骰子の眼

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2010-07-07 19:23


ウイグル旅行記最終回:暴動から一年、人権運動家ラビア・カーディル氏インタビューも 【動画付き】

最後の滞在先ウルムチからの帰路で今回の旅を振り返る連載最終回。ウイグル人の人権運動家ラビア・カーディル氏の2009年10月来日時インタビューも掲載。
ウイグル旅行記最終回:暴動から一年、人権運動家ラビア・カーディル氏インタビューも 【動画付き】
どこに行っても好奇心旺盛な子供達に囲まれる。カシュガル郊外のバザールにて。

いよいよ最終回を迎える「ウイグル旅行記」。ウルムチのバザールを経て、帰途に着くモーリー・ロバートソン一行。2007年に行った今回の旅を振り返り、現在、そしれこれからのウイグル、チベット、そして中国について語った。また、2009年10日に来日した世界ウイグル会議の議長、ラビア・カーディル氏へのインタビューもお届け。

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闇市から観光用のバザールへ

まだ寒い季節だが、遠くの田舎の町から出稼ぎに来た子供たちが靴磨きをしている。大きな子供が小さな子供をからかうなど、力関係があるようだ。小さい子は大きい子のからかいに負けないようにがんばっている。だが、靴を磨くときには大きい子が小さい子を押しのけて横取りをし、幼い方がやり返すという弱肉強食 の図式がある。子供の世界での生存競争、生き残るための経済的な生活活動が表裏一体だ。チャイルド・レーバー(児童労働)という言葉がフェアトレードの世界で出てくるが、それに似た生々しさがある。しかし、親や社会から何も与えられていない厳しい状況で生きている彼らには、それに見合う輝き・生命力の強さが溢れている。

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ウイグルではバザールのみならず街全体が羊の脂の焼ける香ばしい香りに満ちている。羊のあらゆる部位がその肉の状態に最も適した調理法で食されるが、一番の醍醐味はシンプルな炭火焼。

バザールには、石を宝石のように取引する石屋がある。和田(ホウタン)エリアにある川に、翡翠など綺麗な石があるようだ。それを磨いて売っている。そのような行商がとても盛んだ。二等チケットで列車に乗ると、古くなったスーツケースに入り切らないほどの玉石を詰めて運んでいるウイグル人の行商たちを見かけることがある。石を拾って研磨している人たちはどうも労働の階級の下の方、底辺であるようで、すさんだ雰囲気がつきまとっている。お洒落なパールを売って いるのとはほど遠い雰囲気。その後観光用のバザールが新たに作られたが、数年前まであったもっと怪しげなバザールは、闇市のような、相手の顔を見て値段を 決めるような場所だった。

そういう泥棒市場的な雰囲気をクリーンアップしている、というのが中国側の主張。町並みをきれいにして皆の幸せに貢献しているという名目で、古いバザール が取り壊された。中国経済の中でいう「店」とは、そのような流れに沿った店だが、店舗すら持たずに、ハンガーについたシャツをそのまま売り歩くような、いまだに経済発展の辺境に立ったエネルギーが感じられる店もある。そのような無店舗での販売は、家を取り壊されてしまって店舗ごとなくなってしまった場合も あるのかもしれない。しかし再開発と取り壊しに大っぴらに文句を言うと、政治犯扱いされてしまうようだ。この旅から3年が経ったが、漢族など少数民族でない人々の間でも強制立ち退きが毎日のようにあり、そこらじゅうで起きている抗議活動や暴動がニュースが出てくるようになった。地元の役人は、ネゴシエーション なしに、強圧的に取り壊しを行い賄賂を得るという話だ。そのような情報が海外のメディアに漏れた結果、搾取は一時的にトーンダウンすることはあるけれども、拝金主義の風潮がまかり通っているので、政治家やその家族たちは引き続き、メディアの目が届かないところでは庶民たちの家を取り壊してマンションや商業施設を建てているという。

