骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2009-08-05 20:23


“昭和の闇”最後の生き証人が、私たちに語りかける―『昭和八十四年~1億3千万分の1の覚え書き』

青年時代の全てを戦場と牢獄で過ごしてきた飯田進氏に密着したドキュメンタリー。飯田氏に話を訊いた。
“昭和の闇”最後の生き証人が、私たちに語りかける―『昭和八十四年~1億3千万分の1の覚え書き』
『昭和八十四年~1億3千万分の1の覚え書き』に出演した飯田進さん

8月22日(土)より、渋谷アップリンクX他にて公開されるドキュメンタリー映画『昭和八十四年~1億3千万分の1の覚え書き』。『昭和』という時代に翻弄され続けた飯田進さん(86歳)の、文字通り“波乱万丈”の半生を描いた作品である。

飯田さんは“戦場”を体験したほぼ最後の世代。昭和18年、ニューギニアに赴任した。20万人以上の日本軍将兵のうち、生還者は約2万人という激戦地だ。

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『昭和八十四年~1億3千万分の1の覚え書き』より

「多くの兵士は、敵と戦って死んだのではない。飢えやマラリアにより命を奪われたのだ…」

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地獄から生還した飯田さんを待ち受けていたのは、戦勝国による“裁き”。ある事件により、戦争犯罪に問われたのだ。飯田さんは“BC級戦犯”として、映画『私は貝になりたい』の舞台としても知られるスガモプリズンに服役することになった。

「裁判の正当性は、到底容認し難い。しかし、私自身の良心に照らし合わせた場合、無実であると主張することはできない」

青年時代の全てを戦場と牢獄で過ごした飯田さん。釈放される頃には30歳を過ぎていた。家族を持ち、仕事をはじめ、ようやく“遅れてきた青春”を謳歌していた矢先、再び転機が訪れた。長男のサリドマイドによる被害。日本で初めての薬害に関する裁判に深く関わることになった飯田さん。同時にそれは、父として、障害を抱えることになった息子との葛藤の日々の始まりだった。


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現在、横浜で一人暮らしをする飯田さん。パソコンや携帯電話を使いこなし、日課である筋力トレーニングをする姿は、“老人”のイメージからはほど遠い。

『昭和』が終わり既に20年。飯田さんは、86歳になった今も、長きに渡って問い続けた「戦争」を後世に伝えようと、執筆や講演活動に励んでいる。時には、著作を読んだ学生やジャーナリストと世代を超え、語り合うことも。更には、長男の薬害被害をきっかけに立ち上げた社会福祉法人の理事長として、障害児童福祉に精力的に取り組み続けている。

「この国には何でもある。だが、希望だけがない」

作家・村上龍氏が、日本について書いたこの描写は、飯田さんにはあてはまらぬように見える。
半世紀以上後に生まれた筆者には想像し難い、苦難や理不尽の数々と向き合わざるを得なかった飯田さんは、なぜ86歳になった今も、何かを残そうと前だけを見据えられるのか?


「分からん…。ただ、あきらめたらそこで終わりじゃ。絶望の中にしか、希望は生まれん」

月並みとも思える表現だが、飯田さんから聞くその言葉には、重みと説得力があった。




映画『昭和八十四年~1億3千万分の1の覚え書き』
2009年8月22日(土)よりアップリンクXにて上映  13:00/16:40

昭和84チラシ

会場:アップリンクX
(東京都渋谷区宇多川町37-18トツネビル2F)[地図を表示]
料金:当日一般1,500円 /学生・シニア1,000円 / 特別鑑賞券1,300円

出演:飯田進
構成・演出:伊藤善亮  企画・撮影:若尾泰之  制作・取材:林昌幸
(2009年/日本/84分)

公式サイト
http://d.hatena.ne.jp/s84/


キーワード:

昭和八十四年 / 飯田進 / 戦争 / 昭和


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