映画『愛しき日々よ』より、門田頼命(左)、かたせ梨乃(右)
毎年300本前後の日本映画が公開される中、名作でありながらあまり人に見られる機会のないまま時の彼方に埋もれてしまう作品は数知れない。そしてそんな映画の一つ一つに映画史を彩る物語がある。今回、そんな知られざる名作の一本、保坂延彦監督作品『愛しき日々よ』がアップリンクよりDVD化された。監督の保坂延彦さんにお話を伺う。
もんた&ブラザーズのジャケットを見たときに、こいつだと思った
── 『愛しき日々よ』の公開は1985年、東宝配給ですね。封切り当時の状況は?
『愛しき日々よ』は、東宝の有楽シネマという所で一館だけだったんです。今はない劇場だけど。その隣の隣にね、新しい劇場がオープンするっていうので黒澤さんの『乱』をやっていた。初日が一緒だったと思う。で、初日にね、『乱』はやっぱり並んでるなあって思ってたら、うちの『愛しき日々よ』に並んでたわけです!東宝の当時の松岡社長が来てくれて"良かったですね。入ってますね"って言ってくれたました。あれは嬉しかった。それで4週間の予定だったところを7週間やってもらったんですよ。
── その東宝での配給が決まるまでにもちょっとしたエピソードがあったそうですね。作家の井上靖さんにまつわる話とか。
この『愛しき日々よ』を撮り終わった後、プロデューサーと次に何やりたいって話になって、井上靖さんに『四角な船』っていう、すごいファンタジーな小説があるのでやってみたいという話になって、井上靖さんのところへ行ったんです。向うは僕のお父さんみたいな歳で、"こんな若い人に『四角な船』を撮ってもらうのは嬉しいね"って話になって。そこで、実はまだ配給は決まっていないんですが『愛しき日々よ』っていう映画を撮りましたと言うと、"それは見られるのか"って話になって、東宝の小さな小さな試写室に井上先生を呼んだんです。東宝の8Fがね、大きな試写室なの。そこではね、その日『夜叉』ってのやってましたよ。今でも覚えてるけど。高倉健とビートたけしの。東宝としては、8Fは『夜叉』やってるから、ここでよかったらどうぞ見てくださいと。誰も井上さんが来てると思わないから。それで僕と原作者の重兼芳子さんとプロデューサーと井上さんと四人で試写室で見た。井上さんは、ずーっと身じろぎしないで見てましたよ。それで、終ったんですよ。そしたら誰かが言ったんでしょう。井上さんが来てますってことをね。井上さんはその前に『千利休 本覚坊遺文』とか、もちろん『敦煌』もやってるわけで。そういうこともあって、何で井上先生が来てるって話になったんでしょう。なんか僕の映画を見てるらしいよ。何であんな映画を見てるんだって話になって。それで宣伝部長が出てきて挨拶してた。東宝もびっくりしたんじゃない。それで配給が決まったかもしれないな。
── 井上靖さんはこの映画のパンフレットにも文章を寄せていますね。「『思いよこしまなし』論語による言葉だが、この映画を見終わったあとで真っ先に浮かんだのは、この言葉であった。(中略)今の時代は『思いよこしまな』ものばかりが繁栄し、『よこしまなし』の方は隅に押しやられてしまう。だからこそこの映画を大勢の人に見てもらいたい。特に子供たちには是非見せたい。(後略)」と絶賛しています。この映画が誕生したいきさつを教えてください。
僕はデビュー作で小林桂樹さんと中井貴一さん主演の『父と子』という作品を撮って、『父と子』も火葬場の話なんです。これは水上勉さんの原作で。その中で、ちょっとやりたりなかった部分があってね。デビュー作を、周りを全部すごいスタッフが囲んでくれて、監督って一体なんだって事に、ものすごいクエスチョンマークがついて。で、『父と子』の脚本を書いてくれた菊島隆三さんと話をしているうちに、やり残したことがあるなら、『やまあいの煙』っていう火葬場で働く青年の話があるよっていうのを教えてくれたのよ。それで、読んだら"おおーっ"と思って、僕はすぐに原作者の重兼芳子さんに連絡をいれたの。そしたら電話口だけだったんだけど"あなたがやってくれるんだったら、あなたに渡していいよ"って言ってくれて。それで、菊島さんにはそのこと言わないで、僕が脚本書いちゃったの。そしたら菊島さんが烈火のごとく怒ってね。
── なぜですか?
