主権回復を目指す会の西村修平代表
和歌山県太地町のイルカ漁を描いた現在ロードショー公開中のドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』。公開決定以来、この映画の上映中止運動を続けてきた主権回復を目指す会の西村修平氏へのインタビューが実現した。webDICEは『ザ・コーヴ』上映中止運動の真意から、主権回復を目指す会の理念、そして西村氏の青年時代のエピソードに至るまでをインタビューした。
右翼と言われるから日の丸を持って街頭に立つことが恐くてできなかった
──まず西村さんは20代はどのような青年だったんですか。ウィキペディアによると「左翼だった」と書いてあるんですが。
左翼、右翼という概念を明確にした方が良いと思うんです。抽象的に左翼ですか?と問われても答えられない。マルクス・レーニン目を通しただけで左翼なのか、万葉集、古事記、日本書紀に傾倒するなら右翼なのか。僕はいわゆる保守じゃないと自認している。社会の変革運動をやっていると自覚している。そこに思想の左右などあるのでしょうか。
僕の理念というのは、現実的に掲げた革命、つまり社会の変革という仕事を成したマルクス、レーニンであり、毛沢東、ホーチミンの体系した理論から学ぶことであって、変革という社会運動に右とか左の区分はないと思っています。
左翼を一般的に論ずれば、旧社会党系左派の方達はどうなのかといったら、現在完璧に日本の国家権力、政権与党の中枢に入り込んで、権力を握っているわけですから、これこそ保守派でしょう。辻元清美とか福島瑞穂は権力を掌握した体制派で、対立する我々は革新派、被抑圧側の構図となる。
そうすると思想の左右じゃなくて、日本が好きなのかどうなのか、自分達を育んできた日本の文化、自然環境など、そういうもの対して感謝の念を抱いてそれを保持して、次世代へ守り伝えることに行き着く。
だから左翼の概念をきちんと提示して貰わないと、質問にうまく答えられないというわけですよ。
──「学生時代は左翼系の運動家だったとも言われており」とも書いてあるのは間違いですか。
左翼系の運動家っていうわけじゃないよね。東京に出てきたのが70年安保の時で、あの時代はみんな騒いでいたわけだからね。
その数年前、高校生時代にかけてプロレタリア文化大革命が世界に発信されていた。同じようにそれをうけてフランスでもかなり大きな学生革命があった。そして僕の兄達が東京の大学に行っていたことで、その影響はかなり受けていましたね。今までの閉塞した社会を学生が立ち上がって変革するという、兄たちの高揚した語り口に大いに感銘、感化をされました。
ですから学生時代はもちろん毛沢東もマルクスもしっかり読みましたし、日中友好協会の派遣でもって僕は支那を1ヵ月間旅行したりもしました。プロ文革をこの目で見ることが出来た。生涯の中で、あれほど貴重な体験はなかった。
──学生運動はされていたんですか。
いやそれはしてないですね。僕の上京時は全共闘は下火になっていた。何人かの友人とサークルを作ってシナとロシア革命史の読書会なんかをしていた。本格的に運動をはじめたのは30代になってからです。
──30代になって今のような活動をされたっていうきっかけは何かあったのですか。
20代の時に革マルとか中核派らが運動論をめぐって凄惨な内ゲバを演ずることがあった。
要するに社会運動として全共闘とか学生運動の類が、社会の一般的な共有を得られるレベルではないと思って、こうした思想運動を外から眺めていた。
それで僕は大学を2年で中退して、その間アルバイトをしながら経理学校に通って資格を取得、社会人としての基盤作りに毎日を送っていたが、サラリーマン生活の中で社会の、世界を取り巻く不条理にストレスを抱えながら社会人を生活を送っていた。
活動のきっかけは、酒井信彦(現・主権回復を目指す会顧問)先生がチベット問題を取り上げて支那の独裁体制に対して具体的な運動で抵抗していた。産経新聞が何回か酒井先生の街頭活動を紹介していたので、コンタクトを取って、参加するようになった。
そこからずっと本格的に街頭に出て運動するようになりました。
──30代の頃から、徒党を組むというよりは西村さん個人での活動だったんですか。
30代の時は主に酒井先生の自由チベット協議会という所の運動でした。それまで、日本の保守の方達というのは、行儀がよすぎるというか、自己表現が極めて下手、下手と言うよりメンタリティーが弱い、弱いから大衆の前に出る事ができなかったんですよ。自分の意志を街頭に出て表明するということができなかったんです。ましてや日の丸を持って街頭に立つということは、右翼と言われるからもう恐くてできなかったわけです。
自由チベット協議会の時に初めて酒井先生のデモに参加して驚いたが、たった10数人くらいの非常に少人数で中国大使館の前で夜に座り込みのデモをやるとかでした。当時はまだ非常に規模が小さかったんですよ。
僕は少なくとも全共闘運動とか左翼系の活動スタイルのやり方をずっと見て来てたから、そのノウハウを参考に不特定多数の人達によびかけるとか、そういう形でかなり一般の人達に呼びかけることができたと思っているんだけどね。
──「主権回復を目指す会」はいつできたのですか。
これは今から4年前(2006年)です。
──主権回復を目指す会は、ひとりでつくったのですか。
酒井信彦先生や、僕の運動に参加、同調するような方と一緒につくりました。それと同時にインターネットという発信手段ができるようになったということが大きかった。僕らはとにかく自分達の存在を発信する情報手段が封鎖されているわけですよ、マスコミから存在そのものを消されている。それに風穴を空けるのがインターネットという手段だった。そこで主権回復を目指す会を立ち上げると同時に、いかにこのインターネットの発信を充実させていくかということをずっとやってきました。
──誰かインターネットに詳しい技術者の方がいるのですか。
