撮影:コスガデスガ
国内外のアーティストとの共同制作や小説集の発売など、自身が主宰する劇団・チェルフィッチュの活動に留まらず多岐に渡り活躍中の演劇作家、小説家の岡田利規。このたび2年半振りの新作『わたしたちは無傷な別人であるのか?』を発表する。『三月の5日間』の評価により定着したイメージを払拭するためにも、新しい局面に向かっていることを示す新作について、話を聞いた。
上演期間を長くとることで作品を成熟させる
──今回、公演期間が横浜だけで約3週間と長いですね。
ここまで期間が長いのは初めてですね。長くやるとその分作品が育つので、長くやりたいのです。本番とリハーサルの区別みたいなものが自分の中で少しずつ楽観できてくる気がするんですよ。上演の中でも、わかってくるし、成熟していく。そうやって上演が育っていく。そういうものなんですよね、演劇、舞台って。そのプロセスをやっぱり味わいたくて。
──会場のひとつである横浜美術館のレクチャーホールは、どのような経緯で決まったのですか?
STスポットでは何度もやっていますが、横浜美術館は初めてです。今日始めて会場を下見しました。あまり深い考えはないのですが、あえて言うならば、美術のコンテクストの上に置かれている会場で、自分たちの活動を見せるということをしたかったというのがありますね。パフォーミングアーツというコンテクストの中だけに収まる必要はないという、当たり前のことです。
──横浜以外の場所、東京などで公演されるとき、場所を選ぶときの基準はなんですか?
あまりこだわりはないですね。僕が主導して要請することはないです。ここでやりたいというのもないですね。前作『フリータイム』の上演をしたスーパー・デラックスは、大好きですけどね。
『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』2009年10月 @Hebbel Am Ufer/ベルリン(c)Dieter Hartwig
──『わたしたちは無傷な別人であるのか?』はどんな作品ですか?
新しいです。って新作だから当たり前なのですが(笑)。自分たちが新しい局面に行っていることを、アナウンスする公演になればいいと思っています。
──どのような内容の作品ですか?
内容は、たいしたことないんですよ、いつものことながら(笑)。何て言うのかな、生活にそんなに困っていないような夫婦を描いています。彼らのごくありきたりな一日を描いています。その空気というか、温度というか。自分はいつも空気を描いていると思う。
“現在”僕らが何をやっているかということを伝えたい
──新しい局面というのは?
いい加減、“今どきの若者言葉でだらだら書く言葉・身振りが特徴”というラベリングは終わりにしたいのです。実際に僕らがやっているのはすでにそうではない。もうリアリズムはやってませんってことは、わりと声を大にして言いたい。言わないと以前の印象が残りますからね。『三月の5日間』が代表作みたいになってしまっているので。でも僕たちには現在形がある。そして現在形の僕たちは、『三月の5日間』の頃にやっていたことの延長線上にあることをやっているんです。あのときとは全然違う、ということはとにかく言っていきたいです。
──『三月の5日間』のラベリングについて、海外に出ると違いますか?
海外の人たちはまだそんなにたくさんのチェルフィッチュ作品を観たことがないですからね。まああんまり、『三月の5日間』の段階で周りの認識が止まっていることに苛立っている、というのもかっこ悪いなと思うのですが。
現代の演劇では、パトロンはパブリック
──社会的なニュース、事件を作品の中に入れるということにこだわりはありますか?
