骰子の眼

cinema

東京都 中央区

2009-11-28 14:15


「リサーチの90%をカットしたのはパーソナルな内容にしたかったから」─『戦場でワルツを』アリ・フォルマン監督インタビュー

世界の映画祭の話題を独占、イスラエル映画の隆盛を象徴する話題作で監督が下した〈決断〉とは。
「リサーチの90%をカットしたのはパーソナルな内容にしたかったから」─『戦場でワルツを』アリ・フォルマン監督インタビュー
『戦場でワルツを』のアリ・フォルマン監督

2009年11月28日(土)よりロードショーとなる『戦場でワルツを』。公開に合わせ、アリ・フォルマン監督が来日を果たした。19歳で従軍した監督自らがモデルとなった主人公が、1982年のレバノン侵攻から生まれたと思われる悪夢の原因を探るために戦友たちを訪ねインタビューしていく。監督の出自となるドキュメンタリー的手法と、日本のアニメーションから強く影響を受けたという幻想的なタッチにより、想像を超えた戦場の現実をこれまでにないビジョンで描き、すでにカンヌをはじめ各国の映画祭で高い評価を集めている。制作に4年を費やしたという今作について、そして地元イスラエルでの反応から、ハリウッド批判に至るまでを忌憚なく語ってくれた。

19歳の頃の自分とどう繋がりを持つか

── まず主人公アリのインタビューに答える戦友たちですが、カルミ・クナアンのような成功者もいるし、格闘技に長けたシュムエル・フレンケルのような人がいたり、キャラクターや語る内容について個性的かつバラエティに富んでいることがストーリーに深みと説得力を与えていると思います。インタビューする人についてはどんな基準で選ばれたのでしょうか?

この映画のためにリサーチを行い、100人くらいの人にインタビューを行いました。我々が出した広告に対して、向こうから連絡をくれた人たちで、自分たちのことを話したい、という欲求があった人たちでした。それぞれが興味深い話をしてくれたんですが、全体のストーリーラインにはまらない内容があったのが、少し心配でした。私は脚本というものをほんとうに大切にしているので、脚本がきちんと機能するようにあまり広がりすぎないようということを心がけたんです。とても多くの時間をかけて作業をしましたけれど、最終的にはリサーチの90%はカットしなければならないと思っていましたが、それはよりパーソナルな内容にしたかったからなんです。本編に入らない人の話ももちろんたくさんありましたが、自分の周りにいる知り合いたちに落ち着きました。格闘家のフレンケルや、96年に一緒に日本に来たこともある友人であり精神科医のオーリ・シヴァンたちを入れることになりました。とてもパーソナルなレベルで自分と関わりのある人を入れたいという欲求に固まっていったんです。

── では面白いエピソードでも、監督の意図にそぐわないものは使われなかったりしたと。

そうですね。例えば私たちのところに話にきた男の話で、とても驚くべき話があったんです。イスラエルの兵士で、戦争のさなかに周りの多くの人が死んでうちひしがれていた。そこで彼は戦闘服を脱いで国境を渡ってしまった。そこでファランヘ党系のキリスト教のアラブ人のハーレーを乗っているようなバイクギャングの仲間になり、ハーレーに乗ってレバノン中を旅するようになったんです。イスラエルのチェックポイントに出会っては彼らのことを笑うんだけれど、兵士たちはその男が誰なのかは解らない。途中で彼はエルサレムに行って結婚することが夢だという女の子に出会って、彼女がバイクをイスラエルに持ち込むのを助けて、戦争のまっただ中でバイクで旅しようなんて信じられない話なんですけれど、彼らはほんとうにイスラエルに行くことになった。アメリカのバイクは持ち込めなかったから、そこでレバノンに戻ることになった。そして今度は彼女の兄弟が結婚することになるということを聞いて、おまえを殺す!と処刑されそうになった。結果的に彼は生き残ったんですけれど、そんなクレイジーなストーリーを最初は物語の10分くらいのところに入れていたんです。けれど長すぎて作品のフォーカスがずれてしまうと思って、カットするしかなかった。こういうエピソードは他にもたくさんありました。

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(C) 2008 Bridgit Folman Film Gang, Les Films D'ici, Razor Film Produktion, Arte France and Noga Communications-Channel 8. All rights reserved

── 記憶を掘り起こす作業というのは外から見ていても辛い作業だと思ったのですが、監督にとってどんな作業になりましたか?そしてこれからどういう影響があると思いますか?

