(左から)ジム・オルーク、中原昌也
80年代ニューヨークにおいて、若いアーティストたちによる映画・写真・音楽・ファッションといったあらゆる表現が一斉に爆発した「NO WAVE」なる現象が巻き起こった。その「NO WAVE」の流れを汲む、若手監督たちによる8ミリ映画は「Cinema of Transgression(破戒映画)」と呼ばれ、社会への不満やハリウッドの商業主義に対する嫌悪がストレートに表現された作品が次々と生まれた。そのムーブメントの実態を、当事者のインタビューを通して明らかにしていくドキュメンタリー『NO NEW YORK 1984-91』のDVDがアップリンクより発売。その記念イベントとして、ミュージシャンの中原昌也氏とジム・オルーク氏を迎えてのトークショーが4月28日アップリンク・ファクトリーで開催された。自身の「NO WAVE」体験や周りの関係者の話など、興味の尽きないトークが繰り広げられた。
リチャード・カーンはソフトもハードも対応できるマルチなクリエーター
中原昌也(以下、中原):リチャード・カーンの映画は1988年ぐらいに字幕なしで観て、つまらないと思いました。
ジム・オルーク(以下、ジム):リチャード・カーンの映画はあまり話がないですからね。
中原:ハードポルノとかあんまり観てなかったから、アメリカはすごい国だなぁって。
ジム:僕が観たのはビデオで『Fingered』と『Right side my brain』という映画だけ。手に入りにくいので結構探しました。「裸のリディア・ランチを観たい!」って感じでしたけど。
中原:僕が20歳ぐらいのとき、リディア・ランチが来日してゴールドでやったそうです。手とか切って血を流して、人になめさせて、店員だか客だか気に入った男と消えて行ったとかいう噂を聞きました。リディアランチ率いる「Teenage Jesus and The Jerks」は、この前ニューヨークで再結成やったでしょう? 僕たちの共通の友達のジャイコさんが言ってました。
写真:リディア・リンチ
ジム:ジャイコさん、『NO NEW YORK 1984-91』に顔が半分くらい出てた。
中原:わかんねぇよ(笑)。
ジム:ジャイコさんはニック・ゼッド監督の『Annie split David』にも出演していました。
中原:彼女はリチャード・カーンの友達らしいですね。
ジム:中原さんはいつ、あの時代の監督の作品を認識したんですか?
中原:16~17歳の頃かもしれませんね。ソニック・ユースを最初に日本へ呼んだ、「スーパーナチュラル・オーガナイゼーション」(80年代に渋谷にあったノイズ専門レコード店)によく行っていて、そこでビデオを貸してもらいました。観たのはリチャード・カーンの作品だけで、ニック・ゼッドの作品は観たことはなかったです。確か僕の記憶では、新宿ロフトの主催で日本で一回上映会をしているみたいですね。
写真:リチャード・カーン
ジム:彼はいつ来日したんですか。
中原:僕はそれにいかなかったか、中止になったか、結局見てないんですけど。
ジム:あの時代の監督には、彼らよりも面白い監督が他にもいたと思います。ただ、この『NO NEW YORK 1984-91』にあったリチャード・カーンの作品は一番好きです。実はニック・ゼッドの作品はあまり好きじゃないです。彼は可哀想だと思うし、少し馬鹿だと思います(笑)。
中原:リチャード・カーンは、見た目はクレバーな感じのやたらいい男になってましたね。あんな大人になりたいものです(笑)。
ジム:彼は今いっぱいお金をもってますよ。
中原:ジャイコさんがユニクロの前を通ったら、普通の公園で親子が楽しそうにしている写真が貼ってあって、これはと思って、リチャード・カーンに電話して「もしかしてあの写真、あんたが撮ったの?」って聞いたら、そうだって言ってたって。作品としては全然違いますよね。彼は今、そういう普通の写真も撮っているんですね。
ジム:リチャード・カーンはソフトとハードの両方できるから。最近は同時にソフトとハードをこなしているようです。彼は今でも映画を製作していて、彼の公式サイトで見れるようですね。ソニック・ユースのサーストン(・ムーア)さんが、リチャード・カーンの新しい映画に音楽を提供したと言っていました。アコースティック・ロックを録音したらしいですよ。
写真:サーストン・ムーア
グラインドハウスの「NO WAVE」へのインパクトとニック・ゼッド、リディア・ランチに内在する保守性
ジム:当時私が住んでいたシカゴでも、時々彼らの映画が上映されていましたが、ニック・ゼッドはあまり取り上げられることがなかったですね。リチャード・カーンはよく招聘されていたし、ジェームズ・ナレスも一回招聘されました。それからリディア・ランチも。アメリカのミッドウェストではこの3人がすごく人気があったのに対して、ニック・ゼッドはあまり人気がなかったようです。ニューヨークでの支持は絶大だったみたいですが。それからジョー・コールマンは、リチャード・カーンやニック・ゼッドがいたシーンではあまり関係ないと思います。
中原:どうしてジョー・コールマンがこの映画に出ていたんでしょうね?
