FEVER店長の西村さん
新代田2009年3月にオープン以来、東京の音楽シーンの新たな発火点となっているライヴハウスFEVER。オーナーの西村仁志氏は前店の下北沢SHELTER時代から、長年に渡りライヴハウスという現場から音楽シーンを支えてきた。まずは人ありき、という氏ならではの視点から、多様化する音楽業界そしてライヴハウス店長としての哲学を語ってもらった。このアップリンク代表・浅井隆との対話は、2009年11月25日、駒沢大学の実践メディアビジネス講座『インディペンデントで自由な生き方ガイド』にて行われた。
一番似合うジーパンを穿いてSHELTERの面接に
浅井隆(以下、浅井):この講座にいる生徒は20歳前後ですけれど、西村さんが20歳前後の頃は、学校や専門学校とかに行っていたんですか?それともバンドをやっていたとか?
西村仁志(以下、西村):自分は栃木出身なんですが、栃木から埼玉にある尚美学園短期大学(現在の尚美学園大学)という、PAとか音を出す職業の学校に通っていて、19歳のときに下北沢のSHELTERでアルバイトを初めました。
浅井:その時のSHELTERってどんな感じだったですか?
西村:俗に言うメロコアと呼ばれるバンドがすごく流行っていたので、自分もそういうバンドが好きでそれに憧れてライヴハウスで働くようになりました。
浅井:ちなみにその頃の時給はいくらくらいでしたか?
西村:確か700円でした。
浅井:学校とSHELTERのバイトだとどちらが多く行っていましたか?
西村:短大だと2年目から就職活動にそろそろ入る頃なので、周りのみんなは就職活動をしていて。例えばスーツを買いにいったりしていましたが、自分はライヴハウスで働きたくて、ライヴハウスに就職するにはどうしたらいいんだろうと考えていました。でも採用試験があるわけでもないので、僕はいちばん自分に似合うジーパンをフリーマーケットで探して、それを穿いて面接に行きました。最初はバイトでしたけれど、最終的には社員になりたいとアピールしました。
浅井:SHELTERはどういう会社組織なんですか?
西村:新宿にあるLOFTという老舗のライヴハウスの姉妹店なんです。規模としてはそんなに大きくはないですけれど、ライヴハウスのなかでは知られている存在だと思います。
浅井:そうするとLOFTに務めるかもしれなかった?
西村:そうですね、正確なところを言うとLOFTはバイトを雇っていないので、SHELTERは募集しているということで行ったんです。僕のなかの優先順位でLOFTがダメだったらSHELTERで、SHELTERがダメだったらLOFTで、という気持ちでした。
浅井:当時バイトで他にも採用された人はいたんですか?
西村:いや、自分が行った時にたまたま人がいなかったので採用されたというかたちで(笑)。栃木から埼玉の学校に行って下北にバイトに行くという三都物語みたいなことを日々繰り返していたので、普通だったら採用しないと思うんですけれど。ほんとに人手が足りなかったんでしょうね。ちゃんと自宅から学校に出て、下北沢まで行って働いて、朝方終わったら始発で自宅に帰るという生活でした。
浅井:体力的に相当きつかったんじゃないですか。
西村:でも20歳くらいですからね(笑)。
浅井:それで学校は卒業したんですね。
西村:尚美を卒業して、東京に出るかって。下北沢で働くために、新宿の不動産屋に「小田急線沿線でお風呂が付いていていちばん安いところをピックアップしてください」って5、6件まわってみて、結局住んだのは神奈川の向ヶ丘遊園でした。「マンションの管理人室が空いてるから、そこに住まないか」と言われて、そこに3年くらい住みました。家賃は4万5千円でしたね。
浅井:そこからSHELTERの仕事だけをやるようになったんですね。ライヴハウスの仕事というのは何時ごろ出勤してどんなことをするんですか?
