骰子の眼

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2010-03-13 21:00


東知世子の南米旅行記「アルゼンチン片思い」Vol.7:チョコレートの村とアルゼンチンの祝日“国旗の日”

バリローチェで見つけた“マトリョーシュカの”チョコレート屋さん、そしてサルタで過ごした賑やかで魔法のような祝日。
東知世子の南米旅行記「アルゼンチン片思い」Vol.7:チョコレートの村とアルゼンチンの祝日“国旗の日”
ちょうど行き当たったのが「国旗の日」で民族衣装の凛々しい若者たちに遭遇

地上で一番チョコレートが美味しい村?

まさかブエノスアイレスで最初に知り合うのがスイス人とは思ってもいなかった。世の中不思議なもんやわ。彼女とは偶然同じアパートで数日間暮らしただけなんだけど、結局アルゼンチンから帰国する前々日に再会して最後の晩餐するほど親しくなってしまった。そんなわけで結構いろんなことを喋ったけど、なんかの話のついでに「スイスで一番美味しいものは何?」と聞いてみたら、即答で「チョコレートに決まってるやん!」ときた。どうやら彼女、相当の箱入り娘らしくて(そのわりには世界中うろうろしてるねんけど)以前ニュージーランドに半年くらい留学していたときなんて家族がスイスから5キロくらいチョコレートを送ってきたらしい。まあ、外国で美味しいチョコレートを食べられない娘を思う親心って奴か! でも、それを食べた結果、その重量と同程度体重が増えて深刻なことに。だから今回は絶対に送らんように言ってんて。しかし、スイス人にとってチョコレートとはそんなに生活に欠かせないもんやったんか~と改めて衝撃やったわ。

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なぜかロシアのマトリョーシュカをトレードマークにしたチョコレート屋さんが大人気!?

そんな彼女が一足お先にアルゼンチン一周旅行に去っていった。そして、たまにメールで旅行中の近況報告する中で「アルゼンチンのスイスと呼ばれるバリローチェというところへ来てるんだけど、ここには本当に美味しいチョコレートがあるわ」というではないか。さすがに持つべきものは友達である。この情報の御蔭でまったく未知で何の関心もなかったバリローチェという場所が俄然魅力的に思えてきた。そこで旅行の最初の訪問先をバリローチェにすることに迷いがなくなった。偶然スペイン語学校で教わっていた先生も、ちょうど去年の夏にバリローチェの近くの村でとても楽しいひと夏を過ごしてきたらしく、いろいろ教えてくれた。ただ、会う人会う人「バリローチェは今の時期は雨が多くて寒いから、ちゃんと準備していきや~」と教えてくれるので冬物用に帽子や手袋までちゃんと買い揃えた。

美味しいチョコレートを求めてバリローチェへ

そんなわけで、もうすっかり気分は山を越えてアルゼンチンのスイスへ一直線! いろいろ調べてみると、バリローチェには上手い具合に長距離バスの種類も結構選べて、思いのほか安かった。しかも、乗ってみると意外にもいつも利用する日本の長距離バスよりもデラックスだったり、ちゃんと食事も飲み物もサービスしてくれたり、至れり尽くせり。こうして準備万全でバリローチェへ! それにしても、本当に長い道中、特に最後近付くにつれて景色の変化が素晴らしい。天気がちょっと曇っていることくらい気にならなかった。山間の本当に静かな霧のかかった谷間の風景が車窓を流れていった。着いてからもたしかに小雨で寒かったけど、タクシーのお兄さんは気長にホテルを捜すのに付き合ってくれて助かった。みんな町の人も全体的に親切そうだし、とにかくまず空気がおいしい! そして、季節外れだからか人も少ない。なんだか、あまりにブエノスアイレスと別世界なので、同じ国の中にいる感じが全然しない。

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中心部にある市庁舎はスイス風で、ちゃんと客寄せのセントバーナード犬も参上

そして町の中心部は、あの友達が言っていたとおり、チョコレート屋さんのオンパレード! もう、これでもか、これでもかというくらいに「甘い誘惑」が目を奪う。特に夜になって照明で光り輝く数え切れないチョコレートたちは、もう宝石と同じくらい魅力的。そんなお店の中でも、ひときわ人目を引いているのが“なぜか”店の装飾がほとんど「マトリョーシュカ」というロシアの人形で派手に飾ったお店。それだけでも十分「ロシア」をイメージしてしまうのだが、どういうジョークかショーウィンドーに「レーニンと他の歴史上の人物」の白黒写真なんか飾ってみたりしている。まるでどさくさにまぎれて、こんなところでちゃっかりロシアが粘っている感じやな。まあ、レーニンがスイスに亡命したことあるから関係あるといえばあるんかな?

