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2009年11月8日(日)、「NPO法人 自立生活サポートセンター・もやい」で11月14日(土)より公開となる小林政広監督の最新作『ワカラナイ』上映会とディスカッションが開催された。これは、もやいが定期的に行っている若者当事者のための居場所をつくる交流事業「Drop in こもれび」の後に催された企画で、もやい事務所(東京都新宿区新小川町)にある「スペースうたしぱ」にて、十数名の若者が、17歳の少年を主人公に現代の貧困を描いた今作について議論を交わした。もやいは経済的な理由により否応なく社会から排除されてしまう人への生活相談や支援を行ってきた。この日もアルバイトをクビになり母親を亡くしひとりで路頭に迷う主人公の少年の境遇や、彼を取り巻く状況などについて、ホームレス経験もある人も含む参加者たちから数多くの意見が寄せられた。
これで保護がおりないのなら、日本は終了している
『ワカラナイ』の主人公である亮は、入院中の母を抱えながら、コンビニのアルバイトで生計を立ててきたが、長引く母の闘病生活で家計は圧迫され日々の食事すら満足にできない生活をおくっていた。そして母の死を迎えることになると、病院への支払や葬儀代の工面という現実に追い込まれ、亮の絶望と不安は頂点に達する。
「『ワカラナイ』を観て、フィクションとして突っ込みたい点と、リアルとして突っ込みたいところがあった。まず葬儀屋はお金がなかったらこない。あれは単に荼毘(だび)にふされて無縁仏として処理されるので、葬儀屋の請求がくることはないですね」
「病院での死亡を聞きつけて営業がくるということはあるけどね」
「葬儀も行われないようなせつない形なんだけれど、無縁仏で葬られるのは確定しているし、どう考えても死体を持ち出すのは無理だろうと。生活保護の申請はしているが、おりていないという台詞が出てくるけれど、このシナリオでいくと、死体遺棄したことをマスコミがかぎつければ、その生活保護課は全国キャンペーンがうたれるほど批判されることになると思うので、そこまでひどくないんじゃないかという気がする」
「病院から40万円の請求というのがあるけれど、高額医療費の戻りの制度があるから、保険を払っていなかったということだよね」
「でもどう考えても保護はおりると思うよ。未成年の子供だし、母子家庭だし」
「あれで保護がおりないというのは、ほんとうにこの国は終了しているという気がする」
「彼は17歳で死体遺棄をしたから事件になって、施設送りになることは間違いないと思うけれど、実刑判決なんですか?この事情で前科がなくても、死体遺棄は家裁は一発レッドなんでしょうかね」
「それから、学校の先生はもう少しなにかするのではないかという気もしますけれどね」
「いや、今の学校の教師はなんにもしないよ!」
「いま東京都立、神奈川県立といった公立でも3ヵ月間学費を払わなかったら退学だからね。だから修学旅行費が払えなくて、8月ぐらいに修学旅行行きたいがために出会い系サイトを使ったりなんてこともあるらしいですから」
「もう少し早く主人公がおかしくなると思う」
「俺もそれはすごいと思った。すごくまっとうなの!こんなにまっとうじゃいられない。まずお母さんの入院からバックレると思う。お母さんを助けて病院へお見舞いに行こうと思わない」
「入院費を先月分から払えてないって言っていたから、2、3ヵ月経ってるわけで、入院している母親を抱えながら、保護も受けていないで高校に通ってアルバイトをやっていたら、もっと早くおかしくなっていると思う」
