骰子の眼

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東京都 ------

2009-12-20 18:00


「困難を超えた人にしか見えない景色がある」写真家・宮下マキインタビュー

写真集「その咲きにあるもの」は、乳がんを患う1人の女性のフォト・ドキュメンタリー。病を抱えて生きていく姿を捉えた彼女を、写真家として、1人の女性として追った。
「困難を超えた人にしか見えない景色がある」写真家・宮下マキインタビュー

1997年に第10回写真ひとつぼ展グランプリを受賞した作品「部屋と下着」でデビューしてから12年。写真家・宮下マキは、3冊目にあたる写真集「その咲きにあるもの」(河出書房新社)を出版した。乳がんを患う“洋子さん”に2年半にわたり密着して撮影したフォト・ドキュメンタリーだ。2年半に及んだ撮影について、そして彼女が追い求めるテーマについて聞いた。


「きれいな胸の状態のヌード写真を残しておきたい」という依頼を受けて

── 「乳がん」というテーマを日常的にニュースとして聞くことがありますが、ビジュアルとしてみると胸に迫るものがありました。治療の経過などを赤裸々に記録していて、まるでドキュメンタリー映画を観ているようでした。被写体となっている洋子さんとの出会いは?


通常の雑誌などの仕事の他に、個人から撮影の依頼も受けているんです。子供の1歳の誕生日にとか、ご夫婦の思い出の場所でとか、指定されて出向く。ヌードを撮るのも好きなのですが、それを知っている知人を通して、主婦である乳がん患者・洋子さんから「片方の乳房を切除しなければならないのでその前にきれいな胸の写真を残しておきたい」という依頼がきたのです。

── そういう依頼は初めて?


そうですね。基本的にはお祝いとか記念など、ハッピーな瞬間が多い。でも、今回は依頼を受ける受けないと決める前に、依頼のメールに添付されていた彼女の写真に衝撃を受けたんです。彼女が自分の子供と一緒に噴水の前で写っている写真だったんですね。満面の笑みを浮かべて笑っているというのに、私には彼女が泣いているように見えた。根拠もなく、なぜかそんな風に思ってしまった。私は人との出会いから作品を作ることが多いのですが、この人を長期に渡って撮ることになるんじゃないかという直感がこのときすでにあったんです。そして、今回の依頼撮影を受け、それでもまだ撮り続けたいと思ったら再度お願いしようと思って。そのときのヌード撮影も衝撃的だった。通常依頼の仕事の場合は、2時間とか、半日とか、時間を決めて撮影するんです。でもこのときは時間を決めず、とことん納得するまで撮りました。この時点で彼女は一週間後に手術を控えていたのですが、この人のことを追いかけてみたいなという欲求と、それがどれだけ困難なことであるかという葛藤があり、洋子さんや家族のことを思うと勇気が必要でしたが、思い切って依頼を。「あなたを撮らせてください」と。


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── そのときの洋子さんの反応は?


「それは私を撮りたいということ? それとも乳がんの私を撮りたいということ?」と言われました。すごくストレートな質問。実際そう聞きたくなる気持ちがわかる。でも、きっと彼女が乳がんでなけれ私に依頼していない。必然的に出会わなかった。その事実を受け入れて、「乳がんを抱えて生きていくあなたを撮りたいんです」と答えた。彼女の中には、戸惑いというより、撮られるからにはちゃんと向き合って欲しいという気持ちがあったのではと思う。今回は乳房ですが、失くした人の悲しみは、経験した人にしかわからないし、わかりえない。そういう喪失感がある。例えばそれが他の病気でも、または病気ではなくても、日常というものを改めて見直すということや振り返るということは、自分だってなかなかないのですが、それを彼女を通して見たかった。なので、手術して終わりではなく、むしろそこからが始まりであり、いつか彼女が新しい日常に戻っていくまで、という過程に軸を置きました。そこは最初から最後までぶれませんでした。

── 他人とは思えないほど、とてもプライベートな表情が出ています。宮下さんとの間の信頼関係から生まれるものでしょうか?


それもありますね。出会ってから本になるまで、2年半。会って撮らないこともありました。撮影するというよりは、一緒に時間を過ごして、その中で1枚だったり、100枚だったりを撮っていくという感じでした。それと大抵、すごく近くで撮っているんですよ。手術後の、号泣したり、彼女の中で葛藤や揺らぎがある中、すごく近くで。彼女が乳がんになったとき、自分と自分以外の人たちとの間に大きな溝ができてしまったようなんです。現実だけど、その新たな現実に入り込めない。決定的に自分だけが変わってしまったような気がした。でも子供たちは生きているし動いている、その現実を直視できない。私には、一緒にいる、見つめる、話しを聞く、そして待ち続ける……くらいしかできないんです。

困難を超えた人にしか見えない景色がある

── 一番印象深い一枚は?


