骰子の眼

books

東京都 千代田区

2010-06-06 07:00


『マンガ漂流者(ドリフター)』35回 復刻版「劇画 家畜人ヤプー」の魅力に迫る

「家畜人ヤプー」あらすじや誕生の背景、表現方法…… 多くの人々を魅了してやまない同作の魅力とは?
 『マンガ漂流者(ドリフター)』35回 復刻版「劇画 家畜人ヤプー」の魅力に迫る
「劇画 家畜人ヤプー 復刻版」(ポット出版)

「家畜人ヤプー」とは、白人女性がすべてを支配し、日本人が家畜となって白人に奉仕するという未来を描いた沼正三のSF&SM小説。戦後を代表する奇書と称される同作を「サイボーグ009」や「仮面ライダー」の作者として有名な石ノ森章太郎がコミカライズしたのが「劇画 家畜人ヤプー」である。71年に都市出版社より刊行された後、83年に一部修正を加えて辰巳出版より復刻された。今回、復刻された「劇画 家畜人ヤプー」は、この83年版に「少女椿」や「パノラマ島綺譚」などで知られる丸尾末広の解説や同作の刊行記録を加えたもの。今回の「マンガ漂流者」は、いまだに多くの人々を魅了してやまない同作の魅力に迫ります!

Picnik コラージュ
左)71年「劇画 家畜人ヤプー」(都市出版社)、右)83年「劇画 家畜人ヤプー」(辰巳出版 ※書影は、のちに重版されたもの。初版にはサブタイトルがない)

★あらすじ

196×年、西ドイツに一挺の空飛ぶ円盤が墜落。それは二人の関係が結婚を控えた「恋人」から「飼主」と「家畜」に変容していくことを告げる報せでもあった─。

翌春に挙式を控えた日本人留学生・瀬部麟一郎(リン)と東独の名家の娘・クララは墜落した円盤から謎の女性・ポーリーンを救ける。人間に似た奇怪な生物を飼い慣らす彼女は2000年後の未来世界イース(EHS=The Empire of Hundred Suns)から航時艇(タイム・ヨット)に乗って過去世界を遊歩中に墜落したという。麟はポーリーンの飼う畜人犬に咬まれ動けなくなってしまうが、彼女は自分の別荘にある緩解薬を打てば治るとすまして言う。さらにはクララが麟と婚約していると聞くと、「時代の罪」であり「病的な病」であると断じる。白人女性がすべてを支配するイースでは、黄色人種は「家畜」であり、「人間」ではないからだ。ポーリーンの言葉に反発しつつも、クララは愛する麟を治すため、薬を求めて2000年後の未来へ行くことになる。「麟を一生愛し、離れない」ことを誓って。

ポーリーンはクララの「誤った考え」を矯正するために、妹ドリスや、兄セシル、義弟ウィリアムらを紹介し、歓待する。女権社会であり、白人のみが「人間」とされるイースにおいて、まさに最高の地位にあるクララは霊液、矮人、扉魂といったヤプーを利用した高度な文化・文明に触れ、戸惑いながらも少しずつイースに馴染んでいく。一方、麟は皮膚の色からヤプーであるとされ、虫を呑まされ、浣腸をされ、挙句に皮膚を改造されてしまう。「人間」と「家畜」。二人の立場はこの世界では全く違うものであった。

クララはようやく緩解薬で動けるようになった麟と二人での会話を求める。イースで最高の立場にあってこの世界を理解しつつあり、さらにはウィリアムに愛情を感じ始めていたクララ。対極に「家畜」として扱われ、イースをおかしな異世界と捉え続ける麟。結婚を誓い合った二人の気持ちはとうにすれ違っていた。逆上した麟はクララと心中をはかるも失敗。その結果、麟は去勢され、クララはついに麟を「人間」ではなく、「家畜」であると認識する。

クララはイースに帰化し、麟を自らのヤプーとして飼うことを決意する。「麟を一生愛し、離れない」という、未来に来る前に自らに課した誓いを守るために。

しかし、クララの気持ちの中で、麟との関係性はイースに来る前とはすでに変わっていた。「恋人」から「家畜」へと─。

「劇画 家畜人ヤプー 復刻版」(ポット出版)より

■戦後最大の奇書!「家畜人ヤプー」とは?

