photo by Takemi Yabuki
スクリーンに自己のシルエットを映し出すパフォーマー・坂本宰。「坂本宰の影」という名で繰り広げられるステージは、光と影のトーンの変化やコントラスト、そして動きのみで表現されるそれは、映画・音楽・影絵・演劇といった要素を含みながら、より原初的でイマジネーションをかき立てられるものだ。これまでもSAKANA、二階堂和美、lakesideといったミュージシャンと共演を重ねてきた彼の、単独公演となるシリーズ「モノローグ」が開催される。今回は2009年11月13日(金)渋谷アップリンク・ファクトリーでの公演に先立ち、超然とした印象さえある、独自のパフォーマンスの秘密に迫った。
いろいろなことがひっくり返しになっていく面白さ
── 坂本さんが現在のスタイルを志すようになったきっかけは?
もともと映画や音楽など、節操なくいろいろなものに興味があったんですけれど、そうしたものを融合する方向ではなくて、自分が感じる興味のエッセンスのおおもとを、全部に放射状に広がるようなことをイメージしていたんです。例えば映画からみると、こういった影ってアニメーションの原点みたいに語られることもあるんですけれど、影というのは独立したものでもあるんです。進化の過程をあまり踏んでこなかったというか、影が何かに変わることで進化してきた。
── 影による表現に可能性を感じられたと?
始めてからそう思ったんですけれど、ただむしろ逆で、なにかこういう芸術的な表現をするときにまずいろんな技術的なことを会得しなくちゃいけないと思うんです。写真でしたら写真の技術ですとか、実写でしたら映画の撮影に関することって作業が分かれるけれど、そういった時間を生じずにできることで、なおかつそうしたエッセンスを持っているものを考えたときに、こういう表現がでてきたんです。ですから、自分にしかできないことというよりは、僕のやっていることは確実に誰でもできることだと思うんです。発想さえあれば、一日でできてしまうし。
── そうした意味では、とてもプリミティブな表現であるといえるわけですね。
それにはよりこだわるようになりました。自分がなにをやりたいかというよりも、とにかく動きたかった。自分が動けるための背中を押してくれるものを探していて、最初はシンプルに自分の体のシルエットを映して自分が動くようにしていたんです。ダンスを観たり、映画のいろんなシーンをまねてみたり、音楽に合わせてみたりしたんですが、そのあとで影そのものを完全に素材として活かしたくなったんです。そうしていくうちに、自分が動くよりも、光源をいろんなところに吊ったり、可変式にしておいたりしてみました。自分はモデルでもあり黒子のような状態でもあるので、光源が動くことで影が動くという発想になってから、それをより視覚的に単純にしていく方向になってきました。
── そこでより深い表現ができるようになってきたと。
肉体表現としては、影を動かす作業でしか機能させていない状態なんです。踊ったりはしないんですけれど、例えば電球を片手に持って振ると、踊っているように見える、そこの面白さを自分では前に出しています。
── 肉体のフォルムと、光がグラデーションのように変わっていく感じがとても独自の表現としてすてきだなと思うのですが、かなり計算されてのパフォーマンスなのか、それとも即興的な要素も含まれているのでしょうか?
基本的には即興はやっていないです。大づかみにポイントを決めているというか、ライヴなので、当日の自分のコンディションやリズムは活かすようにするんですけれど、むしろそれを活かすためのことを事前に決めてやっています。ダンサーの方のように身ひとつでやるのとはちょっと違うんですよね。ここのシーンでどんな光源を使うかといったことはあらかじめセレクトしておくし、光源とスクリーンがあって、その間に自分が立つとき、光源の距離と高さの関係もあらかじめ計算には入れておきながらやります。都内だとあまり広いところでできないので、自分がイメージしたものが映らないときがほとんどですし、無意識にやると、手で電球を持って振っただけで、スクリーンのサイズによって影の出方が変わって、スクリーンが小さければすぐ見切れてしまったりする。なので、会場の大きさに合わせて奥行きや自分の立つ位置を考えたり、動く際のストロークの感覚は全て計算しています。
── それから坂本さんのパフォーマンスには常に音楽も欠かせない要素としてあります。これまでも様々なミュージシャンと共演されてきましたが、常にそうしたアーティストから刺激を受けながらの活動だったんでしょうね。ミュージシャンの方とこういう世界観を作りたいとセッションしながら作っていくのですか?
お互いにないものを持っていますから、自然と確実にインスピレーションを受けます。共演する場合は大きな尺のなかで流れを漠然と伝え合うだけですね。音の細かいニュアンスや影の細かい明暗になると、そこに共通言語がない。でも「激しい感じ」「静かな感じ」という言葉はお互いのイメージのなかでは持ち得ますから、すごく大づかみな、ある種普遍性を帯びた言葉を交わしながらやっていくことが多いです。そういったことができる方とやっています。
── 影という剥き出しのものが、音楽とともにあると、そこにドラマが起こるというところがとても興味深いです。
音楽の力がすごいんじゃないでしょうか。音楽自体がなにかイメージさせる力をすごく持っていると思います。あとやりながらこだわり始めたのは、なるべくダイレクトな表現をしたいという気持ちになってきていて。僕のやっていることの特徴として、色をあまり使っていないこともあります。白熱球の灯りをそのまま出したり、この色を使いたいという場合は、そのものが持っている色を投影するというかたちはあるんです。例えばOHPでワインを使ってスクリーン上で赤い色を出すときも、そのワインの素材感のほうが重要だったりする。それ舞台のために用意したものというよりも、そこにあったものを使ってみるという感じ。常に構成はしますし、準備はするんですけれど、そこに表現されるものにおいてはなるべく、そこでの出来事を影に変換してみたいという気がするんです。
── では決して非現実的なものを表現するのではなくて、現実感を投影するというか。
化けたり化かしたりするのが面白いんです。使うものは現実的なものであっても、影で投影されると非現実的なものになる。現実的なものと必ず関係は持っているんですが、ときに反転したりすることが影だと起こりえるんです。なにより、裏返ったりすることの面白さですよね。いろいろなことがひっくり返しになっていくことをやってみたいということはあった。
「モノローグ」はいちばん剥き出しのスタイル
── 今回のアップリンクでの公演は「モノローグ」というタイトルがついているのですが、見どころは?
