリア・ラ・ゴルダというキューバ西南端の海で。 マリア・ラ・ゴルダまで行くタクシーは、キューバ人黒人女性売春婦と白人男性のカップルと運転手と私、というメンバーで、どうも気まずい3時間半の道中だった。

いったいこの国をどう説明すればいいのだろう。

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革命広場近くの農場。ここのおじさん達は、月曜から土曜の週6日間この農場で働いている。高いマンションの間に広がるかわいらしい農場。

さて、この連載も最終回。私は元々、キューバに何を求めていたのだろうか。 有機農業がすごいと言われ、モノがなくとも国民幸福度が高いと言われ、国の医療制度や学校制度が充実していると言われる。 私の期待は高かった。日本の江戸時代のように、モノがなくても工夫された生活があるような気がしていた。
だが、その期待ははずれた。 ここまで、キューバ人たちがお金にモノに必死になっているとは思っていなかった。 これほどまで、キューバ人が「お金がない」「モノがない」「資本主義がうらやましい」とぼやいているとは思っていなかった。 食生活も、有機農業が盛んであるだけにもっと野菜中心の健康的な食事をしていると思っていたのだが、キューバ人たちの食事はお世辞にもバランスが取れているとは言えない。

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ハバナ市内の東のほうにあるオルガノポニコ(有機)農場。広大な農場だが、どうも土が痩せているように見えた。作物も元気がない。

せめて、インフラは整っていると思っていた。けれども、停電も断水もよくあり、マレコン通りは少しスコールが降ると下水が道路に溢れかえった。 キューバ人はバランスの悪い食生活からか、太っている人が多く、おばちゃんたちの膝には毛細血管が痛々しく浮き上がり、膝の痛みを訴えて病院に通う人たちが多い。 医者にかかるのが無料でも、薬にはお金が必要なので、本当にお金のない人たちは充実した医療の恩恵を受けていないようだ。
言論・表現の自由が規制されており、政治活動をしたり政府を批判する発言をすれば、革命保守の町内会組織、CDR(Comite de Defensa de la Revolucion)の目が光っている。 私は、日本の資本主義、大量生産、人とモノと個性の平均化に反抗しているが、キューバにはその対極が存在するわけではなかった。

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スコール後、水が溢れるマレコン通り。普段から道にはゴミや犬の糞が多いので、恐ろしいことになっている。
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空き缶やペットボトルを集めて小遣い稼ぎをする人たちもいる。
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ハバナ旧市街にて。稀に、通りで生活している人を見かけた。

キューバの国策を賞賛する人もたくさんいる。しかし、私には賞賛ができない。 やはり対外政策に敏感なキューバ、正式に取材すると、キューバの良いところしか書けない、という事情もあるかもしれない。
私は、何にも束縛されない一人の旅行者であり、自分の思ったことを正直に自由に書ける身だ。 だから、日本に情報の入ってこないこの遠い国の現状を、一人の27歳の日本人の主観で率直に書いてきた。 もちろんキューバには良いところもある。人と人が助け合う。日本では田舎にしか残っていない「Solidaridad=協力」がある。
しかしキューバの一般国民の間に漂う悲壮感や辛さも伝えたかった。 キューバ政府が他国にアピールするキューバは、必ずしもキューバの実態ではない。 その表と裏を比べていく作業が、私にとってこの旅の最大の目的であったし、その積み重ねがどんどん私の気持ちのうえでの苦悩にもなった。 大量生産大量消費で個性を奪われる世界でないと、生活に余裕がでないのか。 社会主義で自由を求めることはできないのか。
キューバ政府は、大事なキューバの一般庶民のことを忘れてはいないだろうか。 一般庶民のために勝利を得た革命は、今は上層部だけのためのものとなってしまったのだろうか。 私たち自由の身の旅行者こそ、キューバの庶民と直接向き合わなければならないと思った。

現時点では、理想的な社会など存在していないかもしれない。 キューバの良い部分、アメリカの良い部分、日本の良い部分を「ええとこどり」したような世界は成立しないのだろうか。 仮に、何かを得るには何かを犠牲にしなければならないという絶対条件があるとする。その場合の私にとっての最優先事項は、「自由」と「違い」が認められることだと思った。 人の価値観による優先順位の違いであるだろう。 キューバに行く前には、ある程度自由がなくとも、社会主義にはとても魅力があるような気がしていた。 だが、ダマス・デ・ブランコの沈黙のデモを見て、メーデーの国家賞賛のマーチを見て、CDRの監視を感じて、私には自由が無い世界は耐えられないと思った。
日本から見る革命の国キューバは、美化されすぎてはいないだろうか? 確かに、日本と違い、ノーをはっきりつきつける国ではあるが、いつでも一番大切なのは、一般庶民の生活だ。 国のスローガンがどうこうよりも、国民の生活状況に目を向けるべきだと感じた。
とにかく、社会・経済システムの違うこの国で2ヶ月の生活を送ったことは、私にとって衝撃の連続だった。 バックパッカーの間では、「インドに行くとカルチャーショックを受ける」とかいう話をよくする。私に言わせれば、もっとどうしようもない怒りとショックが欲しければキューバも旅するべきだ。
長々と自分の考えをまとめてきたが、日本のほぼ裏側にある島国の様子が、少しでも伝わっただろうか。 この国の状態を私の主観で書いてきたが、音楽留学をした日本人の感じるキューバはまた違ったテイストだろう。世界一周旅行の途中で経験するキューバもまた違うだろう。 誰によっても感想が変わるほど、表面と内面が違い、複雑な国が、キューバだ。今思えば、とんでもなく不思議で、面白く、腹が立つ、素敵な国だった。

最後に、この連載を読んでくださった皆様、webDICE編集部の方々、本当にありがとうございました。 なんといっても、インターネットの不便なキューバ生活中に、webDICEに記事が載り、それを実際に日本で見ている人がいることがエキサイティングだった。
自由の少ない国で、自由に発信した。インターネットを通じてできる、最先端で近道のアクションだ。 私のリアルタイムで発信した記事が、読者の方々のネットワークを介して、今後、キューバで生活するキューバ人たちにとって少しでもプラスになればと思う。 2ヶ月間、たくさん怒って、たくさんがっかりしてしまったが、私にいろんなショックを与えてくれたキューバに感謝している。
日本にいては知ることができないキューバ。自分の知らなかった世界を知ることは、自分の価値観を多様化することだ。私は、まだまだ旅を続けたい。

(取材・文・写真:山本佳奈子)

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■山本佳奈子 プロフィール

http://www.yamamotokanako.net/
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山本佳奈子YOUTUBEページ

1983年兵庫生まれ、尼崎育ちの尼崎市在住。現在26歳。高校3年のときにひとりでジャマイカ・キングストンを訪れて以来、旅に魅力を感じるようになる。その後DJ活動、ライブハウス勤務などを経て、2010年、念願だったキューバ旅行を実現させる。
世界のすべての人々の最低水準の暮らしが保証されること、世界の富を独占する悪徳企業が民主の力によって潰されることを切に願っており、自ら一つのメディアとなって情報発信することにも挑戦している。


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