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岡山県 その他

2010-08-18 10:28


手作り野外トレーラー・シアターも!『宇野港芸術映画座』奮闘記、映画祭はこうして作られる

コントリビューター・タハラレイコさん共同主宰、地元の人と力を合わせて完成させた岡山県・宇野港芸術映画座の模様をレポート
手作り野外トレーラー・シアターも!『宇野港芸術映画座』奮闘記、映画祭はこうして作られる
宇野港芸術映画座の野外上映。この日、瀬戸内海の向こうの高松は雷雨(スクリーン右)、こちら側の宇野は満点の星空!(撮影:中村智道)

去る8月2~8日、岡山県玉野市宇野港で、夫の上杉幸三マックス(宇野港出身)と二人で映画の上映シリーズ『宇野港芸術映画座~生きる、創る、映画』を開催した。
さらりと言ってみたこの2行の中に、どんなに長い連続無睡眠の時間とドラマが詰まっていたことか、今回の記事では、その息吹をお伝えしたい。

なぜ今、宇野港なのか

まず、一体宇野港とはどこで、そこで何が起こっているのか、を説明する。
宇野港はかつての四国への玄関口、宇高連絡船(電車がフェリーに乗り入れる、あれです)と三井造船の町として70年代に隆盛を極めた。しかし造船業の不振や瀬戸大橋の開通等で、ここ30年ほどは過疎化が進み、その減退の速度があまりに早かったことに対し国からの補助が出ているほどだった。そのサビれた港町が今、アートで再生しようとしている。それには、フェリーで20分、瀬戸内海を挟んで浮かぶ直島が深く関係している。
ベネッセコーポレーション(もと福武書店)が自治体と安藤忠雄と一緒に直島に前衛的なアートを持って来るようになって既に約20年が経つ。ベネッセハウス(美術館&ホテルコンプレックス)ができたのは90年代前半、家プロジェクトとして島の古い家屋を保存しつつ現代アートをそれに絡めて展示したのが1998年から2002年。この頃から“サイト・スペシフィック・ワーク”としてアーティストを招聘してデザインしてもらい恒久展示する、というのが基本姿勢になった。そして2004年にはジェームス・タレル、クロード・モネ、ウォルター・デ・マリアというたった3人のアーティストの作品を、安藤忠雄の地中に掘った美術館に自然光のみで展示するという新しい発想の“地中美術館”を設立。展示された作品と美術館の建築との調和はまるで宗教的体験に近い(これは私の感想) 。そして今年、7月から10月まで、第1回瀬戸内国際芸術祭が開かれ(今後3年ごとに開催)、瀬戸内7つの島を島の風土・建築を活かしながらアート・アイランドとして開発、それに高松も含めて大きな現代アートの祭典となっている。 そういうわけで瀬戸内は今、国内外の美術館ゴアーから注目を集めている。

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緑の濃い直島。坂を上がって、地中美術館へ。

宇野は、そのベネッセのアート活動の拠点直島からフェリーで20分、直島が属する香川県の高松よりもずっと近い。県は違えど、直島と宇野の住民はベネッセが来る前から一緒に暮らして来た。直島には大きなスーパーがないから、おばあちゃんたちは毎日買い物車を押してフェリーで宇野に買い物に来るし、マックスが通った学校にも、直島町民が沢山いた。玉野市営図書館も、直島町民は使うことができる。今回の瀬戸内国際芸術祭では7つの島+高松と香川県とのタイアップのせいで岡山側は宣伝から除外されているが、宇野は実は直島や豊島に行くのに便利なので、敏感な旅行者(特にJRパス利用の外国人観光客)は宇野から直島を目指す。

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宇野港。手前の大きな空き地が宇野港芸術映画座の野外上映会場。右端真ん中のスカイブルーの建物の向こう側が駅東創庫。

そんなことで、宇野港に近年アーティスト達が集まり始めている。倉敷や県北など岡山の他の地域から来ている人、関東や関西出身で結婚で岡山にやってきて宇野を見つけてアトリエを構える人、玉野出身で海外や東京などでアートを学び戻ってくる人など、様々だ。その宇野のアートの中心、4年前にできた駅東創庫(えきひがしそうこ)は、もと工場に10人のアーティストがアトリエ/ギャラリーを構える創造性あふれる空間。

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駅東創庫外観

ガラス作家の森美樹(みき)さん、造形作家の佐藤史仁(ふみひと)さん、 造形作家の清水直人(なおと)さん、平面・立体造形美術家のシゲルさん、染色家の北野静樹(しずき)さん、などなど、それぞれが個性溢れる作品を創る方達(詳しくは 駅東創庫 サイト 記事最後リンク参照 ※1)。宇野の彼らは、岡山の他の地域、赤磐や倉敷などのアーティスト達との連携も強く、彼らの個展やグループ展のオープニングレセプションに行ってみれば、海外で勉強中の岡山出身のフルート奏者の演奏が聞けたり、長年ニューヨークに暮らすアーティストもいるし、着物姿の女性もいるし、美味しい手作りのお漬け物がでてきたり、と和洋折衷古いもの新しいもの混ぜ混ぜで、かなり刺激的である。