小説「家畜人ヤプー」は、56年『奇譚クラブ』12月号から59年の6月号まで、連載され未完に終わった。『奇譚クラブ』とは、大阪の出版社、曙書房から刊行されていたサディズム、マゾヒズム、フェティシズムといった異常性愛を追求した専門誌。団鬼六のSM小説「花と蛇」が発表されたのも同誌である。

知る人ぞ知るマニアックな雑誌で、ひっそりと発表されていた「家畜人ヤプー」が、後にベストセラーとなるとはこのとき誰が予想しただろうか?数奇な運命に導かれた希代の奇書、その背景を探ってみよう。

雑誌に発表されるやいなや独創的な内容で注目を集めた「家畜人ヤプー」は、多くの出版関係者に衝撃を与えた。作家の三島由紀夫は「男たちが自分の体を変えられて女の靴の下敷人間や、便器人間や、イスや寝台人間になって女性によろこんで奉仕している。マゾヒズムの快楽の極致だね」と絶賛し、周囲の人たちに推薦したという。

yapoo

長らく幻の名作として好事家や文学者、編集者など一部の人々に熱狂的に支持された「家畜人ヤプー」だったか、70年ついに書籍化されることになる。その頃、澁澤龍彦の責任編集雑誌『血と薔薇』(68年)を編集していたプロデューサーの康芳夫(※1)が、三島由紀夫から同作を熱烈に推薦されたことをきっかけに、出版を決意。自身の運営する都市出版社より単行本を刊行した。同書に寄せられた奥野健男の解説「『家畜人ヤプー』伝説」によると「何かとヤプーという題の不思議な小説があるそうだとか、ものすごい作品で世に出れば大問題になるからとても出版できないらしいとか、ぼくの耳にも各方面からさまざまな噂さが入ってくる。次第に噂には尾ひれがつき、それだけで一遍の怪異譚になるような“ヤプー伝説”ができあがってしまった」とあるように、単行本発売当時すでに伝説の小説として注目を集めていた様子が伺える。

70年に都市出版から刊行された沼正三の「家畜人ヤプー」初版

「家畜人ヤプー」発売から1年足らず、事件は起きた。都市出版社が右翼に襲撃されたのだ。日本人が白人に家畜化されるというセンセーショナルな内容、天照大神はアンナ・テラスという白人女性だという設定が槍玉にあがったのだった。そのいきさつが、新聞や週刊誌、TVのニュースなどで大きく取り上げられ、かえって注目を集める結果となり、「家畜人ヤプー」の名はさらに広まることとなる。

「家畜人ヤプー」……こんなにも独創的で奇妙奇天烈な内容でありながらベストセラーになったことこそ、戦後最大の奇書たる所以なのかもしれない。

※1 康芳夫 虚業家。プロデューサー。60年代から70年代にかけてテレビ局とタイアップし、モハメド・アリやオリバー君を呼んだり、ネッシー捕獲探検隊を結成し、ネス湖へ行ったり……。伝説は枚挙にいとまがない。現在、沼正三作品の版権を管理している。

61J6WV08GWL

■沼正三とは何者なのか?

「家畜人ヤプー」が、広く知られるに至った理由はもうひとつある。原作者・沼正三の存在だ。

マニアックな秘める願望は共感されにくい。それが独創的で不謹慎であればあるほどに。だが、その願望を世に発表しなければ、誰にも反応してもらえない。それが良い反応であれ、悪い反応であれ、作り手は受け手の反応を期待してしまうものなのだ。キング・オブ・マゾヒストといっても過言ではない、筋金入りのマゾヒストであった作者にしてみれば、共感や賞賛だけを期待したわけではないだろう。蔑み、人々に変態と罵られ、見下されることに悦びを見出したのかもしれない。

濡木痴夢男「『奇譚クラブ』とその周辺」(河出書房新社)

「家畜人ヤプー」が多くの人に読まれ、さまざまな解釈が与えられることは、作者にしてみれば本望だったのではないか。しかし、沼正三という名で匿名性を貫かなければならなかった理由とはなんだったのか。沼正三の正体は、さるエリート高級官僚、三島由紀夫、奥野健男、澁澤龍彦の変名、そして当初より沼の代理人と称していた天野哲夫(※2)ではないかと噂された。