そして、西部大開発というのは、そこにさらに民族問題が絡んだもの。漢族の役人が少数民族を強制的にほとんど無償で働かせたり、家を追い出したりすること が起きてしまう。家屋などの取り壊しが大変早く進んでいるので、この矛盾を目の当たりにすべく、見て感じて記憶しておきたいと思ったのが、今回の旅の動機のひとつだ。




おわりにウイグル・チベット問題について


旅をしていて不思議に感じたのが、
ウイグルの人たちが、貧困と政治的な虐待に負けていないこと

旅をしていて不思議に感じたのが、ウイグルの人たちが、貧困と政治的な虐待に負けていないこと。ここまでやられたらギブアップアップするんじゃないかと思いきや、信仰心があるからか、全然中国政府の思い通りに中国に同化していない。むしろ末端で、自分たちの存在をより強く輝かせている感じがする。中国政府が一番怖いのは、アメとムチを使い分けても、ウイグル人たちが中国に同化しないこと。イスラム文化圏のウイグルという地区が自分の国の辺境にあるから、国境の向こう側、中央アジアのさまざまな部族と連合してオスマントルコのような巨大帝国を作ったり、刺激を受けて原理主義になったりすることを怖がっている。

てっとり早く子供の頃に芽をつむために、中国籍のアイデンティティの方が民族のそれよりも上だということをねじ込んでいるにも関わらず、中国による半世紀にもわたるキャンペーンも虚しく、ウイグル人は決して同化しない。そこが本当に不思議だ。内部で調査ができないため、情報も少ないし、言葉の問題 もあるしで推理するしかないのですが、ウイグル人に中国人と平等に経済的な恩恵を与えれば、ウイグル人たちもお金に負けて自分の信仰やなんかを放棄するかもしれない。

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ウイグルで好んで食されるひよこ豆。柔らかく茹で好みで酢をかけるだけという至ってシンプルな食べ方だが、豆自体が日本に出回っているものよりかなり小ぶりで味が濃く、美味。

中国社会ではいまだにチベット人やウイグル人を極端な猜疑心で見ているため、位のあるポジションに登用しない。政治の世界では、プロパガンダとしてこれみよがしに中国に寝返ったウイグル人を役職に就けることがありますが。でもそれはあくまでお飾りであって、実際はウイグル人やチベット人の貧困は政策に よって深まっていくばかりだ。それを見ていて、パレスチナ問題が永遠に解決しないのと似ているなと思った。どんなに歩み寄る姿勢を見せても封鎖したガザの中で皆の貧困が極端になっていくのでは、憎しみと原理主義が暴走するに決まっている。懲罰すればするほど、イスラエルが暴力をすればするほど、中にいるパレスチナ人はハマスを支持するしかないわけだから。中国政府はあらゆる面でチベットとウイグルを虐待しすぎていると思う。だから彼らの生命力、宗教心、信教心、そして民族アイデンティティが逆にどんどん強まる。亡命した人たちは先進国の人々と比べると、多くの数の子供を産む。民族浄 化されるという危機感があるのだろう。


原発、強いては米軍基地の問題に共通していること

もし本当にチベット人やウイグル人をダメにしたいのなら、少子高齢化が進むようにアメ玉をしゃぶらせた方が良いと思う。ただそれは中国側に余剰な富があるとして、それをお裾分けして、それによってチベット人やウイグル人の、お金に負けた卑屈な心を誘う作戦。言わば日米関係にも似た感じだろうか? さらに、これを乱暴に日本国内に置き換えると、原発を建てた福井県。過疎に陥って原子力関係の職しかなかったりするので、若者はいなくなってしまう。地域振興のために原発を建てるという建前があっても、独自の地域性がなくなってしまう。国からの補助金への依存が強まって、やる気がなくなる。原発がある町では決まって、地元の人々のスピリットがどこか死んでいると思う。でも原発がないと困る。なので、ときどき文句を言う。ナトリウムが漏れたと言っては国から補償金をもらって、だまる。日本全体が過剰なエネルギーに依存し、そのエネルギーを供給しつつリスクを都市から回避するために、海のきれいなところに原発を作る。立地の住民たちはそれに依存してしまい、自分たちの生産性や精神の支柱を自ら放棄してしまう。