細々とやっている僕らの運動を観ていた方たちが技術者として協力を申し出て、活動に参加してくれている。このままじゃ運動は前進しないからネットで動画を発信しようと参加してきた。それで一気にここ2年から3年ほどで運動が大きな幅というか広がりを見せているのかな。今まではせいぜいデモをやっても14~5人だったのが、平日にやるような抗議デモ、例えば今日やった抗議デモ(7月5日に『ザ・コーヴ』の提供元であるメダリオンメディアへの抗議活動が行われた)なんか24、5人が簡単に集まる。そういう状況になってきていますよ。 単なるお花見デモではなく、警官に囲まれ、なんかあったら拘束されかねない状況を承知の上で参加してきている。
これからは一般的なデモ運動とは決別する
──酒井先生や西村さん以外に、主要の固定メンバーはいるんですか。
数人です。僕が望んでいる運動のあり方というのは、前衛党みたいなものなんです。社会の変革運動をするんだったら共産党のような中核な前衛党が無きゃならない。 社会、国家を変革する意志があるなら前衛党は無くてはならない。前衛党は何も共産党の独占物ではない。我々市民の立場から社会変革を目指す前衛党とは、どの様な形態なのかを探って行くべきと考える。 僕がやる仕事は基本的にもう終わったと思っています。 というのは今までの保守とか一般の人は、街頭に出て己を主張する事ができなかったんですよ。デモもできなかったんです。
──それは、「弱かったから」だと先程おっしゃいましたよね。
度胸がないというか弱いというか、それを呼びかける人、指導する人がいなかったわけですよ。
僕はそれを3年間やったから、在日特権(を許さない市民の会)の桜井(誠)君といった方達がデモくらい幾らでもできるようになった。それまでは、日の丸を持って街頭で演説することすらできなかったのに。
だから僕はまずこの3年間は、とにかく日の丸を持って街頭で活動が出来る、それを誰でもできるんだよ、というところを目指してきました。その初期の目的は達した。
ストレスの発散、欲求不満の解消の場にしてはならない。目に見える現象面に不条理を感じて支那問題、朝鮮問題について来ているだけでは運動に継続性を持つことが出来ない。
人間の認識というのは現象面から入っていくわけでそれはそれでいいけど、その現象面から物事の本質を探り出すことが出来なければその場限りの運動で終わってしまう。
欲求不満とかストレスは個人的感情であって、個人がおかれる社会環境や生活スタイルで如何様にも変化し、当てになるものではない。
だから今まで3年間の仕事は終わった。今まではとにかく欲求不満で騒いでいれば良かった。でももうそれは終わった。じゃあこれからどうするんだと。今、日本はどういう状況に置かれているのか、少数でも良いからそれをきっちり認識できるような人間の集団をつくるということです。
──そういうことから、今後どういう活動を考えていますか。
今の日本をどう捉えているかということですよ。例えば企業を再建する時でも金庫を開ければ借金の証書の山、負債がどれだけあるかわからなくて開けるのも恐いと。これをきちっと把握しなければ会社を再建することなんかできない。受験生がかなりレベルの高い大学を受けようとしても自分は整数計算も分数計算もできない、ろくに漢字の書き取りもできない、せいぜい小学校4、5年くらいのレベルしかなくて非常に惨めだと。だけどそれを正直に把握できないと受験計画、勉強計画が建てられない。会社の再建も然り。
それと同じように今、日本人が、日本民族がどういう状況に置かれているのかということを客観的に把握することを徹底して勉強会をやっていきたいと思う。
宴会保守のような、酒飲んで支那人や朝鮮人の悪口を言って悦に入るような勉強会じゃなくて。自分達が今、はっきり言って我々は絶滅を免れた日本人という希少品種。軍隊だったら日本の軍隊が完璧に壊滅して、かろうじて生きながらえて今ゲリラとして生きながらえているという。そういう中でいかに、僕らが生きながらえていくのかという。
昭和や明治の世代の薫陶を身につけた方達がいた時代に戻すには50年、100年のスパンでいかなければしょうがないんじゃないか、と。これだってできるかどうかわからない。
というのは今までは創価学会の問題だろうがなんだろうが、どっちに転んだって日本人のなかでの問題だった。今は違う。想像を絶する勢いで一気に支那人が日本に入ってくる。そして簡単に日本人になっている今は、全てが日本人の問題で解決出来ない状況になってくる。
そういう厳しい現実をただ知るんじゃなくて、受け入れるっていう形で進める活動、運動
とは、どの様な形態であるのか。
ですから、ネットの保守運動とか在特会(在日特権を許さない市民の会)のような、ただ人を呼び集めてデモやって、はいそれで終わりますというような、花火のような運動とはこれからは決別するということです。
保守に対して諦めを感じている
──西村さんは尖閣諸島や外国人参政権の問題、そして『ザ・コーヴ』も含めていろいろと活動をされていますよね。そんななかで今の日本で何が一番憤りを感じますか。
これはすでにちょっと遡れば10年前の女性国際戦犯法廷(2000年)、これは慰安婦強制連行が世界に定着させた最大のでっち上げだったけど、その時にこれだけひどい現実が起きているんだから日本の保守の人立ち上がって下さいと、保守や右側陣営に呼び掛けた。 だけど、まったく誰一人として立ち上がらなかった。それで僕は日本会議の知人を通して、平沼(赳夫)さんとか中川(昭一)さんだとか安倍(晋三)さんあたりにいろいろコンタクトを取って反対やってくれといったけど、まったく無視されました。
──いまおっしゃったことは、慰安婦の問題ではなくその呼びかけに立ち上がらなかった日本の保守に対して憤りを感じているということですね。