写真:ジョー・コールマン
ジム:フランスですごく人気がありますね。『NO NEW YORK 1984-91』の監督はフランスの若い女性でしょう? ジョー・コールマンはフランスのコステス(スカム・ミュージシャン)みたいな感じの人です(笑)。
中原:コステスって、誰もわからないよ(笑)。一回来日して会ったけど、あまり話した内容は覚えてないですね。
ジム:『NO NEW YORK 1984-91』の監督は知らないと思いますが、当時ニューヨークのタイムズスクエアでは、今ではグラインドハウスとして知られる、安く観られる映画館がたくさんあって、リディア・ランチもリチャード・カーンもよくそこに通ってB-Movie(B級映画)を観ていたんですよ。とくにズラウスキー監督の『ポゼッション』という映画は彼らにすごく大きな影響を与えました。
中原:タコとセックスする映画?
ジム:『Texas chain saw massacre(悪魔のいけにえ)』などの1978年から85年くらいの映画も、ニック・ゼッドやリチャード・カーンに影響を与えています。
中原:腕がちょん切れたりする場面を覚えています。『NO NEW YORK 1984-91』でも断片的に出てきましたけど。
ジム:リチャード・カーンの映画にはそういう場面がよく出てきますね。
写真:リチャード・カーン『ユー・キル・ミー・ファースト』より
中原:彼の作品で欲求不満の女性が車に衝突して死んでしまう映画がありましたけど、ジャック・スミスの映画を観たとき、「なんだ同じような作品だな」と思いましたね。
ジム:ニック・ゼッドは、ジャック・スミス、それから若くして亡くなったロン・ライスには大きな影響を受けています。当時彼は、毎日のようにアンソロジー・フィルム・アーカイブス(前衛映画やインディーズなどの上映や保存をしているイースト・ビレッジにある映画館)に通っていましたからね。ジャック・スミス、ロン・ライス、ジョナス・メカス。あの世代は、本当にニューヨークのアンダーグラウンド文化を代表しています。
ニック・ゼッドとリディア・ランチは、一番保守的だと思いますね。表面的には革命とか言っているけれど、継続していない。例えばニック・ゼッドは、いつも普通の文化に反対するという自分のスタンスを定義してますけど、もし本当に普通の文化を気にしないであれば、なぜ無視しないのか。これをどうしてtransgression(罪)といえますか。私はフェティシズムだと思います。人間は、いろんなものを認識するときに、自分の革命を意識します。そういう経験をしながら革命を続けていく。でも継続しなかった。彼の最近の映画も可哀想な感じがしますね。
ジョン・スペンサーの映画は実験映画ではない
中原:この映画を観て、久々にリチャード・カーンやニック・ゼッドの作品を観てみようかなという気になったんですけど。まあ、観なくてもいいかみたいな気もしますね。
写真:ニック・ゼッド
ジム:リチャード・カーンの最近の映画は観ていないし、観たいとも思わないです。
中原:ジョン・スペンサーの映画は、ちょっと観たい気もしましたけど。
ジム:フランスで、ジョン・スペンサーはすごい人気です。一度だけ映画も製作しています。彼はニューヨークじゃなくてワシントンDCの人ですね。なぜ、『NO NEW YORK 1984-91』にジョン・スペンサーの映画が取り上げられていたんでしょうね、関係ないのに。コンビ二で偶然あったとか(笑)?
中原:ジョン・スペンサーは聴いたことある?