これは沖縄などの基地問題についても同じこと。沖縄はそもそも米軍がいなくても島単体で自給自足できるシステムが備わっていると言う社民党など左派のひとたちがいるが、僕にとってそれは詭弁でしかない。それはイデオロギーであり、他県だと社民党は必要ないから、沖縄にだけは社民党が必要という事実を作り上げるための詭弁。現実を直視すると、原発にしろ米軍基地にしろ、それがあるということは地元が少子高齢化、そしてジャンキーになる訳だ。沖縄は 子供の年齢が若く、元気に産み続けているからそこは特別だが、自分たちに内在した経済価値を上回るカンフルを打たれ続けることで、非常に依存度が高まるという点では原発立地と同じだ。

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クチャのホテルに隣接した宴会場でこれから挙式に臨む花嫁。ウイグルであっても漢族は漢族流の結婚式をする。白いウエディングドレスの下に覗く黒いハイヒールがお茶目。

中国政府は、チベット人やウイグル人に、中産階級を作り出してアメ玉をしゃぶらせ続けることで、本人たちが自然にアイデンティティを放棄してしまい、緩やかに中国の軍門に下るという方法をとるのではないかと2007年に僕たちは期待して行った。だから逆に日本の若者、草食系でもやしっ子で、やる気がなくなってきて、傷付きたくなくて…という、おどおどした若者。ウイグルやチベットの若者がそうなってしまったら悲しいので、彼らがまだ元気なうちにチベットとウイグルを見ておこうという気持ちだった。それが全く裏切られて、1950年代の歴史と変わっていなかった。いまだに虐待・虐殺をしているし、監視もしている。一体いつの時代なんだと感じる。中国政府は完全にチベットやウイグルの扱いを失敗したなという感想を持つ。ここまでやってしまったものだから、後に引けなくなってしまっている。だからちょうど去年の今頃(2009年7月5日)、ウイグルで暴動が起こり、たまりにたまった徹底した憎悪を表現するくらい、群衆の中に怒りが渦巻いていたということだ。


アメリカの中で起きていることがスタンダードという考え方

その暴動があってからウイグルに入れなくなったし、インターネットもつながらなくなったし、その前年の北京オリンピックの騒動のときもチベットに入れな くなったし、2007年というあのタイミングで行って、本当に良かったと思う。予感があったから行ったのだが、その予感というのが、情報のない、認識不足の予感だった。近々ここで何かが起こるという予感は正しかったけれど、僕はチベットやウイグルの人たちがそのうち日本のゆとり世代のようになっていくなという、甘っちょろい考え方をしていた。つまり日本の中で起きている特殊な歴史が世界のどこでもそのうち繰り返される、とよくある考え方。フランシス・フクヤマというアメリカの政治学者が、ソ連が崩壊したとき、これで世界の歴史は終わったと宣言した。これでもう全ての歴史的な緊張や紛争が終わったから、今後は全ての国が多かれ少なかれ時間の問題で、アメリカになる。だからもう世界に支配構造はなくなるわけだから、この先歴史学を著述しても仕方がないということを言っていた。そうしたら、9.11が起きて、全くそうではなかった。フランシス・フクヤマは日系人の学者だが、アメリカの一部にはそういう、アメリカの中で起きていることが世界の、人類のスタンダードであって、皆そのうちアメリカに追いつくからそのうちアメリカ人と同じになるのだろうと思う人たちがいる。