そう、そこに行き着くんですけどね。それに始まって、次は二年前の長野の聖火リレーの時も、新華社の報道だとたった100人の右翼の民族主義者のお陰でせっかくの聖火リレーの歓迎ムードが台無しにされたと。あれだけ支那人が流入してここで騒ぐんだということがわかったときに、それに対する日本人は東京からせいぜい4、50人、全国から集まったってたった100人しか集まらなかった。日本の保守は誰もやらなかった。国会議員は長野に誰も行かない。それと同じで今回の『ザ・コーヴ』についても、とにかく保守が。愛国運動を唱える方が動かない。僕は普通の日本人は死滅したと思っているから当てにしない。だけど、少なくとも愛国運動や日の丸を掲げて日本の文化伝統を常日頃守ろうとしている日本会議のような方達が誰一人としてやらない。それに一番むなしさを感じる。だから日の丸を下ろしなさい、愛国運動を口にしないで下さいと言いたい。
──保守に対して絶望、憤りを感じているということですね。
もう絶望というか諦めですね。それは別に保守ばかりではなくて、無気力が日本列島のすべてに貫いている。保守派に位置する人達もそこから免れ得ない。そういう現象であるということです。
──『ザ・コーヴ』の上映中止運動はいつしようと思ったのですか。
一昨年の東京国際映画祭のときです。そのときはこういう映画があるということは知っていたけど中身はまったくわからなかった。その後東京大学の酒井教授が自分のブログで上映の動きがあるということを紹介して、これはかつての女性国際戦犯法廷と同じだと思いました。まったく無い現実を定着させて日本人の誇りを無惨にぶち砕く、日本人に冤罪を擦り付ける、そういう〈精神テロ映画〉だということを酒井先生が指摘された。
──最初にどこでどうやって映画を観たのですか。
ネットで、日本語の字幕はついていませんが、アメリカの知人が英語の字幕をつけていました。慰安婦強制連行の時にだって、まったく日本の保守が抵抗もできなかった。 この女性国際戦犯法廷が一般的に知られたのは、安倍晋三と中川昭一がNHKの番組に介入したと大騒ぎになったからで、その時に日本の保守派が何を言ったかと言うと、チャンネル桜系から始まって何から何まで「いや、情報に疎くて当時知らなかった」「まさかそこまでとは思わなかった」「あの時代はまだインターネットも無かった」と言い訳しました。じゃあ今回はどうだと。今から10年前に比べたら情報量は100倍、1,000倍ですよ。 だけども同胞が精神テロに合っているにも関わらず立ち上がらない。ということは、今の日本の保守派は現実的な問題がこれだけあってもそれをパスするんですよ。 日本会議はなんにもやらない。朝日新聞、毎日新聞が社説で論ずる「表現の自由」絶対主義に対して、産経が社説で体を張って論ずるということはしなかった。
──今まで、僕たちのように、こうやって取材に来た人は誰もいなかったのですか。
今まで街頭では海外のメディアとかはあったけれども、日本ではありません。
──でも今の話を聞いていると西村さんは、極右ではないですよね。
そうなんです。だからもう愛想つかして海外メディアをはじめ一切受け付けないけど、あなた方からもらった企画書は、非常に真摯な内容だった。まともなことを初めて言ってきたから、この取材を受けることにした。だから、今でもいろんな依頼があるけど、一切受け付けないですよ。
主権回復を目指す会ホームページ
戦術の転換をしなければならなかった
──『ザ・コーヴ』上映中止の論点は漁民の人達が配給会社に止めてくれと。配給会社はそれに対して、上映バージョンでは目隠しを入れた。もうひとつは反日的な内容だということ。西村さんがおっしゃっているのはその2つの論点ですか。
論点はそうですけど、もっと単純化していえば、抵抗し無い、出来ない日本人をなぶり殺そうとするいじめですよ。何も思想の右とか左とかなんかではなくて太地町の漁民が止めてくれと立ち上がらない弱さにある。日本人全体を貫くとてつもない弱さがあるから、あんなとんでもない映画が上映される。いや、日本人が率先して上映する。
──表現の自由よりも優先される事はあると思います。もし人権侵害や名誉毀損があったりしたら上映中止を要求する事は理に叶ってると思うんです。ただそこは配給会社も気遣って、目隠しを日本版にだけ入れたんだと思います。
あともうひとつの問題は、盗んだものであるということですよ。要するに盗撮。盗撮というのははっきりいって窃盗行為ですから。この窃盗した品物を表現の自由で包装紙でくるんで商いなんて、社会通念で到底許されるわけがない。目隠しをしたのは単に肖像権の侵害の問題をクリアーするための手段でしょう。
──ただそこで思うのは、盗まれた側が訴えるならばわかるんですけど、太地町の漁民とは直接の関係がない第三者である西村さんが訴えても、理は通るけれども上映中止ということの理はどうなのかなと思うのですけど。
それはなりませんよ。肝心の被害を受けている人が訴える気力を喪失しているわけですから。もうそこにすべての問題が集約される。それは何も太地町の漁民ばっかりじゃなくて、日本人全体に貫いている。僕ら長崎県の対馬に行って延べ14、5日間くらい(抗議活動を)やりました。要するに朝鮮人や韓国人がこれだけ乗り出してきて万引き働くやら何から何までやっているという問題に対して、それで僕らが活動をやると対馬の島民は「あなたがたの言っていることはわかるけど、あなた方が来るとうるさくて、子供達が怖がるから止めて下さい」っていう。おそらく僕らがいま太地町に行ったら同じ事を言われます。
──太地町とは何かコンタクトは取られているのですか。
市役所とあと漁協にも一回電話しました。でも僕は完全にもう失望ととてつもないむなしさを覚えたので。
──その時の反応はどうだったんですか。
表面的には応援をありがとうございますとか、いろいろな感謝を言っていましたよ。だから僕らは東京でこういう風にやっているから、だったらあなた方が2、3人でもいいから東京に来てアンプラグドに行って、漁民である私達をいじめないでください、私達の生活を破壊しないで下さい、といえばそれでもう決着つきますと言ったんです。でも彼らは「いや、そこまではできない」と。