いえ、とくにこだわりはありません。要素がそれくらいしかないからという感じですね。自分に社会的に知見があるとはちっとも思っていませんし、そういうことに強く関心を持っているからというわけでもないですし。あえて言えば、そういうことに関心を持っていないということを扱うために、そういうトピックを取り上げているんだということの方が正確かも。ただ、自分が創る作品をどうやってパブリックなものにするかということは考えなくてはいけないと思っているんですよ。なぜならば現代演劇では、パトロンはパブリックですしね。だからさしあたってそのパトロンに対する、方便だという部分もありますね。いずれにしても、社会的な作家ではないです、僕は。それを含めて、個人とか、日常とかの外に接続しうるものとして何をどう提示するかというのは考えたいと思っています。僕が描けるのは結局、生活のことだけです。
『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』2009年10月 @Hebbel Am Ufer/ベルリン(c)Dieter Hartwig
大学時代、関心があったのが“脚本を書く”ということ
──岡田さんご自身のことを教えてください。チェルフィッチュは1997年に結成されたのですよね?
大学を卒業したのが1996年で、演劇サークルで演劇をやっていたのですが、卒業したから母体がなくなったので翌年作ったという事情ですね。その頃の大学のメンバーと作りました。当時のメンバーはもういません。あ、照明家だけは、大学の同期です。
──演劇を始めたのはいつ?
大学に入ってからです。演劇のサークルに入りました。主体的に演劇を始めたわけではなくて、流れで勝手に始めちゃったんですけど。その中でいくつかのパートの中で関心があったのが“脚本を書く”ということでした。“書く”ということに前から関心がありましたね。そこから始めました。
──2005年のコレオグラフィー・アワードノミネートの際はどのような感想でしたか?ダンスと演劇という区別はないですか?
演劇とダンスという区別は自分の中ではないです。ないですが、そのコンペのときの自分の名前の肩書きが“振付家”だったことがすごく恥ずかしかったですね。「それは違うだろ」という。でも演劇とダンスって黒と白のように相反するものじゃないはずだから、演劇かつダンスっていうのは、全然アリだと思うんですよね。
──創作にあたり、岡田さんの“日常”の中で気を付けていることはありますか?
あるかなぁ…。自分の生活の中の情報、自分が触れているもののコンテンポラリーなものの度合いを、出来るだけ“上げない”ことですかね。アウトオブデイトなものにも触れるということを守らないと、病気になってしまいそうな気がします。何もかもコンテンポラリー。そんな苦しい現代はないだろうと思うから。
ヨーロッパで売るという目標を自分の中に持って創った
──昨年も海外での活躍が目立ちましたが、印象に残っている仕事はありますか?
昨年作った新作というのが、10月にベルリンで初演をした作品なのです。『ホットペッパー、クーラー、そして別れの挨拶』という作品。まだちゃんとアナウンスしていませんが、2010年5月にラフォーレでやります。それの初演を成功させることができたことにはすごく安堵しています。『三月の5日間』はまあ、成功したんですよね。公演を重ねることができて良かったと思うんですが、それだけで終わったら嫌だなという焦りみたいなもの、『ホットペッパー~』については、何とか成功させたいなという下心を持って創ったのですけれども、うまく成功させることができたんですね。だからそれのツアーも2010年は多いのですけれども。それは、ものすごく嬉しかったというか、ほっとしましたね。でもこれで、自分がちょっと自由になれたような気がしますね。
──自由というのは?
自分が作品とか公演を、点で捉えないというか、点で勝負しに行かなくても良くなったというか。勝負しに行くという段階から、一人の創り手として、またひとつのパフォーミングアーツの集団として、どう流れどう展開させてあるところに届いて行こうとする、変化を続けようとしていく、そのプロセス自体を、楽しみたい。そしてもっとそこに自分たちの活動のフォーカスを置きたい。若いカンパニーは、最初は点で勝負しなくてはいけないのかもしれないんだけど、とりあえずウチはそこはできたと思うんですよ、『三月の5日間』で。だからそこからは自由になれたなと思って。だからその先に行かなくてはいけないし、その先に行ったからこそ考えられることもあると思います。その先で提示できること、実現しうる活動の仕方、そういう方に重心を移して行きたいなと最近は考えるようになっています。『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』2009年10月 @Hebbel Am Ufer/ベルリン(c)Dieter Hartwig
僕の、そしてチェルフィッチュの今後
──その安堵やプレッシャーというのは、この作品に限ってあったものですか?
