これが、敬礼の瞬間。カメラを向けているのでカメラ目線で恥ずかしそうにやってくれた。
4月からスタートしたwebDICEコントリビューター山本佳奈子さんのキューバからの連載、今回は先日行われた市議会議員選挙、そして5月1日の労働者の行進についてのルポルタージュだ。ハバナ市での暮らしの周りから、キューバの風土や国民性、そして社会を捉えていく内容となっている。現地に2ヵ月にわたり腰を据えることでなし得る庶民の視点をもとに、日本からはなかなか知り得ない現地の選挙のシステムや市民の姿から、キューバという国の素顔が明らかになる。
単一政党の国での選挙
4/25(日)、キューバでは選挙の投票日だった。この選挙は、各地域で、議会に出る代表を決めるもの。ここの地域では候補者が2人いて、そのどちらがいいかを投票する。投票会場は朝6時~18時まで開いている。日本と同じく、投票を呼びかけるTVCMやポスターをそこらじゅうで目にした。泊まっているカサパルティクラルの一番近くの投票所へ行ってきた。隣の建物の1F、普段は八百屋をやっているところが、投票所になっている。日本と同じように、有権者に事前に届く投票場所などを書いた紙を、投票所の係の人に渡す。投票用紙をもらい、有権者は票を入れたい候補者の名前を書き、投票箱に投票用紙を入れる。日本とまったく同じだ。
事前に届く紙。どこの地域でどの選挙区か、というようなことが書いてある。
選挙ポスター。2つの色の手が描かれている。
これがこの地区の候補者2人。
係の人が、リストで有権者の名前を照会する。
ただ日本と違うのは、投票箱の両脇に小学生や中学生が立っていて、投票用紙が投票箱に投函されると同時に、「!Voto!」(投票しました!)と言って敬礼する。
別の投票会場。中学生も敬礼役に駆り出される。
そこまでやらんでも……と思ったが、子供のうちから選挙に巻き込むことでコミュニストが育つのかもしれない。お母さんたちも前日から投票会場の準備にばたばたしたり、当日も投票会場の受付などをそれぞれ分担する。小学校低学年ぐらいの子供も敬礼役でローテーションを組むので、必然的にご近所同士が団結して子供の世話もする。
日本も子供の選挙当番とかがあれば、投票率があがるかも、とも思った。
投票所の前で遊ぶ小学生たち。
ゲバラも飾られる。投票所の装飾もお母さんたちが行なっていた。
お母さんたちは、「キューバ人はお金がないからSolidaridadしないと生きていけないんだよ」と言う。キューバ人はこのSolidaridad(ソリダリダ)という言葉をよく使う。団結、とかいう意味だが、「助け合い」「共有」というような意味でも使う。昔の日本で言う、しょうゆの貸し借りだろうか。実際に、私が住むカサパルティクラルには隣のおばあちゃんがサラダや食べ物をたまに持ってきてくれる。同じものばかり食べていて飽きた頃にちょうど持ってきてくれるのでかなりありがたい。日本のように同じ建物に誰が住んでいるか知らないことはないし、ご近所さんとは困ったことも美味しいものも共有する。
選挙の話に戻るが、誰に投票しようが政党が変わらないキューバの選挙を見て、日本の有権者には政治を変える権利があることをやっと実感できた。そしてそれは貴重で重要な権利だ。
人種差別は存在する。
9年前にジャマイカの首都キングストンへ行ったとき、道を歩くとすれ違うほとんどの男性に「ヘイ!ミスチン(陳)!」と言われた。(ジャマイカ人の間では、中国人で最も多い苗字は「陳さん」という認識らしい。)
キューバでもジャマイカほど多くはないが、「チーナ!(中国人!)」と言われることが多い。そのあと会話を続けてくるのでもなく、言い逃げだ。むしろ、面と向かって言ってくることはない。すれ違った直後に言ってくることが多い。
特に腹が立ってしまうのは、中学生ぐらいの男の子たちだ。グループで行動しているキューバ人の男の子たちの前を通り過ぎると、中国語の真似と思われる訳のわからない言葉を浴びせられることがある。どうやら、私が中国人だと思って、からかっているらしい。(しかしこの中国語の真似はものすごく下手くそで、スペイン語でも中国語でもない違う国の言葉でしゃべっているのかと思った。)
人種の違うキューバ人からすれば、中国人も日本人も韓国人もタイ人も見分けがつかないのだろうし中国人と言われることは仕方がない。
しかし私はこのキューバ人達(そしてミス陳!のジャマイカ人達)の言動は、立派な人種差別だと思うが、どうだろうか。私の器が小さいのか?ひねくれた言い方だが、彼らは、白人に「ヘイ、ヨーロピアン!」黒人に「ハイ、アフリカン!」などと声をかけることができるのだろうか。キューバは「人種差別の少ない国」とよく言われる。本当にそうなのか?一体それは誰が言い始めたことなのだろうか?
