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埼玉県 その他

2010-02-04 10:25


「小説をイマジネーションの力で舞台に」─ローザス創設メンバー、池田扶美代インタビュー

二人のアーティストと共同制作、少年兵をテーマとした日本初演『ナイン・フィンガー』について聞いた。
「小説をイマジネーションの力で舞台に」─ローザス創設メンバー、池田扶美代インタビュー
撮影:森友香理

コンテンポラリーダンス界でトップを走る続けるダンスカンパニー、ローザス。同カンパニー芸術監督のアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルとともに、歴史に残る数々の作品を生み出して来た創立メンバーの一人である日本人ダンサー池田扶美代が、2月6日・7日に彩の国さいたま芸術劇場で二人のアーティストとともに『ナイン・フィンガー』を発表する。この作品は『ビースツ・オブ・ノー・ネイション』という、少年兵か体験する戦争の残虐さが描かれている小説が基になっている。2007年ベルギーでの初演以来、ヨーロッパの国々で70回以上公演され好評を得てきた作品がいよいよ日本初演を迎える。


きっかけはアンヌ・テレサの勧め

──『ナイン・フィンガー』は、どのような経緯で創作したのですか?

5~6年前にローザスの芸術監督、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル(以下アンヌ・テレサ)が、ローザスとしてではなく自分の作品として創ってみたら、と声をかけてくれて。しかしなかなか進まず、その後彼女から、誰とやりたいかを考えた方がいいんじゃない? と言われて。ああ、それならいる、俳優であるベンヤミン・ヴォルドンク(以下ベンヤミン)とやりたい、と思ったんです。彼とは1992年にある学生の映画制作で知り合いました。彼はそのとき映画演劇学校の1年生、18歳でした。ちょうど私がローザスを1年間お休みしていた時期。出会ってからの彼の仕事振りは見てきていたので、彼とやりたいな、と。でもベンヤミンと私では第3者が必要かなと思い、Les Ballets C. de la B.というカンパニーを率いる振付家であるアラン・プラテル(以下アラン)に声をかけました。アランのことも以前から好きだったのですが、彼のカンパニーで踊りたいとは一度も思ったことがなかった。それよりも彼の人間性がすごく好きだったんです。ベンジャミンとアランは面識がなかったので私が引き合わせました。

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──作品の基となっているのが小説『ビースツ・オブ・ノー・ネイション』ですよね?

はい。アメリカ人の作家による、少年兵が体験する戦争の残虐さが描かれている小説です。私たち3人がミーティングを行なったのが、インドネシアの津波やアメリカのハリケーンが起きていたときだったんです。自分の力ではどうしようもないこと、小さなエフェクトが重なって大きな出来事になるということについて、たくさん話し合っていました。意外な、でも自分の力ではどうしようもないことがある。戦争や自然災害…。失うこと、そして失ってしまって取り戻せないものについて話していました。そして2006年10月の稽古初日に、ベンヤミンがこの小説を持ってきたんです。「これ読んで寝れないんだよ。ちょっと読んでみてよ」と。私もアランも2日くらいで読んで、影響を受けまして。この話をやりたいと思ったのですが、アランが「これを題材にするには、アーティストとして責任を感じなくてはいけない。よく考えなくてはいけないよ」と。それについても話したし、どうやって表現するかについてもたくさん話をしました。社会問題を取り上げるということに対して、自分たちが身構えなくてはいけないことがある、と。それは公演後に確かな手応えとして返ってくるものですから。

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感じ方に個人の差が大きく出るのに驚いた

──初演はベルギーで? そのときの観客の反応は?