もやいでのディスカッション風景
「自分がこういうことになっていることに対する怒りの表明って作品のなかでほとんどなかったじゃない」
「エモーショナルな部分はお母さんに絡む場面で多いと思ったんです。自分のために泣かない子供だよね」
「結局、バイトに通っていることでなんとか自分を保っていたと思う。お金が入ってくるときと入ってこないときの落差が激しいんじゃないかな。俺も失業して、バイトしているときにはカネがないときはものすごい不安だけれど、バイトしてしばらくカネが入ってくるからそれまでの間にやっていけるような精神状態だった」
「家のすさみぐあいから解るけれど、ライフラインが止まっているから、カップ麺を食べるしかない」
「(そういった境遇の人は)メロンパンはいちばん安いので買うというのは聞いたことがある。主人公もメロンパンばっかり食べてるでしょ。値段のわりにいちばんボリュームが多いので」
「あと水道も止められてペットボトルで公園に水を汲みにいくところもリアリティがあった」
「地方とかコミュニティが密なところだと、そういう状況に置かれているということを周りが気づいて、もうちょっといろんな救援や支援があったんじゃないかな」
「お母さんもあのような経歴(地方から上京して離婚た後、実家に戻って子供を育てている)だったので、周りと切れているんだと思う」
「他に行く場所がないからお母さんはあの土地に戻ってきたのかな。もしおじいさんおばあさんが生きていたらそういうことにならなかったのかな」
「でも今は地域社会は(人間関係が)切れているから」
「お母さんの演技がリアルだった。ほんとうにどうしようもなくなると、あんなふうにめちゃくちゃなことを言い出す。うちもそうなんですけど」
「病院はどこでもあんな感じなんですか?」
「普通だったらメディカル・ソーシャル・ワーカーというのがいるんだけれど、『こういうケースのときはどうするんですか』と入居支援事業などについて問い合わせてくれることはあるから」
「あとリアルに感じたのは、どうしようもない状況なのにボートを塗ってしまうところ。貧窮しているときにこそ、どうしようもないことにお金を使ってしまうんです」
俺だったらどこかでキレて暴れてる
亡くなった母を海に送ったあと、亮は、住み慣れたアパートを後にし、父のもとへと向う。亮は、ようやく父との再会を果たすが、そこには、幸せとは程遠い現実が待っていた。降りしきる雨のなか路頭に迷う亮は、繁華街で補導員に補導されてしまう。
「補導員はあんなに冷たくないんじゃない?」
「冷たいよ!俺なんてああいう状況で泣いても『泣かしとけ!』ってやさしくない。繁華街で警察署の駐車場で寝ていて補導されて」
「17歳だから児童相談所だけど、死体遺棄だからあれだけれど、地域の児童相談所はなにやってるんだって感じだよね」
「どっちみち施設送りになることは変わりない」
「あれで補導されてなかったら、自分と同じように自立援助ホームに入ってたかもしれない」
「死んだお母さんをボートに乗せて、少年が裸に寄り添うというシーンがなんとなく象徴的だった」
「頼りになる人のところで寝たいんだよ。でも俺だったらボートに行く手前で森の中で埋めちゃうよ」
「そういえば自殺しようとしなかったよね、それも不思議。というのと、死体遺棄と、葬式代と病院代を踏み倒すということが同じレベルの犯罪であることだと思っているなら、それは少年のひとつの誤解だよね」
「それは死が管理されているということだよね、しょうがないのかもしれないけれど」
──みなさんが少年の状況だったらどうします?