自分にとっていちばん大きな問題は、19歳の頃の自分とどう繋がりを持つかということでした。当時19歳の頃の写真を見て、知っている人間だという意識はもちろんあるんですけれど、そこから自分との繋がりが希薄で自分の一部ではないような気がしたんです。それはニューエイジ的な感覚でもないし、前世という感じでもない。ひとりの人間として戦争に参加し、戻ってきたときには違う人間になっているんです。私の家族のことを考えても、それは決して珍しいことではありません。例えば私の父はもう亡くなっていますけれど、私たちの記憶では誕生日は5月2日だった。毎年その日を父の誕生日として祝ってきて私も20歳になるまでは信じていたんですけれど、実はそれは父が第二次世界大戦の時にキャンプから出てきた日だったんです。父はその時点から生まれ変わったと判断したんですね。そのことは母でさえ知りませんでした。死んだような状況から生き返って生きていくことというのは、後から知るととても悲しいことに思います。でも私はそういう環境で育ってきました。

──監督ご自身は宗教に対してどんな意識を持っていらっしゃいますか?

宗教によってあまりに破壊が多く生まれてしまったと思います。信仰のために死に向かう人があまりに多いのはとても偏っていると思います。それはキリスト教もニューエイジもユダヤ教もムスリムもそうですが、宗教が生を肯定するよりも死を肯定する側に行ってしまったせいだと思います。私は宗教のない環境で家族で育ってきましたので、宗教を理解できない立場なんです。

── 亡命ということは考えたりしますか?

これまでの人生でずっと考えてきました(笑)、それは宗教的なものではなくて、外国人としてタフに生きていくことです。でも次の作品の撮影はパリでする予定なので、みんなでパリで引っ越そうと思っていますが、これからどうなるかは解らないですね。

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子供達の意識が開かれるという状況は確かにある

── 戦争の記憶を風化させない、忘れさせないために必要な作品だと思いますが、監督が従軍した19歳と同じ年代のティーンはこの作品をどのように見ているでしょうか?どんな反応や反響が印象に残っていますか?

イスラエルでは、若い人はこの映画を理解するのに時間がかかったという現実はあります。この映画自体があるカテゴリーに収められて、極めてアート系の映画として紹介されたこともあったからです。第一波では、知識人しか映画館に来なかったという状況がありました。それは自分にとっても問題でしたし、伝わるかどうかという心配もありました。アニメーションもあるし音楽という要素もあるので、若い人が来てくれるという予感は持っていましたけれど、うまくいかなかった。2番目、3番目の波でようやく若い人たちが徐々に来るようになって、それは国際的な反応があったからでした。イスラエルにおいては教育的なシステムというのはとても強く、それは軍隊があって戦争に行くように彼らを準備させるための教育であって、それを受けている16歳の子たちはなかなかそこから抜け出せない。映画1本でそこまで状況が変わるということは難しいですけれど、私は多くの若い人に映画を観てもらおうと、学校にも行きましたが、意識が開かれるという状況は確かにあると感じています。19歳や17歳の子供たちがこの作品を観て、戦争というのは肯定できるものではないんだということ、アメリカ映画が言っていることが全て正しいのではないんだとをいうことを感覚で理解してくれていることを感じました。疑問が17歳の時点で生まれるならば、12年後に30歳くらいになってから戦争に参加するよりもいいと思うんです。賢い子供たちはそれで解ると思います。けれどそこで決断に至るかどうかということは正直言うと解りません。しかし、彼らに別の視点が生まれているということは確実に言えることです。

── ハリウッドの映画のなかには反戦映画と見せかけて実は戦争へのロマンをかき立てる映画が多いというお話をされていましたね。それは誰しもが持っている好戦的なところに訴えかけるという意味だと思いますが、どういうご意見を持っていらっしゃいますか?そういう映画で思い浮かぶものは?

