骰子の眼

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2009-09-12 11:07


『マンガ漂流者(ドリフター)』第20回:マンガ家らしくないマンガ家・タナカカツキの仕事vol.5

「自分で読み返してたら、なんかどれも叙情的」……というタナカカツキ氏。少年が青年へと成長するという一つの「物語」
『マンガ漂流者(ドリフター)』第20回:マンガ家らしくないマンガ家・タナカカツキの仕事vol.5
左)河出書房新書「エントツにのぼる子」書影。
右)『夜の一りん』(91年、潮出版「コミックトム」掲載。タナカカツキ「エントツにのぼる子」収録)より。

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■25歳。という、焦燥。

何も成し遂げられないまま、諦めて死ぬのか。何かを選び、死ぬのか。選択を迫られるのが25歳という季節だ。達成するのかしないのかが問題ではない。どうするのか「選べ」と現実は迫るのである。30歳を過ぎれば「諦め」や「悪あがき」に傾く。「選ぶ」余地はなくなるのだ、と。もしくは、それさえも気がつかずたたぼんやりとその季節が過ぎるのを待つのか———。

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25歳ってどんな気分?『夜の一りん』(91年、潮出版「コミックトム」掲載。タナカカツキ「エントツにのぼる子」収録)より。

『夜の一りん』は、25歳の季節の「気分」をよく表している。主人公の青年、宮沢は25歳。マンガ家としてデビューしたもののパッとせず。現在はテレビ番組『笑って!いいとも』の構成作家やバンド活動を掛け持ちしながらふらふらした生活をしている。自家菜園で自給自足をしながら好きな絵を描いている画家、連載を3本も抱え体を壊す売れっ子マンガ家など先輩たちの生きざまを見つつ、自分は何者になるのか決めかねているようだ。青年は感想を漏らさない。ただ、見つめているだけだ。茫漠としている間に過ぎ去る時間。在り得たかも知れない可能性の残骸を知らぬ間に成長し、枯れた朝顔の種に見立てる。主人公の宮沢は当時のタナカカツキを重ね合わせたよう境遇だ。物語の中に答えはなく、ただ、放り投げられるだけの現実。ラストで在り得たかも知れない可能性の残骸は知らぬ間に成長し、枯れた朝顔の種に見立てるのだった。読者はその姿を見て何を感じるのだろうか?『りん子』の成長したお兄ちゃん「らん太郎」らしき青年が主人公の『tea cap』にも似た青年像が描かれている。

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「町を出て東京へ行く」と、ティーカップに乗りながら母に告げるらん太郎のシーンは印象的。高畑勲監督の劇場版『じゃりン子チエ』の遊園地のシーンを思い出した。「りん子」=「じゃりン子」説!? 『tea cap』(90年、講談社「週刊モーニング」掲載。タナカカツキ「エントツにのぼる子」収録)より。

一連の短編を読み通して気が付くのは、少年が青年へと成長するという一つの「物語」。その「物語」の筋にほどよい距離感を持って、作者が接している。何処か冷めた視線と、どうしようもない感情が絡みついている。『夜の一りん』で描かれた朝顔の蔓のように解きほぐされることなく、感情が夜に放り出されるだけ。決して、朝の光を待つことはないのだ。


【はみだしコラム】
2009年、現在の「叙情派」へリンク!

子どもを描いた名作は数知れずあるが今回、紹介するのは09年に刊行されたばかりほやほやな「友達100人できるかな」「エントツにのぼる子」が刊行時期に近い「ぶんぷくちゃがま大魔王」をセレクト!理由はなんとなく、分かれ。

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1980年代、小学生だったあの頃にタイムスリップして友達を100人作らないと世界が滅亡してしまう!? 『ラブロマ』『FLIP-FLAP』の作者が描く意欲作。学校の先生となった主人公の青年が地球を侵略しにきた宇宙人によって小学生の姿にされ、タイムスリップさせられるという無理目な設定もSFだからOK!という強引さがむしろ清々しい。青年の視点が少年の視点に紛れたとき、あの時できなかった「後悔」に気づく。その「後悔」を補正していく痛快さと理由もなく誰かと「友達」になれる子どもの無邪気さを説明しすぎない。子どもの行動原則は基本的にノリだ!分けが分からないことを気にしすぎる子どもらしさに救われる。大人になると忘れてしまうあれこれを80年代の思い出とともに知っている人には懐かしく、知らない人には新鮮な作品。

とよ田みのる「友達100人できるかな」(講談社)

さらに!ディープリンク!