「なげるなげる。どこかでキレて暴れて、公権力が介入すると思うので、病院関係者を殴るとか、どっかでキレて暴れていると思う。バックレて万引きして、どこかへ行くのにもキセルして、というふうになる。貧困に陥ると友達とか関係ないから、ボコして。貧困になっていくと、なにもできなくて失っていくだけなので。17とかなんにも言えないから。キレるだけだから。で、ひとりぼっちになったときに、マックの前で泣くんだよ。俺は109の前だったけど」
「友達との関係が悪くなっていくところとか解るよね」
「あれで暴れるかっていう話だけれど暴れるか、自殺するか、物を盗むか、餓死するかぐらい」
「俺はそのままだね。なにもできないまま終わってしまうと思う」
「でも生きるためならなんでもして、ぜったい狂気にかられる」
「エネルギーの摂取量が少なかったんでしょう。コンビニでパクったサンドイッチとかだとなにか反抗するとかできなくなる」
「周りから問いかけられても『こんなこと俺に聞いてどうするんだよ!』みたいになるし」
「キレるのとすごく黙るのと両方。どんな人でも経験しているはずだと思う」
かわいそうだなと思う人が増えても状況が良くならない
「最後に少年が峠の坂道を昇りつめていきますが、あれは何を意味しているんですかね?」
「山に行って亡くなろうかなって。だからあの歌(主題歌のいとうたかお「BOY」)が流れるんだよ」
「あのシーンは物語の時系列から離れているんですよね?」
「いや、違うんじゃない?あの後親父に頼ってもどうにもなんないだろうというただそれだけの絵に見えたけど」
「でもあれだけ見ると、とても観客が暖かい目で見るじゃないですか」
「主人公をあと20歳上にしたら、誰にも共感されない映画になると思うけれど、そっちのほうがリアルだと思う」
「現実に17歳でこういう状況の人もいるんだけれど、そういう人は社会知識がないからと同情的に見られるけれど、実際は30代でこういう境遇の人のほうが数は多いんだよ」
「しかも30代だと、自己責任と言われる」
「30代には30代の苦労があると思うよ」
「かわいそうな演出をいっぱいすると共感を持って観られるけれど、もし彼がバイトしていたコンビニに強盗に入った事件としたら『最近の若い子は怖いね』っていう話になったに違いないね」
「(全体として)ありえない話じゃないと思うんだけど、これを観てこういうことがあるんだということが伝わるかな。ありえなくてもおかしくないということだけが伝わり、じゃあどうしたらいいのかというところは一切触れられていないから」
「それは映画だから、問題提起はするけれど、処方箋的なことまではやらないでしょ。それが目的だったら最初からそう作るわけだし」
「少年が淡々とカップ麺を食べてバイトしてって淡々と描かれているじゃないですか。そこに子供の貧困の状況や、やっていけない、食っていけない状況が表現されていると思うんです。淡々としてはいるけれど、見ている人はひでえなと思うんじゃないですか」
「かわいそうだなと思う人が増えて、状況が良くなるかと思ったら、私は疑問がある」
「この主人公ほど精神が強い人がいるのかって思う」
「そう、それは逆に言うと、それくらい状況が揃っていてかわいそうだと思う人だったら助けてやってもいいけれど、という話になってしまう」
「でもこういう生活になっている人は学年にひとりくらいいますよ」
「いるんだろうし、そういう流れになればいいと思うけれど。監督さんのほんとうの意図は解らないけれど、この映画を貧困というテーマで描こうとしてこれだけかわいそうな状況を作ってあげないといけなかったんだとすれば、かわいそうじゃないと受け入れませんよ、っていうメッセージが受け手の側にあるからとしか思えないわけで。ほんとうの貧困状態の人は、トータルで100パーセントかわいそうなストーリーがある人ばかりではないし、そうじゃない人たちのことは無視していいのかっていうことは疑問です」
「この映画に関しては中高年とか全体的な貧困ではなくて、子供の貧困ということに的を絞っているから、全部の貧困の問題を取り上げられるわけないじゃないですか」
「子供の貧困ということにしても、徹底的に努力をして、かわいそうな状況が降り重なった人しか対応しませんよ、というのでは困る。給食費を払わないというだけの人もたくさんいるんですよ、ということであるのだとすれば、あまり意味がないじゃない」
「両親は揃っているけれど、学校に行く交通費だけがないとか、中退せざるをえないとかね」