まず『プラトゥーン』ですね(笑)。それからあまり一般的な意見ではないかもしれないですけれど、『ディア・ハンター』もそうだと思います。アメリカ兵士が犠牲者として描かれていて、ベトコン側が趣味の悪い暴力的で拷問を行う者たちと描いているけれど、誰も米兵がそこでなにをしていたかに疑問を持たない状況ですよね。なぜ熱帯雨林を爆撃し殺戮しているのか、敵の酷さばかりが強調されてばかりで、残念ながらもとてもファシスト的な映画だと思います。16歳の子供がそうした映画を観てアジア人を画一的に捉えたり、兵隊というのはかっこいいものだと思ってしまう可能性もある。ギャンブルもして女の子とも遊び、捕まらなければいいんだというメッセージが出されているというのはひどいことだと思います。一方で、『地獄の黙示録』は戦争の良くない点を非常にうまく表していて、本からの脚色の仕方に関しても自分の見解と一致していると感じます。戦場という状況がどれだけ自然なものではないのかを超現実的に表しているいい映画で、そのような作品は永遠に残っていくと思います。それから『フルメタル・ジャケット』の後半のシーンは『戦場でワルツを』の交差点を渡るシーンで影響を受けたところでもあるんです。そこはエッセンスとしてスタッフにも実際に観せました。ひとりのスナイパーがいて時間が止まるような感覚に、戦争のいちばんリアリティに近いものを感じました。しかし現在というのはとても奇妙な時代で、イラクの戦争の映画もたくさん作られていますが、レオナルド・ディカプリオとラッセル・クロウの『ワールド・オブ・ライズ』など、ハリウッド的な映画はボックスオフィスに影響を与えることしか考えず、何も語ろうとしていないと思います。

── 記者会見でも日本映画からの影響について話されていましたが、深作欣二監督の映画で子供をしつけていると聞いたんですけれど、それは本当なんですか?

いえ、子供に深作監督の名前をつけたかったんです(笑)。妻が「キンジ」という名前にしたらと言ってくれたんです。6年くらい前、息子がまだ4ヵ月のときにいつも朝4時に目を覚まして3時間くらい起きていて、また急に寝てしまうということを毎日続けていたんです。その頃は深く日本映画に傾倒していて、リビングで息子が起きた状態にいて、2本立て続けにやくざ映画を観てまた寝る、みたいな生活をしていました。深作監督の映画は4秒ごとに誰かが殺されたりするので、子供にどんな影響を与えてしまったのかいまだに解らないんだけれど、いまのところ犯罪者にはなっていないから大丈夫ですね(笑)。

── ちなみにどの映画だったんですか?

『仁義なき戦い』の5作だと思います。イスラエルで手に入る作品はDVDですべて観ましたよ。映画学校に通っていたときは、黒沢明、小津安二郎、溝口健二くらいしか観られなかったから、より多く知ることができるようになったのは最近になったからですね。

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── 制作に4年間かかって予算的にも体力的にも大変だったそうですが、その間に弱気になったり、あきらめたり、自分が望んだような作品にならないかもしれないと危機感を持ったことはありますか?

いえいえ、私はそんなタイプの人間ではないです。この映画は2期に渡っているのですが、まずリサーチなどの準備の段階が、旅をしながら人と会ったりすることと実写の撮影に2年かかりました。次がアニメーションを作る作業でした。フィルムメイキングのみに集中する時期で、自分でアニメーション・スタジオを作り上げたのですが、イスラエルというそれまでアニメーターが存在しない国でやらなければいけなかった。ほんとうに多くの人が関わってくれている大変さがありましたが、なにもないところで新しいことを始めることは、伝統や歴史がないだけに、自由があるんです。例えば日本で新人アニメーターが日本でアニメを新しく作るとなれば、いろんな繋がりがありすぎて、もちろんそれが助けになる場合もありますが、それが逆に窮屈になってしまうこともある。これは批判ではないですが、日本の伝統的なものにがんじがらめになってしまったり、典型的なキャラクターにはまってしまう可能性もある。私たちのように荒れ地で作業をしていると、本当に自由だけはあります。こんなことをしてはいけないとか、「こいつを見ろよ、なにも知らないのに」、と言う人もいない。もちろん日本のアニメーションからの影響は自由に取り入れましたし、フランスやアメリカでポピュラーなグラフィック・ノベルの要素も取り入れながらやっていました。とても自由だけれど、お金もなくサポートもないタフな状況というなかでやってきて、戻るという考えはありませんでした。スタートさせてしまったら、後は最後まで行くしかなかったのです。

── そして最終的に完成にこぎつけた原動力とは?

