『尻舟』の宮本杜朗監督
大阪在住の映画監督・宮本杜朗による最新作『尻舟』の完成を記念して、記念上映会が2009年10月31日(日)から11月6日(金)までの1週間、そして11月19日に渋谷アップリンク・ファクトリーにて開催される。上映期間中は映画『尻舟』の上映と併せて豪華ゲストが登場するイベントを連日開催。また、会場併設のGALLERYでは『尻舟』の関連展示が行われる。公開に先立ち、宮本監督に映画をめざすことになったきっかけから最新作についてまで語ってもらった。
建築ツアーで買ったビデオカメラがすべての始まりだった
── まず『尻舟』が東京で公開されるにあたって、多くの人が宮本くんのことを知らないと思います。なので、簡単にいままでの映画を作りはじめるまでのお話を聞かせてください。京都出身ですよね、なんで大阪に出てきたんですか?
それは大学が理由なんです。もともと家具を作りたくて、高校生のときに、うちそんなにお金がなくて、国公立で家具作れるようになる学校が大阪にあるというのを知っていて、漠然とそこに行こうと思っていたんです。けれど家具作りたいけどなにやったらいいのかわからないので、地元のニックっていうホームセンターのおっちゃんに「どうやったら家具作れるようになるんですか?」って聞いたんです。家具って空間のなかの構成単位としてはかなり小さいもので、そこからだんだん大きくしてくのは難しいけれど、建築から内側にっていうのはそんなに難しくないし、家具を作るにしてもいい影響あるからそうした方がいいで、っておっちゃんが言ってくれた。家具を見ていても建築家が作っていることも多いので、そのおっちゃんの話を信じて、その大学が建築もやれるし、家具もやれるみたいなところで、ぴったりやわと思って、それで大阪の大学に来たんです。居住環境学科という、建築もやり、内側のこともやり、という学科に入ったんですが、入ってみたら、めちゃくちゃ建築寄りで、それで「話と違う」って辞める人が多かった。
── けっこうなんでも有りだったんだ。大阪に出てきたのは何年ですか?
2000年か2001年ですね。
── そのときに大阪に出てきて、いきなり映画を作りはじめた?
ぜんぜん違くて、建築ばっかりやっていて、建築やりたいという気持ちになっていて、家具に行けるのはいつでも行けるというおっちゃんの言葉もあったので、とりあえず建築をワーッと勉強した。家具はいつでもできるかなって。全然知らない世界だったのでおもろかった。でも結局模型で終わるんですよね。形にしきれないことが、すごいフラストレーションとしてあって、いくらやっても最終フォーマットに乗らへん。よう考えたら、建築家ってプロになっても土地とかないといけないし、施主もいるし、法律もあるし、そのフラストレーションは建築家になっても一緒のことやなと思って。しかも僕わがままやから、できたら人の言うことを聞きたくない。だけどそういうことなしにはできへん稼業やし、建築って用途はあるわけで。かといってオブジェみたいなものをやりたいとも思わなかった。なので、ちょっと悩みまして、それで、同じ学科の連れとヨーロッパ建築ツアーに2002年に行くんですよ。それで「これはやばい!」という建築があったら、やろうと思って。自分のなかでは勝負だった。
── 最後のチャレンジだ。
片手間でやれるほど建築も甘くないんで、どうしようかって、わりと切羽詰まった感じで行って。そのときの記録用にビデオカメラを買ったんですよ。それがすべての始まりだった。もちろんしょぼいやつなんですけれど、僕大学のとき軽音楽部やって、その軽音の先輩から「カメラあるんやったら映画撮れるんちゃう?」っていうことになって、「ほんまや」、「一緒に撮ろうや」って言われたのが、一番はじめに撮った作品。そのときは映るっていうことしか解らへん。もともと映画好きで「こんな映画撮りたい」とかまったくなく、映画とか人並みで一年に1、2回映画館へいくぐらいのものだった。