骰子の眼

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2009-09-05 19:33


『マンガ漂流者(ドリフター)』第19回:マンガ家らしくないマンガ家・タナカカツキの仕事vol.4

『エントツにのぼる子』で現れたメタ視点によるなんともいえない哀愁とは……。
『マンガ漂流者(ドリフター)』第19回:マンガ家らしくないマンガ家・タナカカツキの仕事vol.4
タナカカツキ『逆光の頃』より。単行本未収録カラー。

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91年よりパルコのフリーペーパー「GOMES」にて、現在も形を変えて続いている天久聖一とのユニット『バカドリル』の連載がはじまり、ギャグマンガ家としても有名になったタナカカツキ。89年に単行本『逆光の頃』を発売した以降も『りん子』を「ギガ」での連載しつつ、 青年誌に印象的な短編をいくつか発表している。いずれも『逆光の頃』で開花させた「叙情派」作品だ。これらは掲載されていた出版社がばらばらだということもあってか、93年にJICC出版(現、宝島社)より「りん子」、河出書房新社より「エントツにのぼる子」として刊行された。93年に2冊続けて単行本は発売されるに至ったのは、『バカドリル』のヒットがあったからだろう。


【はみだしコラム1】
「カワデ・パーソナル・コミックス」とは?

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90~92年に講談社「モーニング」、小学館「ビッグコミック増刊」「ビッグコミックスピリッツ」、潮出版「コミックトム」に掲載された短編7本と描き下ろしのカラー8ページマンガが収録。93年、河出書房新書「エントツにのぼる子」書影。

タナカカツキの「エントツにのぼる子」は、河出書房新社のマンガを刊行するシリーズ「カワデ・パーソナル・コミックス」から発売されている。同シリーズは、85年にやまだ紫の単行本「空におちる」の刊行を皮切りにスタートしたもので、コミックスは薄手のA5版、カラー収録でなんとお値段980円程度という構成であった。これは93年に集英社の少女マンガ誌「ぶ~け」が刊行をはじめた「ぶ~けコミックワイド版」と同じ版型、構成であったがこちらは460円程度と約半額だったことを考えるとコミックスとしてはやや高い。

「カワデ・パーソナル・コミック」から単行本を出しているマンガ家は、桜沢エリカ、岡崎京子、近藤よう子、丸尾末広、Q.B.B.、たむらしげるなど。ずらり並べてみると、青林堂「ガロ」に縁のあるマンガ家が多く、青林堂から処女単行本を出版したマンガ家の2冊目、3冊目を出版するケースが目立つ。

ちなみにタナカカツキの「エントツにのぼる子」の装丁もQ.B.B.でも活躍する久住昌之が担当している。なお、85年からスタートした「カワデ・パーソナル・コミックス」だが、99年に刊行は休止した。最後の刊行となったのは鴨沢祐仁の「クシー君の夜の散歩」であった。

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左)92年、多田由美「ライク・ア・ハリケーン」(ASUKA COMIX DX/角川書店)
右)89年、イタガキノブオ「ネコムシ・ストーリーズ」書影
薄手のA5版、カラー収録のコミックスは角川書店やMOE出版など、さまざまな出版社から発売されていた。少女、少年がターゲットの通常のマンガ単行本との差別化を図り、大人にも手に取りやすいデザインが特徴だ。

【はみだしコラム2】
「コミックトム」とは?

65年に潮出版社が創刊した「希望の友」、78年「少年ワールド」と、その流れを汲んで80年から97年まで刊行されたのが「コミックトム」だ。表紙は芸能人の似顔絵が描かれており創刊号は研ナオコだった。

「希望の友」の頃より、連綿と続く横山光輝の『三国志』を柱に、手塚治虫『ブッダ』をはじめ、藤子・F・不二夫、松本零士、星野之宣などベテランマンガ家の描く歴史、SFマンガが載っていた。みなもと太郎の『風雲児たち』や諸星大二郎の『西遊妖猿伝』が長期連載されていたのもこの雑誌。女性作家では坂田靖子、倉多江美、山岸凉子、大島弓子らも執筆しており、かなり豪華。「ビッグコミックゴールド」と「COM」と「ガロ」が混じりつつ『三国志』でコーティングされたかのような(あくまでもイメージ)作家陣であった。また、宮沢賢治の童話を有名マンガ家がコミカライズするシリーズがあり、同誌に掲載された作品は85年より「宮沢賢治・漫画館」シリーズとしてまとめられた。その後、各々のマンガ家の単行本にも収録されていたりされていなかったりする。「何故、マンガ家は宮沢賢治の作品をコミカライズしたがるのだろう?」と疑問はここで解決するだろう。

「コミックトム」は、横山光輝の休筆に伴い、97年に休刊。88年、新たに「コミックトム プラス」としてよみがえる。これを機にトム時代のトレードマークであった表紙イラストではなくなった。思えばなぜ、あのイラストであったのか、今となってはよく分からない。内容はマルコポーロを主人公にした神坂智子の『カラモランの大空(そら)』や卑弥呼伝説を描いた山岸凉子の『青青(あお)の時代』など、トム時代よりもプラスはさらに伝奇ものにがぶりよった内容に。01年に休刊。

■「エントツにのぼる子」で現れたメタ視点

単行本「エントツにのぼる子」に収録された作品は、これまでの作品と同様に「叙情派」として読むこともできるが、何故か素直に「叙情派」だ!と、うっとりできない。大胆なコマ割りや、決めゴマのテンポ、主人公のモノローグの深刻さが、変なのだ。「叙情派」なのか「ギャグ」なのか、登場人物の心の機微を丁寧に描いているだけなのか。不安になるのである。この理由が何なのか探ってみたい。