しかし、このディスプレイの意外さが受けているのか、結構有名店みたいで人気があるようだった。それ以外のお店でも、バリローチェのチョコレートの売り方というのはなかなか特徴がある。もちろん、御土産用にきちんと包装したり、いわゆるプラリーネみたいに一粒一粒を区切って 箱に詰めたものもある。でも売り場のほとんどは、形はまちまちの断片的なチョコレート群が目立つ。おそらく、平たく焼いたチョコレートの大きな板をバリバリバリ~と叩き割ってしまうんちゃうやろか。そして、それをそのまんま量り売りするっていうイメージだ。そういうわけで、たいていがシンプルに茶か黒か白のチョコレートの中にレーズンやナッツ類が入ったような感じの素朴なものなんだけど、まあお味が素晴らしい! 自然に口の中に広がる甘味は手作りでしか出せない感じ。しかも甘過ぎない、なんともいえぬ口解けのよさ。ただ店員さんは日本みたいに愛想よくなかったけど、とりあえずこのチョコレートを味わったで至福のひとときという感じ!

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鳥獣保護区の看板みたいな絵がなかなか風格があるので思わず一枚!

湖畔の風景が素晴らしい、別名「ブラジローチェ」

それから翌日、すっかり晴れた朝の湖畔の景色の素晴らしいことといったら。見ているだけで、なんだかもう心の中まで透明になって、この空と湖の青い色の中に溶け込んでいってしまいそうなくらいやねん。思わずもっと近付いてみたくなって、湖の岸辺の方まで道を渡って歩いていったところ、そこではビュービュー音を立てるほどの恐るべき強風が吹き荒れていて、アワヤ飛ばされそうに。まったく自然をなめたらあかん! そんな感じで、市内だけでも十分景色がいいねんけど、近くの山や村への日帰りツアーのようなものがいろいろあって参加してみることにした。すると偶然そのツアーの参加者が私以外、ほぼ全員がブラジル人であることが判明。それでガイドさんが半分以上ポルトガル語で解説するという、とんでもない事態に。なんでもバリローチェは南米ながら冬にスキーもできるリゾートなので、近年は富裕なブラジル人が大挙して押しかけるらしい。そんなわけで近頃は別名「ブラジローチェ」と呼ばれているという。

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思わず、こんな所に暮らしたい!と思わせるような絶景の湖畔風景

そういう事情もあってか、ガイドのポルトガル語もほとんど母国語と変わらないほど上手い! でもまあ参加しているブラジル人も皆いい人ばかりで一緒にいても気遣いをしてくれるし、なんとなく陽気な彼らの空気にはすぐに馴染めた。この人たちと行った村がバリローチェから1時間前後だったろうか、本当に小さな村。ひっそりしているけれど、一応村の中心通りには観光客向けの御土産やチョコレートを売るお店が並んでいる。そして、そこから少し入ると本当に素晴らしい湖畔の風景が楽しめるし、季節のいいときはヨットなどで舟遊びなどできるらしい。それだけでなく、またしてもここのチョコレートが恐るべき美味しさなのだ。

少しローカルなところということもあって、なんとなく人の感じもバリローチェよりも親切だったし、なんだか本当に生活を楽しむってこういうことなんやろうなあ~という雰囲気が町中に溢れていた。この辺りの人は出歩いたりするより、自分の家でゆっくり篭って過ごすのが好きだという。それもそうだろう。これだけ環境に恵まれていたら、当然という感じがした。その村にある一軒のチョコレート屋さんに立ち寄ったとき、そこのオーナーと若者たちが一緒に店を切り盛りしていて和気藹々と楽しそうだった。こうやって、人から人へとスイスが誇る伝統のチョコレートの味がしっかりと受け継がれていくんやろうな~と思って暖かい気持ちになった。

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こじんまりした一軒の家ですら、なんとなく景色の中に溶け込んでるのがええねんわ

サルタ、夜の幻影と昼の陽光

やはり大陸は広い。ブエノスアイレスという大都会で2ヵ月近くいると、なんか感覚がポルテーニョ(ブエノスアイレス人)のようになってきて、アルゼンチンでも北部とか他の地域のことはまるで別の国みたいに思えてきてしまうねん。でもやっぱりアルゼンチンの本場というか、元から住んでいた先住民のような人たちは北部にいるらしい。まあ、アルゼンチンの北部といえば、ブラジルなどと国境を接していたりして、ほぼ赤道に近い。だから衛生状態が悪いとかで、日本で出国前に予防接種を受けに入ったときも北部に行くかどうかで受けるべき注射の種類が違ってくるとか言われたもんだ。結局、ややこしいので関係ありそうなのは片っ端から、黄熱病や破傷風やA型肝炎の注射まで受けていった私。ところが、実際にアルゼンチンに到着して分かったのは、問題の伝染病はそのいずれでもなく、デング熱という聞きなれない名前の蚊を媒介して伝染するという病気だったということ。しかもこの伝染病はアルゼンチンでも最初は北部の貧困地区中心に流行するらしい。ところが、この年に限って流行の度合いが激しく、ちょうど私が旅に出るころにはアルゼンチン全土に患者所在地が拡大していた。