なので、撮影自体は一日徹夜して次の日の昼くらいに終わって、撮ったんですけどこれどうやったら映画になるん?編集ってなに?っていうところから始まった。パソコンがあったのでそれにiMovieがついてますよね。あれで編集始めるんやけど、編集とかのあとのことを考えずに撮影してるので、どこをどうしたらいいか解らない。もうホントにハテナだらけでしたね。そういう状況でヨーロッパに行ったんです。行って現地で宗教建築から現代建築からまわっていろいろあったんですけれど、そこまでドカーンというのはなく、自分のなかでやりかけだったんですけれど、編集ってどうするん?みたいな映画のことが気になったりしていた。そこで途中でスペインやったかな、バルセロナで友達に「ちょっと俺建築無理やわ。やっぱ映画に行くわ」って。わがままなんで、建てたときには正解やと思っても、周りにぜんぜん違うものが建っていったりするなかで「なんで隣にあんなん建ってんねん」ってたぶんむちゃくちゃイライラする。街一個任せてもらえたらまた違うんでしょうけど。それよりも映画はすぐ形になるし、建築基準法みたいに映画基準法なんてのもないし、という理由ですかね。川合建二とか今でも好きですけどね。
── なるほど。
ヨーロッパから帰ってきてからその先輩と、何とか編集して完成させて。次は編集のことを考えて映画作ろうやって、ほんでやったらやったで、編集はまあまあいいんですけど、録音がぐっちゃぐちゃで。いちばんはじめの作品は、もともとサイレントの映画を作りたいとその先輩が言っていたので、音のことを考えず単純に撮影と編集でなんとかなってしまったんですけれど、二回目は音がぜんぜんだめで。軽音のボーカルマイクで同録してましたから(笑)。それで録音係がオッケイとかゆうてる(笑)。聞いたらいっこもオッケイじゃない。そういう、自分らにとって試行錯誤しながら勉強していく作業だった。失敗してアチャー……てなって初めて気づく。サルと一緒ですね。アホなだけなんですけど。はじめのほうとかぐっちゃぐちゃですからね。
── 短編・中編を含めてどれぐらい作ったの?
その先輩と作ったのは3本ですかね。1、2本目までがその話で、3本目が僕大学辞めようと思って、大学を休学して。そのときに映画をめっちゃ観て。その間に自分ひとりで作ったやつがあって。すごく作ること自体がおもしろくて、その後もう一本先輩の卒業前にふたりで撮った。僕けっこう「ウワーッ」ってなるタイプやから、その時点では先輩と映画観てる量も違ってたし、まあ、映画観てればいいってものでもないですけど、僕のほうがのめり込んでいる感じになって。でもその先輩と試行錯誤しながら一緒に作る作業は楽しかったですね。先輩はその3本目を作って就職して。で次に作ったのが『吉村佳雄WALKING、SLEEPING』という作品なんです。それが前ミドリでベース弾いていた劔(樹人)さんが大学で同じ軽音で、その人が「脚本書くから宮本くん映画撮ってくれへん?」って。僕もやりますやりますって言って。というのがはじめて60分超えた『吉村佳雄WAKING、SLEEPING』という作品なんです。
── それを映画祭に初めて出品したの?
いちばんはじめのも出品したんですけれど、ひどすぎるので。落ちてもなんの文句もないというか。
── すごい作ってるよね。
そうですね、自分では意識していないんですけれど、わりと空く時期ってないですね。
── 『明日香荘の人』を経て、『石売れず』、『フリフリ坊主』を作ったんですね。
そのときそのとき、明確にやりたいことがあって。
── 灰野さんとかイメージ的に出てくるのって『フリフリ坊主』?
そうですね。
── それって、ヨーロッパに行ったときに撮ったものではないんでしょ?
灰野さんはヨーロッパで撮りました。
── なんでそれはまたヨーロッパに行こうと思ったの?
