『スプリング・フィーバー』の主演を務めたチン・ハオ(左)とチェン・スーチョン(右)
中国で公式の映画製作を禁じられたロウ・イエ監督渾身の新作『スプリング・フィーバー』が11月6日から公開となる。現代の南京を舞台に“春の嵐”(スプリング・フィーバー)により掻き乱された一夜を彷徨うかのような、男女5人を描いたこの作品で、チン・ハオとチェン・スーチョンは、夫の浮気を疑う女性教師から調査を依頼された探偵ルオ・ハイタオと、その相手である青年ジャン・チョンという、惹かれ合っていく男同士を演じた。webDICEでは、ロウ・イエ監督の独特の演出方法について、そして異性愛者であるふたりが同性愛者を演じることへの葛藤について聞いた。
「撮りたいのは人間の細やかな情感の変化なんだ」とロウ・イエ監督は強調した(チン・ハオ)
──『スプリング・フィーバー』出演にあたって、ロウ・イエ監督からどんなかたちでオファーを受けたのですか?
チン・ハオ:ロウ・イエ監督は『ふたりの人魚』(2000年)を観た時から大好きで、素晴らしい監督だと思ってました。監督は2年前に中国当局から撮影禁止の処分を受けるという辛い時期でした。その時に『スプリング・フィーバー』を撮る計画をしているということを知って、どれだけ禁じられて勇気を持って撮ろうとしている作品があるということに感銘を受けたんです。ただ監督からこの作品に出演しないかと言われた時に、「これに出て大丈夫だろうか」という危惧はありました。
チェン・スーチョン:僕の場合は、出演していたドラマをロウ・イエ監督が観ていてくれて、「この作品に出演しないか」というお話をいただきました。その話の後半年間くらいはなかなか動きがなかったんです。その間にテレビドラマの出演もとばしましたし、他の映画の出演も断り続けて、ひたすら撮影に入るのを待つことを強いられました。その時は、この作品がどういう風に仕上がるのか前途がまったくわかりませんでした。しかしチン・ハオと同じように、ロウ・イエ監督の才能を信じてずっと待ちました。ですからそれも含めて、撮影には9ヶ月あまりかかったんです。
──出演に対する危惧というのは?
チン・ハオ:脚本を読んだ時にまず同性愛が描かれているということ、私は異性愛者なので、心の底からその役になりきれないんじゃないか、自然と芝居に拒否反応が出てしまうのではないかという心配がありました。もうひとつは、日本も同じだと思うんですが、文化的な背景として東洋人の感覚からすると両親に対してどういう風に申し開きをしたらいいか、というところがありました。私の親は公務員であることもあり、両親はきっとそれに反対するだろうと思ったわけなんです。しかしロウ・イエ監督は私の心配に対して「『天安門、恋人たち』を観て欲しい。この作品を観たら自分が撮っているのがポルノなのか芸術作品なのか、きっと君にわかるはずだ」と言ったんです。私は『天安門、恋人たち』を観て、これはアートフィルムだと確信できたので、その信念を持って両親にも自分が出演するのはポルノ作品ではなくてアートなんだと説得することができました。 撮影に入ってからも、同性愛ということをどう捉えて演じていくかということについて、監督は資料や映像作品などを僕に提供してくれました。そうして勉強しても、実際の演技となると非常に難しかった。例えば監督はラブシーンでも「ベッドシーンを撮る時にキャメラがしっかりと人物に向き合わないで他の所を撮っていたりすると(角度が広いという意味)人間の情感をしっかりと表すことが出来ない。自分が撮りたいのは人間の細やかな情感の変化なんだ」と強調しておっしゃいました。そう言われて、僕はやっと監督が求めているものと、僕が演じなくてはならないこととがよくわかりました。
──チェン・スーチョンさんは今回の役柄についてどのように自身で受け止めて撮影に臨まれましたか?
チェン・スーチョン:僕も同性愛者ではないということではチン・ハオと同じです。同性愛は現在でも中国ではタブーの領域にあります。そしてこの題材を中国大陸で扱った作品は僕が知っているのはチャン・ユァン監督が撮った『インペリアル・パレス』(東宮西宮 1996年)くらいで、非常に少ない。しかもロウ・イエ監督は、撮影を禁じられた非常に立場の危うい状況にあった。ロウ・イエ監督は撮る前に「もしかしたらちゃんと撮りおえてもそのままお蔵入りになるかもしれないよ。これは大きな賭けだ」と僕に言いました。
それから心配だったのは、このルオ・ハイタオという人物を演じるにあたって、僕と全然違う思考の持ち主だから、精神的にも肉体的にもまったくゼロから作りあげていかなければならないということでした。僕は演技のために2ヶ月くらいの間に南京でたくさんの同性愛者に会いました。そうすることで、もっとこの世界というのは多様化するべきだし、実際世界はすでに多様化しているんだと思いました。それは新しい発見でしたし、そうした人たちに会うことで、世界が広がった気がしました。
『スプリング・フィーバー』より
──『スプリング・フィーバー』は5人の男女による複雑な人間関係が描かれています。撮影の時点では、全体のストーリーはあらかじめ決まっていたのでしょうか、それとも現場で即興的に変わっていくものだったのでしょうか?