西村:小屋によりけりだと思うんですけれど、バンドさんが入ってリハーサルをして、本番が19時くらいで終わりが22時くらい。それからSHELTERはパブタイムがあって、中打ちができるようになっているので、バンドさんが呑んでいくんです。自分が働いているときは、パブタイムから来る常連さんも多かったので、そういう人たちと話しながら仕事をしていました。居酒屋みたいな感じですね。その頃の常連さんはすごい呑んでたので、朝5、6時くらいまで引っ張られてそこから帰るという生活で。次の日はまたリハーサルが15時くらいからという繰り返しでした。
浅井:そこでミュージシャンの人や音楽関係の人と必然的に接するわけですよね。
西村:そうですね、それがなかったらこうやって自分でお店は作れなかったと思います。
駒沢大学・実践メディアビジネス講座の様子
俺が日本一バンドを観ていると自負していた
浅井:ライヴハウスに入りたい、と音楽の世界に飛び込んで、自分がイメージしている通りでしたか?
西村:はじめは別に呑み屋をやりたかったわけではないので、すごいストレスがありました。どうしてもライヴが終わってからのパブタイムのほうが労働時間が長いので、当時はお酒もそんなに強くなかったですし、ちょっとイメージとは違うと思うところもありましたね。
浅井:でもライヴハウスはどちらかというとドリンクで収益を上げているんですよね。
西村: 22、3の時に「店長をやらないか」と言われたんですけれど、その前の段階からお酒を呑むことでコミュニケーションをするのがいちばんイヤだったんです。けれど、続けていくうちにいちばん面白いと思えるようになった。それは、バンドの裏事情が解ったり、素の状態でバンドと話せる方が人間像が解るから。ステージで観てかっこいいなと思っても、考えていることはやっぱり呑んでいないと解らないところがあるから。いま売れているバンドさんのお客さんが2、3人だったりする時代に、「どうしたらいいですかね……」と相談を受けるんですけれど、「そんな方程式があるはずないじゃん」という話から入って、「君たちのいいところはここだと思う」「かっこいいバンドじゃないと売れないと思う」っていう話をよくしていました。
浅井:西村さんがSHELTERでやられていた時に、お客さんが増えていったという手応えを感じたバンドは?
西村:今でも覚えているのはTHE BACK HORNです。2008年に日本武道館でもやったんですけれど、当時SHELTERではお客さんが2、3人の時代が続いて「どうしたらいい?」って泣きつかれて、「かっこいいのは解るんだけれど、お客さんが2、3人だとうちも店としてはできないし。メンバーが4人なんだから友達1人呼べば4人は呼べるんじゃない。次がんばらないとうちに出てもらうのは難しいかな」って言ったら、がんばってストリートライヴをやって、そこで何人か捕まえてきたという話があって。そこから彼らはどんどん売れていったんです。
浅井:僕がプロデュースした映画『アカルイミライ』(2003年)で音楽を使ったんですよ。そのときはもうメジャーでしたけれど。
西村:今でも「お客さんが3人の時に西村さんに切られそうになって、でもがんばって良かったです」ってライヴのMCのネタにされますね(笑)。あの頃ハッパをかけてくれたから今があると思ってくれているんだと思います。あとはASIAN KUNG-FU GENERATIONもオーディションの時にお客さんが2、3人の時に、地元の横浜から東京に出てきて、初めて「いいね」って言ったのがどうやら自分らしくて、そこからの付き合いです。彼らも最初お客さんがぜんぜん増えなかったんですけれど、Ki/oon Recordsからリリースしたタイミングで急激に売れた。それでもずっとツアーの初日はSHELTERでやってくれて。SHELTERのステージって床が市松模様なんですが、はじめて武道館でやったときにそれを武道館で再現してくれて、MCでも「SHELTERと同じにしました」って言ってくれたんです。
浅井:それは泣けるエピソードですね。
西村:けれど、スタッフもメンバーも事前になにも言ってくれなかったので、そのライヴ俺行けなかったんです(笑)。
浅井:SHELTERに出るバンドは、西村さんが他のライヴハウスから見つけてくるんですか?