百合の花を持ってもらっている破顔の写真ですね。あとは後半の、再建の手術が済んで新しい人工の乳房がある状態です。それは、乳がんというものを受け入れて生きていこうとしている彼女のシルエット。撮影を始めた2年半前には想像もつかなかった姿なので、ああここまできたな、と感慨深いものがありました。前を向いて歩いていこうとしている姿を見ることができたとき、この人を撮ろうと思った最初の直感は間違いじゃなかった、きっとこれが見たかったんだ、と思いました。また、ヌードで始まっているし、ヌードで終わろうと。この撮影に臨めたことはとても意味がありました。1人の女性である私と、1人の乳がんを患った洋子さん、お互いが向き合うというか見つめ合ってきた中で、私自身も日常についてすごく考えさせられた。そして困難にぶち当たっても、それを超えた人にしか見えない景色があるということを、彼女を通して見ることができました。

── お花の写真が効果的です。


彼女は花が好きで、入院していたときから、行くたびに花を持って行っていました。季節の移り変わりを表したりとか、ヌードにはガーベラをとか、花というのもひとつのテーマになっています。撮影のときには、常に花があった。そういう意味で、タイトルに使った言葉も「その先」ではなく「その咲き」。未来や希望という意味を込めました。

── 乳がんときくと暗くなりがちですが、表紙のビジュアルも明るく、最後も前向きに終わっていますね。


そうですね。最後に子供、家族の写真が入ったことがすごく良かった。最終的に彼女は、子供や家族の存在によって現実の世界に救い上げられたので、彼らの写真が最後に入ることは自分にとってもすごく意味がある。母としての顔は子供と一緒じゃなきゃ撮れないですから。

普段大切にしている中でも見落としてしまいがちなこと

── 写真集には、お子さんの絵や、お子さんと携帯で話している様子も。


子供ってちっちゃいくせに凄い力があって、その存在だけで人が生きるということ、突き動かされることがあるんだなと思いました。手紙をよく書く子供たちだったんですよ。子供たちの言葉ではっとしたり、彼女が涙を流したり。子供がいることで、明日のことを考えたり、生きていくことを考えたり。当たり前のことなのかもしれないけれど、そういう当たり前さ、普段大切にしている中でも見落としてしまいがちなことを、それを今回たまたま洋子さんという人を通して表現できたと思う。それは全く特別なことではなく、日常の中にあることだと捉えてもらえると嬉しいかな。

── これまでの作品を観ると“女性”というのがひとつのテーマになっている印象がありますが、それはありますか?


ありますあります。興味があります。ただ、単に元気がある人が女性が多いんです(笑)。その人の生き様なり、生きている過程、生活にすごく興味がある。好奇心をかきたてられますね。それと、自分が写真を撮り始めたきっかけがヌードだった。女性ならではの丸み、例えば妊婦姿の曲線などの身体のラインが好きです。

── そもそも、写真を撮り始めたきっかけは?


映画の仕事がしたくて、映画科のある短大へ進学したんです。そこで写真の授業があって撮り始めたら、自分の部屋を暗室にしてしまうくらいのめりこんで。20歳前後ですね。現像所でアルバイトをしている中で出会った師匠となる先生がヌード作品を撮る方で、その方に弟子入りさせてもらって。その後も、写真以外にしたいことがなかった。選択の余地がありませんでした。入口は映画だったので、今でも映画を撮るように写真を撮っています。しかし、大人数で制作する映画に対し、写真は被写体さえいれば何でも1人でできちゃう。そこが潔くていいなぁと。どんどん写真が好きにというよりは、とにかくたくさん撮りたいという欲望があった。被写体は人物ですね。時間があれば友人を撮っていました。その中で公募展の存在を知って、ただ撮るよりどんどん外へ出していこうと思って応募を。「ひとつぼ展」に応募したとき、入選はしたけれど公開審査でボロボロに批評された帰り、有楽町から見えた東京の街並に心を奪われました。建物がひしめきあい、部屋に灯る光はそれぞれ違っていて、あのひとつ一つの部屋の奥にはどんな住人が住んでいるんだろう、そう思ったのをきっかけに「部屋と下着」を撮ろうと思った。結局その作品で次回の「ひとつぼ展」でグランプリをとりました。だからあの時落選してなければ、「部屋と下着」は生まれていません(笑)。

── 今後もフォト・ドキュメンタリーを撮影していきますか?


「部屋と下着」のとき、100人の被写体を撮りました。それがだんだん100人の中のひとり、対ひとり一人、という撮り方になってきた。今はこういうテーマで撮りたいな、と思うものが常にあるのですが、基本的に私の写真は、人との出会いで始まっているので、そのテーマに重なる対象者が現れるまで、よく探し、よく待ちます。今は“家族”や“生”をテーマに撮影しています。撮影の仕方として、密着して撮影するのが自分らしく撮れる。個人依頼などでも、日常のワンシーンとか、またグラビアでも密着していいよと言われると楽しめる。今回の写真集の最後にある子供たちとの写真も、前の晩に泊まって撮っている。そうすることで、よそいきではない、素の顔を見ることができる。人間の内と外を撮りたい。これからも写真を撮ることを通して、内から外に変貌する瞬間とか、そんな変化を見たいと思います。

(インタビュー・文・構成:世木亜矢子)

■宮下マキ プロフィール

鹿児島市生まれ、東京在住。京都芸術短期大学映像科卒業。コマーシャルフォトスタジオKOZO入社。木村晃造に師事。1997年、ガーディアン・ガーデン第10回写真ひとつぼ展グランプリ受賞。2000年に写真集「部屋と下着」(小学館)出版。2001年は文化庁在外派遣員としてニューヨーク渡米。その他国内外で多数の個展・グループ展を開催する。2007年に写真集「short hope」(赤々舎)、2009年に写真集「その咲きにあるもの」(河出書房新社)を出版。
公式サイト

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