51ZTS08MWJL

沼正三は誰なのか? その謎が解き明かされる時が来る。82年に「諸君!」11月号(文藝春秋)に『奇譚クラブ』経由で天野と知り合い、文通していた森下小太郎(※3)が「三島由紀夫の絶賛した戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の覆面作家は東京高裁倉田卓次」と告発文を一方的に発表したからだ。この記事をきっかけに新聞や週刊誌もエリート判事が沼の正体だとセンセーショナルに取り上げた。当然、倉田は困惑していた(一貫して自分は沼正三ではないと言い切っている)。そんな倉田の窮地を察し、これまで代理人と名乗っていた天野哲夫が沼正三は自分だと名乗りを上げた。こうして、覆面作家・沼正三は天野哲夫ということに落ち着いたのだった。

倉田卓次「続々裁判官の戦後史 老法曹の思い出話」(悠々社)

沼の正体であると指摘された倉田卓次は、後に自伝「続々裁判官の戦後史老法曹の思い出話」(悠々社)の中で当時を振り返り、沼正三は天野であることは間違いないと前置きした上で『奇譚クラブ』を通じて天野と知り合い、匿名で文通をしていたと打ち明けている。その手紙の中で「家畜人ヤプー」のアイディアを出したいきさつが記されている。天野は倉田のほかにも助言を求めていたという話もあり、『奇譚クラブ』という匿名性の高いマニアックな雑誌で出会った人たちの妄想が結実したのが「家畜人ヤプー」なのではないか?という気がしてならない。

天野が沼正三ではないはずだと信じる理由は他にもある。天野は「家畜人ヤプー」を発表する前すでに本名で『奇譚クラブ』に文章を発表していたからだ。そうした矛盾や不可解さが、沼正三が天野ではないのではないという妄想の余地を与え、作家の神秘性を高めていくのであった。

※2 天野哲夫 小説家。新潮社校閲部勤務のかたわら、戦後のカストリ雑誌で多くのペンネームを使ってマゾヒズムに関する原稿を執筆した。当初、沼の代理人と称していたが、82年の倉田卓次が作者であると騒がれたことをきっかけに自分が作者だと名乗り出た。2008年11月30日死去。享年82歳。

■マンガ化された「家畜人ヤプー」

さて、小説にまつわるあれこれを説明したところで「マンガ漂流者」らしく、コミカライズされた「家畜人ヤプー」に焦点を当ててみよう。

未来世界イースの高度な文明は、ヤプー(日本人)の肉体を改造し、完全なる家畜へと変貌させる。

Picnik コラージュ2
左)監修・石ノ森章太郎 作画・シュガー佐藤版の「続・家畜人ヤプー」。84年「悪夢の日本史編、中)93年「快楽の超SM文明編」、右)94年「無条件降伏編」(共に辰巳出版)

肉便器(セッチン)、畜人犬(ヤップ・ドッグ)、唇人形(ヘニンガ)など、家畜化されたヤプー(日本人)は糞尿や唾そのものや、月経血や精子など人体からの分泌物を加工したものが餌やご褒美として、飼い主より与えられる。物語の特異な世界観は読み手のイマジネーションをおおいに刺激する。

まず、71年に小説版と同じ版元の都市出版より刊行された石ノ森正太郎の「劇画家畜人ヤプー」がはじめてのコミカライズである。その後、83年に版元を辰巳出版に移し、一部、加筆修正を加えた「劇画家畜人ヤプー」は、新装版として装いも新たに再版される。翌84年には石ノ森監修の元、シュガー佐藤が続編となる「劇画続・家畜人ヤプー」も刊行されるなど、人気シリーズとなった。なお、シュガー佐藤版の「劇画家畜人ヤプー」は、93年に「快楽の超SM文明」編、94年に「無条件降伏」編が出版されている。

「劇画家畜人ヤプー」は、左からページを括るように描かれており、セリフもすべて横文字になっている。復刻版「劇画家畜人ヤプー」の解説で丸尾末広も指摘しているが、これは日本式のコミックの様式を採用せず、アメリカンコミックやバンドデシネにならったものだろう。

yapoo01
「劇画 家畜人ヤプー 復刻版」(ポット出版)