はい、ベルギーです。そのときの反応は“この作品ほど各自動揺したものはない”というものでした。同じものを観たのに、同じように感じない。それは個人的なことなのですが、それぞれ自分がこういう問題、社会的に起きていることを、どう消化すれば良いか迷ってしまう人が多いということです。もちろん、アランの演出はどうだ、ベンヤミンの演技はどうだという話をしている人も多いのですが、自分の過ち… と言ったら大げさかもしれませんが、今日までこういう問題から目をそらせてきたんだということですごくショックを受けてしまう人もいるんですよ。反応は様々で、すごく面白い。かといって、私たちは慈善団体へ寄付をしていないし少年兵反対運動にも参加していない。劇場の前で旗を揚げて立っている活動家の人たちもいました。「公演収入のうち何パーセントかを寄付しませんか」という電話を受けたり。そういう色々なことが色々なレベルで浮かび上がりました。アート的な部分から、社会的な部分まで。

あと、ただ単に自分がどういう風に感じたか。それはやっぱりこういう話に関しての準備ができていなかった人も多い。個人的にね。配布する解説を熱心に読んで席に着く人もますが、それを読まない人、少年兵の話とは知らずに劇場に来た人、何も準備せずに真っ白な状態で観たいんだという人もいます。あと、話自体に入ってしまったら、あとはもう各自が感じる“残酷さ”とか、こういう話についてどういう教育を受けてきたか、ですね。そしてどういう風に自分自身を教育してきたか。子供のときは親が教育してくれるけれど、その後は自分自身で教育するわけですから。ティーンエイジャーになって、大人になって、自分で選べるようになる。テレビでも、残酷なニュースや映画を“観たくない”とザップしてしまうか、考えを持って見るか。そういったことでお客さんに違いが出てくる。「とにかく観ていられない」という人もいました。舞台上では血なんか流れていないのに。暴力が起きているわけではないのに。イマジネーションの世界だと思います。私たちがイマジネーションを与えて、観客がどのように消化するか。あまりにも個人の差が大きく出るのに驚きましたね。

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舞台はイマジネーション。本当の話はもっと残酷

──ダンスはアート的な要素が強く、演劇などに比べると社会的な要素が入ることが少ないように感じます。他の2人も池田さんもこれまで社会的な運動をしていますね。

あのふたりは結構関わっていますね。アランは舞台で国旗を焼いたことがある。ベンヤミンも自分の国の政治的な問題や、イラクとアメリカの戦争に対して、たくさんメッセージを送っている。私が一番ナイーヴ(笑)。アンヌ・テレサと仕事をするときには社会的な話をします。2009年11月に彩の国さいたま芸術劇場で行なった公演『ツァイトゥング』のテーマとなったバッハ、ウェーベルン、シェーンベルク、その3曲を選んだときも、時代の背景を勉強しました。とにかく毎日「昨日の新聞読んだ?」「昨日のニュース聞いた?」と言い合う。そうやって蓄積されたことをメッセージとして、表現することがあります。今回の『ナイン・フィンガー』ですが、確かに私もこれをやるまでは、少年兵など戦争の問題から逃げていました。それは告白します。この小説はフィクションなんですよ。ですから本当の、生のものが材料として入ってくるわけではない。でも、そんなにたくさんの生の要素はいらないと思いました。小説を自分たちのイマジネーションによって舞台にするのであって、本当の話はもっと残酷です。

──創作の過程で、気を付けたことはありましたか?

私は特にズレを気を付けました。舞台上では主にベンヤミンが話をするのですが、彼が言っていることをそのまま動きで表現しようとは思わなかった。私は私で表現することがあって、それを、ずらすように気をつけました。でないと重くなってしまうし、マイムになってしまう。どうやって彼が話す肉体的な叫び・考えをずらしながら、最終的にゴールにたどり着けるか。ベンヤミンはかなり辛かったと思う。すごくエネルギーが必要だと言っています。今もたくさん公演のオファーがくるのですが、断っているんです。辛いから。でも今回は日本に行きたいからやる、と(笑)。彼はなりきっちゃうタイプなんですよ。あまりに感情移入しすぎて、泣いてしまうこともあってね。そういうタイプの俳優。入り込み過ぎちゃう。だから私は逆に「あ、引かなきゃ」と思ったりね。

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二人の才能溢れるアーティストとの共同制作

──彼はどんな俳優ですか?