最初にチベット問題が報道されたとき、日本では東京オリンピックと照らし合わせて、どうしてオリンピックというこれから国全体が豊かになるという象徴、その象徴に不満を唱えて暴動を起こすんだ。何事だ、チベットは中国に対する親孝行が足りないんじゃないか。という心情が起こることもあったと思う。中国への感謝が足りないチベット人はやっぱり嫌だ、という。それくらいトンチンカンなことを考えた日本人もいたはず。日本は東京オリンピックを 経験して高度経済成長をトリガーしたんだ、中国もそうなるね、良かったね…と考えてしまう。日中友好の美辞麗句の裏に、そういう甘い考え方を誘導する政治的な策略もあると思う。福田政権は極めて中国寄りだったので、中国の問題視すべき情報を日本に入ってこないように統制する手伝いをしていた節があった。それによって結局日本側では無知なままに、平和ボケというフィルターを通して現在の中国を捉えようとする向きがあると思う。僕もそれに乗せられていたが、2007年のこの旅によって現実は全然違うということを知ることができ、収穫があった。

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新郎新婦の為に誂えられたハート型の爆竹、「喜」の文字を横に二つ並べた飾り文字、中国の典型的な結婚式の風景が、ここウイグルでも見られる。

結論としては、世界の状況は、本当にそこに行ってみないと分からないということ。このときのウイグル旅行でも、もし中国人ガイドにお願いしていたら、プロパガンダ漬けになってしまっていたと思う。北朝鮮を旅行して北朝鮮は素晴らしいと言って帰ってきた人が、過去に結構いた。中国のときもそう。鎖国していた時代から少しずつ改革・開放で開けるようになると、日本のどちらかというと中国よりの左翼の学者やジャーナリストを選択的に中国に呼んで、すごく良い旅行をさせて、良い思いをさせ、そうすると彼らはこんなパラダイスはないと言い、中国万歳で帰ってくる。まんまと乗せられてしまった。


プロ級に徹底されている中国のプロパガンダ

中国ではプロパガンダというものがプロ級に徹底されているけれど、ネットで情報を調べることができるとそのプロパガンダを見破りやすくなって、21世紀 に入って状況が変わってきた。過去のデジタル・IT革命前に中国に入って、先に入れてもらったっていう先行者利権を得た人のプライド、俺は誰より も早く中国を見たぞ、みたいなもの。それを経験した新聞のお偉いさんなどは今でも「チベット問題はない」と主張したりする。そういう忘れられない成功体験、楽しかった中国、中国が悪いはずがないという先入観と、パソコンを使ってないからネットで情報が調べられなくて。そういう、ガチガチに中国寄りになった人たちは、例えば、こういう僕が撮ったような映像を見ても「これは裏をとった情報じゃない」とか「印象で語っている」と、その都度ジャーナリズムのスタンダードや中立性の議論を持ち出すことで、問題から目をそらし続けることができる。

チベット人の暴動が起こったかもしれないけれど、その人たちがもしかしたら、ただ群集となって略奪していただけ、ただの泥棒かもしれないじゃないか。その人たちに本当に主義主張があったのか誰もわからない、と言って。結局、中国側の正式発表を優先させる。それは左派ジャーナリズムの欠陥だと思う。それまで中国に問題があることを薄っすらと感じていたのに、80年代以降どちらかと言うと、中国側の公式発表を優先して報道していたのですから、これは加担してきたと見てもいい。