──主権回復を目指す会のホームページを読んで、この映画が反日的だからということで上映中止を訴えている、という風に多くの人が思い込んでいると思うんですけど、そこはちょっと違うということですか。
それはね、戦術の転換をしなければならなかったということですよ。だって、反日とか日本の食文化に対する破壊とか言ったって、聞く耳持つような知性のある日本人がいない。いても反応しない。 ですからこれはもっと問題をシンプルに省略化すべきだと思った。今までは欧米白人による人種差別ということを言ってきたけども。7月3日のイメージフォーラムの前での抗議活動でも僕らは白人の人種差別だとかそういうことは一切口にしなかった。それを口にすると、その部分だけ取り上げて我々の事を極右と報道するのはわかってたから。 だから、このあいだから僕らはこれはいじめの問題、虐待の問題に集約した戦術に切り替えている。だから途端にメディアは取り上げなくなった。 我々はプロの活動家ではないが、回りの状況を客観視しながらやっていかなければならない。幾ら訴えても、ただ「うるさい」って顔されたのではたまらない。 僕らは上映阻止を掲げて活動したが、結果から言えばはっきり言って僕らは粉砕されていますよ。だってたった3つしか中止してないわけでしょ。あと20館くらいは上映する。しかもマスコミが全部社説まで使って、とにかく表現の自由を社説で展開し、これを社会規範の最優先課題にしなきゃならない、ってやってる。そうしたら僕らみたいな力も無い、金も無い、政治家のバックアップも無い、そういう人間が上映阻止、抵抗できますか。できないでしょう。
誰も中に入って話をしようと言わなかった
──シアターNと東京、大阪のシネマートの3館は上映を中止しましたけど、実際映画館では街宣活動をされていませんよね。
していません。
──抗議文か何かは送られましたか。
いえ、していません。
──そうするとその2館が上映中止をしたのはなぜだと思いますか。ホームページに街宣の告知をしただけですよね。
少なくともフィールズ(シネマートの親会社であり、映画配給も行っているSPOの株主)という会社がパチンコに関連したいかがわしさがかなり知れているので、会社がそこら辺を危険予知したのでしょう。 それと日販(シアターNの運営会社)という会社も、フィールズとは違いますが、それでも少なくともあれだけの巨大な企業は社会的な責任というものが生じるわけだから、そうすれば僕らのやっている事が少なくともこっちが右翼的人間がやっていることではないということはちゃんと調べてわかってますよ。そうした場合、事実をあげて道理を通して公開の場で論争なり、意見を申し込んだら、彼らに理が通らないという部分が出てくる。それをちゃんと察知したんじゃないですか。
──逆に向こうに西村さんの主張と闘ってまで上映をする、議論をするという覚悟がなかったということでしょうか。
メリットがないでしょう。これでもって映画の収益が上げられるかとか、これでもって映像メディアに関わる彼らの社会的な使命を果たせるものはないわけですから。 ここまで日本の漁民をいじめて、日本の文化伝統を蔑ろにしてでっちあげるような映画に対して、上映する使命は何ですかと問いただされたら、あれだけ大きな会社の場合それに答える義務が出てくる。 おそらく役員クラスは観てなかった、知らなかったんじゃないですか。それは、女性国際戦犯法廷というのが直前にみんな書き換えられてなし崩しになった。 というのも海老沢会長(NHK)が幹部を集めて放映直前、急遽その試写を見た時はこれはとんでもないからやめさせたっていうのと同じなんじゃないですかね。 それを、中身が酷いから止めたと言わずに、僕達が騒いで隣近所に迷惑がかかるからって止めたって、大変な問題のすり替えですよ。僕らは何にも抗議をやってないんだから。それで『ザ・コーヴ』の配給会社代表のアンプラグドの加藤武史さんは、TBSのインタビューに、「上映する事に私は使命感を覚えています」と言っていたけど、漁民をいじめて漁民の人権を侵害してまで上映する使命を述べなきゃならないのに、それを一切表明してないしマスコミもそれを追求しない。
──その多くのマスコミによって作られたイメージによって、西村さんや主権回復を目指す会が恐いという意識が一般にはあると思うし、実際YouTubeで上がっている映像を観ると、右翼かなと思ってしまう。でも、警官立ち会いのもと合法的にやられているわけですよね。
なにかあったらしょっぴこうとしているのはもう目にみえてる。
──でもマイクでしゃべっている時はしょっぴかれないですよね。
それは僕らが常に反体制派にいるわけですから。今共産党とか社民党とかそういう人達が体制派にいるわけであって。われわれはこの社会に異分子として存在する反体制分子です。
──まだ共産党は野党ですけれど。
それは革命を放棄したけど、政党助成金ももらっていないからね。例えば今回話題になった(リック・)オバリーにしたって、日本政府から査証を貰って入国して。しかも警察もオバリーがここに住んでここに泊まってということがわかってて、我々から彼の安全を守ってるわけですよ。ということは、政府の国家公認の元でオバリーが来日、環境テロリストの来日を認めている。 政府公認で長崎大学やらいろんな所で反日の活動をやっているわけです。それに対して僕らは当然何らかの反対のアクションをとったりすれば、行為そのものは反体制運動でしょう。だから常に我々は反体制派に置かれている。だから僕はそれをいって革命派だよといってる。──じゃあ逆に仮に西村さんの主権回復を目指す会に反対だっていう人がこの事務所の前で街宣したり自宅に来られたりしたらどうされます?
話をするんだったら事務所の中でどうぞと招く、そんな馬鹿でかい声出さなくても耳に入りますと。
──今までの街宣でじゃあ西村さん中に来て話そうよと言われたら入っていくんですか?
呼ばれたら行かざるを得ないでしょう。
──誰もそれは言わなかったんですか?