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創作中の清水さん(手前)と佐藤さん

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森美樹さんとガラス作品。彼女の作品はとても不思議な魅力がある。

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佐藤さんと清水さんの作品たち

宇野港芸術映画座上映シリーズ~生きる、創る、映画~の誕生

さて、前置きが長くなった。そういう場所で、この宇野港芸術映画座、Uno Port Art Films は誕生した。これには、連載2回目で触れたマックスの宿屋が関係している。彼が昨秋直島を訪れる外国人観光客用の宿屋を宇野港近くで始めて、どんな人達が何を求めて直島に来るのかが、肌で分かるようになった。実際に自分でも建築や絵画やグラフィックや音楽といったアート界隈で働く人が多く、どの人もアート・マインデッドでオーガニックな人が多い(記事最後リンク参照 ※2 )。彼らとなら繋がれる、という感触がまずあり、そして地元出身のマックスは地元の人達のこともよく分かっている。吉祥寺出身、ブルックリン暮らしの私にとっても、マックスと16年前に暮らし始めて以来、宇野港のある岡山県玉野市は第3の故郷である。だから、モノやヒトが通って行く宇野で、通りすがりの観光客と地元の人達が繋がれるイベント、そして私たちにとっては家族再会の夏、私たちが今離れて暮らすニューヨークと宇野の町を繋げるようなイベント、という気持ちで企画した。

少ない予算内でのプログラミング

まずはプログラム、テーマはこの連載と同じ、「生きる、創る、映画」。これまで色んな映画からもらったエネルギーを、皆にも伝えたい、運びたい。アートとしての映画の持つ力(特に治癒力、かなあ)を普段そういうものに触れていない人達にも知らせたい。と同時に、映画は若いアートフォームだけれど、それでもこの100年余の映画の歴史とキュービズム以降の近代/現代美術の歴史は、20世紀の世界の思想・政治の変遷とともに幾度も重なり合ったり離れたりしながら続いて来ているので、そういう映画とアートの関係みたいな大きなテーマを頭の片隅に置きつつ、ベネッセの提示するコンテンポラリーアートを意識しながら、古今東西のソウルフルな作品、制作者が人生を投影しているがゆえに私たちの心に響く作品を紹介していきたい。そして、こんな作品を見せたい、と希望で書いた企画書をベネッセ財団に提出、小額ながら今後3年間の助成が約束された。わかってもらえたような気がして、嬉しかった。その後玉野市からも小額の助成がいただけた。
ぶっちゃけ、集まった資金は56万円、それで何ができるか、が私たちに課された挑戦となった。当初の上映作品希望リストには1920年代のフランス、アメリカ、ロシアなどのアヴァンガルド作品、マヤ・デレン、今村昌平の『人間蒸発』、タルコフスキー、クリス・マルケル、寺山修司、原一男、それに世界中で活躍する映画仲間の秀作品などが満載されていた。皆さんと共有したい映画はゴマンとある。でも、今年は時間が少なく資金集めが十分にできなかったので、そのうちのほとんどは予算不足で上映できないことが調べるうちすぐにわかった。日本の古い名画も見せたいが、日本のスタジオ映画の配給システムがかなり乱暴で、スタジオ作品を見せるのはなかなか難しいこともわかった。そこで、今年は等身大のイベントとして、“世界のアート映画秀作品”“瀬戸内エイガ!”“アメリカの若者の声”、の3本柱でプログラミングした。改めて考えると、20年弱のニューヨーク生活で私たちが知り合った映画仲間達には人間的にも映画人的にも非常に優れた人材が多く、世界中にその後散って色々考えながら生み出される彼らの作品が私たちは大好きで、私たちだけでなく、彼らはカンヌやトライベッカやポンピドーやMoMaまで様々な映画祭や美術館で高い評価も得てきている。そのほとんどが、日本ではほとんど紹介されていない作品だったので、まずはその中の数人の作品を今年は紹介させてもらうことにした。

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宇野港芸術映画座 Uno Port Art Filmsフライヤー、表裏 + クリックで拡大表示されます

3本柱とラインアップ

前述の3本柱は多少重複するのだが、“世界のアート映画秀作品”として私たちが今年紹介したのは以下の監督&作品:
■アラブ・イメージ・ファンデーションを創設し、アラブ諸国の庶民の写真や音声録音をアーカイブしつつ、その中から自分のアート作品を通じて西洋メディアが映し出さないアラブのイメージを提示し続けるレバノンのアクラム・ザアタリ(Akram Zaatari) の作品3点、『赤いチューインガム』『彼女と彼、ヴァン・レオ』『ディス・デー』

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『彼女と彼、ヴァン・レオ』は、カイロの白黒ポートレート写真家についての創作ドキュメンタリー

■アムステルダムの中国人社会の閉塞感とその中でどこにも属せずに生きる2世移民の姿を描いたオランダ生まれの中国人監督フー・ピン・フー(Fow Pyng Hu)の長編デビュー作『ジャッキー』。カンヌ映画祭で上映。