それでも暢気なブエノスアイレスの人たちはたいてい「この辺は関係あらへんがな」という感じだった。しかし、そうしているうちに今度は海外で「新型インフルエンザ」が猛威をふるい始めた。それで腰の重いアルゼンチンの空港でも一応検査体制が敷かれるように。まあ、なんかあの時期はそういうニュースばっかりスペイン語版CNN放送とかで見てたような気がするわ。インターネットでは神戸で新型インフルエンザ流行とかで、マスクの人々がエスカレーターに並ぶ通勤風景が掲載されていて、なんか後で帰って友達に聞いたら当時はものすごい大騒動やってんて。そんなわけで、なんか事情がよく分からないこともあってデング熱がまるでモンスターのように恐ろしく思えててん。それで旅先に北部アルゼンチンを入れるかどうか、正直言ってかなり頭の痛い問題やった。やっぱり、せっかくなら北も行きたかったし。

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サルタの教会建築は独特で、なかなか見ごたえがあった

サルタという町からの「歓迎の挨拶」

とにかく、最後の最後まで旅に出てからも、できるだけニュースなどでデング熱の最新情報を入れながら、だんだんと進路を北に向けて進んでましてん。まあ、それでも実際に北の方へ行ってみるとまるでデング熱って何? というくらいに平和やった。そして想像以上に乾いた土や山肌が独特の風景を織り成していてのどか。しかも人間がみんな正直で素朴。なんかやっぱり来てよかったな~と到着してまず思ったわ。そして町の中心部のあたりでとりあえず、場所がよくて安いということでホテルを決めた。内装はかなり古びた感じだったけれど、清潔でそれなりにちゃんとした部屋だった。ただ長い間うろうろしてきたせいで、だいぶ洗濯物が溜まっててん。それで思い切ってこの町で洗濯屋に出そうと思ったら、なんと明日が祝日なのでどこも断られてあかんかった。

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朝食代わりにクリームたっぷりのケーキを食べた、店員が愛想よくて美味しい御菓子がいっぱいのお店

そういうわけで、面倒臭いけど仕方なく自分で洗濯して部屋で干すことに。そして、洗い終わったものをどこかに引っ掛けられへんかと思って窓を開けたところ、聞いたこともないような鳥の声が一面に響き渡ってるやん。さらに今度は、目の前に見慣れないくらいに小さな鳥が飛んできてん! なんだか、よくよく見ると小さいわりには大胆不敵。わざわざこちらを覗き込むように窓の向かいにあるクーラーの室外機の上にのっかって、まるで踊りでも踊るかのように、行ったり来たりしてるやんか。しかも、こっちをキョロキョロ見ている。そして片時もじっとしてへん。

その姿たるや、羽のところが黒くて、お腹が白く、どことなくちっちゃい燕尾服を着たペンギンみたいやねん。むちゃくちゃオチビのくせに、なんか張り切ってふんぞり返って歩く。そして、2羽揃って夫婦漫才みたいに交互に動く。「なんか遠いところから、けったいなのが来たみたいやで~」とか言っていそうな。そんな風にひとしきり、こちらの様子を観察してから、そのオチビたちは凄い速さで仲間のところに飛んで帰っていった。ほんまにあっという間の出来事ながら、すごく印象に残った。なんでわざわざ向こうから会いにきたんやろう。あんな「ひよこ饅頭」より小さい体してるくせに、なんという人懐っこさ。だけど、到着初日に窓辺に遊びに来て以来、その後はまったく見かけることはなかった。今考えるとあれはサルタという町からの「歓迎の挨拶」やったんかもしれん。

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ホテルの窓から見た裏通りの景色と謎の小鳥軍団

アルゼンチン「国旗の日」

オチビ鳥たちが去った後、今度は賑やかな音楽が聞こえてきた。なんか屋外でブラスバンドの演奏してるみたい。ちょうどこの日はアルゼンチンの「国旗の日」という祝日やってん。要するに「みなさん一緒に誇らしくアルゼンチン国旗を祝福しましょう」というわけらしい。それにしても、出掛けてみるとその公園の見事なこと。非常に背の高い椰子の木みたいなのが何本もそびえ立ち、噴水があり、巨大な銅像があり、ちょっとした東屋があり、草花もちょうどいい具合に手入れが行き届いていてなんとも居心地のいい南国的な情緒溢れる空間になっている。このちょうど大きな正方形の公園の周囲をぐるりと市の主要な建物や教会が囲むような形になっている。どうやら典型的なスペインの建築様式を今に伝えているらしい。たしか、オベリスコとかいう建築が博物館になっていて、その中には昔使われていた馬車に引かせる車両部分が展示されていた。