役者というよりアーティストですね。今回の日本公演では紹介されていませんが、ポスターの絵は彼が描いたんです。タイトルも彼が考えました。こういう仕事をしていると、オーガナイザーの人が公演内容についてまだ全く決まっていない段階から「タイトルは?」「内容は?」とプレッシャーをかけてくる。そのとき3人がたまに会うときに「こんな曲使いたいね」「こんな画にしたいね」「このビデオ見てみてよ」など、自分たちが関心のあることについて情報交換をしていたのです。そのときベンヤミンが詩を書いてきて、そのタイトルが『ナイン・フィンガー』だったのです。その詩の内容よりタイトルが、私たちのディレクター、ローザスのディレクターでもあるのですが、が気に入って。内容はまだ決まっていなかったのですが『ナイン・フィンガー』で行こう、と決まったのです。その言葉には“不完全な”という意味があります。英語だと“Nine fingers”と複数形の“s“が入るでしょ。名詞として使う場合は全くの間違いではないのだけれど。ただ、“Nine Finger”というのは、確実に何かが足りないということ。10本あるはずの指の1本が足りないという意味ですから。失われたもの、取り戻すことができないものということです。それから“3×3=9”の意味も込められています。私はブリュッセルに住んでいて、ベンヤミンはアントワープに住んでいて、アランはゲントに住んでいる。3つの違う場所に住む3人が創り上げるから。

──アランはどんな人ですか?

バックグランドである、精神病について勉強をした人だから、とにかく辛抱強く話を聞いてくれる人です。そしてすごく的の得た質問をしてくれる。「ああしろ」「こうしろ」とは一度も言われたことがありません。その代わりに、質問がとても多い。彼から発せられる「どうして」「なぜ」という質問で作品を創っていった気がします。でも最終的にはとても有機的な作品になりました。そして、アランも言うようにこんなに早く出来上がった作品もない。難産じゃなきゃ良い作品は産まれないというのは必ずしもそうではないと初めて思いました。ローザスではいつも難産ですから。内容はきついですが、安産でした。

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──日本でどのような反応があると思いますか?

初演のときに、日本のメディア関係者が観に来てくれたのですが、「こういう問題って私たちにとって地球の裏側の話よね」と言われたのです。小説には舞台が明記されていないのですが、作者の出身地からおそらくアフリカが舞台なのではないかと言われていますから。でも私が思うのは、ベルギーにとってアフリカは地球の裏側まで行かず、下の方。これはアランがよく言っていたのですが、ただ単に遠い国の話ではなく、私たちのほんの近所で起こっていることかもしれないよ、と。少年兵だからというイメージだけではなくて身近なところ、例えば日本だと、日本国内とまでは言わなくとも中国とか、近隣の国で起き得ることだと思う。それは私たちがアーティストとして“意外と身近なことなんじゃないか”ということを伝えなくてはいけない。暴力や、憎しみ、愛。ただ単にそういう呼ばれ方をしてカテゴライズされているが、それを外してしまえばアフリカでなくたっていい。きっとどこにでもある話なんです。

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撮影:森友香理

環境問題、そして日本人ダンサーの特徴

──今、個人的に一番気になっている物事は?

環境問題です。それと、消費。なんでこんなに消費しなくてはならないのか、ということ。戦争の話になると、私もどうしたら良いかわからない世界で、きりがないから。戦争については、どうやってそれを私たち個人として解決したら良いかわからない。ただ消費についてなら、不必要なものを買わないこと、いらないものを省いていくこと、なるべく少ないもので生活するということは私たち、先進国に住んでいてもそれが後進国であってもできること。そういうことには興味があります。私たちも、アーティストとして何とかできないかという思いはあり、それについてのミーティングもやりました。消費の問題にはアンヌ・テレサも結構興味を持っています。一度、飛行機を乗るのを控えようということがあったのですが、ハンブルグまで行かされたときは辛かった! 飛行機で行ったら1時間半で着いてしまうところへ電車で1日掛けて行きました。ゲネの時間には間に合わず、1日長く泊まるという事態に。その次に舞台が控えていたらたいへん。飛行機についてはエネルギーということですが、それについても何とかしたいけれども、飛行機に乗らなければ良いという訳でもない(笑)。でもこの作品はエコに創りました。不必要なものは作らなかった。日本でもあると思いますが、ある種の舞台では舞台美術にすごくお金をかける。それで、これだけの公演しかやらないの? ということがある。観客は高いお金を払う。そのような舞台に反発したかった訳ではないですが、ただ私たちが必要な小道具をと考えたときには、このように必要最低限のものになりました。