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『ジャッキー』共同監督/主演一人二役のフー・ピン・フー

■日系2世の母が故意に失った第2次大戦中の日系米人強制収容所での記憶を、3世の監督がイメージと物語を与えることで自分が紡ぐ歴史として取り戻した秀作品、リア・タジリ(Rea Tajiri)監督の『歴史と追憶』(History and Memory)。アメリカのドキュメンタリーの本には頻出する有名な作品だが、日本では山形で当時一度上映されたのみ。今回この複雑で貴重な作品に、クリエイティブに日本語字幕をつけて上映した。

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母親の失いかけた記憶に映像を与えたリア・タジリの『歴史と追憶』

■アメリカの女性作家ローリー・ハイリス(Lori Hiris)の現代遺伝子操作技術と優生学(白人至上主義)との関係性について問いかける非常に芸術性の高いアニメーション作品(チャコールで描いては消し、を繰り返す手法)『アトランティス・アンバウンド 1&2』

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『アトランティス・アンバウンド2、プロテウス』より

■超右翼系パンクバンドの雨宮処凛(現在ではゴスロリ作家/プレカリアート社会運動家として活躍)と伊藤秀人を左翼系の土屋豊監督が被写体にカメラを渡すことで撮りながら、被写体と制作者の間の壁が徐々に破れ、そうして視聴者との間の第4の壁も気づけば打ち砕かれているという、伝説的な思想的パンク青春ラブドキュメンタリー『新しい神様』。12歳のうちの娘、絶賛。

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『新しい神様』の伊藤秀人、雨宮処凛、土屋豊

■トライベッカの観客賞を取り世界中で公開されて話題を呼んだ、ニューヨークの日本人ホームレスアーティスト、ジミー・ミリキタニとアメリカ人の監督との友情を描いた奇蹟の感動ドキュメンタリー『ミリキタニの猫』

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『ミリキタニの猫』のジミーさん

■そして連載第一回 で紹介した旧ユーゴ、セルビア出身のドキュメンタリー界の新星イヴァナ・トドロビッチ(Ivana Todorovic)のセルビア時代の作品『ラップリゼント』(ベオグラードのホームレス・グラフィティアーティスト青年ボヤンの切ない物語)とアメリカでの新作でカンヌ上映された『ハーレムマザー』(twitterでつぶやいてくださっている沢山の方々、ありがとう!Ivanaに伝えました)。

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ボヤンとイヴァナ

“瀬戸内エイガ!”カテゴリーでは、私が長年敬愛する今村昌平監督の『黒い雨』(撮影は岡山県)の16mmプリントを今村プロダクションのご厚意でお借りすることができ、黒い雨が降った瀬戸内の海を背景に8月6日のその日に国際的なオーディエンスの前でそれを上映できる、と二人で盛り上がった。そして徐々に、本田孝義監督の自伝的ドキュメンタリー『ニュータウン物語』や絵画出身のアニメーターである中村智道監督の思想的なアニメ作品『ぼくのまち』や『蟻』など、岡山からのパワフルな作品も集まった。

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中村さんの『蟻』
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本田さん『ニュータウン物語』

“アメリカの若者の声”カテゴリーでは、連載2回目で触れたアドビ財団の協力で中高校生の作品を4点(トライベッカ上映を果たした娘の『投下者と被爆者と?』も含めて)と、私が教えるNY市立大の生徒3名とテンプル大の生徒2名の作品を紹介した。年齢、人種、テーマ的にも雑多で、NYで感じられる今のアメリカの息吹が伝えられたように思う。

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『プロブレム・キッズ(問題児)』NYの高校生たちが作ったラップ・ミュージック・ビデオ

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『ヴァレンティーノX』もとコソボ難民のNYの大学生監督が撮った、同じコソボ出身のヘアスタイリストのポートレート。人を幸せにする映画を作るのが彼の夢。

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テンプル大学に通うライアン・リーラッシュの『観ろ/見ろ』。ポスト9.11.のアイデンティティを扱った作品

それと、自分たちの作品

世界の秀作品に入れるのははばかられるし若者ではないし、『円明院』以外、瀬戸内で撮っていないけれど、とりあえず自分たちの作品も入れされていただいた。

『円明院』
宇野で95まで現役で働いた老尼僧さん“おじゅっさん”が語らなかったオンナの気持ちを探しながら、真言仏教界内の尼僧の居場所を探して高野山へ旅し、女性にとっての自由や独立や家族生活の意味を思索した探偵物語風私的ドキュメンタリー。ハワイ国際映画祭、スリランカ国際仏教映画祭、岡山映画祭など。高野山社会人権局から上映中止のクレームが入った問題作。
8月18日(水)なかのZERO視聴覚ホールで東京特別上映会
18:15開場/18:30上映、1,000円、定員100名、予約なし

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『円明院』の主人公、“おじゅっさん”

『現実の音パート1』
デジタル革命を生きる私たちの耳に“聞く”ことと“聴く”ことの違いをユーモラスに問うた上杉幸三マックスのラジオエッセイ第1弾。ニューヨークWBAIラジオで何度も放送。オーディオアートながら、主催者の紹介のために今回特別に日本語字幕を画面に映しながら上演した。