こういう話があるんですよ。菊島さんが、自分の後輩で有望な若手脚本家が三人いるんだって言ったわけですよ。そのとき菊島さんは作協(日本シナリオ作家協会)の理事長だったと思いますが、一人が荒井晴彦、もう一人が中岡京平、もう一人が佐伯俊道、っていう三人の名前を出したわけです。この三人ならやっていいよって言ったわけ。それなのに、まさか僕が自分で書くと思わなかったんじゃない?それで怒ったわけです。それまで僕は5年くらい菊島先生と付き合ってたでしょ。だけど烈火のごとく怒って。しばらく口聞かなかった。そのあと、まあ怒りは収まったんだけど、でも完成した映画は観てくれなかったね。
保坂延彦監督
── 保坂監督が自分で脚本を書くほど惚れこんだこの作品ですが、意外とも言えるキャスティングはどのように決まったのでしょう?
門田(もんたよしのり)は決まってたんです。僕がもんた&ブラザーズのジャケット見たときに、こいつだと思って。音楽聴いたわけじゃないんだけど。すごく綺麗な目をしてて、珍しいなって思って。まあこれでいきましょうよってことになって、門田は決まったんです。それ以外は一人一人決めていった。かなり時間かけて。
── 鰐淵晴子さんがこの頃映画に出てるというのは珍しいですね。
どうして鰐淵さんかっていうと、僕は元々鰐淵さんのデビュー作『ノンちゃん雲に乗る』っていうのを観てたから。それであのノンちゃんと仕事できるのかって思って。鰐淵さんはそのちょっと前、病気の手術をしたんですね。それで、ちょうど夏だったし、療養がてら来ませんか?って話をして。そんなに出番は無いんだけど、ずっとゆったりした感じでいましたね。
映画『愛しき日々よ』より、鰐淵晴子
── 主演のかたせ梨乃さんの役は、原作だと逞しい女性に描かれているそうですが?
そう。大きな女性。だから原作どおりにするか、もっと違う門田と同じくらいのキャラにしようかって話もあったんだけど。最終的には門田よりは大きな人、門田が胸の中にすっぽり入っちゃう、門田の顔がうずまっちゃうくらい胸の大きい、そういう人を探そうと。
── かたせさんが働く病院の入院患者の中に、どこかで見たような方が大勢いらっしゃいますが。
藤原釜足から浦辺粂子さんや武智豊子さん。昔の俳優で有名な人たちが集まる、老人会みたいのがあって、そこに時代劇のすごい人たちがいまして、その人たち。あとシニアの俳優クラブの方とかで。
ぎりぎりの隙間を僕達は見てる
── ロケ地はどこですか?
ロケ地は岡山の島。そこで一ヶ月ちょっとやって、京都でセットを一ヶ月ちょっと。後の町並みは京都で。
── スタッフは全員島に?