報道や公式発表を疑って、問題から逃げない

今回の旅でよくわかったのは、新聞もひとつの権力であり、新聞だから独立していると考えるのはナイーブだということ。今は自分で調べる方法がある。情報統制されていますから断片の寄せ集めでしかないが、亡命した人の話を聞いてみたりするうちに、現地で感じた「なんかおかしい」と疑問に思う気持ち、そのパズルがだんだんピクチャーへとなっていく。報道や公式発表を疑って、問題から逃げないということがすごく大切だと思います。情報が不足しているのは事実だし、ウイグル人の中にも原理主義的に考える人と、穏健な人がいますから、意見が統一されているわけではありません。だからウイグルの国外でウイグル人から聞き取り調査をしても、それはあくまでもその人たちの見解なんです。「中国政府は我々を虐殺するつもりだ」と強く主張する人がいた としますよね。ところがそれはその人の印象でしかない。自分が拷問されてそう確信を持った人もいるかもしれない。しかし拷問されたのが全員じゃない限り、 拷問された人の意見だけが正しいわけではない。

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カシュガルのウイグル料理レストランの見事なディスプレイ。ランポンという豆の澱粉を固めたものに野菜を美しく散りばめている。モーリーさん一行はほぼ全ての食事をウイグル人経営のウイグル料理レストランで食べたが、そこで漢族の客を見た事は一度もなかった。

ただ同時に、本当に全員を殺すつもりだったナチスという歴史上の教訓があるから、中国政府はもしかしたら、時間をかけてウイグル人全員がいなくなるよう に淘汰しようとしているのかもしれないということは否めない。しかし仮にそうであったとしても、国連軍を展開してウイグルの独立を強制し、中国に紛争を起 してもいいからチベットとウイグルを守るべきだという振り切れ方をするにはまだ早いと思う。例え独立させたとしても、独立して紛争が激化して、前より不幸になった地域は世界中にあります。だから、そう簡単な問題ではない。フリーチベットやフリーウイグルという気持ちはわかるけれども、やっぱりそれはあくまでも気持ち。大事にしなきゃいけない気持ちだと思うが、それが簡単な、ひとつしかないソリューションに結びつかないというのが世界の現実だ。


ウイグルやチベットの人たちが武器にして欲しいこと

むしろダライ・ラマのように粘り強くネゴシエートして、上手に中国に対するアメとムチを使い分ける方が賢明。世界に一等国として認められたかったら、富をきちんと再分配して、暴力的な政策をやめなければいけないんだよということを中国政府にわからせるよう誘導する、そんな上手な外交術が必要だと思う。世界中で皆が怒って10万人単位のデモが毎年記念日に起きたところで、中国の政府に影響力があるのかといえばそれは非常に疑わしい。情報が少ないだけに、ロマンチックな結論に飛びつきやすくもなっている。亡命したウイグル人も含めてそれを外から見た人の中には、ほんの少しですけれども、武闘派がいる。戦って、武力闘争をして勝ち取るべきだという人もいる。怠っていたら時間はもうないんだ、皆消されるぞ、と。だから、両方の見方、いろんな見方があるわけで、中国悪玉説で単純にくくれる問題ではない。

もうひとつは、ネットの情報がウイグル人やチベット人にアクセスしやすくなっていることが事実としてあるということ。外から情報を得て、自分たちが受けているプロパガンダとの落差を埋める、ということの価値が長期的には意味を持つ。子供の教育や言語を守る、文化を守るということを強めてくれるからすごく大事。ITの力というものを、チベット人やウイグル人は気付いていないと思う。暴動があったときに互いに、携帯のテキストメッセージで素早く話を 広げるということの威力を感じてはいるけれども、総合的に情報を収集するメソッドを持っていないのではないか、そして自分たちの窮状をもっと魅力的に世界に訴えかけるメソッドもだ。例えば、グリーンピースがパーム油を使うのをやめさせるために、ネスレのパロディ広告を作ったキャンペーンがあった。そのパロディ広告の映像が世界で百万件単位で見られてしまったために、ネスレは急遽、パーム油を放棄すると声明せざるを得なかった。