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──確かに、舞台には段ボールやマットなどとても質素な小道具しかありませんね。

はい。それは子供たちの世界でもあるんですよね。例えば紙コップでも子供たちは上手に遊ぶ。段ボールも車になったり、お家になったりします。だから小説に出てくる少年兵の兵隊としての話だけではなくて、単純にひとりの子供としての彼を考えたときにどういう風に小道具が使われるかということも考えて作りました。

──ローザスという世界的カンパニーに所属しベルギーを拠点に生活している中で、日本のダンサーはどのように映っていますか?

残念ながら日本人ダンサーの舞台はあまり観ていません。なかなか情報が入って来ませんね。自分が舞台に立っているとなかなか他の人の舞台を観に行く機会がないのが残念なのですが、facebookやmixiで日本人のダンサーと交流することはあります。個人的な印象としては、日本人のダンサーにはボリュームが足りない。肉体の使い方、空間の使い方。表面的すぎる。折角ダンスという素晴らしい、空間を使う仕事をしているんだから前へというばかりではなく、色々なところに膨らみがなくてはいけないと思います。それのせいか、身体も動きも非常にぺちゃんこに見える。その印象はずっと変わっていないですね。私のワークショップに来る人や、ローザスの学校・パーツにオーディションを受けにくる人。日本人はどうしてこうなんだろう? と思います。そしてオーディションに受かった人たちがどのように上手になっていくかというと、やはりボリュームが出てくるんです。

(インタビュー・文・構成:世木亜矢子 インタビュー写真撮影:森友香理 舞台写真撮影:Herman_Sorgeloos)

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■池田扶美代(中央) PROFILE

1979年、モーリス・ベジャールのムードラ(ブリュッセル)に入学。同校でアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルと出会い、1983年、ともにローザス結成。以来、ほぼ全ての作品の創作に携わり、出演。ローザスの多くの映画やビデオ作品でもコラボレーションを行う。またスティーヴ・パクストンの舞台を始め、ジャンルを超えて映画や演劇にも活動を広げる。2009年6月には、イギリスの脚本家・演出家ティム・エッチェルとのコラボレーションにより『in pieces』を創作している。

■ ベンヤミン・ヴォルドンク(左) PROFILE

王立フレミッシュ音楽院の舞台芸術部門を卒業。俳優として多くの演出家と活動後、2000年以降は、公共空間における演劇の持つ力と機能に集中。ブリュッセルやアントワープの中心地で、広場の樹上に小屋を設置したり、地上32 mの高さに鳥の巣を製作したインスタレーションを発表。一匹の豚と3日間にわたり「対談」し、アメリカ-イラク間の緊張から生まれる混乱と困惑を表現した作品等も創作している。

■アラン・プラテル(右) PROFILE

1956年、ゲント生まれ。マイムやバレエを学んだ後、カナダ人振付家バーバラ・ピアスのワークショップを受講。1986年、Les Ballets C. de la B.を結成。『バッハと憂き世』、『ウルフ』等の生演奏を用いたダンス作品や演劇作品で高く評価されている。不完全で傷つきやすい人間を作品のスタート地点に、ユーモアや活力、一見した無秩序を通じて際立った作品を作り続ける。


『ナイン・フィンガー』
2月6日(土)、7日(日)ともに16:00~ 彩の国さいたま芸術劇場
10日(水)19:00~、11日(木・祝)15:00~、12日(金)19:00~ AI・HALL(伊丹市立演劇ホール) 

構成・演出・振付・テキスト:池田扶美代、ベンヤミン・ヴォルドンク、アラン・プラテル
出演:池田扶美代、ベンヤミン・ヴォルドンク
会場:彩の国さいたま芸術劇場[地図を表示]、AI・HALL[地図を表示]
料金:彩の国さいたま芸術劇場 一般4,000円 学生2,500円 メンバーズ3,600円
AI・HALL 一般3,500円 学生&ユース(25歳以下)2,000円

※その他詳細は彩の国さいたま芸術劇場サイトAI・HALLサイトから


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