それは自分のキャラクターだと思います。そして周りにいる人たちのサポートがやはりとても大きかった。特にチーフと呼ばれるデザイナーやアニメーションのディレクターはみんないい人たちばかりでした。英語にはSTRONG IN MINDという言葉があるけれど、4、5年かかってアニメーションの作業をしていると、それだけの意思の強さが必要になってくる。危機が起こることを予測しながらやっているわけだけれど、ゴールに向かって動いているという意思は確かにある。基本的に私は楽観主義者であり、ハッピーな人間だけれど、ほんとうに絶望したことというのはあまりありませんでした。それは自分の家を抵当に入れたり子供が3人いるという状況もありながらですけれど、自分の信念というものがあったからだと思います。でもまた当時のような状況には戻りたいとは思いませんけれどね。

── 監督は今作を個人的だけれど普遍的な物語とおっしゃっていますが、観ていて、忘れてしまっているほどの辛い記憶をほりおこしている体験を一緒にしてしまったような感覚を覚えました。そもそも19歳の頃のことを思い出して映画を作ろうと思った理由というのはどこにあったのでしょうか?

決断するということがいちばん大変な作業でした。いちど決断をしてしまうといろんなことが進んでいきますが、どんな人でもいろんな状況であると思うんです。それぞれの人が問題を抱えていて、人生のなかで人と別れたり、決断を下さなければいけないことがある。とても大変なことですけれど、いい作用を及ぼしたり、人生のこれからのことを肯定できたりする。記憶が欠落するということに関しては、意識をブロックして閉じ込めてしまうところがあると思います。それは戦争の体験もありますし、子供の頃の虐待や近い人を亡くしてしまうという状況でもあります。そうしたトラウマ的な体験は、いろんな人にとってあり得ることです。それで考えるのを止めてしまったり、話すことを止めてしまったり、夢を見ることを止めてしまったり、それぞれがそれぞれの人生のなかで対処をしている。当時の自分にとってはその体験を抑えるということが、人生をより先に進むために必要なことでした。この映画はとてもユニバーサルなものだと思いますので、自分の80年代の戦争体験ということだけでなくて、様々な人に体験してもらえる映画だと思います。第二次世界大戦で日本の兵士もそうだったと思いますが、「自分はここでなにをしているんだ」「なぜ戦っているのか」と考えたり、悲惨な体験から戻ってからも、生き続けなくてはいけなかったり、日々のことに対処していかなければいけない。現在は60年前よりは違う状況かもしれませんけれど、人生のなかで決断をして前を見て、ということは常に必要なことだと思うんです。体の中から生まれてきた問題に自分自身で対面していかなければ前に進めないわけですよね。だから私のなかでもその体験に対面する必要があったのだと思います。

(インタビュー・文:駒井憲嗣 photo:Koji Aramaki)

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アリ・フォルマン監督 プロフィール
1962年、ハイファ生まれ。イスラエル生まれ。"ショア"を生き延びたポーランド人を両親に持つ。1980年代半ばに徴兵を終えた後、夢でもあった世界一周バックパック旅行へと旅立つものの、自分は旅に向いていないと気付き、一箇所に留まったまま故郷の友人たちに想像上の旅行記を送り続ける1年を過ごす。この経験は、彼に国に戻って映画の勉強をしようと決意させる。卒業制作にドキュメンタリー『COMFORTABLY NUMB』(91年)を制作。その滑稽かつ不合理な作風が評価されイスラエル・アカデミー賞のドキュメンタリー部門で最優秀作品賞を受賞した。1991~96年の間には多くのTV用ドキュメンタリー特集を手がける。1996年、初の長篇劇映画として監督・脚本を務めた『セイント・クララ』でイスラエル・アカデミー賞で監督賞と作品賞を含む7部門で最優秀賞を受賞後、ベルリン国際映画祭パノラマ部門のオープニング作品として上映され、観客賞を受賞。アメリカやヨーロッパなどで広く上映されて批評家の絶賛を浴びた。その後、数々のドキュメンタリー作品で成功を収めたのち、2001年に2本目の長篇劇映画となる『MADE IN ISRAEL』を発表。その他イスラエルのTVシリーズの脚本なども手がけ、『IN TREATMENT』(06年)は、ガブリエル・バーン主演、HBOの同名TVシリーズのもととなった。アリが初めてアニメーションに魅了されたのは、自身のTVシリーズ『THE MATERIAL THAT LOVE IS MADE OF』(04年)その成功がきっかけとなり、本作『戦場でワルツを』の独特の手法を生み出すに至った。


映画『戦場でワルツを』

2009年11月28日(土)よりシネスイッチ銀座にて公開
監督・脚本・製作:アリ・フォルマン
提供:博報堂DYメディアパートナーズ、ツイン、ショウゲート
配給:ツイン、博報堂DYメディアパートナーズ
2008年/イスラエル映画/カラー/90分
公式サイト

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