『レムナンツ 残片』
1994年制作の私の原点とも言える16ミリ作品。メディアが映す欧米像や日本像の中を駆けながら家族との対話を通して個の声を探した私的映像エッセイ。マーガレット・ミード、SXSW映画祭等、今年7月カナダのシンセダイ・シネマ・フェストでリバイバル上映された。

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『レムナンツ 残片』タハラレイコ 1994、12分

と、自分たちの過去作品も入れながら、前述の3本柱を軸に、長編7本、短編2プログラム、それに若者プログラム、と計10プログラムが編成された。

野外トレーラー・シアターを実現するために

内容が決まったら、場所である。晩の野外上映をメインにしながら昼や朝も加えて地元の主婦やお年寄りも来やすいように、と考えた。野外上映の場所は、もと連絡船跡地、宇野港第2突堤、行政がかつてスペイン村を建設しようとし、他の都市に先を越されて頓挫して、その後売却されたままダダっぴろい空き地になっている場所だ。この土地のオーナーは、駅東創庫のオーナーでもあり、地元のアートを応援してくれている。そのため、ありがたいことに無償で借りられることになった。昼間の会場は、 駅東創庫と港のすぐ前の産業振興ビルという市の所有の建物の会議/上映室をこれも市の協賛事業ということで無償で貸していただけた。問題は野外上映をどうやって実現するか、だった。私のイメージは、ニューヨークのルーフトップ・フィルム・シリーズ。夏の間毎週、工場や高校などの屋上でドキュメンタリーや実験映画等の上映をしているグループで、ニューヨークでは非常に人気があり、今では協賛も沢山ついて、毎回長い行列ができる。日本に来る直前に、下見としてルーフトップの上映会に行き、スクリーンやプロジェクターの設置等、見学して来てはいた。が、あちらの設備は立派なメタルフレームがついた風に負けない大スクリーンで、私たちの予算は56万円しかないのが現実だ。港町育ちのマックスがまず思いついたのが、フェリーの側面に投影する、だったが、これはプカプカ揺れすぎるだろうし、そのためにフェリーを停泊してもらうということは、無名の私たちには考えにくい展開だった。次の彼が注目したのは、港にドカドカ積み上げてあるコンテナだった。あれを幾つか借りて、スクリーン(その時点ではシーツをつなげるつもりだった)を貼れば、風にはさほどなびかなくてすむ、というアイデアだった。その後二人で、よくフェリーに乗り込むのを見かける長い長い大型トラックを借りられたらいいね、と夢を膨らました。大型トラックの側面が上下にグアっと開くのを見たことがある、バンドのゲリラライブなどで使われる、トラックステージ、それがいい、とマックスが言った。この、ヒトやモノが通り過ぎて行く宇野で、モノを運ぶトラックをシアターにして、瀬戸内の島々を背景にこのイベントをやる、ということに、マックスのふるさとへの思いがあった。宇野港第2突堤から見る瀬戸内は彼にとっては懐かしく、振り返って見る宇野駅側の宇野の街は、地元の人もあまり見た事ない新しい風景なのだった。そしてそれを喜ばしく思う私には、映写されるムービーもまた、イメージが動いてメッセージやストーリーを運ぶものであるので、なんて動きのある綺麗なコンセプトなんだろう、とも思えた。

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空き地から振り返って見る宇野の街の夜景(撮影:中村智道)

宿屋の洗濯やアイロンがけの合間に、自転車で港のそばをうろうろし、コンテナに大王海運というロゴを見つけた。その頃私が岡山入りし、二人で飛び込みで、大王海運という会社をダメ元で訪ねた。若い所長さんで、それまでさんざん町のおじさんたちに何でもダメダメと首を振られていたマックスは喜んだ。主旨を説明すると、気持ちよく賛同してくれ、ちょうど私たちが思い描いていた通りに開くトレーラーのコンテナ部分(“シャーシ”と呼ばれる)があるが、大王海運では“トラクタ”と呼ばれるヘッドの部分がなくて動かせないので、それも持っている商船三井に紹介してくださる、ということで、連絡をとってくださり、一緒に来て下さった。商船三井の所長さんは関東の方で、玉野に来てまだ1年経っていないということだったが、地元への貢献になるのならと、本社に掛け合ってくださり、気持ちよく“シャーシ”を連絡船跡地まで運んで下さり、一週間無償で貸してくださることになった。ヘッドはそこにいるわけにはいかないので、帰ってしまうと通常車のバッテリーでシャーシの開け閉めをするのでどうしよう、と困ったが、それも、携帯用バッテリーを貸していただけるということで、解決した。こうして、私たちの野外トレーラー・シアターが準備できることになった。一時は中古のプロジェクターを購入し、スクリーンはシーツを縫い合わせてやろうと思っていたが、岡山映画祭スタッフである河村さんに『黒い雨』のビスタサイズ映写機のことで相談したところ、ビデオの上映も含めて廉価で晩の上映を引き受けてくださることになった。過去には学校の校舎などに投影して野外上映したこともあるそうで、トレーラーにつる下げての上映に興味を示して下さり、また私たちを応援する気持ちで引き受けてくださった。

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これが7日間の晩上映の私たちのシアター!(撮影:中村智道)

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(撮影:中村智道)

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(撮影:中村智道)

電気!

