『マップ・オブ・ザ・サウンズ・オブ・トーキョー』を監督したイサベル・コイシェ監督。
スペイン語の教育や振興、およびスペイン語文化圏の普及に努める世界最大の公的スペイン語文化機関世界40ヶ国77ヶ所に拠点を持つセルバンテス文化センター東京にて、スペイン最先端の文化やアートを紹介するイベント『スペイン:新時代のアーバンカルチャー2009』が開催。このイベントのために来日したイサベル・コイシェ監督に話を聞いた。新作『マップ・オブ・ザ・サウンズ・オブ・トーキョー』の話題を中心にしたインタビュー、さらにイサベル・コイシェ監督と菊地凛子さんのトークショーの模様もご紹介する。これまでのコイシェ監督作品においては、『死ぬまでにしたい10のこと』ではナンシー・キンケイドの短編が原作、『エレジー』はフィリップ・ロスの『ダイング・アニマル』が原作だったのに対し、『マップ・オブ・ザ・サウンズ・オブ・トーキョー』ではオリジナル脚本で撮影に挑んでいる。カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品され、アカデミー賞外国語映画賞スペイン候補作となった今作。東京を舞台に、築地の魚市場で働きながら裏で殺し屋家業を続ける女リュウと、東京でワインショップを営むスペイン人・ダビとの愛の物語が、唖のサウンド・エンジニアを語り部に綴られている。
「肉体的な面を強調した恋愛関係を描く」
イサベル・コイシェ監督インタビュー
── 監督の最新作『マップ・オブ・ザ・サウンズ・オブ・トーキョー』ですが、上映されたスペイン映画祭での反響についてはどのように感じていらっしゃいますか?
今回のスペイン映画祭で上映されたバージョンは、本来作っていたものに比べて3つシークエンスを泣く泣くカットしなければいけなかったんです。押尾学さんは非常に素晴らしい仕事をしてくれたので残念だったんですが、東京での反応は私が見たところ良かったと思います。
── 『マップ・オブ・ザ・サウンズ・オブ・トーキョー』のリュウとダビの関係は、『あなたになら言える秘密のこと』サラ・ポーリーとティム・ロビンスが演じたキャラクター、あるいは『エレジー』でのペネロペ・クルスとベン・キングスレーとの関係の進化型だと感じました。これまでコイシェ監督が作品で描いてきた男女との違い、そして共通点を監督から説明していただけますか?
新しいタイプのバリエーションであると思います。ただ突き詰めて考えれば、前の作品で描いた男女関係、人間の関係というのは、どれも同じだと思うのですが、今回の映画は菊地凛子さん演じるリュウとセルジ・ロペスさん演じるダビが描く、とりわけ肉体的な関係性という側面が強調されているということがこれまでの男女間の関係との違いであると私は思います。ただ、同じスキームを繰り返しているところはあると思います。愛情の関係というのは、自分自身に背く部分もあるでしょうし、その関係性自体を欺く関係性というのがあります。そうした肉体的な面を強調した恋愛関係を素朴な視点から描きたいと思いました。その接触によって短い間かもしれないけれど、一秒の何分の一とも言えるほんとうに幸せな瞬間を表したかった。特に地下鉄車輌のシーンというのは特に重要に考えていました。
── 築地の魚市場、寿司、ラブホテル、ラーメンといったティピカルな東京のクリシェを扱うことに、日本の観客が違和感を感じるかもしれないという不安はありませんでしたか?
私は作品を作ることに恐怖心を持つべきではないと思いますし、映画監督として描きたいように描くようにしています。ですので、私が不安を抱くとすれば氷河が溶けて世界が終わってしまうのではないかとか、将来息子たちが息ができないような地球になってしまうのではないかとか、そうした意味での恐怖心はありますけれど。今までもニューヨークやバンクーバーを舞台にした映画を作ってきましたし、今回も東京で非常に愛情を込めて、東京のポートレイトを作ったつもりなんです。ですからそれに対して私は違和感を持つ人がいるとすれば、いい意味での違和感を持ってほしいなと思います。
── 都会の騒がしさではなく、東京にある静寂について細やかに描写されていますが、監督ご自身も東京という街に静けさを感じられるのでしょうか?