路上で警察官がキューバ人にIDを提示させて職務質問をしている風景をたまに見る。この職務質問も、ほとんどが黒人に対して行なわれるそうだ。キューバ人は、「黒人には泥棒が多い」と言う。
そして、隣の家のおばあちゃんは「私は黒人が嫌いだよ!」とはっきり言っていた。
ここVedado地区で見かけるキューバ人たちは、黒人は黒人同士で一緒にいることが多い。
5月1日のキューバ
だいたい世界各国で「メーデー」と言われるこの日は、キューバにとっても「El Dia de los Torabajadores」と言われて、直訳すれば「労働者の日」(テレビでは、やたら“torabajadores[=労働者の男性形] y[=and) torabajadoras[=労働者の女性形]”と叫ばれていた)。しかし、これは労働環境や労働条件を改善するために労働者が行動を起こす日=メーデーではない。キューバ人労働者には、メーデーだからと言って待遇改善を求める権利などないようだ。世界の労働者が会社や国家に権利を主張するその日、キューバの労働者たちはラウル・カストロにキューバ国旗を振る。
"気が遠くなるほどの"とはこのこと。
ラウルも暑い中民衆を見守る。
5月1日は、キューバにとっては「勤労を讃え、キューバ国家を讃える日」だ。労働者が何万人も広場に集まり、行進をする。祖国に、フィデルに、ラウルに、!VIVA!と言うために行進をする。参加している労働者たちは、自分たちが働いているということとキューバ国家があることに大きな誇りを持っている。会社や団体でそれぞれプラカードや旗を作り、まだ暗い6時頃から広場へ行き、行進をする。
ハバナだけではなくキューバの各都市の広場に労働者が集まっており、たまに各地の様子も中継される。
フィデルもリアルタイムで見ていたのだろうか。
私も広場へ行こうと思っていたのだが、寝過ごしてしまったのと、連日の猛暑で頭痛がしていたのもあり、静かで涼しい部屋で生中継しているテレビを見ていた。
私のいる場所から歩いて20分ほどの革命広場でそれは行なわれていた。ラウル・カストロや政府の要人が高台で見守る中、何万人もの人達が行進する。
TVを見ていると、
!Viva la Revolucion!(革命万歳!)※キューバでの「革命」とは、革命を起こした現政権を指し示すようなニュアンス。
!Viva Cuba Libre!(自由のキューバ、万歳!)
! Viva Fidel y Raul!(フィデル、ラウル、万歳!)
とか、!Viva なんとか!の連呼。
そして!Adelante!(進め!)の繰り返し。
これぞキューバのプロパガンダ!
「ほら、革命広場にこんなに人がいます。みんな同じ意思を持っています。みんながフィデルとラウル、そしてゲバラを尊敬しています。この輪の中に入ってこそキューバ国民です。これほど大勢の民衆が団結する国はキューバしかありません。さあキューバを讃えましょう!」
この洗脳プロパガンダを文字にするとこんな感じだろうか。ブラウン管をビデオカメラで撮影したので、ぜひともこの映像は配信したい。ここキューバは独裁政権であること、言論の自由が許されていないことを、実感した日だった。
プリメロ デ マジョといえば、キューバでは労働者の日=キューバ万歳の日。
ちなみに夜のTVニュースでも、ずっとこの話題だった。キューバの国家を讃える行進のあと、国際ニュースとしてアメリカや他国の労働者デモを映し出すのが対照的だった。それはもちろん、平和的デモよりも衝突の映像のほうが多く、よりキューバが団結した国に見える演出だった。
女性運動家やそのグループの人数はかなり多く、この行進でもかなり注目度が高かった。女性が女性の地位向上に対して声をあげることは、国をあげて歓迎されている。(mujer=女性)のちのニュースでは、同性愛者差別反対の活動家でラウルの娘:マリエラ・カストロが、この女性団体の中の主要人物としてインタビューを受けている映像が流れていた。
この日の新聞「グランマ(右)」と「フベントゥ(左)」。"!No cederemos jamas al chantaje!":私達は外部からのゆすりに対して決して折れることはない!というような意味。
午前10時頃、この一大イベントは終わっていく。参加していた労働者たちが、戻ってきてぐったりしている。
この日は一日中、街に警察や軍が多かった。一応、大勢が集まる日なので警戒しているもよう。
(取材・文・写真:山本佳奈子)
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■山本佳奈子 プロフィール
http://www.yamamotokanako.net/
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1983年兵庫生まれ、尼崎育ちの尼崎市在住。現在26歳。高校3年のときにひとりでジャマイカ・キングストンを訪れて以来、旅に魅力を感じるようになる。その後DJ活動、ライブハウス勤務などを経て、2010年、念願だったキューバ旅行を実現させる。
世界のすべての人々の最低水準の暮らしが保証されること、世界の富を独占する悪徳企業が民主の力によって潰されることを切に願っており、自ら一つのメディアとなって情報発信することにも挑戦している。