さあ、場所が決まり、シアターができ、上映機材も手配できた。もうその時点で予定の8月2日まであと半月、という感じだったと思う。未経験の私たちはこれでほぼ揃ったように感じていたが、映写技師の河村さんに空き地での電気のことを聞かれた際に、それまでの土地のオーナーとの話し合いで空き地の周りの電信柱から取る、とか、駅東から(空き地のはじっこ、現場からは彼方にある)延長コードで引く、など言ってるんですが。もにゃもにゃ……と言った時に、「遠すぎますよ、無理です。延長コードでは電気が安定しませんから、映写中に止まったりしますよ」と言われ、さーっと血の気が引いた。それから急いで電気会社に問い合わせて、新しく電信柱を空き地の中に立てて電線を引いてきてもらうように手配し、そのお金が結構かかってしまった。

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映写技師の河村さんがコードを差し込もうとしているボックスがついているのが、新しく作った電柱。背後の電柱は、遠すぎた……。

スカイプQ&A

最後まで希望を捨てずにいたのが、スカイプでの質疑応答だった。四方八方をつなげたくてやっているこのイベント、制作者とお客さんが繋がれたら、どんなにいいだろう!二人とも、これがあきらめられなかった。電話会社は、玉野から撤退し、岡山にしか支局がないので、多分地元感覚がないので無理だろう、ということになった。ケーブル会社にDSLモデムを引いてもらっては、ということで倉敷ケーブルテレビにお願いしたが、時間がなさすぎて話をすすめられなかった。野外でのスカイプを半ばあきらめかけた頃、コンピューター関係に詳しい駅東の清水さんに相談したら、駅東の無線LANを延長できる機械があるんじゃないか、ということで、調べ始めたとところ、結局ポータブルWIFIというのがあることを知り、それを契約した。上映シリーズ開始前日、やっとポータブルwifiが作動し始め、世界中の制作者と繋がれる設備も整えることができた。

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レバノンのアクラムの顔が前方巨大スクリーンに!結構感動した。

チラシ、と翻訳、字幕付け

その一ヶ月間の間、忘れてはならないのがチラシ制作、印刷、配給、それに、翻訳作業だった。直島を訪れる海外からのお客さんと地元の人や国内からの観光客、なるべく色んな人にわかってもらえるよう、印刷物、上映作品すべて日英両言語で提供する、というのは目標だった。助成が下りて宇野港芸術映画座ができるとわかったのが春、その後ももう少しお金がないとできないと思ってマックスは宿屋をやりながら地元で資金集めに奔走していた。私はNYで授業の準備や採点の傍ら、作品を集めた。大学の期末試験の採点が終わった6月、できれば日本へ発つ6月末までに翻訳作業に入ろうと思っていたが、まるまる2ヶ月アパートをあけるため、その間の家賃を払ってくれるサブレッターや、犬のボボの行き先や、車を預かってくれる人を探したり、アパートをサブレッター用に掃除したり、アドビ財団を通じて子供達からの写真や作品の使用許可等を調整している間にあっという間に数週間が過ぎ、結局翻訳作業には入れないまま、岡山入りした。それからトレーラーを貸してくれと歩き回ったり色々して、複雑な日英両言語でのチラシを作成したりしていたら、冗談でなく、あと2週間しかなくなってしまった。

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『黒い雨』上映中。映写はスクリーンから約30m離れた車の中に置いた16ミリ映写機から。英語字幕は実はスクリーンから5mくらいのところから別プロジェクターでタイミングを一時停止ボタンで調整しつつビデオ映写しているのだ……。(撮影:中村智道)