ジム:聴いたことはないです。ジョン・スペンサーのバンドが世に出たとき、すごく騒がれました。ニューヨークでの自分の人間関係が反映されているのかもしれません。ジョン・スペンサーが組んだ最初のバンド「プッシー・ガロア」のメンバーだったジュリー・カフリッツと友達になったこともあって、私はジュリー・カフリッツ派(笑)。ジョン・スペンサー派ではないです。
中原:ジョン・スペンサーの映画は?
ジム:あの頃はみんながそういう映画を作っているから、実験映画とは言えないでしょう。
中原:遊んでいるだけ?
ジム:メディアミックスっぽいです。昔のシミーディスク(Shimmy Disc)のビデオみたいな。
中原:僕が見て面白かったのは、ショッカビリーのビデオで、Generation Xのビリ・ーアイドルの映像が永遠に流れているのに、曲はずっとショッカビリーでそれが妙に合っている。最後“MTV”って出てきて終わるんですが。
ジム:そういう映画も当時はみんながつくっているから、実験映画ではないですね。リチャード・カーンの映画は面白かったけど、ニック・ゼッドはジョージ・クッチャーをダメにしたような感じだと思いました。
写真:ニック・ゼット『ウォー・イズ・メンストラル・エンヴィ』より
中原:ジョージ・クッチャーはあまり日本で紹介されてないですね。
ジム:『NO NEW YORK 1984-91』に一回だけ出ていたジェイムズ・ナレス監督の作品を、今日持ってきましたのでお見せしましょう。10分くらいの短い映画ですが、すごく面白いと思う。ニック・ゼッドの作品とは別の形をとりつつも、当時のニューヨークで起こったことと関係があると思います。
~映画上映~
ジム:ほとんどニュー・クリティシズム(新批評)みたいな感じですね。ニック・ゼッドもこういう映画を作りたかったんだと思います。ニック・ゼッドよりジェイムズ・ナレスの作品の方が、ずっと面白いと思う。彼がニューヨークの図書館で撮影した映画『Rome 78』にはジェームズ・チャンス率いる「CONTORTIONS」のメンバーやリディア・ランチが出演しています。
中原:宇宙飛行士のLSDの映画もつくっていますよね。
ジム:20分ぐらいのくだらない映画ですけど面白いです。ジェイムズ・ナレスは本来画家で、映画をつくったのはあの頃ぐらいで、その後は絵画に専念していますね。リチャード・カーンとニック・ゼッドの二人だけが90年代以降も映画製作をしています。
適当に物を投げたりして8mm映画をつくってましたよ(中原)
私は“失礼神父”を演じるのがうまい(ジム)
中原:僕も80年代、中学生時代から高校生ぐらいまで8mmを回して映画をつくったりしていました。適当に物を投げたりして。全部フィルムは捨てちゃいましたけど。見せたかったなぁ、面白いのがあったんですけどね。最初に中学生の時作ったのは、本当に友達がいじめられてるところを撮って、あとはフィクションで、逃げ出して車にはねられて死ぬだけの映画。
ジム:私もつくっていましたけど、今はもう残ってないですね。自分が監督になりたいというのがよく出ている感じの映画で。
中原:演出とかしました?
ジム:ジャン・コクトーを真似しました。
中原:えぇ~! 鏡がでてきちゃったりとか?
ジム:Double exposure(二重露出 ※1)をよくやりました。友人のカメラで撮影していたんですが、彼が引っ越してしまってフィルムはどこかにいってしまいました。その友人の部屋で、当時好きだったエマーソン・レイク&パーマーの『タルカス(Tarkus)』を聴きながら撮影していましたね。もちろん上映の時は音楽もつけて。
※1「Double exposure」…二重露出。1コマのフィルムに2回露出して、別々に写した二つの被写体を一つの画面に重ねる技法。
中原:ストーリーはありました?
ジム:ないです。サイレント映画みたいな映画でした。友人と友人の兄弟が出演して。私はいつも“失礼神父”を演じてました。
中原:失礼神父?
ジム:失礼神父の演技は、すごく上手です。セクシー神父じゃなくて、失礼神父。
中原:どういう失礼?
ジム:アイルランド訛りの暴言を吐いてしまう(笑)。
(ここで演技口調で“失礼神父”になりきる。場内拍手)
ジム:その友人は、高校生のときにシカゴのビデオレンタルショップでバイトをしていて、一緒にパンク雑誌をつくっていました。大学生の時に映画監督を目指していたんですが、ガールフレンドにふられたのがきっかけで、結局ポーランドに移住しました。一週間後にポーランドのMTVの社長になった。
中原:すごい! 異例の大抜擢!