誰も言わない。逃げる。だから僕としてはそういう風にされると一番困るといえば困るよね。
──中で話しましょうと言われたら?
街宣というのはやっぱり華々しくやらないといけないから(笑)。不特定多数に知って頂くことだから。 個室での話し合いじゃないですから。そういう意味では非常に知性というか、上映に関する理念が全く無いと思いますよ。加藤武史だって、いやぁごくろうさまです、みなさま、朝早くおはようございますと、どうぞどうぞ、と。そしたら街宣できないでしょう。己にいかがわしさがあるから110番して、逃走する。僕らの街宣はそのいかがわしさを、本人の面前で暴くことにある。
食の生産に携わる人はそっとしておかなければだめ
──街宣で『ザ・コーヴ』と比較して挙げられていた、『いのちの食べ方』という映画は西村さんはご覧になりましたか。
僕はそれは観てない。観てないけども僕はわかります。我々はとにかく霊長類として、しかも食物連鎖の頂点に宿命として位置づけられ、生まれて来たわけですから、水と空気以外は何だって他の命を食べる事によって生きるわけだから。恐らくそういう趣旨を描いているわけでしょう、その映画は。
──そうですね。アイロニカルに描いてます。
ですから、食の生産に携わる人というのは非常に大変なパラドックスのなかで生活を送っている。非常にデリケートな方達だから、それはそっとしておかなければだめ。それをあからさまに公衆の前に晒すという事に対して一番怒りを感じるね。生きるための労働ですから、この神聖な労働を悪意で描くことは許されない。しかもそれを日本人がやっているということに対してね。
──グーグルにも抗議に行ったとホームページでみましたけど、それは主権回復を目指す会の映像がYouTubeから落とされたんですか。
シーシェパードの問題と『ザ・コーヴ』の問題に関しては、片っ端から削除されています。特に英文で発信するようになってからは、過去に遡ってみんなもうアカウント削除です。それでいまPee TVもものすごく厳しくて、2日もしなければ承認しないと。ですから我々は表現の自由は完璧に封鎖されています。今までは我々の表現の自由はマスコミを通して訴える事はできなくて、ニコニコ動画は問題ないけど、YouTubeなどネットのメディアを通してやっていたわけだけど、その点の表現の自由はもう完璧に封鎖されているという事です。
──ニコニコ動画では上映前に試写会を2,000人限定でやりましたけど、あれは上映中止は考えなかったんですか。
それに対してはやりませんでした。
──そこには何故アクションをされなかったんですか。
あなた方はアクションと言いますけど、僕らは政治家ではないんですよ。なんとかここでこの事務所をかまえて家計を圧迫しながらやっているわけだから、何から何までできないし余力はない。少なくともニコニコ動画があの企画をやるってことはアンプラグドがニコニコ動画に提供しているわけでしょう。それでその時に鈴木邦男たちがこれを巡って討論をやって、僕にもコンタクトがあったけど、僕はそれには出なかった。司会が誰かもわからなかったし。 そもそも盗んだものを商品として売りさばくということが社会通念上許されないわけだから、その前提で持って表現の自由なんか論じられない。端から道徳観が違う。討論が成立する訳がない。 そういう立場があった。それでニコニコ動画に対してなんでお前達こんな試写会やるんだっていうことは、はっきりいってそんな物理的な余力もない。ニコニコ動画にやるくらいだったら朝日新聞や毎日新聞にやった方がはるかに効果があるってことです。それに関して言えば、後日「表現の自由を巡って、ちゃんとしかるべき司会者を選んで、鈴木邦男とやるんだったら私達はやりますからもう一回設定してください」といったら、「それはもう終わったんでやりません」といわれた。
──逆に提案されたんですか。
そうです。だって午後に電話してきて、「今日の8時からやるので来て下さい」と突然言われたってそんなのできない。
取材は主権回復を目指す会の事務所で行われた
いじめられても反論できない日本で上映すること自体が、彼らに対する屈服だ
──基本的には『ザ・コーヴ』を観て逆に西村さんと同じような考えを持つ人、日本人はこれじゃだめだと、欧米人に人権を差別されてると感じる人もいると思うんですよ。実際一般公開されて映画に対して賛否は両方あると思うんです。だから上映を中止せずに見せた方が良かったという考えは、今はありませんか。
映画そのものは、上映する側の人間だってろくな映画じゃないって言ってるわけだから。これは映像として素晴らしい、ドキュメントとして完成している、作品を観て議論すべきだという人は誰もいない。僕は聞いた試しがない。はっきり言って毒物、しかも毒物とわかっていて、上映をさせる訳にいかない。
──でも、だったらなおさらこれを上映して、こんなクソ映画、欧米人が日本人を馬鹿にしやがって、と思う人が増えないですか?
日本人は映画を観てひどい映画だな、と思うだけでそれ以上は何もない。そして私が抵抗するのは、この映画の目的ははっきりわかっているから。いじめられたって反論出来ない日本人をもっと徹底的に精神の根底から破壊しようという、それがみえみえだと考えているから。だから、上映させること自体が彼らに対する屈服だとそういう風に思っています。これを観て日本人がどういう風に思うかどうかというのは関係ない。最初からはっきり毒物だとわかっているから。そういう作品を上映させるのは屈服です。この上ない屈辱です。
──ある映画館が上映する事は西村さんの考えに賛成だと、上映する事でより主権回復を目指す会のシンパが増えたりするから上映したい、というところがあったらどうします?