表題作の「エントツをのぼる子」では、主人公の少年はたかし兄ちゃんに憧れている。草原にぽつんと残された煙突にすいすい上ってしまうからだ。少年はそれをかっこいいと感じる。何故か。それは彼が少年だからである。それ以上もそれ以下もない。少年が少年であることに意味などいらない。この状態を現在なら「中2病」という言葉で説明してしまうことも出来るだろう。少年とはそういう生き物なのだ。たかし兄ちゃんはエントツから降りるときに 怪我をしてしまう。その血と傷あとを見た少年はショックを受ける。そして、やっぱり憧れてしまうのだ。

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傷にあこがれる少年とあこがれの少年・たかし兄ちゃん。タナカカツキ「エントツにのぼる子」より。

そして
たけし兄ちゃんの
あのかっこいい傷跡。

みんなそれぞれに
一度はあとに
キズを残すような
大きなケガをしている。


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焦点の定まらない目で出血多量を誇らしげに思う少年。傍から見ればちょっとイッちゃってる人だ。タナカカツキ「エントツにのぼる子」より。

大人になるということは、血を流すような大怪我を負い傷を残すことだと、少年は思い込んでしまうのだ。少年は憧れのたかし兄ちゃんと同じ12歳になったとき、エントツを見つける。もちろん少年は同じようにエントツを上り……落下する。これが少年が大人になるための通過儀礼であったのだ。病院で目を覚ました少年は心配する母親を見て悲しい気分にもなり、バカなことをした自分に腹を立てる。


少年はバカなのだ。バカである証拠に「出血多量!! このひびき!!」とちょっとうれしそうに病院のベッドに横たわりながら天井を見つめている。そんな自分を「すごいな……」と誇らしげに、思ってしまう。「けど……もうあんなおそろしいしいのは いやや……」と気づく。少年の成長を描いた良作なのだがこの最後のシーンのうっとりとしている少年に「おかしみ」を感じ、「でも、バカだな」と思いつつ読者は、バカな妄想にとらわれていた過去の自分を思い出してしまうだろう。


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スピーチバルーンの中に描かれる内語。タナカカツキ「エントツにのぼる子」より。

この作品には二つの視点がある。少年が見ている「視点」とその少年を捉えている「視点」である。まず、少年のセリフと内語(心の声)を見てほしい。スピーチバルーンとして描かれている。これは当時の少年が感じたことである。もう一つの「視点」はどう表現されているのだろうか。


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後悔、反省、好奇、誇らしげ、自慢、悲しさ……「あの時のいろんな気持ち」を語るもう一つの「視点」。タナカカツキ「エントツにのぼる子」より。

少年を見つめる「視点」とモノローグである。「そして 少年は今でも ハッキリと思い出すことができる。あのといきの いろんな気持ち。」ここで、はじめてこのモノローグが未来の少年が過去を思い出しているということが分かるのだ。さらに、この作品が優れているのは、たかし兄ちゃんという人物が詳しく描写されていない点だ。一体、このたかし兄ちゃんとは誰だったのか、今どこでどうしているのか物語の中では語られていない。それどころか、少年なのかたかし兄ちゃんなのか分からない「叙情派」らしさの記号として用いられている影の描写にタナカカツキは意味を持たせている。

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少年とたかし兄ちゃん、どっちなのか?シルエットだけでは判断がつかないように描いている。タナカカツキ「エントツにのぼる子」より。

こう描くことで、少年とたかし兄ちゃんの成長が重なっていく。前作の『逆光の頃』では、どちらかというと絵の快楽、画面構成の巧みさに目を奪われたが、『エントツにのぼる子』では、分かりやすくマンガらしい表現に変化している。これは発表媒体が青年誌だったことが影響しているのかもしれない。読者は少年ではなく、青年の心情に寄り添う。そうなのだ!だからこそ、『エントツにのぼる子』には、不思議なおかしみがある。この単行本に収録された作品のいくつかには、「少年」を見つめる「大人」の視点である。そして、二度と戻れない少年時代に思いを馳せるとき、なんとも言えない哀愁が漂うのである。



次回はさらにこの「大人」の視点に注目。タナカカツキが描いた「タモさん」とは!?叙情派とギャグに共通する「物悲しさ」とは何なのか。奥深すぎるタナカカツキワールドさらに追求していきます。

【関連リンク】
タナカカツキ webDICEインタビュー(2008.12.5)


吉田アミPROFILE

音楽・文筆・前衛家。1990年頃より音楽活動を開始。2003年にセルフプロデュースのよるソロアルバム「虎鶫」をリリース。同年、アルスエレクトロニカデジタル・ミュージック部門「astrotwin+cosmos」で2003年度、グランプリにあたるゴールデンニカを受賞。文筆家としても活躍し、カルチャー誌や文芸誌を中心に小説、レビューや論考を発表している。著書に自身の体験をつづったノンフィクション作品「サマースプリング」(太田出版)がある。2009年4月にアーストワイルより、中村としまると共作したCDアルバム「蕎麦と薔薇」をリリース。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売される予定。また、「このマンガを読め!」(フリースタイル)、「まんたんウェブ」(毎日新聞)、「ユリイカ」(青土社)、「野性時代」(角川書店)、「週刊ビジスタニュース」(ソフトバンク クリエイティブ)などにマンガ批評、コラムを発表するほか、ロクニシコージ「こぐまレンサ」(講談社BOX)の復刻に携わり、解説も担当している。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売された。8月24日より、佐々木敦の主宰する私塾「ブレインズ」にて、マンガをテーマに講師を務める。
ブログ「日日ノ日キ」

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