細かくなって申し訳ないが、上映するのは10プログラム、29作品、そのうちもともと言葉がなくて字幕が必要ないものは短編3作品のみ。29本の作品のうち、オリジナル言語が日本語のものは3本(すべて長編)、英語のものが18作品(長編2、短編16)、それ以外の言語のものが長編2、短編3本 。日本語の長編3本のうち、英語字幕がすでについているものが2つ、英語の作品で日本語字幕が付いていたのは2作品(ともに長編)、その他の言語の作品で英語のみの字幕がすでに付いていたのが長編2、短編2本、日英両方付いていたのが短編1本、あった。残りは翻訳&字幕付けをしなければ、皆に分かってもらえない。つまりあと2週間の時点で、日本語から英語に翻訳/字幕つけする長編が1本、英語から日本語に翻訳/字幕つけする長編が2本、短編が18本あったことになる。あな、恐ろしや。その少し前から、その時点でチラシをまだ作成しながら、このままではヤバい、と感じ始めていた私は、東京の私の実家にのんびりいられるはずだった12歳の娘に、英語の起こし作業等を頼み始めていた。そのうち若者プログラムの作品等の日本語翻訳のたたき台づくりや、手直し済み字幕台本をファイナル・カット・プロ(ビデオ編集ソフト)で字幕に変えて載せて行く作業等も彼女にかなり手伝ってもらう結果になり、かわいそうに夏休みを全く返上して、私とチームで翻訳作業にあたり、その後は会場の受付を担当した。
労働基準法違反じゃないか、と胸が痛んだが、私たち自身お給料をもらってやっているわけではないのだった。マックスは地元の人達との連絡と宿屋のお客さんの世話で忙しく、それがなければ家族は食べて行けないのだから、仕方がない、という苦しい状況だった。結局ニューヨークの友人一人と、イベントでは娘と一緒に晩の上映の受付をずっとやってくれたしおりチャン(宇野のアーティスト&マックスの宿屋のお客さん御用達の定食屋さん、大阪屋の看板娘でニューヨークに4年いたバイリンガルの女の子)と、そのお友達のこれまたアメリカ生活の長い牧野さんに大変な長編の翻訳をやってもらって、幾晩も、幾晩もの徹夜の末、どうにか、毎回の上映に字幕を付けて上映することができた。NTSC、PAL、16:9、4:3、一秒29.97フレーム、一秒25フレーム、一秒24フレーム、SD、HD、H-264、.mov、mpeg-4、mpeg-2……ああ、このデジタル革命の中で、規格の違う世界の作品に字幕を付けて見せるということがいかに大変で、そしていかに意義があるか、ということを眠い頭にたたきこんだ7日間だった。夢中だったが、考えてみれば、字幕を焼き付けたものから、パワーポイントで一枚一枚タイミングを見計らって押して上映した作品から、字幕だけのストリーミングビデオファイルを作って映画と一緒に時々一時停止ボタンを押し押し流したものまで、ありとあらゆる方法で字幕を一緒に見せた。分かってもらうために。

今回の総評?

シリーズ全体としてはどうだったのか。まだ記憶が生々しすぎて、上手くアセスできないでいる。反省点は多くあるし(もっと早くから準備をする)、来年への課題も多い(チラシをもっと早く、広く配布する、特に岡山、倉敷方面)。字幕付けで貫徹のまま上映会に来て、お客さんがあまりに少なくて落ち込んだ回もあった。

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ドラマチックな会場に、お客さんが一人。この後も少しは増えたけれど、でもやはりお客さんが少ない日はさみしい。(撮影:中村智道)

周りの人達にももっと宣伝しないと、とずいぶん言われた。お客さんがいっぱい入れば私たちや手伝ってくれた人のお給料も出るし、制作者への還元もできる予定だったのに、最終的に電気を引いたりして予想外の出費があったりして、それもほぼ来年の夢になってしまった。でも、皆さんの協力で、今回は56万円の予算でどうにか開催でき、来てくれたお客さんたちはかなり喜んでくれた。スカイプで制作者仲間の皆と日本の皆さんとが繋がってくれて、対話をしてくれて、私たちも、参加した皆も嬉しかった。

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オランダ生まれの中国人監督フー・ピン・フー監督とスカイプ対話

こんなの他では見れない、体験できない、と言ってくれた方々が何人もいた。レバノンやセルビアの歴史や政治的背景を知らなくても、彼らと直接話して質問して彼らがどんなに真摯な気持ちで制作しているかが伝われば、それに笑顔で会話すれば、何となく興味も生まれて、googleして歴史を調べるかもしれない。そうしたらもっと彼らの気持ちがわかる。プエルトリコ出身の人を今まで一人も知らなくても、お母さんを失った哀しみは同じだから、何だか強く感動した、と言ってくれたお客さんが何人もいた。イヴァナの『ハーレムマザー』が3日間尾を引いて、家に帰って自分の子供を訳もなく抱きしめたら「お父さんくさい」って言われたとか、アクラムの作品は難しいけど映像や音の残像がずっと残っている、とか、こういうのは日本にはあまりない作りだ、とか、ローリーのアニメーションの映像がとにかくキレイですごい、とか、モエちゃん(娘)の作品は構成力でずば抜けている、とか、嬉しいコメントを沢山いただいた。『黒い雨』を見て「すばらしい映画だ、宇野でこんな映画が見れるとはラッキーだ!」と言ってくれたフランス人のご一家もいた。『円明院』を見て日本の仏教界に興味が出た、と言ってくれたオーストラリアのカップルや上海からの女の子達もいた。直島出身の女性と結婚していて毎年夏を息子と妻と直島で過ごすチェコ人のマーティンは、「このイベントはすごいよ!毎年来るよ。直島には夜、何もすることがないんだ」とコメントをくれ、期間中何日か来てくれ、『円明院』の上映が終わった時に「ブラボー!」と大きな声で言ってくれた。地元で音楽活動をしている男性も、『円明院』の上映後に「おもしろかった!予想以上!」と大きな声で言ってくれた。福武財団の方々は、私に「あなたって好奇心の固まりね」とコメントしてくれた。香川の丸亀の高校教師の方が何日も通って下さって、映像文化を生徒に教えたいので、ととても興味を示してくださった。
地元の元教師の女性も、幾つものプログラムに来て下さって、「映画、いいわあ!」と言って下さった。地元出身で現在大阪芸大で報道を勉強している若い女性は、自分が学校で習っている映像の作り方と今日見た作品は全く違うように思える、と感想をくれた。どういうこと?と尋ねると、自分の学校ではカメラを持たされてとにかく撮ってこい、と言われる、つまり映像主体、映像がないとストーリーを語ってはいけない、という感じなのに、今日の作品にはストーリーがあって、映像をそれに与える、という感じのものが多かった、と。どっちもあってもいいんじゃないか、と私は自分の考えを伝えた。 それに、お客さんとの繋がりだけじゃなく、地元のアーティストの面々がイベント設営/撤収スタッフとして手伝ってくれ、本当にありがたかった。他にも地元の若い方々が毎日お手伝いに来てくれ、皆自分の個展の準備やお仕事で忙しいのに上映にも毎日のように来てくれ、Q&Aにも参加してくれた。今回作品を上映させていただいた中村智道監督は岡山県赤磐市の方で近くはないのに何度もQ&Aに来て下さり、いいお話を聞かせてくださった。イベントのいい写真も撮ってくださり、本当に感謝している。新進気鋭のアニメーターの彼は、今回紹介された海外の監督の作品に自分とテーマや手段が類似しているものがあることに新鮮な驚きを感じてくれた。