さらに特徴的なのは、物語の途中には用語解説や歴史背景などがコマの合間に唐突に挿入されているところだ。これは、原作の持ち味である膨大な注釈をどう読ませるのか、試行錯誤した結果だろうか。また、セリフやモノローグなどの文字にはルビがふってあり、一見すると子ども向けの図鑑か学習マンガのような印象を受ける。

51OPlTPdrFL

石ノ森といえば「マンガ日本の歴史」をはじめとした子ども向けの学習マンガを数多く手がけていることでも有名だ。実際、学習マンガを意識したのか分からないが、読者も主人公たちも知らない未来世界イースの文明や価値観を「知る」という「家畜人ヤプー」の物語を表現するのに学習マンガのフォーマットを使ったのだとしたら、そうとうマンガとして考えられている!と感心してしまった。ただし、沼の作品自体が総ルビで書かれているので、沼からの指示かもしれないが、江川達也版の「家畜人」では、ルビが打たれていないので、もしかするともしかするのかもしれない……。一方で、言葉による「学び」を重視したためか、作画に冒険や遊びが少ないのは残念ではある。しかし、当時すでに売れっ子マンガ家として多忙を極めていた石ノ森がマンガ化するということ、それだけでも十分にセンセーショナルであったに違いない。

江川達也版「家畜人ヤプー」(幻冬舎)

さらに03年には、「東京大学物語」などでお馴染みの江川達也も「家畜人ヤプー」をコミカライズしており、幻冬舎より単行本9巻が発売されている。こちらは石ノ森版の学習マンガらしい手法を継承しつつも、原作に脚色を加え江川らしい内容に変更している。

(文:吉田アミ)


2338_1268673619_l

お知らせ!「劇画家畜人ヤプー」と
丸尾末広さんとのトークイベント

不思議な運命と謎に包まれた「家畜人ヤプー」。小説はもちろん面白い!けれど、長い!もっと手軽に読みたい人やキッズには、石ノ森章太郎版「劇画 家畜人ヤプー」がおすすめ。復刻版も発売されて手にとりやすくなった今だからこそ、読んでみる良い機会でしょう。

さて、この「劇画家畜人ヤプー」の刊行を記念して、6月6日に有隣堂ヨドバシAKIBA店にて、丸尾末広さんを向かえ、私・吉田アミとトークショーを開催します。

すでに予約が定員に達してしまったとのこと……。すでにご予約されている方、会場で会えること楽しみにしています~。

日時:6月6日(日)13:00開場 13:30開演
場所:有隣堂ヨドバシAKIBA店[地図を表示]
その他詳細はこちら


「劇画 家畜人ヤプー」復刻版(ポット出版)

★購入はこちら



【関連リンク】

・[COMIC]「40年前にこのような物語が作られていたことに驚愕、まさしく現代に警鐘を鳴らす物語」─『劇画家畜人ヤプー【復刻版】』クロスレビュー
http://www.webdice.jp/dice/detail/2376/

・[COMIC]石ノ森章太郎が伝説の奇譚を漫画化した問題作、待望の復活─ 『劇画家畜人ヤプー【復刻版】』レビュアー募集
http://www.webdice.jp/dice/detail/2338/

・吉田アミの"マンガ漂流者(ドリフター)"これまでの連載
http://www.webdice.jp/dice/series/15/

吉田アミPROFILE

音楽・文筆・前衛家。1990年頃より音楽活動を開始。2003年にセルフプロデュースによるソロアルバム「虎鶫」をリリース。同年、アルスエレクトロニカ デジタル・ミュージック部門「astrotwin+cosmos」で2003年度、グランプリにあたるゴールデンニカを受賞。文筆家としても活躍し、カルチャー誌や文芸誌を中心に小説、レビューや論考を発表している。著書に自身の体験をつづったノンフィクション作品「サマースプリング」(太田出版)、小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」(講談社)がある。2009年4月にアーストワイルより、中村としまると共作したCDアルバム「蕎麦と薔薇」をリリース。また、「ユリイカ」(青土社)、「野性時代」(角川書店)、「週刊ビジスタニュース」(ソフトバンク クリエイティブ)などにマンガ批評、コラムを発表するほか、ロクニシコージ「こぐまレンサ」(講談社)やタナカカツキ「逆光の頃」の復刻に携わっている。現在、マンガ批評の本を準備中。
ブログ「日日ノ日キ」

レビュー(0)


コメント(0)