魅力的なプロの仕事として、プロモーションとして発信すると、逆プロパガンダが成り立つ。中国のプロパガンダは相変わらず政府がやっているから重たいんです。全然クールじゃない。グリーンピースのような人たちの方が、バイラル広告というか、世界の国際社会に訴えかける動画メッセージを使うのが巧い。当然グリーンピース側のプロパガンダも入っているが、宣伝合戦になったときに、グリーンピース側についているデザイナーの方がスマートなんですよ。 チベットやウイグルの人たちに、僕は、ぜひそれを知って欲しい。

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モスク近くに建てられた仮設の遊園地。右奥に集まる礼拝を済ませた男性の群れが心なしか所在なさげだ。



特別企画モーリー・ロバートソンによる、ラビア・カーディル氏インタビュー

世界ウイグル会議の議長をつとめた、人権運動家ラビア・カーディル氏の2009年11月来日時のインタビューです。動画と文章あわせてご覧ください。


一つの国家が一つの国家を殺すのではなく、
平和的解決を求めなくてはならないのです

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── ウイグルで2009年7月に起きた暴動について、ラビアさんに伝わっている詳しい内容をお聞かせ下さい。

2008年~09年にかけてチベットやウイグルにおいて数々の暴動が起きました。その背景には中国国内でのチベット、ウイグルを始めとする少数民族への圧迫が日々深刻化していることが挙げられます。それに抵抗する形で彼らは平和的デモを中国政府に対して行ったのですが、それらのデモの中に政府側が暴力を振るうよう命を下された人間が投入され、デモは暴力的なものへと変化してしまうのです。そのようなスパイたちによってデモは意図的に攻撃的に演出され、多くの人が傷つけられ、殺されてしまったわけですが、本来の目的は平和的なデモを行うことだったのです。デモはまず高校生や大学生が率いていました。日の出ている内は警察も軍隊も手を出さずにただ警護に徹していたのですが、夜になると容赦なく学生達を撃ち殺し始めたのです。道の脇で見学していた人々がそれに激怒、自らもデモに加わるという形でデモは暴動へと発展してしまったのです。デモ隊への狙撃は一つの通りで行われたわけではありません。我々が知り得る限り5つの通りで行われました。

それらは両脇に10階、20階建てのマンションが建ち並ぶ大通りでしたので、それらの住民たちには全て見えていたのです。警察が夜を待ち、街灯も住居の電気も止め、暗闇の中でプロテスター達を狙撃し、死体をトラックに積み、血で染まった通りを水で洗い流すところまで、全て住民たちは見届けていました。デモの翌日はそのマンションの住民達で情報を流したと思われる人々が連行され逮捕されました。しかし情報はデモに加わりながらも逃げ仰せた人々からや住民たち、そしてウルムチ内部とコンタクトを取り取材したラジオ・フリー・アジアなどから、かなりぶれのない被害者数などが伝わっているので、我々が把握している被害情報は信憑性の高いものと言っていいでしょう。

── 現地の市民たちが今回の暴動の様子をビデオや写真におさめ、それらの映像を欧米のメディアに送るような動きはあったでしょうか? 日本や欧米のニュースを見ていても新華社通信の映像しか流れず残念だったのですが。

残念ながらメディアで流れたのは新華社発表のニュースのみでした。新華社の映像は漢族の犠牲者のみを扱いウイグル側が加害者であることを印象づけるような情報操作が行われ、世界中にそれが流されてしまったのです。後にBBCやアル・ジャジーラなどが独自に取材班を送り込み、フェアなニュースが放送され始めたのもつかの間、警察や軍隊に泣きながら夫や息子の居所を尋ねる素手のウイグル女性の集団の映像が欧米の同情を得そうになると、中国政府は外国取材班の出入りを禁止してしまったのです。