ヨーロッパはすごいタイミングで、オシリペンペンズがヨーロッパーツアーをやることになっていて。
── そのときはもう既に友達だったの?
『吉村佳雄WAKING、SLEEPING』のときに知り合って、でも(石井)モタコは知っていたけれど、その時は迎(祐輔)や中林(キララ)さんとはしゃべったこともなかったですね。まさか映画を一緒に作る時がくるなんて全く思ってなかった。ガンジャってゆうバーの鉄人さんが「ペンペンズと一緒にヨーロッパに行こうと思うんやけど行けへん?」って誘ってくれて、まぁでも金もないし、行ったら行ったでおもしろそうやけれど、そんなに現実的じゃないというか、別にそこまで行くこともないって思っていた。自分の活動じゃないですからね。そうしたら、短編なんですけれど、『明日香荘の人』がペンペンズのツアーと同じ時期にドイツの映画祭で流れることになって。しかもCO2も同じ時期に通って50万円ずつ助成金が出るというので、お金ができた。もうタイミングが良すぎて。しかも一緒のアパートに住んでた梅(梅田哲也)ちゃんも別ルートでペンペンズと同じフェスで呼ばれてて、そやから。
── 行く理由ができちゃったんだ。
いろんなことが完全に繋がってしまった。あんな偶然ないと思う。ヨーロッパでモタコや梅ちゃんに出演してもらおうって。行ったら灰野さんもそこに居たのでお願いしました。
── そうですか。自分の作品を作りながら、今でもいろんな現場でも手伝いをやってるんでしょ?
いや、ぜんぜんやってないですね。(平岡)香純さんのやつぐらいです。
── でもロカペニスが作ったPVも手伝ってたよね?
斉藤(洋平)さんにセカンドカメラ頼まれて。香純さんのと斉藤さんのくらいですよ。でも、ライヴ撮ってというのはあります。
── 最近大阪の人と仕事をすることが増えているんだけれど、例えば東野祥子さんとかもそうだけれど、その頃の大阪の状況ってどうでしたか、っていつもみんなに聞いているんです。みんなめちゃくちゃで楽しかったって言っていて。
楽しい感じはありましたけどね。シンクロ感も。人ごとじゃない感じも。終わらずに続いていると思いますけどね。
── 99年とか2000年とか、いちばん大阪が盛り上がった時期で、それでまた状況が整備されていろんな動きが生まれて、その後に宮本くんが現れたという感じがします。
タイミングだなぁという気がしますけれどね。
── 役者が揃っている感じはあるよね。
僕に関してはめっちゃラッキーやったなぁと思いますけれどね。『吉村佳雄WAKING、SLEEPING』のときに、劔さんが出演者をそういう人らで用意してきて、そのときにはじめてモタコともおうてるし、そのときにペンペンズの名前は聞いていたけれど、観たことはなかった。あふりらんぽは観たことあったんですけれど、そのときにちゃんと出会えた人が多いですね。僕はわりと身近におる人らでずっとやってきたけれど、劔さんがいろんな人を呼んだ。たぶん劔さんは大阪のシーンの人らで固めてそういう映画にしたかったんだと思うんです。
── JOJO広重さんのコメントにもありますけれど、きちんと映画というかたちで大阪の空気をとじこめたものはほんとうになかったなって。
ほんまうれしいです。JOJOさんのコメントとか、そういうのって自分のなかにある気がするから。
── ずっとそういうところを見てきている人だからね。
あんまり映画から育ってるとか思えへんし。自分のことを、特になにから育ってるとかあんまり思いませんけれど、そういう精神的な部分というのはあって、だからしっくりきましたね。「どこどこの映画を経由して」とかそういう感じじゃないので。
── でもそのホームセンターのおじさんの話みたいに、ものを作りたいという気持ちはずっとあったんですね。
そうですね、どこかひねくれていた部分もあったろうし。
脚本をあんまり信用していない
── それで『尻舟』ですけれど、いつから作りはじめたんですか?