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幸せで安心な愛されるべき子どもたち、それ「以外」の子どもたちの反乱。「友達100人できるかな」はゼロ年代から見た80年代なわけだけど、それよりもずっと前の92年、小学館「ヤングサンデー」にて連載された作品。物語の破綻と不合理さはそのまま子ども「視点」とも読むことができ、説得力がある。いとうせいこうの小説『ノーライフキング』を何%か思い浮かべることもできるかもしれない。この子どもたちの修羅と残酷さは、とよ田みのるが描かない(かも?)だろう。しかし、子どもを主人公にするならば不合理な狂気は見過ごせない部分でもある。それはこちらで補完しておこう。

井上三太「ぶんぷくちゃがま大魔王」(BNN)

絶望の中できみは……。煩悶する青年たちへリンク!

ワーキングプア、ニート、不況……若者たちの苦悩や絶望は逃げられない真っ暗闇に!何処か牧歌的ともいえた90年代より未来。09年に生きる青年たちの現在のリアルを見る。

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35歳のパッとしない元・プロマンガ家。一度は連載を持った主人公・鈴木はもう一度、プロに戻り連載を持ちたいと願っている。一方でアシスタントとして何とか「食えて」はいるし、彼女もいる。そこまで絶望的な不幸ではないという「宙ぶらりんさ」と映ってしまう、現在のムードがある。『夜の一りん』の25歳の青年の10年後と考えて、どこかゾッとしてしまった。だとすれば鈴木は10年前に決断を先送りにしたのだろう。そんな男が絶望から逃れるために花沢が用意した「物語」はいっきに超常へと流れ込む!日常の淡々を描くだけでは読者の共感は得られなくなった、このどん詰まりの現実(リアル)。連載は日本マンガには珍しいホラーパニックモノの定番●●●モノになりそうな予感だが、まだ読んでいない人には内緒。

花沢健吾「アイアムアヒーロー」(小学館)

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今年は折りしも太宰治生誕100年。飴屋法水の劇団『東京グランギニョル』上演作をコミカライズした『ライチ☆光クラブ』や小説家・乙一とのコラボレーション『少年少女漂流記』で、1+1をそれ以上にしてきた古屋の手腕がいかんなく発揮される!現代を舞台にしつつも原作に忠実かつ、小説に込められた活字の力を信じさせてくれる。しかし、久米田康治『さよなら絶望先生』のせいで「恥の多い生涯を送ってきました」という一文がギャグにも見えてしまうのは幸か不幸か。どちらなんだろう。

古屋兎丸「人間失格」(新潮社)

さらに!ディープリンク!

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もしも、あなたが「人間失格」「アイアムアヒーロー」に感じた悪趣味さに惹かれたのであればぜひとも華倫変の作品をおすすめしたい。彼のマンガは悪趣味の極意を煎じ詰めて「どうしようもないね」と凝視する徒労感とそこに唯一、浮かぶ一輪の偽花のよう。さまざまな「どうしようもなさ」「絶望」をそっくりそのまま描く。少女には共感や同情が向けられるのに対し、男性に対しては徹底的に距離を置いており、冷ややかだ。特にカジュアルに女を強姦し、暴力を振るい他人の痛みがまったく分からない男「三好一郎」シリーズの主人公・三好はあまりに身勝手すぎ、むしろうらやましいくらいである。虫のような理解できない人、八方塞の絶望を描く一方で『桶の女』のように一縷の「希望」をまるで毒のようにほんの少し盛るのだから嫌になる。日向があるなら影もあるのだ。会見互いに読んでみてほしい。

華倫変「カリクラ」(※こちらは講談社版。新装版が太田出版からも発売されている)



■青年の照れ隠し

「エントツにのぼる子」のあとがきでタナカカツキは「どうでしたかァ?このマンガ、自分で読み返してたら、なんかどれも叙情的でした」とおどける。その一方で「マンガを描くエネルギーが、自由に描かせてもらえる状況を作るコトにうばわれます。だからそういった状況を作るのに表現者として成功する事は大事なコトだと最近は考えます」と表現者として真摯な態度を見せる。どちらも同じかがやくタナカカツキ……なんである。そして、「叙情派」作品を「自由に描きたい」そのために「状況を作る」と書いているとおり、タナカカツキの作品はマンガ「雑誌」という既存の媒体から抜け出ていくことになる。そこで生まれたのが『バカドリル』であり、続く映像作品やマンガ「雑誌」に掲載されないでいきなり単行本化されることとなる『オッス!トン子ちゃん』といった作品に繋がるのだ。