うん、僕はそういうシンパはいらない。はっきりいって毒薬だとわかって送り込んで来ているもので、しかも窃盗品で社会通念上許されないから、映像関係に関わる人の社会的主義としてこれは絶対やっちゃだめだよ、と僕はそういう風に言いますよ。ただ日本は相手がやろうとしてそれを物理的に阻止しようとしたら相当のリスクをこっちも追わないといけないけど、そのリスクを負担するだけの体力なり余力は僕はないから。だから僕はこれしかできないということです。
すべて自己責任として主権回復を目指す会を立ち上げた
──この会の経済的基盤というのは寄付でやられているんですか。
僕のほそぼそとした蓄えと、前からやってる経理の仕事と。あとは若干の支援です。もう子供たちも全部社会人になってるし、家のローンも5年前くらいに終わってるし、後は老妻と俺とふたりで一日ラーメン一杯すすっていけば生きていける。だから僕は4年前にこれを立ち上げた。男として父親としてするべき事はみな済ませた、あとは自分の道楽として、すべて自己完結の自己責任として主権回復を目指す会を立ち上げた。
──もう上映ははじまっていますけれど、今後も上映活動を中止するというのは続けますか。
行きますよ。だけどそれは映画館ではなく。というのは3日に渋谷の映画館にあれだけ殺到したメディアが今日、肝心の映画を輸入したメダリオン・メディアに抗議したって誰ひとり来ませんでした。 YouTubeから全部シャットアウトされて自分達の表現の自由がこれだけやられているから、これについてはグーグルにこれから抗議に行きますからあなたがた取材に来て下さい、といってもひとりも来ませんよ。 だから「表現の自由」というのは巨大マスコミに対して保証されるのであって、我々には表現の自由なんてないですよ。些末な表現としての自由しかないです。『ザ・コーヴ』に対してこれだけ社会問題になっているのに、市民運動の「表現の自由が」あの最大のインターネット検索サイトで完璧に排除、封鎖されている。これは大変な問題ですが、全く無視している。
思想運動というのは存在であり、命を賭けるもの
──今度の参院選に西村さんはどの党に投票しますか。
まったく僕は選挙には関心はありません。日本の議会制民主主義は崩壊したと思っていますから。
──ということは棄権されるということですか。
それはわかりません。個人的に知ってる人がいるんだったらその人には投票しますけれど、選挙を通して日本をどうのこうのという事に関しては、僕はまったく期待していません。というのは民主主義というのは良いとか悪いとかではなくて、51%が49%に対する独占支配体制だと思ってますから。良い悪いじゃない。ということは多数決というこの非常に危ういバランスを保つためには、投票する選挙民の相当の知性がないとできないわけです。この知性が劣化している状態のなかでは議会制民主主義はもう機能しないと考えています。否定しているわけじゃないです。期待していないということです。 僕らは政治家のためなら、オシメの世話まで出来ますが、政治家が我々の運動に対しては何一つ出来ません。特に保守を掲げる政治家は、今までもしてこなかった。つまり役に立たないのです。
──投票している国民側の知性が劣化している現状では、選挙よりもまず劣化している国民に対して訴える方が効果があるんじゃないか、ということですね。
もっと高い次元の問題で言えば、言ってることがわかる人にだけ言っている。僕が街頭にでて1,000人に訴えたってほとんど何にも反応しません。ほとんどの人間は、100人に訴えて98人の人がうるさい、何やってるんだやかましいな、と思っている。そのなかでたった1人か2人の人間が「ああそうか」、と思う。だから98人の人に嫌われなければ、2人の賛同者を得られない。だから自分にうるさい、過激だって言われても別にどうってことないですよ。そのなかで1人でも2人でもまさしくそうだ、という人を結集するために僕はやっている。
──ホームページの設立趣旨挨拶文を読ませて頂いて質問したいと思ったのは、第三段階で中国の侵略に対して「日米安全保障条約に伴う沖縄地域に於ける米軍の存在で以て辛うじて抑止出来ている」という文章がありますが、これは主権回復という意味では、アメリカに主権を委ねている事にならないですか。
それはわかっています。早急に訂正します。それは4、5年前に書いたもので、僕はまもなく日米安保条約の反対のデモをやります。だからあなたに指摘されて恥ずかしいんだけど直さなきゃだめです。
──わかりました。これだと普天間問題とかどう考えていらっしゃるのかなと思ったんですよ。
まさにその通りで、普天間は常に頭にあることです。
──やっぱり、イルカの問題より普天間問題でなぜ日本を本当に変えようと言う人たちがメディアの人たちも含めて保守の人が本土から沖縄に集まらないのか、憤りを感じませんか。
僕も詳しい事はわからないけど、全体的なことでいえば、この米軍基地を負担するということでどれだけ沖縄にわれわれの税金が投入されてきたかということなんです。何も彼らに強要しているわけではない。巨額な資金が投入されている、この部分に関しては沖縄の人達は無視していますよ。ただ一方的に押し付けられて、押し付けられた見返りというのは巨額なものがある。それは我々国民の税金です。それと同時にこの税金を沖縄の人達は何に使ったか。僕は5年前に20数年ぶりに沖縄に旅行したんです。何に一番ショックを受けたかというと、沖縄の海が汚れていることですよ。よくぞここまで沖縄の自然をぶちこわしたもんだなと。