原案を思いついたのは、2007年の秋とか冬ぐらいで。『フリフリ坊主』を撮ってから、その間にピカチュウとやっているランゲルハンス島の映像とかは作ったんですけれど、映画に関してはいままでのなかでいちばん空いている期間でした。あるときにぱっと話がうかんで。それが原案になって。僕ちゃんと脚本を書いたことがなかったので、今回は原案をもとに脚本をちゃんと書こうと思って。演技の練習とかできるんで。それが今回の自分なりのポイントやって。それで何とか脚本の形になったんですけど、でもあんまり脚本を信用していないとこってありますね。脚本を書きながら想像していた雰囲気とか絵なんか、現場ではロケハンしててもイメージからかけ離れてることなんかざらにある。いやいや不純物だらけやん、ってゆう時が。まあピンチなんですけど、でもそうゆう時にその場で思いついたり考え出すことってすごく良かったりして、その場にいるから思いつくことで、机の上では絶対考えつかへん。僕はそっちの方が断然信用できます。もちろん自分のイメージに近づけていく作業も重要だと思うんですけど。思ってたんと何か違うっていうピンチの時に違うアプローチを考えるか、あくまで自分のイメージに近づけていこうとするか。そこの判断はロボットやったら爆発するんですかね。監督ロボットみたいなやつおってもね(笑)。いけるかいけへんかみたいな。いってみたけどあかんかった……てこともあるし。そういう意味で脚本を信用していないんです。どっかでそういう予想外の状況を楽しんでる部分もあるし。
映画『尻舟』より
── こういうものが作りたいという強いイメージがあって、そこにうっすら言葉でストーリーが加えられている感じ?
そうですね。ストーリーでつなぐだけじゃなくて映像でつないだり、テンションでつないだり、きったりとかやと思います。音楽がつないでくれてるとこもありますね。
── ストーリーが頭の中に浮かんだというのは、キャスティングも同時に?
いやもうまったくなかったです。いつもないんですけれど。脚本みたいなものができて、みんなで飲んでいるときに言ったら、モタコがやりたいって言ってくれて。「えっまじで?じゃあ頼むわ、お願いします」ってことになって。(和田)シンジは『フリフリ坊主』を撮ったあとにしゃべることがあって、「俺役者やりたいねん」って言ってて、「次やるときはオーディション受けに行きます」みたいに言ってくれていたので、シンジのことは頭にあって。主役が村越で、どっちかっていったら脇役が小林なんですけれど、それも別にモタコでもシンジでも入れ替えできた。特にモタコは忙しそうやから、スケジュールあわすのがめんどくさくてめちゃくちゃ嫌いで。だからシンジのほうがちょっと時間ありそうだったので、村越はシンジでもいいなと思ってそれをDODDODOに言う機会があったんです。そうしたらDODDODOがそれをモタコに言って、モタコが焦って電話してきてくれて「時間あるから主役やりたいです」って言ってくれて、それで決まったんです。うれしかったんですけれど、オシリペンペンズのモタコが『尻舟』という映画に出る、お客さんにはそれありきで作ってると思われそうやなと思ったんですけれど、まぁいいやと思って。モタコがやりたいってゆってくれて、それで僕もうれしいんですから。ホームレスの麻子役は、最初ちゃんとした女優さんにがんばって頼もうと思っていた人がいたんです。だけど断られて、どうしようかなぁと思って、シンジと映画のことしゃべってるときに、DODDODOがそばにいて、「ウチやりたい!」っていって、確かまだそのときはDODDODOと深くしゃべったことがあるわけでもなく、ライヴも観ていなくて、でも言ってくれたから「じゃあお願いします」みたいな感じで。そうそう、その時ロックライダーにいたんですけど、そのあと楽屋の水道管破裂してロックライダー中洪水でした。めっちゃDODDODOはよかったです。