「モノローグ」というのは継続しているシリーズで、タイトルの意味している通りひとり芝居ということで、僕のやり方のベースになっているスタイルなんです。そもそもこのパフォーマンスを始めたときは、照明家の方が別にいらして、もうすこしお芝居のかたちをとっていたんですけれど、途中からひとりでどこまでできるかということを試してみたくなって、そうすると自ずと自分でできないところが見えてくると思った。いまやっているスタイルの最もニュートラルなタイプで、ものすごく殺風景なもの。妙な間もいっぱい空くし、そんなにスムーズではない。お芝居のようにきっちりタイミングを合わせて構築されたものとはまた違う構築のされ方をしていくんです。映画の技術のように、合成やオーバーラップもそんなに起こらないんですけれど……影ならではとしかいいようがない。「モノローグ」がいちばん剥き出しだと思います。
── お客さんが想像力を働かせて楽しむことができるということですね。
昔のアニメーションや、フラスコに水を入れて映写していたリュミエール兄弟がやっていた試みとか、今考えるとすごく無謀だと思うんです。例えば1秒間に24コマ、35ミリのフィルムが走るとか、あらためて考えるとちょっと驚きなんです。僕が思う映画の面白さってそこなんですよね。ストーリーの良さといったものももちろん好きなんですけれど、静止画が膨大な数羅列されて、走っているということ自体が自分にとってエモーショナルな要素で。映画のそのものが持っている、動かずにはいられないむちゃくちゃな面白さを、こういった淡泊な表現として「モノローグ」ではアピールしています。
── シルエットのみのパフォーマンスだからこそ、そこにダイナミズムを直に感じることができると。
映画だと止まっているものが動きだす、そういうところにすごくロマンを感じるんだけど、僕のやっている影の場合だと時間がスライスされていないわけです。静止している時間はどこにもないわけで、そこが映画との大きな違いですね。人のシルエットというのは特徴的で眼でみて解りますから、崩しようがあるし、遊びようがある。抽象的だとシルエットと呼べなくなってしまうから。
── 観た方の網膜や脳裏に焼き付いた時点で坂本宰の影という作品になるというか。
そうですね、やっぱり対象がいないとできないです。観る方がいない自分の部屋のなかではできないです。それから、自分の持っている影というのが、屋内で発生してみえるものよりも、野外で見かけるものの影のほうが多いんです。電車に乗っているときに足下に映っている影の動きとか、夜に車が通り過ぎるときに影がブワッと動く感じとか、そういう外にあるものを生け捕りにしていく。だからいちから影を作っているという感覚はほとんどないんです。自分で構成と呼んでいるものは、そういう感覚をセレクトしていくことで、そのときの印象が影を行うことで再現できるように努力しています。真面目に考えるとものすごく複雑なんです。渋谷でも新宿でも、街の道ばたでできる影がよくキラキラと動いたりするけれど、それはダイレクトに日光が当たるのではなくて、ものすごい数の反射を経てきているからなんです。それを考えると気が遠くなる。そのまままねしようとしたら莫大なお金がかかりますから(笑)。その街で感じた印象を持ちながら、そういった偶発的なことを偶発的な行為でやるのではなくて、偶発的に見えるように構成していく。要するにそれが自分にとって生きている影という感覚なんです。
── 切り絵みたいなものは見えるものが決まっているわけですよね。そうではなくて、実体があって世界があって光源があってみたいなところで変わっていくところを表現されようとしているのでしょうか?
まさにそういうものって説明がなくても、そういったもののなかに季節を感じたり、匂いや温度を感じたりということはできると思うんです。すごく音楽的であると思うし。人間が太古から持っている器官で呼応できるなにかを持っていると思うんです。
── そこから記憶が甦ってきたり、世界の断片をそのまま見せるのはなくて、あえてシルエットで見せるということですね。
もちろん本番までは「こういう影であってほしい」ということはありますけれど、結果的にはそれを見た印象がいちばん重要だと思っているんです。もっと言えばパッと見。何かを感じるきっかけがいっぱいあればいいと思っています。
(インタビュー・文:駒井憲嗣)
photo by Takemi Yabuki
坂本宰の影『モノローグ』
2009年11月13日(金)20:00開場/20:30開演
会場:アップリンク・ファクトリー
(東京都渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F)[地図を表示]
料金:予約¥1,500/当日¥2,000(予約共に1ドリンク付)
予約方法はこちらをご参照下さい
坂本宰 プロフィール
1969年、影とともに誕生。1988年、影とともに上京。1991年、スクリーンに自身のシルエットを投影する活動を開始。2002年、出演と照明操作を兼ねたパフォーマンスの実践を続ける。2004年、ライヴ・スペース planBを拠点に単独公演を開始。2005年、アコースティックギターデュオ・lakesideに感銘を受け、以後共演を重ねる。2006年、単独公演「モノローグ」を継続。以降数多くのアーティストとの共演を行う。