この作品は、特に、ですね。ヨーロッパで売るという目標を自分の中に持って創ったものだからです。ヨーロッパ初演が先にありきだったので。『わたしたちは無傷な別人であるのか?』ではもう少し、自分たちの関心が変化を遂げてここまで来たという純粋な作業なんですよね。『ホットペッパー~』の作り方を俗物的だと言うつもりもないですけど、評価されることを狙って評価されないと辛いじゃないですか(笑)。純粋な部分で創れば良いものをね。そういう意味でも安堵が大きかった。もっとも、僕の、そしてチェルフィッチュの今後を、見通しの良いものにしてくれたことへの安堵もありますね。
──前作『フリータイム』ではミュージシャンとのコラボレーションもありましたが、他のアーティストとともに創作をする可能性は今後もありますか?
今後もやりたいですね。演劇で音楽を使いたいときに、僕は演劇の人であって音楽を創ることができないからという単純な理由もありますが。でも例えば『フリータイム』の美術を創ってくれたトラフなんて、素晴らしいクリエイティビティを発揮してくれてすごいなと思いました。そういうことがまた起これば良いなと思います。要素先行というよりは、個人ですよね。こういう創作は“誰と”が大事。面白い何とかというアーティストがいるってなったらじゃあ一緒にやろうというのが一番感じが良いかなと思います。
──チェルフィッチュはこれからどこに向かいますか?
今のテンションで活動を続けたい。その結果、向かう場所はおのずと定まってくると思います。実際に形式なりが変化するまで試行錯誤を稽古場で続けながら、その活動を継続するために必要な評価を得続け、いま以上にとは思いませんが、長く続ける、できれば僕が死ぬまで続ける。それが目標です。
(インタビュー・文・構成:世木亜矢子 インタビュー写真撮影:コスガデスガ 舞台写真撮影:Dieter Hartwig)
■岡田利規 PROFILE
1973年 横浜生まれ。演劇作家、小説家、チェルフィッチュ主宰。97年に「チェルフィッチュ」を結成し、横浜を拠点に活動。『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。ダンス作品『クーラー』(05年7月/世田谷パブリックシアター)で「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2005~次代を担う振付家の発掘~」最終選考会に振付家としてノミネートされた。07年2月、新潮社よりデビュー小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』発表、翌年第二回大江健三郎賞受賞。08年3月『フリータイム』をブリュッセル、ウィーン、パリとの国際共同作品として発表。以降、海外との共同製作も精力的に行い、09年10月ベルリンHAU劇場にて『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』を世界プレミア上演。10年には同作品の国内外11都市でのツアーが予定されている。
チェルフィッチュ『わたしたちは無傷な別人であるのか?』
2月14日(日)~26日(金)STスポット
3月1日(月)~10日(水)横浜美術館
※開演時間は日によって異なります
※2/18・2/25・3/4は休演です
作・演出:岡田利規
出演:山縣太一、松村翔子、安藤真理、青柳いづみ、武田力、矢沢誠、佐々木幸子
時間:2月14日(日)~26日(金)14:00/18:00/19:30開演 STスポット
3月1日(月)~10日(水)17:00/19:30開演 横浜美術館
会場:STスポット[地図を表示]、横浜美術館[地図を表示]
料金:前売3,000円 学生2,500円 当日3,500円(整理番号付き自由席)
『わたしたちは無傷な別人であるのか?』
チェルフィッチュ『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』
5月7日(金)~5月19日(水) ラフォーレミュージアム原宿
作・演出:岡田利規
出演:山縣太一、安藤真理、伊東沙保、南波圭、武田力、横尾文恵
会場:ラフォーレミュージアム原宿[地図を表示]
料金:前売3,500円 学生3,000円 当日4,000円(整理番号付き自由席)※3月20日(土)チケット発売開始
※その他詳細はチェルフィッチュ公式サイトから