「事態はもっと複雑で、すべてが揃って超かわいそう、他の解釈は不可能ですってなるかというとそういうことでもないし。この描かれ方だからかわいそうに見えるのであって。例えばコンビニの店長の立場だったら、かわいそうに思うかというと思わないだろうし。子供の貧困について問題提起をしたいと思ったのではあれば、うーんと思うけれど、こういう映画が日本でも作られるようになったということに確かに意味はあると思う」
「公共の機関にもっと観てもらいたいんだよね。警察とか病院とか」
がんばれると簡単に思えてしまうことに戦慄を覚えてほしい
「山道を上っていくエンディングは、がんばれ!って言いたくなってしまうし、それでもがんばっていくんだという意味にも取れると思うんですよ」
「だからそこで俺なんかは、『それでもがんばっていかなきゃいけないのか?』って思ってしまうんです」
「(バックに流れる歌詞の)『気をつけろよ』ではなくて、柵を用意してあげなくちゃいけないんだと思う」
「国はなにをやっているだとか、地域はなにをやっているんだとか、病院の整備をもうすこしやってくれとか」
「坂道を上っていくっていうのは、その人間がなにかいい方向に向かって努力していくという意味じゃないですか。でもあの映画にはそれがないから、何に向かっていくんだろうっていう気がするんです」
「確かにがんばってもどうにもなんないんだよっていうのを一例として見せるのはいいと思うんだけれどね」
「よく言うけれど、貧乏人はお金持ちの生活を覗きたくて、その一方でお金を持っている人はかわいそうな食っていけない人の話を聞いて感動するというのと同じなんだよ」
「貧困者というのはかわいそうなんだという視点でしかものが語れなくなることに対して、疑問がある。この問題を知らない人に見せるならなおのこと。これがリアルなんだって最大好意的に、リアルに起こりえることなんだと受け取ったんだとしても、これだけかわいそうだからなんとかしてあげなきゃいけないっていうトーンになると、現実の問題を見たときに、感想がぐるっとひっくり返ってしまう」
「何回かデジャブするところはあったよ」
「リアリティがないというつもりはないけれど、もうひとつ、この映画を観てかわいそうだけどどうしようもないよねって完結されることもいやなんです」
「まったく映画で彼に手をさしのべるシーンがなかったですよね。僕はこれまでの話を聞いていて、あたたかい感じを覚えたというのは、最後に自分で歩いていく、それは心象風景なのか現実なのか解らないですけれど、彼が終始おかしくなってもおかしくない状況なのにおかしくなっていないというのは、ある意味、観ている人にとっては救いですよね、感動を与える。そんなのあり得ないよっていうこともあるんですけれど」
「でもこの映画で誰かしらか手をさしのべてしまったら、現実でも誰かが手をさしのべてくれるんだって社会は見てしまいますよ」
「大暴れして逮捕されて終了というのだと、もっと救いもないし、かといって途中で行政の介入があったら逆に映画として救いがなかったと思う。だから作品として問いかけたい、ということだったら、おかしくもならず大暴れもせず淡々と自分で歩いていく、行動し続けていく姿が救いとなっているから、良かったと思う」
「この映画を観たら狂わないんだって思ってしまう。この少年はあんなにがんばっているのに、狂ってしまうやつはダメなやつなんだって思ってしまうと思う。でもフィクションなんですから」
「俺としてはそこに感動ではなくて戦慄を覚えてほしいです。要するに、こういうことがあっても狂わないということに自分たちの感覚がフィットしてしまう、潜在的に求めてしまうということ。人間はそれくらいがんばらなきゃいけないとか、がんばれると簡単に思えてしまうことに戦慄を覚えてほしい」
[構成・文:駒井憲嗣]
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映画『ワカラナイ』
11月14日(土)よりヒューマントラストシネマ渋谷、11月28日(土)より新宿バルト9にてロードショー
監督・脚本:小林政広
プロデューサー:小林政広
製作:モンキータウンプロダクション
出演:小林優斗 柄本時生 田中隆三 渡辺真起子 江口千夏 宮田早苗 角替和枝 清田正浩 小澤征悦 小林政広 横山めぐみ ベンガル
配給:ティジョイ
宣伝:アップリンク
2008年/日本/104分
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