西村:SHELTERに出たい、というバンドは当時すごく多くて、オーディションをしていました。それは週末のお昼にやるんですけれど、そこで受かるバンドもいれば落ちるバンドもいて、アジカンはそれで合格したんです。お客さんを呼びこんで、チケット代を安くして、お客さんを呼びながら自分もそこでライヴを初めて観て、ああだこうだという話をして。そこで今有名なバンドもいっぱい落としていますし(笑)。でもその中でアジカンは顕著なかたちで売れて、コミュニケーションを取れたバンドです。だから11月にFEVERでやるのは、西村さんがやってるからということを前から言ってくれて実現したんです。
浅井:今の話を聞いていると、バンドがデビューして活動していくきっかけがライヴハウスであるならば、西村さんのような店長の人がオーディションライヴなりでピックアップして、ライヴする機会が与えられていくということで、実はライヴハウスの店長というのは、バンドの音楽ができていく上でのキーパーソンであるポジションということですよね。
西村:そうですね。今ではライヴハウスのオーディションライヴというのもない状況も増えているんですけれど、その当時はどこの小屋でもお昼のオーディションライヴというステップをクリアしないといけなかった。だから自分は死ぬほどライヴを観ていましたし、当時は俺が日本一バンドを観ていると自負していました。
FEVERのフロア
バンドの人間性を重視する
浅井:SHELTERには結局何年いたんですか?
西村:19歳のときに入って、辞めたのが33歳のときでした。
浅井:それはライヴハウスの業界的には長いんですか?
西村:けっこう普通ですね、十年選手みたいなところはありますし。特に下北沢はそういう傾向が強くて、ずっと同じ人が店長をやったりしています。
浅井:だからこそ信頼があり、小屋のカラーがきちんと作られていくんですね。
西村:あそこの店長は誰だから、というのがお店のカラーとイコールになるというのが重要だったりしますね。
浅井:レコード会社やレーベルだと、社長の名前とか顔は解らないですけれど、ライヴハウスだと店長がぜんぶバンドを選んでいるから、カラーがはっきりしているということですね。その十数年のなかで音楽シーンもすごく変わってきたじゃないですか。お客さんのいるその最先端にいて、変化について何をいちばん感じていましたか?
西村:ライヴハウスの業界自体はさほど変わっていないというのが正直なところです。例えばCDのセールスが落ちたとか、そういうことはよく聞く話だったんですけれど、ライヴをきちんとしないとだめなんだというのは、近年バンドの方でもしっかりと思っているんじゃないでしょうか。というか、ライヴが好きでやっているバンドは必然的に音源よりライヴをきっちりやりたいと思うので。
浅井:ライヴハウスのシステムとして、1ドリンク付きで2,500円から3,000円だとすると、ドリンク代はぜんぶ小屋に入りますよね。後の入場料はどうやって分けていくんですか?
西村:いまはどこのライヴハウスでも、ノルマや小屋貸しがあるから(出演するために)いくらかかるっていうのはあると思うんですけれど、うちは基本姿勢として、例えば3,000円の入場料で10名お客さんが入って30,000円だとすると、うちが20,000円もらうからバンドに10,000円あげるね、というかたちでバンド側にマイナス負担はほとんどないんです。比率は動員によって変えています。動員がゼロでも機材レンタル代はかかりますけれど、それさえも「次はがんばろうね」ともらわなかったり。可能な限りノルマというかたちは取りたくないんです。
浅井:音楽業界でCDの売り上げが落ちてきて、ライヴハウス志向が強くなるバンドもあるだろうけれど、その中でバンドと同時にレコード会社の人も出入りしているわけですよね。そういう人たちの付き合いは?