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アメリカ人のローリー・ハイリス監督と私の通訳を通して対話する中村監督。二人はこんなに離れていて作風もまったく違うのに、同じように"遺伝"に興味を持って、自分で描く絵をアニメにしている。

土屋豊監督や本田孝義監督はわざわざ東京から来て下さり、Q&Aに参加してくれ、うちの宿屋に泊まってもいただき、楽しく色々お話できた。

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土屋豊監督と、宇野スロープハウスの朝。語った翌日で、皆眠い。

無理を聞いてくれて、風の強かった一晩以外、多少雨が降ってもずっとこらえて野外で上映してくださった河村さんは皆の人気もので、最終日撤収後の野外打ち上げの後のお別れの時には皆が拍手を送った。
最終日の私たちの作品『円明院』には、主人公の老尼僧“おじゅっさん”の生前の姿を一目見ようと、おばあさんたちがぞくぞくやって来て私たちやスタッフをびっくりさせた。地元の皆さん、このイベントのことを知らないわけではないのだ、ということも、よくわかった。だって地元のテレビや新聞には結構取り上げてもらった。アートの根付いていない一港町でこのイベントを根付かせるには、数年はかかるだろう。ベネッセだって、20年かかってやっと地元の人達の賛同を得たのだ。だからこそ、こういうところでやる意味もあるのかもしれない。でも、おばあちゃんたちは“おじゅっさん”を見に来てくれた。一番年上そうなおばあさんが、 4人くらいの中年女性に囲まれ 車いすを押してゆっくりと草ぼうぼうの空き地に入って来た時、私たちは音声チェックをしていて、"おじゅっさん"の声が流れた。その時、転ばないように真剣な顔で歩いていたおばあさんの顔がニヤっと崩れたのを私は見た。私とマックスが創作ドキュメンタリーをどう料理しようが、彼女は“おじゅっさん”に会えれば、どうでもよかったに違いない。それもまた、映画の持つ力なのだ、と思う。

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マックスの挨拶で始めた『円明院』の上映。ここに写っている後方の椅子にも普段野外上映にはあまり来ない、年配の方々の姿が見える。

イベントが終わった翌日、マックスと空き地で片付けをした。商船三井さんの“ヘッド”が来て、トレーラー・シアターから“シャーシ”に戻った私たちのシアターを連れて帰った。それを見送ったときは寂しく、ああ、終わったんだな、と実感した。来年もまた、エネルギーと動きあふれるトレーラー・シアターで皆さんに何かを運ぶことができたら、と願っている。


ありがとうの写真&ことば:

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映画座を手伝ってくれた仲間達(左上段から、中村智道さん、藤原くん、河村さん、さとこちゃん、シゲルさん、清水さん、レイコ、マックス、座っている3人左から、しおりちゃん、モエ、みきちゃん)。みんな、暑い中の重労働、ありがとう!いつも手伝ってくれていたけどたまたまこの時不在だった染色家の北野さん、ありがとう。それと、造形作家の佐藤さんはこの日、直島の人気のアート銭湯“I Love 湯”( 大竹伸朗デザイン)のすぐ前に住んでいて銭湯の写真を撮るために玄関に入って来る観光客に困っている羽田のおばあちゃんのために5円玉を敷き詰め(お金なら踏みにくいから)大きな鳥のオブジェを門に置いて、アートで迷惑問題解決を図るべく、直島に行ってたので写真に写ってません(詳しくは記事末尾にビデオリンク! 記事最後リンク参照 ※3)。佐藤さん、ありがとう。
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後日行って撮った、佐藤さんと直島「I Love 湯」お向かいに住む羽田さん(超いいキャラ!)
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朝と昼の回はみどりさん、ゆうさん(+ワタルくん)、ありがとう。東京からわざわざ手伝いにきてくれた役者さんの山口達也君とかおりちゃんご夫妻、ありがとう!萌を一日広島旅行に連れ出しにはるばる来てくれた東京のお父さん、ありがとう。翻訳と受付で12歳の夏を過ごさせて申し訳ないけどこれも運命だ、日本語の練習になったね、萌、ありがとう。(撮影:中村智道)
(文章:タハラレイコ 写真:中村智道、タハラレイコ、上杉幸三マックス、ほか)