ジム:でも、ポーランドのMTVの事務所はこの部屋(アップリンク・ファクトリー)ぐらいでしょ(笑)。2年後、ポーランドMTVのメタリカのドキュメンタリーを見たら、監督をやってましたね。2年前、私は彼の映画で失礼神父、彼はその後ポーランドで監督。監督の人生はいつも面白いです。
中原:『NO NEW YORK 1984-91』には、ブルース・ラ・ブルースが出てくるんですけど、なんで出てくるんですか? カナダ人監督ですよね。
ジム:彼はあの時代にドキュメンタリーをつくったんです。ソニック・ユースとリチャールス・ガールさんとジョン・ゾーンさんが出演していました。ブルース・ラ・ブルースは映画評論家も少しやっていましたね。
中原:僕は昔、友達でしたけどね。僕の音楽が彼の映画に使われてるんですよ。『ハスラー・ホワイト』だったかな。僕もまたSuper8とか回したいなとか思いますけど、すごいお金がかかるし、カメラは動いているか壊れてるかわからないし。オルークさんはまたフィルムで撮りたいとか、そういう気はないの?
ジム:タイムマシンがあれば、昔とは別のドキュメンタリーをつくりたい。
中原:どういうのをつくりたいの?
ジム:もっと面白いもの(笑)。あの時はいっぱい面白い音楽家や芸術家がいたけど、ドキュメンタリーしかない。それは残念です。ニューヨークの「NO WAVE」シーンの中で、日本では誰が人気がありました? たとえばフランスでは「Teenage Jesus and The Jerks」が一番、アメリカでは「D.N.A」…。
中原:リアルタイムでは僕は知らないからね、全然後だから。中学生ぐらいの時に聴き始めたくらいだから。それこそ3~4年遅れで聴いてますから。
ジム:少し後で日本の、たとえばフリクションとか。
中原:日本のはよく知らないんですよ。
ジム:でも、日本ではそういう映画監督がいましたよね。
中原:石井聰亙とかそういう感じ? ちょっと違うな。
ジム:でも、彼らは本当の映画をつくった。今、誰もが知らないでしょ。
中原:もっといろいろといたのかもしれないけど、当時は子供だったし、金もないからレコード買えないし。そういう場所が怖くて行けなかったし。僕は全然地味でしたよ。
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■中原昌也 PROFILE
1970年東京生まれ。1990年頃より暴力温泉芸者、ヘア・スタイリスティックス名義で活動。ソニック・ユースやベック、トルーマンズ・ウォーターやジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンなどの来日公演の前座も務める。その傍ら映画評論やコラムも手掛け、短編集『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』や映画評論集『ソドムの映画市―あるいは、グレートハンティング的(反)批評闘争』『エーガ界に捧ぐ』などの著作を発表。『あらゆる場所に花束が…』で第14回三島由紀夫賞を受賞。
■ジム・オルーク PROFILE
1969年シカゴ生まれ。10代後半にデレク・ベイリーと出会い、ギターの即興演奏を本格的に始める。その後、実験的要素の強い自身の作品を発表。ジョン・フェイフィの作品をプロデュースする一方でガスター・デル・ソルやルース・ファーなど地元シカゴのバンドやプロジェクトに参加。「シカゴ音響系」と呼ばれるカテゴリーを確立する。一方で、マース・カニンハム舞踏団の音楽を担当するなど、現代音楽とポスト・ ロックの橋渡し的な存在となる。 99年にはフォークやミニマル音楽などをミックスしたソロ・アルバム『ユリイカ』を発表。近年ではソニック・ユースのメンバー兼音楽監督としても活動し、数枚のアルバムに参加(2005年末に脱退)。 2004年には、「Wilco/A ghost is born」のプロデューサーとして、グラミー賞を受賞。日本文化への造詣も深く、くるりのプロデュース、坂田明、ボアダムスとのコラボレーションや、若松考二監督の過去作品の評論など様々な活動を行っている。
・MySpace-ジム・オルーク
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監督・撮影・編集:アンジェリーク・ボジオ
出演:リチャード・カーン、ニック・ゼッド、ジョー・コールマン、リチャード・ヘル、リディア・ランチ、サーストン・ムーア、ブルース・ラ・ブルース、他
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