西村:バンドの人たちと同じくらいレコード会社の知り合いも多いですが、レコード会社を辞めてまた別のレコード会社に行く、という人がすごく多かったですね。一時期あるレコード会社に自分の知り合いも含め大量に人が移動したことがありました。そういう人の流れは感じましたけれど、別にどこのレコード会社の誰々さんだから付き合うということはないので、その人自身が好きかどうかで付き合っているから、その人がどこにいようがあまり関係なかったですね。
浅井:そういうレコード会社の人が西村さんに「なにかいいバンドはいないですか?」と聞いたり、探しにきたりもするんですか?
西村:それは今のほうが多いですね。SHELTER時代は名のある人しか出ないでしょ、ということはよく言われて、そういう訳ではなかったんですけれど、今は新しいお店で新しいバンドが多いから、「いいバンドがいたら紹介してくれ」ということは言われます。
浅井:ということは、レコード会社にはまだやっぱり新人発掘をしてCDをリリースしようとする意欲はすごくあって、まだアクティブに動いているということですね。
西村:どんなに業界が大変だと言われていても、新人開発部というのはどこのレコード会社でもありますから、そういう方とは仲がいいです。育成金が1千万円あったのが100万円になったとか、100万円あったのがゼロになったとか、そういうことにはなると思うんですけれど。
浅井:育成金というのは?
西村:アーティストがメジャーのレコード会社と契約する時に、だいたい事務所が間に入ると思うんですが、レコード会社としてはバンドに成長してもらいたいので、お金を出すんです。そのお金を事務所やアーティストがどううまく使うか、例えばバンドの給料として事務所から渡すこともありますし、ここで広告を打つために使うこともありますし、好きに使うことができるんです。
浅井:今のバンドの人たちの活動のゴールって、少し前だったら当然メジャーデビューだったけれど、メジャーのレコード会社自体に大きな夢を感じられない部分も増えてきたと思います。
西村:メジャーに行けたからいいっていう訳ではない状況は続いているので、そこで音楽でご飯を食べられるか食べられないかという線引きが出てきてしまう。そこで四苦八苦してしまうんだったら、趣味としてやっていきたいという人もいますし。この前出演したHAWAIIAN 6はPIZZA OF DEATHからリリースした後に、自分たちでレーベルを立ち上げて、セールスは何万枚もいっています。彼らもSHELTERのオーディションで出会いました。そこで最初は落としてるんですけれど(笑)。その後に何かの機会で話すことがあったら、いい奴だったという話で、がんばっていけたらいいねと言っていたら、その後売れたんです。
浅井:音楽と同時に、バンドの人間性って大事ですか?
西村:自分は人間性の方を重視しているところはあるかもしれないです。バンドがどれだけかっこよくても、話してこいつダメだなと思ったらあまり出てもらいたくないと思うことはあります。
併設されているギャラリーpopo。食事や打ち上げもでき、ライヴがある日でも一般のお客さんが入場可能だ。
自分のやってきたことを信じてきた
浅井:十数年務めたSHELTERを辞めるきっかけは何だったんですか?
西村:ライヴハウス業界も世知辛いところが出てきて、箱がどんどん増えてきたということもあると思うんですが、なかなか売り上げが伸びてこなかったり。自分はずっと好き勝手やらせてもらってきて、会社のほうから「他の店舗のことも考えて西村に動いてもらわないと」と言われて。それはどんな会社でもある部署替えのようなことだと思うんですけれど、自分が取った選択は「じゃあ辞めます」というかたちでした。さすがに十年務めているとどうしても愛着が沸きますし、雇われ店長だったんですけれど、自分の店のように好きにやらせてもらっていたので、そこを離れるなら意味がないなと思って、「自分で店を作るので辞めます」と。
浅井:でもそれは雇われ店長とぜんぜん立場が違いますよね。そこの話を聞きたいと思って。この講座にはインディペンデントな生き方をしている人に来てもらっていて、インディペンデントってなにかって考えたときに、〈毎日リスクを取る人〉という風に定義したんですよ。だから例えばバンドも音楽を作って売れなかったらというリスクを取っていると思うし、僕は会社の経営をやっているから、社長としても仕事がまわらなかったら会社がやばくなる、というリスクを取っている。そういう意味では、よく決意しましたね。
西村:ただSHELTERでやってきた十何年って、自分のやってきたことを信じてきたところもありますし、バンドがかっこいいかということは重要なんですけれど、人がいいかという付き合いのほうが深かったので、それが嘘じゃなかったら、自分が新しいお店をやっても出てくれるんじゃないかという思いがあった。現時点で出てくれているのでよかったなと思っています。
浅井:でも辞めるとなると、人間関係がある程度移動していきますよね。
西村:それは正直なところで、だからSHELTERのことを解ってくれたり、ライヴハウスを好きな方だったら、FEVERのスケジュールを見たら察してくれると思うんです。この前びっくりしたのは、とある一般のお客さんから、「私がSHELTERをすごい好きだった頃のブッキングと内容が似ているんですけれど、なにか関係があるんですか?」と言われて。
浅井:(笑)。その子には話したんですか?