リンク:
宇野港芸術映画座:http://unoportartfilms.org
宇野港芸術映画座フェイスブック:http://www.facebook.com/UnoPortArtFilms/

※1
駅東創庫:http://www.unokotochi.jp/ekihigashi/sakka.shtml

※2
宇野スロープハウス(マックスの宿屋):http://www.unoslopehouse.com/Testimonials.php
瀬戸内国際芸術祭(10月まで):http://setouchi-artfest.jp/

※3
佐藤史仁さんの羽田さん宅にまつわる「I love 湯」観光客迷惑解決防御アートのビデオ、上杉幸三マックス制作「宇野ー直島チャンネル」本邦初公開(パート1&2各約15分、パート3も秋にできる予定)!:http://www.youtube.com/user/unonaoshimachannel

宇野港芸術映画座2010上映作品関連リンク:
『円明院~ある95歳の女僧によれば』:http://mrex.org
『ジャッキー』:http://www.fortissimo.nl/catalogue/materials.asp?filmID=9#
『ハーレムマザー』:http://aharlemmother.com/
『ラップリゼント』:http://www.facebook.com/pages/Rapresent-documentary-film/127365037282823
『アトランティス・アンバウンド』:http://www.lorihiris.com/
『新しい神様』:http://www.st.rim.or.jp/~yt_w-tv/index.htm
『ニュータウン物語』:http://www12.plala.or.jp/toyama-honda/
『黒い雨』:http://ja.wikipedia.org/wiki/黒い雨_(映画)
『歴史と追憶』:http://www.wmm.com/filmcatalog/pages/c111.shtml
http://reatajiri.com/
『ミリキタニの猫』:http://www.uplink.co.jp/thecatsofmirikitani/
『蟻』『ぼくのまち』(中村さんブログ):http://www.gahaku.sakura.ne.jp/
アクラム・ザアタリ リンク: http://portal.unesco.org/culture/en/ev.php-URL_ID=25805&URL_DO=DO_TOPIC&URL_SECTION=201.html
http://www.e-flux.com/shows/view/6540
http://www.vdb.org/smackn.acgi$artistdetail?ZAATARIA
アラブ・イメージ・ファンデーション(アクラムが共同設立):http://www.fai.org.lb/home.aspx

アドビ・ユース・ボイシズ:http://youthvoices.adobe.com/news_events/city_tour/newyork/
ライアン・リーラッシュの作品(英語のみ):http://www.youtube.com/user/solodiosbasta2190

娘の萌は相変わらずパワフルに活躍中:この夏、彼女の作品『投下者と、被爆者と?(With the Bomber or With the Bombed?)は宇野港芸術映画座で上映されたほか、毎日新聞で取り上げられ、偶然が重なって何と広島で『はだしのゲン』の作者中沢啓治氏と対談までした。関連記事は下の3つ。 http://mainichi.jp/kansai/news/20100802ddf041040014000c.html
http://mainichi.jp/kansai/news/20100804ddf041040030000c.html
http://mainichi.jp/area/ishikawa/news/20100805ddlk17040714000c.html


■タハラレイコ PROFILE

東京、吉祥寺出身。91年奨学生留学渡米、92年からNY。94年以降は夫の上杉幸三マックスと二人でドキュメンタリーや実験映画を製作。日本で見る西洋のイメージについての思索実験映画『レムナンツ 残片』(1994)は全米30以上の映画祭やアートセンターで上映、今年7月カナダの新世代シネマ祭でリバイバル上映される。マックスと共同監督の『円明院~ある95歳の女僧によれば』(2008)は岡山の老尼僧の人生を綴った探偵風私的長編ドキュメンタリー。ハワイ国際映画祭でプレミア後NY、日本、スリランカなどの映画祭やギャラリーで上映、今秋には東京で劇場公開予定、その後日本各地での展開を目指す。2007年度文化庁新進芸術家海外研修生としてデオドラ・ボイル教授(NY ニュースクール大学)のもとで先生修行、また映像作家アラン・ベルリナー氏に師事。以後、NY近郊の大学・大学院でドキュメンタリー史、制作、日本映画史を非常勤講師として教えている(ニュースクール、NY市立大、テンプル大、9月からハンターカレッジも)。2009年11月、次作の撮影のためマックスが故郷の岡山県玉野市宇野港に拠点を移し、外国人観光客のための宿屋を開業、18年ぶりに日本に住み始めた。タハラは12歳の娘とブルックリンに暮らすが、夏は日本で家族再会、宇野港芸術映画座上映シリーズ「生きる、創る、映画」を二人で共同プロデュースする。早稲田大学第一文学部卒、ニュースクール大学メディア学部修士課程修了。
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