── すごいよね、なにか賞をあげなきゃいけないくらい。
そうですね、DODDODOすごい良くて。
── みんな演技うまいよね。
うまいですよね。今までの映画ではやってなかったんですけど、尻舟ではリハーサルみたいなんやりたくて、演技練習の日を設けて臨んだんです。もともとできる人らやなという感じでした。みんなすごくいいと思う。
── 宮本くんは常にすぐに新しい映画を作ろうとしているから、半径100メートル以内の人にはものすごい勢いで伝わっているんだろうね。
そうなら嬉しいですね。
── 人を巻き込んでいく才能というのは映画監督に必要なものだから。スケジュールを合わせるのが嫌いな監督はあまりいないかもしれないけれど(笑)。
そうなんですか?めちゃくちゃめんどくさくてそういう事務的なことが。途中から香純さんがやってくれてめちゃくちゃ楽になったんですけれど。それだけでもめっちゃ楽になって。
── 実際うれしいコメントもたくさんもらってますけど、周りのリアクションで印象に残っていることを教えてもらえませんか。
皆さんそれぞれいいこと言ってくれててありがたいですね。梅ちゃんの〈人と街(大阪)とのあいだにある宮本くんの映画は~〉というそのくだりが、あぁ確かに街と人との間にいる感じがするなぁと思いました。女池(充)さんに「宮本くんは黒船に乗ったバルタン星人」て電話でゆわれたのも印象的です。嬉しいです。
── ロケハンとか全部自分でやるの?
全部自分でやります。チャリンコとかで移動しているときとかに「あそこのビルの屋上に上れそうやな、いい風景撮れるかもな」と思ったら上れなかったり上れたり、ライフワークっぽいですね、どちらかといったら。『尻舟』のあの河原も『尻舟』を考える前に見つけてて、いつかぜったい使おうと思っていて、ホームレスの麻子が河原にいるという設定は、先に場所がありましたね。
── いい場所ばっかりだね。街の切り取り方が丁寧だし、きれいだと思う。聞く順番が逆だけど、作り終えてどういう気持ちですか?
まだ正確に言えば作り終えていないんですけれどね(※取材は8月末に行われた)。音楽の作業が予定より時間かかってるんで。
── 音楽ってオシリペンペンズの迎さんですよね?すごいこだわって真剣に取り組んでくれてるって聞きました。
こだわり具合は半端じゃないです。ペンペンズもあるし、かなり大変なんじゃないですか。ただ、僕のやることはもうなくなってるので、迎が音楽を作ってくれてる間にいろいろやれることを探してやるんです。新しいやつを考えたりもしたんですけれど、やっぱどっかで『尻舟』のことが気になって。僕は一個一個つぶしていかんとわりとあかんタイプなんやと思いましたね。出来上がってきてる音楽はめちゃくちゃいいです。
── 『尻舟』が今まで撮ってきた映画のなかで、いちばん関わってる人数とか最大規模でしょ
そうでもないです。出演者数的には『フリフリ坊主』のほうが多いですし、スタッフの数も大幅に増えたってことはないです。でも録音に迎と中林さんがしっかり入ったというのは大きいですね。前はだいたいアフレコやったんで。どっちにしてもスタッフの数はめちゃくちゃ少ないんじゃないですか。でもみんなのハッスルっぷりは数をカバーしまくってる。写真みたらみんな泥んこ感がすごいありますね。贅沢な環境でした。
── 最後に、『尻舟』をどういう人に見せていきたいですか?
特にこんな人に見せたいってゆうのはないですね。こんな人やったら反応してくれる打率は高いとか低いとかあるんでしょうけど。いろんな人に観てもらいたいですしね。ちゃんと正当派の映画を観てきた人たちにも観てもらいたいし、ぜんぜんそうじゃない、サブカルっぽい人にも観てもらえたらいいと思うし。OLさんとかね、観てもらえたらいいと思う。『尻舟』がきっかけで映画の見方が変わり始めてくれたりしたら最高ですね。
── 観客のことは考えて作ってる?