さっきのお揃いのブレザーを着たサルタのおじさんたちが演奏するブラスバンドの音色は独特に南米風な乗りで、あんまりまとまりはよくないねん。なんか勝手きままに吹いてるみたいで。でもそれはそれで楽しい感じやった。それから午後になって本番。今度は立派な馬に乗ったり、伝統的な衣装に身を包んだ若者たちが国旗を称える式典を行っていた。さすがにその様子は見事で、現地風の民族衣装の風合いや帽子の感じなど堂々としたものだった。また、その若者たちの顔立ちがなぜか、子供の頃に隣の家に住んでいたお兄ちゃんそっくりやねん。なんかこんなに遠くまで来て、偶然親戚にでも出会ったような気分になる私であった。

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銅像の向こうの山頂までのロープーウェイは大人気で、がらがらの古代博物館とえらいちがい

ちょっと厳かな式典の後、まだ日差しのきつい屋外に大きなパラソルなんか差したオープンテラスのレストランやカフェで佇んで、太陽の下でおしゃべりする人たちの姿はなかなか様になる。さらに、夜は夜でこの界隈のライトアップの美しさといったら幻想的なほどだった。私はどちらかというと、この夜のサルタの雰囲気が気に入った。ギターでフォルクローレを弾き語る人たちがいるかと思えば、なかなか訳ありな感じの紳士が薔薇の花を売っていたり、そして、その横を掻き分けるようにレストランの身なりのいい給仕がワインを運んでいく。そして、昼間とはちがう色の照明に浮かび上がった教会のステンドグラスが、高いところで見事な大輪の夜の花を咲かせる。そしてその向かいの公園の大樹が風にさざめき、そのそばを行く人々の喧騒が交じり合う。

雑然としていながら、なんとなく時の流れが緩やかやねん。ずーっとここでこんな空気に自然と交じり合って溶け込んでいく時間。これってなんかめっちゃ贅沢やなんとちゃうか。漠然とここにいる人たちが醸しだす幸せな空気に浸っているだけで十分やねん。特別な何かお祭り騒ぎのような賑やかさとちがう感じに街全体が静かにざわめいていて。あの昼間会った鳥たちの群れはどこに行ったんやろか。まるで昼とは別の世界。サルタの夜の空気はあまりにも特別過ぎる。それにしてもなんだかまるで魔法にかけられたような時の流れ。ちょっとだけ、南米の小説家ガルシア・マルケスが描く世界を思い出した夜だった。

(写真・文:東知世子)

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■アルゼンチン片思い

これまでの連載はこちら
http://www.webdice.jp/dice/series/21/


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■東知世子 プロフィール

神戸生まれ。ロシア語の通訳・翻訳を最近の職にしているが、実はロシアでは演劇学の学士でテアトロベード(演劇批評家)と呼ばれている。学生時代に「チベット仏教」に関心を持ち、反抗期にはマヤコフスキーに革命的反骨精神を叩き込まれ、イタリア未来派のマリネッティの描いた機械の織り成す輝ける未来に憧れて、京都の仏教系大学に進学。大学在学中にレンフィルム祭で、蓮見重彦のロシア語通訳とロシア人映画監督が舞台から客席に喧嘩を売る姿に深い感銘を受ける。


その後、神戸南京町より海側の小さな事務所で、Vladivostok(「東を侵略せよ!」という露語の地名)から来るロシア人たちを迎えうっているうちに、あまりにも面白い人たちが多くて露語を始めすっかりツボにはまる。2年後モスクワへ留学。ここですっかり第2の故郷と慣れ親しんで、毎晩劇場に通いつめるうちに、ゴーゴリの「死せる魂」を上演していたフォメンコ工房と運命的な出会いを果たし、GITIS(ロシア国立演劇大学)の大学院入りを決める。帰国後、アップリンクでの募集を見てロシア語通訳に応募。憧れのセルゲイ・ボドロフ監督のアカデミー賞ノミネート映画『モンゴル』に参加し、さまざまな国籍の人々との交流を深める。その後バスク人の友人に会うためサンセバスチャンを訪問し、バスクと日本の強い関係を確信。いろいろと調べるうちに南米・ブエノスアイレスにたどり着き、なにがなんでも南米に行くことを決意。

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