逮捕者の数はおびただしいものになっています。デモの当日にはデモに参加した男達、翌日からは彼らを返してくれと懇願する女たち、そして家に残された幼子、乳飲み子らをも収容所に隔離する、といったように。刑務所だけでは当然足りませんから工場などを強制収容所代わりとし、強制労働を強いられるものが大半と言われています。彼らは朝飯から夕飯の間には何も与えられません。喉の乾きが限界まできた者には塩水しか与えられません。惨い状況の中で命絶え絶え暮らしているのです。暴動で怪我をし、地元の病院に入院していた者たちは皆軍の病院に送られます。そして帰って来ないのです。全員が怪我の悪化により死亡したのでしょうか? わからないのです。軍病院で起きたことは簡単に隠蔽できますから。中国政府の発表では犠牲者は1600人ですが、これらのことを考えますとそれ以上の犠牲者がいることは確かです。

── 日本の読者にメッセージをお願いします。

日本のメディアの皆様、どうぞウイグルで起きている事の真実を見つけ出して下さい。日本政府にウイグル人を助けるよう訴えかけて下さい。UNでウイグル問題について議論し、調査団を派遣しウイグルの現実について公平な調査を行って下さい。刑務所に送られている1万人のウイグル人を釈放するよう訴えて下さい。もう亡くなっている者も多いのですが、今からでも救える命があります。中国にこれ以上ウイグル人を殺さないよう訴えて。ウイグル人を助けて下さい。(暴動のさなかに)3歳の男の子を漢族の国粋主義者のグループが殴り殺したのです。警察も見て見ぬ振りで。男の子の名前はクルッチャと言いました。3歳の人間がどう考えれば殺されなければいけないような罪を持っているでしょうか。もし中国政府がこのまま政策を変えなければ将来ウイグル問題はより悪化するでしょう。一つの国家が一つの国家を殺すのではなく、平和的解決を求めなくてはならないのです。

(モーリー・ロバートソンへのインタビュー・文・構成:世木亜矢子 写真:モーリー・ロバートソン ラビア・カーディル氏へのインタビュー:モーリー・ロバートソン インタビュー翻訳:池田有希子)



ラビア・カーディル プロフィール

1946年、中国・新疆ウイグル自治区で生まれ。中国人民政治協商会議委員を務めるなど、ウイグル人を代表する著名人として知られた。ウイグル女性の起業を支援する「千の母運動」を起こすなど社会奉仕活動家でもあった。99年に国家機密漏洩罪で逮捕、投獄された。2005年に釈放、米国へ亡命。その後、世界ウイグル会議の議長として、中国におけるウイグル人の人権擁護を訴える活動を行っており、「ウイグルの母」とも呼ばれている。ウイグル人の人権状況を訴える活動は、国際社会から大きな注目を集め、投獄中の2004年にラフト人権基金の人権賞を受賞したほか、2006年にはノーベル平和賞の受賞候補の1人にも選ばれている。


モーリー・ロバートソン プロフィール

「i-morley」の創始者、ミュージシャン、ラジオDJ、ジャーナリスト、作家。1991年以来、 J-WAVE(81.3FM)などでラジオ・パーソナリティーとして活躍し、伝説的な深夜番組「Across The View」を司会。自由気ままに語り継ぐポッドキャスト「i- morley」はかつての深夜ラジオに心酔した人から初めて耳にするティーンエイジャーまで、広くリスナーの心をつかみ、75万人を越えるオーディエンスを獲得するに至る。2007年には、チベット・ラサでの取材を写真や映像でレポートする企画「チベトロニカ」の総指揮を務める。




【関連記事】

・ウイグル旅行記

これまでの連載はこちら
http://www.webdice.jp/dice/series/18/

・チベットを知る

全連載はこちら
http://www.webdice.jp/dice/series/11/



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現役自衛官の佐野伸寿監督が、カザフスタンとイラクに滞在した経験をヒントに中央アジアの現状とそこに生きる人々の生活を描いた作品

監督・脚本・編集:佐野伸寿
出演:ラスール・ウルミリャロフ、カエサル・ドイセハノフ、アナスタシア・ビルツォーバ、ダルジャン・オミルバエフ他
2008年/日本・ロシア・カザフスタン/65分
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