常に「人がこんなん作ってたら、ぜったい悔しいわ」っていう映画を作りたい。他人に撮られたくないもんを撮りたい。その時々の自分の興味に正直に作るってことやと思います。そういうなんってどんなお客さんにも伝わると思うし。良し悪しだけで済まなくなってくるっていうか。
── イベントは、毎日面白い人ばっかりくるよね。
そうですね。毎日濃いですね。楽しみです。いい時間くれる人たちばっかりですね。
── 公開は今は東京と大阪だけが決まっている状況ですね。最後に、これから足を運んでくれる人になにか伝えたいことはありますか?簡潔に、かっこよく(笑)。
こういうときにぱっと言えたらかっこいいんですけれどね(笑)。来てくれたらいい夜やったなぁって思ってもらうことはできると思うんです。
(インタビュー・文:倉持政晴)
宮本杜朗 プロフィール
1981年生まれ。『吉村佳雄WAKING、SLEEPING』中之島映画祭グランプリ『明日香荘の人』BAPFF『石売れず』『フリフリ坊主』第3回CO2企画制作総合プロデューサー賞、OSKARIADA2008、日本ハンブルグ映画祭。新作『尻舟』がアップリンクにて公開。
映画「尻舟」完成記念1週間+1日上映会
2009年10月31日(日)~11月6日(金)、11月19日
19:00開場/19:30開演
会場:アップリンク・ファクトリー
(東京都渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F)[地図を表示]
料金:予約¥1,800/当日¥2,300(共に1ドリンク付)
【イベント】
■10月31日(土)トークショー:柴田剛(映画監督)×宮本杜朗(『尻舟』監督)
☆併映:『ランゲルハンス島【アベベー映画小学校版】』(映像:宮本杜朗、音楽:ピカチュウ)
■11月1日(日)パフォーマンス:水内義人
☆併映:『ランゲルハンス島【豚版】』(映像:宮本杜朗、音楽:ピカチュウ)
■11月2日(月)LIVE:ムーン♀ママ(あふりらんぽピカチュウsolo)
☆併映:『ランゲルハンス島【アベベー映画小学校版】』
■11月3日(火祝)トークショー:JOJO広重(非常階段etc)× 宮本杜朗
☆併映:『ランゲルハンス島【豚版】』
■11月4日(水)LIVE:DODDODO(アコースティックLIVE!!)
☆併映:『ランゲルハンス島【アベベー映画小学校版】』
■11月5日(木)トークショー:女池充(映画監督)×宮本杜朗
☆併映:『ランゲルハンス島【豚版】』
■11月6日(金)場内暗転トークショー:石井モタコ×灰野敬二×宮本杜朗
☆併映:『ランゲルハンス島【アベベー映画小学校版】』
■11月19日(木)トークショー:しりあがり寿(漫画家)×宮本杜朗
☆ 併映:『ランゲルハンス島【アベベー映画小学校版】』
映画『尻舟』
監督・脚本:宮本杜朗
録音・音楽・演奏:迎祐輔
録音・演奏:中林キララ
録音助手:池田拓郎、藤宮隼
演奏:松永ケイゴ
制作:平岡香純、渡瀬友紀
絵:水内義人、内田ユッキ
追加カメラ:東井剛生
PA:石原只寛
料理番組DJ:とんち
出演:石井モタコ(オシリペンペンズ)、DODDODO(DODDODO)、和田シンジ(巨人ゆえにデカイ/DMBQ)、呉山夕子(WATER FAI)、伊東孝晃(恋愛研究会。)、赤松美佐紀(akamar22!)、ぴかりあ長介(あふりらんぽ)、クスミヒデオ(赤犬)、DJ MIGHTY MARS、中林キララ(オシリペンペンズ)、平川裕也(月見峠)、スギム(クリトリック・リス)
(2009年/82分/日本/カラー)
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