それまでは本土と遠くはなれて非常に教育水準のレベルが低くて子供の非行が激しいと言われてきた。でも、あれだけの巨額の税金が投入されたら、どれだけ沖縄がすごい地域になったかと思っていたのに。それが全部みんな箱ものとして、自然の海岸線ぶちこわして港をつくっている。それと同時に、日米安保条約を考えてみた場合、それが日本にあることによって、目に見えるものとして国民に何かもたらしたものはあったか、それは客観的にアセスメントすれば、はなはだ疑問が生じますよ。
具体的に例を挙げれば、もう20年もたちますけどソ連のツポレフという偵察爆撃機が2回くらい日本列島を横断しました。そのとき嘉手納基地の上を通っているわけですよ。何故アメリカはそれを黙って通したのか。米軍基地の真上を。さらに近年だと東シナ海に支那の原子力潜水艦が何回も徘徊して、かつ尖角諸島に対してもあれだけ露骨な対応をしているのに、アメリカは日米安保条約に基づいて日本の領土を守るということは言っていない。
実質的に今、尖角諸島に支那人が上陸した時には排除できないでしょう。ということは、客観的にみると日米安保条約というひとつのカルトに日本人、保守派が犯されていたんじゃないかと思うんです。それを僕はもう4年くらい前に自覚していたが明確な認識まで至っていなかった。
惰性でそんなことを書いてしまったけれど。会立ち上げ時、当時も僕の賛同者達もこの点に関する認識が明確ではなかった。
主権回復を目指す会ホームページ上にある「設立趣旨と行動指針」より
──これは西村さんの文章ではないんですか。
基本的にその最後の文もみんな僕が書きました。代表は僕なんだから、私に全ての責任があります。
あなたがおっしゃっているように、「西村というのは書くことが非常におかしいじゃないか」ってそして「まさしくそういう風に認めた」と書いていいですよ。
ほんとは左翼がそこをつかなきゃいけないんですよ。「なんだ西村そこおかしいじゃないか」と。だから、この政治に対する運動というのは、左がだめだと右もだめなんですよ。夫婦と同じで、女房がしっかりしていると亭主もしっかりする。これはほんとにそうなんですよ。そういう意味でいうと、僕らは今絶好の機会なんですよ。だってこれだけやったって安全にできるのは、保守が弱いから、同じように左翼も弱いんです。
20年前くらいだったら「なんだてめぇコノヤロー」って安全なんて保証されませんよ。それが左うちわでやりたい放題やってるんですからね。お互いに能天気なんですよ。
左翼が国家権力を握ってしまったから。革マルだって中核だって国家機関の中枢と行政にがっちり食い込んで自分達が権力者になっている。そしたら社会変革なんてできない。その必要もない。もし彼らが本当にそういう2、300年前の思考を持っているのなら、俺らは叩かれますよ。僕はこれまで革マルの名前を出して抗議やったけど、個人的になんのリアクションもない。創価学会も朝鮮総連も、解放同盟だって何もない。
日本はものすごく能天気ですよ。思想運動がないんじゃないですか。思想運動というのは存在、存在というのは何かといったら命。思想運動というのは命賭けるわけだから、そういうピリピリとしたやばいと感じる緊張感がないもの。
だから僕みたいにこんなちょっとしたことやったって大変だ、過激だということになるんじゃないですか。それだけ左右とも人間が劣化している証でしょう。
僕が捕まったら誰も代わりにやる人がいない
──上映中止の行動が、ここまで騒動になると思っていましたか。
ある程度いくんじゃないかと思ってました。それと、彼らは彼らでこれを逆に利用して騒ごうとしたことがあるでしょう。だから僕は市民運動でやる。 それと、欧米マスコミから観れば、日本人が人種差別粉砕で声を上げたことに、「え!こんな日本人がいたのか」と驚いたのか知れない。 参加してくれる人たちに対しても言葉遣いにしても服装にしても、とにかく突つかれないようにしています。激しくもみ合うときでも、ぎりぎりのところで警察の警備状況、警備課長の目の色が変わるのを気をつけている。そこは僕が一応リーダーだからね。
──基本的に集まってくる人は顔見知りではない人もいっぱい来るわけですよね。
新しく関わってくる人は1人か2人くらいだね。
──映画館側からすると、西村さんは一応そこは統制して社会人として自覚はあっても、ひょっとしておかしい人が紛れ込んでるんじゃないかと思うんですよ。そこが怖いんだと思います。
多いに怖がった方がいいんじゃないですか。そういう人間が出てこないと困るんですよ。例えばデモというのは、交通マヒさせたり社会争乱を起こしてインパクトを初めて与えるんですよ。そのかわりに騒いだ人間は、法治主義国家によってそれなりにしかるべき方法で裁かれる。
──でも西村さんはそこまでやろうと思ってないでしょう。
だって僕がそんなことやったら誰も代わりにやる人がいない。僕はやりたいですよ。しかももう一回原点にたてば、日本が終わったっていう状況の中でやってるわけだからいかに少ないコストで今日も運動できた、ああまた明日できる、8月もまたこれでなんとかやっていけそうだな、とそういうレベルですよ。 それに警察があれだけいたら、捕まるような過激なことやれるわけないじゃないですか、バカバカしい。あのガードマンだって民間人でしょう。警察のように法的な権限はないよ。 雇った会社も金もったいないな、と思っている。今日だってメダリオンにいったら特別なガードマン来てましたよ。聞いたら一人20万くらいって言っていた。3人くらい来ていた。それで警察には、ガードマンに話しても返事も何もしないからただの一般人だから強制排除しますよって言った。我々の表現の自由を妨害しているわけだから、警備課長に排除していいのかどうかイエスかノーをせまったら答えなかった。でも今までだったらいちいち「ここでやってください」とか「これ以上やったらダメだ」とかこんなことばっかりいわれたけど、最近はまったくない。だからそこに匂いを感じる。
──何のですか?