キャストは全員島に行って、江波杏子さんも一ヶ月くらいいたかな。小坂一也さんも文学座の名女優の新橋耐子さんもそうだし。岡山から船で10分くらいの島なんだけど、ご飯が毎日シャコなんです。今だとほとんど採れないらしいけど、当時は大量に採れてた。誰かに聞いたんだけど、後でかたせさんが、ロケに行ってあれだけシャコを食べたことがないって言ってたらしい。よっぽどおいしかったらしいんだな。
── 映画は冒頭、陸と海の間を往復するクレーン撮影から始まりますね。
陸と海の境目って、生と死の境目なんですよ。ちょっと飛び越せば死になって、ちょっと戻れば生になるって、そういう小さな川が流れてるって重兼さんは書いてるんだけど、僕はそれは海と陸の、寄せては引いて、引いては寄せてっていう波打ち際の世界じゃないかって思ってるんです。
ぎりぎりの隙間っていうか、その隙間を僕達は見てるというか。監督でも脚本家でも、隙間を見る作業をしてるんじゃないかって。それを当時も思ってたんじゃないかな。
例えば、僕ら日本人は春夏秋冬、四季が分かってるじゃない。アフリカなんかは、雨季と乾季二つしかない。乾季の時と雨季の時の隙間が完全に分かるわけじゃない。来るぞって。それってすごく明るいよね。はっきり分かるって言うのは。我々は春夏秋冬ってさ。春から夏、夏から秋って隙間がありますよね。その隙間を映像にしなきゃいけないと思うんだ。その辺で生きてるんですよ、僕らは。春だ、じゃなくて、そろそろ夏だな、でもまだ春だなとかね。冬から春にしても、待ち遠しいじゃない。そこを映像って言うか、映画が見つめないと。10代から20代の頃って一番揺れてるじゃない。20代から30代に行く間もそう。どっちでもないみたいな。これからどうやって生きていこうかなとか、その隙間に考えられるんじゃないかなって、ぼくは思ってるんですよ。アラフォーとかアラサーとか言われるのもそういうことなんじゃないのって。
── 当時の保坂さんも揺れていたのですか?
僕もそうだし、門田もそうだし。門田も揺れてたね、歌を辞めるか辞めないかって。あまりにも売れちゃったから。一夜で。他の世界いこうかとか、ちょうど揺れてる時期で。そういう悩みみたいなものも描いている。まあ、今観ると、よくこんな観念的なものを作ったなって思うし。今だとこれを劇場にかけるとこはないでしょ。
── ラスト近くの幻想的な場面はすごいですね。
僕らの時代は、フェリーニとかトリュフォーの影響のほうが強いわけですよ。日本映画よりは。結局、『愛しき日々よ』で一番やりたかったのはフェデリコ・フェリーニの『8 2/1』の日本版を作りたかった。で、もし作れないとしても、所々にフェリーニみたいな映像をちりばめられないかと思ったの。大女も出てくるでしょ。小人も出てくるでしょ。あれもみんなそう。
── なるほど!言われてみればそうですね。
現場で江波杏子さんだけが指摘した。"これ、フェリーニだね"って。
── さすが江波さん。
今ね、30年経って、もうこんな映画は撮れませんよ。観念的に違うじゃない。こんな観念というか、こんなものが僕の中できっと薄れてますよ。でもこういうものが一つ一つ、今までの観念が一個ずつ積み重なって、最新作の『そうかもしれない』に集約されてる部分もあるんです。だから、この『愛しき日々よ』という作品を作らせてもらったこと自体、ものすごく感謝しているわけですよ。
(インタビュー・文:上原拓治)
【関連記事】
伊丹万作の傑作をオールスターキャストでリメイクした『国士無双』DVD発売時の保坂延彦監督インタビュー
http://www.webdice.jp/dice/detail/1230/
映画『愛しき日々よ』
発売中
3,990円(税込)
ULD-526
アップリンク
監督・脚本:保坂延彦
出演:門田頼命、かたせ梨乃、江波杏子、鰐淵晴子、下條正巳
1984年/日本/本編110分
★ご購入はコチラ
保坂延彦 プロフィール
1945年、山梨県出身。明治大学文学部文学科演劇学卒。71年テレビ朝日映像と契約。80年サンリオ入社。羽仁進の『アフリカ物語』(1980年)に監督補総編集として参加、『父と子』(1983年)で監督デビューを果たす。以後、『愛しき日々よ』(1984年)『国士無双』『そうかもしれない』(2005年)といった作品を手がける。