確かにその中にいるとすごくストレスを感じて神経質になってしまう街というのがあって、上海などに行くとカオスを感じて考えることができなくなってしまうのですが、東京ではまったくそういう感覚は覚えません。例えば渋谷のすぐ隣に瞑想さえできてしまえそうな場所が市民にあり、個人的には下北沢や高円寺のような住宅地は、バルセロナとも類似性があって、静かな街という印象を受けたのです。
── 菊地凛子さんの強烈な存在感がやはり印象深かったですが、彼女に対してはどのような演技のアドバイスを行いましたか?
彼女は本当に偉大な女優で、信じられないような才能を持っている方だと思いますし、どんな役でも最高のレベルまで持っていけると思います。コミュニケーションも非常にスムースでしたし、私のことを監督として信頼してくれましたし、私も彼女の信頼に応えるように努力して、それがうまくいったと思います。私たちは共通のベースからスタートすることができたと思うんです。最初に菊地さんに会った時に、主役のリュウの人物像が理解できるかということと、リュウはお金をもらって殺人するような道徳的には非難されるべき人間に対してどう思うかと聞いたんです。彼女は「自分の心の奥底を見つめていけば、私も人を殺すことはできるでしょう」と答えたんです。そこからふたりの理解が始まったのです。そして彼女の答が元にあってリュウの人間像は作られていきました。演技指導はしましたけれど、リュウの存在感というのは彼女の元々持っている力だと思っています。
── 監督はリュウのような陰のある女性をこれまでも主人公にしてきたのはなぜでしょう?
単純に幸せな人よりも、描くキャラクターとして興味深いと思うからです。幸せな人とは退屈なものですから(笑)。
── 殺し屋というもう一つの顔を持つ女性が主人公という設定は村上春樹の『IQ84』を思わせますが、彼からの影響について教えてください。
まず村上春樹さんは個人的にスペインでも東京でも会ったことがありますし、バルセロナ図書館で対談もしたことがあるんですよ。ストーリーの類似性は別にして、非常に好きですし、今世紀で存命する作家のなかでもっとも偉大な作家だと思っています。
── 映画監督として、また脚本家として、これからのスペインと日本の文化の交流について、どのような可能性があるとお感じになりますか?
日本の方が外国に対して興味を常に示していますが、スペインは国自体の面白さはさておき外の国に対してあまり関心を示さないということがあります。もっと外国に対して興味を示していくことが必要だと思います。映画に関しても、外国で撮影するスペインの映画監督は非常に少数派で私もそのひとりです。そうした意味で、スペインの方が日本から学ぶべきことの方がとても多いと思います。ただ村上春樹さんはスペインでもすごく人気のある作家ですし、日本とスペインの共通点はいくつかありますが、特に食に対する興味の高さは、スペインも食べ物に対するオブセッションは強い。スペインでパエリアを食べながら、これから一ヵ月後にどこかで食べるであろうパエリアのことを話題にしたり、日本であればラーメン屋さんでこれまでに食べたラーメンのことを思い出しながら食べたり、それだけ食べ物に強い興味を持つのはスペインと日本だけだと思うんです。そのようにして、私は日本とスペインとの共通点を探していくということが面白いと思います。
(インタビュー・文:駒井憲嗣 撮影:Takemi Yabuki)
イサベル・コイシェ×菊地凛子トークセッション
「監督と共犯関係になれた」
── 東京で今回ロケーションして作った訳ですが、監督にとって東京で映画を作るのは簡単でしたか?スペインでロケをするのとあるいは他の国でロケをして映画を作るのと比べて、東京で撮影して映画を作るというのはどれくらい大変だったんでしょうか?