西村:いえ、今日はこういう場だから話していますけれど、別にSHELTERで前やっていた人間が作った小屋ですということは公表しているつもりもないですし、SHELTERにいたということを理由にして仕事しているつもりもないので。
井の頭線新代田駅から走れば10秒!オープン以来常に賑わいを見せるFEVERのエントランス
バンドが大きくなっても帰ってきてくれるライヴハウスを目指す
浅井:今、ライヴハウスを立ち上げるのにどれくらいの資金がかかるんですか?
西村:大きさによりけりだとは思うんですけれど、億には届かなかったくらいです。
浅井:ワオ!それはお金を借りたんですか?
西村:貯めていたとこころもありますし、さすがに個人で億までは貯められないので、どうしようかなと思っていたところで、それも人の縁ですね。関係者の方がバックアップしてくれたり、そのお金を元に銀行に行って話をして。今はその借りているお金を返しているところです。
浅井:場所が新代田なのは、いろいろ探しているなかで決まったんですか?SHELTERが下北沢だったので、最初は下北で探していたんですか?
西村:今はライヴハウスを作りたがっている大きな企業もすごく多いので、自分が辞めたときにも「うちでやりませんか」といろいろ引き合いがあったんですけれど、自分で店をやりたいので断りました。最初は正直な話、下北でも探していたんですけれど、べらぼうに家賃が高いのと、大きな音を出したり人が溜まるということで大家さんにいやがられてできないところもあるので。
浅井:なるほど。
西村:前店を辞めてからロンドンに行ったんですが、向こうのライヴハウスやクラブは、名がある駅だと家賃が高いから、ちょっと外れた駅前に作るというのが流行っているという話を聞いて、こういうかたちで東京でもできないかなと思ったんです。
浅井:ロンドンのライヴハウスはパブスタイルが普通ですよね。
西村:呑めるところも食べるところもあって、奥に行ったらチャージを払ってライヴを観ることができる、そういうかたちをとりたいなと思って。「うまいラーメン屋さんはどこでも流行る」それと同じイメージです。内容が良ければ場所はどこでも大丈夫だと、渋谷や新宿や下北沢じゃないところでもどうにかないかということで、たまたま見つかったのが新代田の物件だったんです。広さもあって、前に環七も通っていますし、地下に駐車場もあるのでバンドが機材車で来ても停めやすい。場所が見つかったのはほんとうに偶然です。
浅井:決めてからオープンするまでにどれくらいかかるんですか?
西村:2008年の夏に下見をさせてもらって、その時にまだ資金繰りが順調じゃなかったのですが、内装業の方に泣いてもらったりして、どうにかなったんです。それもあって、2009年の1月から突貫工事に入って、3月の半ばにオープンしました。飲食業だったら1ヵ月もかからないですけれど、ライヴハウスだから防音工事があったりして3ヵ月くらいかかるんです。工事の間も家賃が発生するのがいちばん辛いんですけれど、大家さんに相談したりして。とりあえず運転資金がないとだめだと解っていたので、そういうところでどうにか切り盛りしているという感じです。
浅井:開店して最初にやってもらいたかったバンドは?