チン・ハオ:まず脚本があって完全にそれに沿って物語が進んで行く、という基本は変わりません。また5人の人物関係についても、最初の脚本通りで大きな変化はありませんでした。しかし個人的なディティールについてはたびたび変更がありました。例えば、ジャンの出演シーンを数日撮った後でロウ・イエ監督は「この人物の雰囲気は充分出し切れているから良いと思う。でももっと痛みが欲しい、ものすごく哀れな感じを出したい」と言うんです。そこで女装して歌う場面や、ワン・ピン(女性教師の夫)が死んだのを聞いてトイレで女装したままで泣くシーンを加えることで、ジャンの痛みを表現するようにしました。
──チェンさんは役柄に深みを与えるためにどのように演技に対して向かい合いましたか?
チェン・スーチョン:一番大きかったのは、演技をするというその本質に自分なりに変化をつけることができたということです。僕はドラマの出演が多いのですが、やはりドラマと映画の演技の仕方の違いが、この作品に出てよくわかりました。僕もチン・ハオも中央戯劇学院の出身ですが、演劇の演技を教える学校だけあり、非常に演劇的な演技を指導するわけです。映画と演劇の演技というのはかなり大きな違いがあります。この作品に出演することで、映画ではこうしなければいけないということがあらためてよくわかりました。
マイケル・グライスナー監督の『回路』(2005年)など国内外の作品で進境著しいチン・ハオ
──街中でのシーンも多く、撮影の困難さが画面からも想像されます。
チン・ハオ:たしかにゲリラ的に撮っていくという場面は非常に多かったので、いろんな難しい場面が多かった。今でもロウ・イエ監督が僕に会う度に「ああいうのって良く撮れたよね。君たち凄いよ」と言うんです。まるで奇跡的な撮影だったと思います。
チェン・スーチョン:僕はロウ・イエの撮り方に本当に感動してました。彼は本当に独特の撮影方法をするんです。普通に撮るということと、表現していくことの違いがどれだけ大きいものかということを思い知りました。監督は、撮りながら絶えず探求・探索し、表現を見つけて進んで行く人で、そこがカンヌでもディレクターの方々が高く評価していた点です。例えば、ジャンとルオがダンスをする場面があります。あそこで社交ダンスをやってる人たちは、すべてエキストラなんですよ。まずダンスをさせておいて、そこに僕らが入っていくという、非常に自由な状態で撮影を行ったんです。編集でカットされていますけれ ど、あの場面で僕とタン・ジェオが演じるリー・ジンが話をする場面がありました。彼女も一緒にダンスの輪の中に入っていきますが、周りの人たちは彼女が俳優であるということを知らされていないので、「あ、こんな綺麗な女の人と踊りたい」と彼女の手をとって「一緒に踊ろうよ」と誘いかけてきたんです(笑)。それくらい非常に自然な状態に現場をもっていって、僕ら俳優に演技をさせる。エキストラも僕ら俳優もカメラも一体化して、そこにはなんの違和感もない。いかにロウ・イエがただ普通に撮るということと、表現を模索していくということの違いを考えているかということを象徴するシーンでした。
『スプリング・フィーバー』より
大好きな映画なんだけれど、初体験のときみたいに、大きなものを失ってしまったような歪んだ気持ちがある(チェン・スーチョン)
──監督との作業で開眼したところや、俳優としてのポリシーで気持ちを新たにした点はありますか?