なんかあったらやるつもりじゃないかと。だってこれだけたいしたことやってないのに騒がれて、しかもしょっちゅう警察の不手際に説教ばかりして。文句あったら警察署に押し掛けて行くわけだから。それは決して良とは思われてないでしょう。なんかあったら仕返ししたくてしょうがないでしょう。
だからこっちも慎重にやりますよ。でも仮に捕まったとしても人のものを盗んだとか猥褻行為をしたというわけじゃなくて、いいことして捕まるわけだから。長期勾留といっても10年前と違うからそんなことはできないでしょうし。いまおそらく相手側は、僕を威力業務妨害、名誉毀損、強要罪という形で、警察が受理するかはわかりませんが訴えようとするでしょう。だって民事上の仮処分(6月24日付けで、横浜での上映館である横浜ニューテアトルに対し、横浜地方裁判所から半径100メートル以内での街宣活動や、館内への無断立ち入りを禁止する仮処分決定が下された)は無視してやってるわけですから。そうした場合、仮に僕を強制調査かなんかしても調書は書けないんじゃないかと思うんですよ。逆に警察の取り調べる方が僕に毎日説教されるだろう。
僕は調書には応じない。そういうもろもろを考えた場合、果たして西村に手を出して何らかの得るものがあるのかというのを慎重にアセスメントするでしょう。ましてはネットで大騒ぎになるだろうし。公判も維持できない。でも油断は大敵だから僕は酒を飲んだときは車に乗らない。満員電車にも乗らない。僕らがせいぜい講ずることができる安全対策ってそれくらい。
──別にこの事務所は公安が見張ってるわけではないんですよね。
胡錦濤とかああいう連中がきたときにはどこかで見てるんじゃないですか。普段はやってないでしょう。だって措定暴力団じゃないですし、24時間ガラス張りでオープンでやっているわけですから。どこでもみんな見てくださいと。隠すこともなんにもないし。
活動を止めたらなにもなくなる、それが絶滅を免れた希少種の使命
──ところで、西村さんは映画とかご覧になられるんですか。
1984、5年以降まともな映画がなくなったから。日本映画だったら『泥の川』とかああいうものができた以降観てないね。ATG以降は映画に力が無く、ほとんど観ていない。
──音楽はどうですか。そこにはCDもいろいろありますね。
僕がいちばん話ができるのはクラシック音楽ですね。良い悪いは別にして音楽として高度に完成されているから。特に誰が好きっていうわけでもない。好い音楽が全て好きです。いわゆるロック以外はだいたい好きですよ。
──でもロックは音楽変革運動ですよ。
あの音の圧力に辟易しちゃうんですよ。
──よく言いますよ、街宣の、あの音の圧力にみんな辟易してるのに(笑)。
あと趣味は舞台です。主にオペラとか歌舞伎です。僕は遊び人ですからね。あなた方もメディアに関する人だから言いますけど、僕も映画は大好きでね。とにかく1980年代の半ばまでは映画はいっぱい観てました。だってその後鑑賞に堪えられる映画は無いな。いくつかあるんだろうけど少なくとも1950~1960年代の日本の映画とか、それ以降だとアート・シアター・ギルド時代のあの映画、あれを凌駕するものってもう作れないね。そうするとやっぱり古典。昔の人々がつくった映画を観るしかない。と言う風に思ってますから。それは音楽でも絵画でも同じですよ。古い物はいい。時間という篩いにかけられ残った物が古典として残される。
──最後に、これからこの活動をどのように続けていかれるつもりですか。
今回の件は、女性国際戦犯法廷のときの虚しさを思い出させるんです。常日頃、日本の文化や伝統の保護を唱えている方たちが一切反応できていない。常に虚しさといかに闘うかということなんですよ。先が見えない。長野の聖火リレーの時もそうだったけれど、強烈な敗北感というより虚しさなんです。いかに虚しさを克服するか。あれだけの黒幕がそこにいるのに、手出しもできない。それに対して世間もまったく反応しない。だけどやっぱり声を上げて行かなければならない。僕たちはこの虚しさを訴えてこの運動を続けていく。運動を続けて行くというのは虚しさに耐えるということだと、今日も街宣に参加した人と話したんですけどね。ということはやってることを道楽と思わないと続かないということですよ。すべて自己責任、おもしろいからやるんだと。人のためとか社会のためなんかじゃないんだということです。
運動しなければ、微々たる賛同者も賛同できない。止めたらなんにもなくなる。それが絶滅を免れた希少種の使命でしょう。ゲリラっていうのは敵にダメージを与えるよりも、とにかく生き長らえて存在することに意義がある。でも僕は保守や右翼とはぜんぜん違う。はっきり言ったら、昔のパルチザンです。かつて中国共産党が徹底的にやられたときに、地下に潜ってずっと活動していた、それと同じですよ。でもいまの日本は形式的な民主主義が保証されているからこんなことをやっていますけれど、いまに人権擁護法案だとかができたら、とてもこんなことはやってられないでしょう。ですから、わたしは革命家ですよ。それも古典的なマルクスやレーニン主義な革命ではなくて、こういう日本の状況のなかで、どのようなかたちで、あるときに超法規的なかたちで一気に変革できるものなのかと、それも視野に入れたかたちでの社会変革運動を追求していきます。
──民族派、というのはそこにはつかないんですか?
僕は日本民族ですから、まぁそれが10年20年やっていったら、しかるべき言葉でもって概念化できるんだろうけれど、まだいまやっと始まったばかりだからね。
──右翼というレッテルはぜんぜん違いますよね。
右翼というのは社会から受け入れられない反社会的な存在として定着しているから、それは私はごめんこうむります。
──でも保守でもいわゆる革新でもない。
右翼でも左翼でもない。新しい名前をなんてつけたらいいんだろうな。実際警察も苦労しているんですよ。基本的には右翼担当の公安三課が担当してるんですけれど、かなり彼らからしたら手に負えないやっかいな存在だと思います。
──民族派革命家でどうですか。
国家民族主義だとずいぶん古典的ですかね。
──それだとちょっと右翼に間違えられませんか。
市民的民族派……くどいね。なんかいいアイディアがあったら教えてください(笑)。
(インタビュー:浅井隆 構成:駒井憲嗣)
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西村修平 プロフィール
1950年生まれ、秋田県出身。民間企業の経理課に25年間勤務の後、政治活動家としてさまざまな団体の幹部を務める。2006年、元東京大学教授の酒井信彦とともに市民団体「主権回復を目指す会」を設立し、代表として活動中。