西村:オープンのときはギターウルフにやってもらいました。SHELTERのときから仲良くさせてもらっていて、FEVERという名前もギターウルフの名曲で「環七FEVER」というのがあって、うちの前環七だからと最初は冗談で言っていたんです。他にもかっこいい名前でいろんな候補が出ていたんですけれど、最終的にFEVERでいいんじゃない、普通こんなダサい名前つけるのそんなにないでしょって。熱量という意味があるので、ライヴをやるときの熱量とかの意味合いもこめて、それでロゴの前に〈°〉の記号がついているんです。
浅井:キャパシティが300人程度の割には楽屋も考えられないくらい広いですよね。
西村:ライヴハウスと聞いてどこをイメージするかってお客さんによって違うと思うんですが、自分が思うライヴハウスって300人くらいの手が届きそうで届かないくらいの規模。敷地的には5、600人くらい取ろうと思えばできたんですけれど、経営的にも500人のライヴハウスだと方法論が変わってくるので、300人のキャパにしました。
浅井:500人のほうが経営的にはいいんじゃないんですか?
西村:例えば新人のイベントをやろうと思ったときに500人だとしんどかったり、バンドにとってもやりやすいのが300人程度だと思って。あとは20代の頃はギュウギュウに缶詰になるのもいいですけれど、30を過ぎてやっぱり空間的に贅沢になった方がいいなと。SHELTERの楽屋が6畳くらいしかなかったので、FEVERでは大きくしたいなと思いました。海外のライヴハウスに行った経験上、バーが別にあってゆっくりできるスペースがあって、フロアのバーカウンターも広めにとっているので、お酒の売り上げが前店と比べものにならないくらい良いので、その分バンドにも還元できる。お酒で売り上げが上がれば、ライヴの売り上げを返せるので、バンドもまたやりたいと思ってくれるという良い循環が作れています。海外のライヴハウスでは飲食でまわしていて、例えばライヴの売り上げは全てバンドに支払われるというのが普通なので、ゆくゆくはそれをやりたいなと思います。
浅井:こうやってお話を聞いていると、バンドとの関係などSHELTER時代の財産が大きくて、そこに新しくFEVERからデビューしていくバンドも出てくると思うし、西村さんとの繋がりで売れていって、万単位のお客さんを動員するようになってもまたFEVERに戻ってきてくれるということですよね。
西村:ライヴハウスの善し悪しって人によってあると思うんですけれど、自分はバンドが大きくなっても帰ってきてくれるというのがいちばんいい小屋だと思っているんです。それが今までもできていて、これからもやっていきたいと思います。
浅井:でも売れていかなかったバンドも山のように観ているんですよね。
西村:売れるだろうなと思ったバンドがぜんぜんダメだったり、HAWAIIAN 6のようにオーディションで落とした後に売れたバンドもいますし、自分が100パーセントだとは思っていないので。それこそ映画にできそうなエピソードはいっぱいあります。
(生徒からの質問)アーティストだけじゃなくて、施設そのものでFEVERではここは他のライヴハウスにはないと思う、差別化できる特色はどこだと思いますか?
西村:300人キャパのところで考えると、お客さんの逃げ場があるので、ちょっと疲れたら休めるんです。音が鳴っていないスペースあるって、この大きさだとなかなかない。しかも再入場できるので、そこがFEVERの売りだと思います。それから、なんとなくこの小屋はこういうところだから、というのイメージはどのライヴハウスにもあると思うんですけれど、うちはギターバンドもあればハードコアもあればヒップホップもあるので、ジャンルに縛りがない小屋だと思っています。好きなバンドであればジャンルは問わないですが、ただビジュアル系に関しては自分も勉強中なので、それは今後突っ込んでいきたいと思っています。観たことのないバンドはまだまだいっぱいいるので、音を聴かせてもらったりして出演してもらう判断をどんどんしていきたいと思います。
(取材・文・構成:駒井憲嗣)
ライヴハウスFEVER