イサベル・コイシェ:私はおそらく外に出たい思考が凄く強いと思うんです。それは性格もありますけれども、私の人生の結果として色々な外国に出る機会があったからという事です。若い時にスペインでも映画を作りましたし、それから仕事でアメリカに行く機会もありました。私の作った映画を私の家族は最初、観た時にあまり気に入ってくれませんでした。ですから、私は非常に反抗的なプロフェッショナルであったと思います。それから、私がアメリカで映画を作ろうと思った時には非常に自然な感じでその気持ちが起こってきたんですね。ですから外国の友達がいるのと同じように、私も外国で映画を作ってみたいという気持ちが自然に出てきました。
ですから簡単にそういった違った環境に入ることが出来ました。私自身は、東京で映画を作れると思っていなかったのですが、逆に私が東京に興味を覚えたのです。築地の市場でマグロを競り落すとか、そのマグロを切るとか、そういった場面を見た時にストーリーがちょっと沸いてきた感じがしました。その時私は『エレジー』をアメリカで撮影していましたが。偶然『バベル』で菊地さんと一緒に働いたスタッフがいて、色々な事を話してくれました。そういった協力者がいたおかげで、この東京での撮影も非常にスムーズに進みました。撮影中は仲間になってみんなでカラオケに行ったり、そして、日本の組織の在り方を私は学びました。日本の人たちは私たちが即興性を重視するという事を学んだのではないでしょうか。そういった意味で違った面をお互いに学んだと思います。
── 菊地凛子さんに主演をお願いしたのは?
イサベル・コイシェ:もちろん私は『バベル』の演技を観ていました。あの作品では聾唖の役柄なのでもちろん話していません。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督に「彼女は話せるの?本当にもともと話せない人なの?」と聞いたら「彼女は話せるよ、本当に素晴らしい人だよ」と教えてくれました。キュートで可愛い女性というイメージがあるかもしれませんが、実際に菊地さんを見た時に私が感じたのは、演じるという恐怖心は持っているけれどもその恐怖心に打ち勝って勇気を持って立ち向かおうとしている女優さんだということです。自分の本当の感情をぶつけて、その役を体現しようする女優さん。サラ・ポーリーもまさにそういった女優でした。非常に勤勉で、一生懸命仕事をしてくれる。
実際にこの撮影が始まった時に、リュウと言う役柄に本当にどっぷり浸かって、朝から晩までその役を演じてくれました。ある時彼女が私に「ピストルを貸してくれる?」と聞くから、私は「ひょっとしたら自殺をするの?」と答えたんです。そうしたら「そうじゃなくてピストルを握りながらベッドで眠りたい」と言ったのです。でも毎日毎日こういう形で、彼女を前に仕事ができること、そして特にセルジと菊地さんと私たちの間に生まれたお互いの強い共犯関係というのは非常に素晴らしかったと思います。
映画『マップ・オブ・ザ・サウンズ・オブ・トーキョー』より。
菊地凛子:イザベルが女優として私の在り方を話してくれたと思うんですけれど、そういう環境を与えてもらって、初めて自分が生き生きとした演技ができるのです。それを作っていくというのが監督の在り方だと思うんですが、本当にこのイザベルとやって思ったことは、自分にものすごく近寄ってきてくれるんですね。自分がどういう方向に見つけていっていいか分らないところをさりげなく、きちんと見守って、引き出してくれる作業が非常にうまくて、そこが監督として信用ができる。信用ができるからこそ、自分も一番良い状況で自分の演技を引き出していけるものだと思うんです。
確かにリュウという役は人殺しというバックグラウンドがあるために、いろんな自分にとって無い部分を掘っていく作業はとても大変でしたけれど、彼女だからこそ自分も夢中になってやれたし、そこはやっぱり、こんなに信用できるという事がすごく映画作りには大事なんだということが今回は分かりました。特に私の場合、菊地凛子という一人の人間としては、やっぱり大した人間じゃないし、非常に面白くない(笑)。やっぱり演技をしたり、映画の中に入ることによって、やっと自分が生き生きしてくるということを非常に今回実感できて、それがすごく楽しかったですね。こういうクルーや監督はまれで、本当に気持ち良いくらいに共犯関係になれる。個人個人としてあるんですけど、非常に繋がっている感覚がある……難しいことは言えませんが、それがすごくあって、あそこまで深いところに、自分を持っていけたというのはいい経験でした。