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憧れていたマンガ家になれたのにこの寂しさはなんだろう? 『夜の一りん』(91年、潮出版「コミックトム」掲載。タナカカツキ「エントツにのぼる子」収録)より。

次回は『バカドリル』『ブッチュくん』といった天久聖一とのコラボレーション作品について迫りたい。


■ここでお知らせ!「マンガ漂流者(ドリフター)」が授業になった!
第二回9/28(月)20:00~@渋谷ブレインズ
「『少女マンガ』」を定義する!」(「『少女マンガ』がつまらない!(仮)」改め)

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佐々木敦さんの私塾ブレインズでの講義「マンガ漂流者(ドリフター)」第2回目の講義が決定しました。今回のテーマはずばり、「少女マンガ」。少女マンガが好きな人も少女マンガが読めない人も少女マンガに興味がある人はわんさか集まれ!


■授業内容

そもそも「少女マンガ」って、一体、どういうマンガを指すの?大胆不敵に少女マンガを定義!定義!定義!女性のためのマンガはどう変化してきたのか?少女マンガの歴史を辿りながら現在までの変化と進化を見つめていく。少女マンガとは女性の思想書である。少女マンガ=セカイ系?
今回は私の得意分野「少女マンガ」でいきます!

流れとしては……
・少女マンガの歴史おさらい
・「少女」から「女性」まで。どう変化してきたのか
・キスもできない少女たち
・精神世界へダイブ!少女マンガ開拓期
・ニューアカ洗礼!少女マンガを批評したがる男たち
・アンチ、24年組!少女のための少女マンガ家
・ターゲットは「少女」? それとも「少女精神」を持った少女「以外」?
・少女マンガには3つの大きな河がある(エンタメ/マニアック/ターゲット「少女」)
・90年代は「女」を語る女に価値があった
・少女マンガから女性マンガへ
・「萌え」マンガの少女マンガ性
・現在の少女マンガ
・で、「少女マンガ」って何!?

時間があればor懇親会用のネタ
・少女マンガは性をどう描いてきたか
・90年代の女性マンガ
・00年代の女性マンガ
・何故、今少女マンガがつまらないと言われるのか
・白泉社vs集英社
・24年組のマンガが読みにくい分け
・大島弓子論
・今、面白い少女マンガ
・男性マンガが少女マンガ化している

■おまけ

懇親会ではマンガにまつわる酒がふるまわれます!
気になる人は早めに予約を!読者のみなさんと授業で会えることを楽しみにしています。

■ご予約はこちらから!

webDICEでの連載では、作家をメインにしていますが、授業では「マンガ」とは何か?そのものを問い、全体を俯瞰し、さらに気になる部分を掘り下げ、現状の確認、そしてこれからについて考えていきます。連載では一部の引用しか見ることができませんが、授業には資料をいろいろ持参していきますので、原典を手にとってもらえることもメリットでしょうか。もちろん授業や連載の内容で分からなかったこと気になることがあった人も安心!毎回、懇親会(※料金含む)にて、それぞれの個人的な疑問、質問にお答えしています。

(文:吉田アミ)


【関連リンク】
タナカカツキ webDICEインタビュー(2008.12.5)


吉田アミPROFILE

音楽・文筆・前衛家。1990年頃より音楽活動を開始。2003年にセルフプロデュースのよるソロアルバム「虎鶫」をリリース。同年、アルスエレクトロニカデジタル・ミュージック部門「astrotwin+cosmos」で2003年度、グランプリにあたるゴールデンニカを受賞。文筆家としても活躍し、カルチャー誌や文芸誌を中心に小説、レビューや論考を発表している。著書に自身の体験をつづったノンフィクション作品「サマースプリング」(太田出版)がある。2009年4月にアーストワイルより、中村としまると共作したCDアルバム「蕎麦と薔薇」をリリース。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売される予定。また、「このマンガを読め!」(フリースタイル)、「まんたんウェブ」(毎日新聞)、「ユリイカ」(青土社)、「野性時代」(角川書店)、「週刊ビジスタニュース」(ソフトバンク クリエイティブ)などにマンガ批評、コラムを発表するほか、ロクニシコージ「こぐまレンサ」(講談社BOX)の復刻に携わり、解説も担当している。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売された。8月24日より、佐々木敦の主宰する私塾「ブレインズ」にて、マンガをテーマに講師を務める。
ブログ「日日ノ日キ」

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