チン・ハオ:ロウ・イエ監督は俳優に自由な演技を求めるタイプで、俳優を尊重して、僕たちが自分達でこうしたいということを受け入れてくれる監督だと思います。なので、監督の映画に出演すると幸福感を覚えるんです。これは役者として絶対的な感覚で、ロウ・イエ監督以外にはそういう感覚は得られないかもしれない。そして誰かが過ちを犯してもそれを責めない、いろんな人がいろんな考えを持っているんだということをロウ・イエ監督の現場の雰囲気と言葉から学びました。そうした寛容さがいかに重要かということを強く学びました。そして映画に対する純粋さについても自分で目指していきたいです。
チェン・スーチョン:映画というのは、つきつめていえば監督の芸術であり表現であるので、監督さえ満足すれば結末がどうであろうと監督のものなのでいいというのが僕の考えです。例えばもし自分が編集をしたら自分なりの映画が出来るはずですし。この作品を観て、僕が最初に思っていたものと違っていた場面も少なくありませんでした。例えば撮影の時には、僕と恋人のリー・ジンとのシーンのような異性愛の部分に比重が大きかったんです。でも出来上がった作品を観ると、同性愛の部分の方がかなり大きくなっている、そうした違いはありました。
人気シリーズ『新一剪梅』などテレビドラマでも活躍するチェン・スーチョン
──今回はロウ・イエ監督の姿勢に共感されて出演を決めたとのことですが、普段ほかの作品ではどのように出演作を選んでいるのですか?
チン・ハオ:ロウ・イエ監督以外に第六世代の監督では、王小帥(ワン・シャオシュアイ)の作品に出演していますが、まず僕は監督が誰かということにポイントを置いて考えます。ある映画が良い作品なかったならばそれは監督の責任によるもので、決して俳優が悪いからではないので。そしてもうひとつは、オファーのあった人物像が、自分がほんとうにその人物になりきれるかどうかを考えて決めています。
チェン・スーチョン:僕の場合はまず脚本ですね。脚本を読んで、やったことがない役を演じたい。例えば今年はコメディとサスペンスという2本のまったく異なる雰囲気の作品に出ました。今中国の映画界では、どういう風に商業的な映画を撮るかということ、映画の産業化が非常に重要なところにさしかかっていると思います。その点において、日本の映画界にはすごく学ぶべき点が多い。岩井俊二監督や今村昌平監督、そして三池崇史監督が好きで、それぞれぜんぜん違うタイプですが、こうした監督たちと仕事をする機会があれば、何でもチャレンジしてみたいと思います。俳優というのは短いなかでいろんな人の人生を生きることができる、非常に特殊な職業。僕はチャレンジ精神が旺盛で冒険的なことが好きなので、今回『スプリング・フィーバー』で同性愛という世界を初めて知ることができたのも、すごくおもしろかった。
──チン・ハオさんは現場で演技にのめり込んでいたときと比べて、できあがった作品をご覧になって、客観的にどんな発見が?
チン・ハオ:僕は自分の演技をした作品というのは観たくないタイプなんです。他の作品もそうなんですが、俳優として、出来上がった作品を観るというのは「ここはなんでこういう風な演技をしてしまったんだろう」と、後悔ばかりがあって冷静には観られないところあります。この『スプリング・フィーバー』はカンヌにも出品されましたので、フランスでは観客と一緒に観ましたが、北京での上映では、観客の方々とこの映画の世界に入っていけるような雰囲気にはとてもとてもなれなくて、会場を出てきてしまいました。
──チェンさんはそういうことはないんですか?
チェン・スーチョン:いや、その点は僕もチン・ハオと同じです。毎回自分の演技を観たくないと思います。この作品も、特に同性愛のシーンは自分のナチュラルな部分と反する役を演じているので、観るのが辛かった。ふたりのシャワー室のシーンがありますよね、このシーンを撮る時にものすごく大きな壁を越えなければならなかった。キスシーンもあるあのシーンを撮り終えたあの日のことは忘れられません。ロケ地の南京は小雨が降っていて、ワイパーが左右に動いているのを観ながら、まるで初体験のときみたいに、すごく大きなものを失ってしまったという感覚が大きかったんです。もちろん大好きな映画なんだけれど、観たくないという、歪んだ気持ちがこの映画にはありますね。
(インタビュー・文:駒井憲嗣 撮影:Aramaki Koji)
映画『スプリング・フィーバー』
2010年11月6日(土)より、渋谷シネマライズほか、全国順次公開
第62回カンヌ国際映画祭脚本賞受賞
監督:ロウ・イエ
出演:チン・ハオ、チェン・スーチョン、タン・ジュオ、ウー・ウェイ、ジャン・ジャーチー、チャン・ソンウェン
脚本:メイ・フォン
プロデューサー:ナイ・アン、シルヴァン・ブリュシュテイン
撮影:ツアン・チアン
美術:ポン・シャオイン
編集:ロビン・ウェン、ツアン・チアン、フローレンス・ブレッソン
音楽:ペイマン・ヤズダニアン
製作:ドリーム・ファクトリー
ロゼム・フィルムズ
配給・宣伝:アップリンク
中=仏 / 115分 / 2009年 / カラー
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