イサベル・コイシェ:どういう風に監督すべきかということを私は良く聞かれるのですが、私は役者さんたちを監督するという意識はなくて、ある視点を築き上げるということだけを心がけています。役者を脅してやるとか、やさしく接するのが好きだとか、いろいろなタイプの監督さんがいると思います。監督さんによっては、監督自身が役作りをします。でも私は演じることは、全く出来ないです。だから私は愛から出発しています。私は撮影しているときは、例えば、凛子さんを撮っているときは凛子さんを愛しています。セルジさんにも恋をしていて、(中原)丈雄さんも恋しています。ですから好きじゃない役者さんとは仕事はできません。
カメラを自分で持って行う撮影方法についても、モニターの後ろにいて監督するというやり方は、私には出来ないです。まずモニターでは全部が小さく見えます。でも自分でカメラのレンズから見ると、何かうまく言えませんけれども、何かあるんです。この役者さんが次に何をするのか、ということを先に監督が考えることができる、彼らと共有することができる。そして観客になることが出来て、観客の視点を役者に与えることが出来る。私はこの方法を続けてきました。
映画『マップ・オブ・ザ・サウンズ・オブ・トーキョー』より。
菊地凛子:監督が本当にすばらしいのは、カメラを覗いてみて、私がすごく悲しいシーンで立てない時に、彼女はカメラを握ったまま私のところに泣いて近よってきて、「凛子、これは大丈夫、映画だから」と言ったんです。本当に、心の中で私に起こっていることを監督自身も感じていると言うのが、こんな監督いないなという風に思い、一緒に傷ついている感覚を覚えた。そこがイザベルのスペシャルな部分ですね。
イザベルは日本がすごく好きだし、日本がこの彼女の特殊というかスペシャルなキャラクターが日本に非常に合うというか、彼女が日本にいるところを見るのが好きですし。その好奇心、想像力がこの仕事をするのにすごい大事なことだというのを今回、ほんとに彼女を見てよく良くわかった。何に対しても果敢に捕まえて、それが傷ついてもいいから、捕まえようとする。そこがすごい人間らしいというか、彼女の生き生きした感じが見えて私もそういう風にアクティブに生きていかなきゃいけないと感じました。例えボーっとしていても、想像力や好奇心はいろいろなとこから拾えるというのを彼女を見ていてわかった。スペインに行ったときも、長く彼女の家に泊まったりしてご飯作ってくれたり、お酒一緒飲んだりしてすごく見えてきたものもありましたし。ただやっぱり、共通しているのは愛情深いんだなって言うのがわかったし、自分もすごい影響を受けて、やっぱりこういう女性になりたいというふうに強く思った。
イサベル・コイシェ:いやいやそんな。映画を通して、生まれたところは何万キロも離れていたところで、全く何も関係なかった人と関係が出来るというのは非常に素晴らしいと思います。そのようなことが、私は評価することが出来るようになりました。以前は出来上がった映画のほうを重要にしていた。しかし5週間から7週間という間、色々な人たちと一緒にいて、その間に撮影する非常に集中的な形で反映されている映画もある。撮影の現場でそれぞれの役割のなかで様々な障壁や問題というものが現れる。そこでまさに映画というものが非常に豊かになるのです。まさにセットの中で作られる現実であり、それを充分に活用する必要があると考えます。そうした撮影のアドベンチャーをだれも私からそれを取り上げることはできません。
2009年12月9日、セルバンテス文化センター東京にて
イサベル・コイシェ プロフィール
バルセロナ市出身。1988年、脚本家・映画監督として『若死にするには年寄りすぎる』でデビューし、ゴヤ賞の新人監督賞候補に上がった。『死ぬまでにしたい10のこと』や『エレジー』(ペネロペ・クルス主演)など国際的にも評価の高い作品を手がける。2009年には菊地凛子主演の『マップ・オブ・ザ・サウンズ・オブ・トーキョー』を手がけた。
菊地凛子 プロフィール
1981年1月6日生まれ、神奈川県秦野市出身。映画『バベル』で国際的に有名になり、Gotham 最優秀新人女優賞受賞、アカデミー賞最優秀助演女優賞にノミネートされた。イサベル・コイシェ監督による最新作『マップ・オブ・ザ・サウンズ・オブ・トーキョー』ではカタルーニャ人のセルジ・ロペスと共演。この作品によっていかなる映画のジャンルの役割もこなせる国際的な女優としての地位を確立した。
公式ページ
映画『マップ・オブ・ザ・サウンズ・オブ・トーキョー』
監督:イサベル・コイシェ
キャスト:菊地凛子、田中泯、セルジ・ロペス、榊英雄、中原丈雄
2009年/スペイン/カラー