骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2009-05-20 21:06


『風の馬』チベット連載第11回:モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.6』【動画付き】

2007年2月、モーリー・ロバートソン氏らはチベットのラサ等を訪れ映像や音声でレポートする企画「チベトロニカ」に挑戦。未発表の映像をwebDICE限定配信!
『風の馬』チベット連載第11回:モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.6』【動画付き】
チャム(仮面舞踊)儀式でラッパを吹く担当のチベット僧たち。

成田から3度飛行機を乗り継いで青海省の西寧に到着した「チベトロニカ」チームの一行は、チベット文化圏「同仁」を訪問し、チベット人巡礼者が集まる寺院や庶民が集う露天市場で、その空気を吸収する(『チベット・リアルタイムvo.1』)。その後、漢族向けに運営される「チベット・レストラン」で異様な光景を目にし、翌日、山奥にあるダライ・ラマ14世の生家に足を踏み入れる(『チベット・リアルタイムvo.2』)。一行はラサを目指して青蔵鉄道に乗り込み、運行中の車内で携帯電話をマイクロフォンがわりにし、日本への生放送を試みる(『チベット・リアルタイムvo.3』)。そして、いよいよラサに到着。チベットの旧正月(ロサール)で賑わうバルコルや、かつてダライ・ラマ14世が住んでいたポタラ宮を訪れる(『チベット・リアルタイムvo.4』)。旅は後半に差し掛かり、作られた観光産業やプロパガンダの情報に惑わされることなく五感でチベットの現在を感じようと、ラサ郊外に足を向ける(『チベット・リアルタイムvo.5』)。
一行は舗装されていない悪路を抜けて、チベット第二の都市シガツェと、国境近くのギャンツェに向かう。この日はチベット歴の大晦日、シガツェの寺では仮面舞踊(チャム)の大がかりな儀式が執り行われていた。



ラサ市の端で、牛が舗装道路の真ん中を歩いていた。 トラックからはぐれてしまったのか、あるいは人が目を離した隙に逃げたのか。いずれにしろ、持ち主はいなくなっている。ここではよくあることなのかもしれない。牛の後ろから来たトラックがクラクションを鳴らすので、牛は驚いて道路の反対車線へと逃げ、今度は対向車がクラクションを鳴らすという風に混乱は野放しに拡大していく。たまたま牛が歩道沿いに逃げ込んでまた歩き出したのを見届けたが、どうなったかはわからない。

そのまま数時間かけてチベットの奥にある街、シガツェとその向こうにある国境近くのギャンツェへと向かった。

一行は大型車に乗り込み、腕の確かな地元のドライバーに身を預けた。運転技術はいいが、それだけでは高山の厳しい環境を乗り切ることはできない。道路は舗装されているとは言え、絶えず蛇行するように右へ左へと地形をなぞり、標高が上がるとその分酸素が薄まるのが心なしか感じられる。頭痛が起こり、腹痛にも見舞われるメンバーが出た。会話を続けたり「i-morley」の収録を行ったりして痛みを忘れようとするが、いたたまれずに車をしばらく止めてもらうこともあった。

外の景色は両側とも切り立った山岳地帯で、きれいな川沿いに走ったりもする。彼方に空中で凍り付いたままになっている滝が見えた。しかしその荘厳な景色を堪能する余裕は与えられず、体の中から起こる痛みに耐えてじっとするか、寝るしかなくなっていく。高度計を見ると、10メートル刻みで痛みの度合いを測るような心理に陥るので、それも見ないようにした。

高山の頭痛はバッファリンなどの頭痛薬を飲み、水分を多めに取っていると、周期的に和らぐ傾向がある。その後、また不意打ちで痛くなることもある。この中には車酔いも含まれる。あるいは運がいいと、体が継続する痛みに飽和して、ぼんやりと鈍感になる時もある。つまり、痛みそのものがだんだんと、どうでもよくなっていく。そういう鈍麻が訪れた頃に、山の中腹にある料理店で小休止をした。

モーリー02
山の中腹で立ち寄った淡水魚のレストラン。魚のしっぽが壁に飾ってあった。

とても、ではなくて、すごくまずい料理店だった。あの川魚のくさみとえぐみは、一生に何度も味わえるものではないだろう。蒸した淡水魚の中にたまっていた泥のような味を今でも思い出せるほどだ。確か漢族のチベット入植者が経営していたローカル・ビジネスだったが、料理長をも兼ねる店の主人が作る蒸し魚料理は、味付けも何もあったものではなかった。コーディネイターは辺境馴れをしているので、何よりも先にお湯を要求し、そこにあった箸をまとめてコップに突っ込んだ上でお湯に浸し、しゃかしゃかと洗い、そのお湯を床にばしゃっ、という音とともに捨てた。お湯はすぐに乾いた。

モーリー05
オーガニック燃料にするため、ヤクの糞は壁に貼られて日干しにされる。

物資の流通網から離れたエリアでは今日も乾燥させたヤクの糞が燃料として使われている。匂いはあまり強くないが黒い煙がストーブから大量に出る。山の中だと室内も寒いので、この有機的な燃料にありがたみを感じた。チベットの田舎に行くと、壁一面につぶした糞の固まりが押しつけられ、日干しになっている。戦時中に諜報員としてチベットに潜入した日本人・西川一三の手記によれば、ラサの町中で家畜が落としていく糞を子供達が追いかけて拾い、換金していたということだ。

西川一三に関する「Wikipedia」エントリー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B7%9D%E4%B8%80%E4%B8%89

モーリー03
レストランの室内は寒く、ストーブで暖を取る。燃料は乾いたヤクの糞を使い、火にくべると真っ黒な煤が出る。

時間軸は前後するがその後、アジア全域でこうした家畜の糞を燃やす火力が用いられているため、そこから大量に発生する煤が二酸化炭素と相乗作用を起こして温暖化を促進し、ヒマラヤの氷河を溶かしているという記事を眼にした。

家畜の糞を燃やすことも温暖化に貢献するという研究発表を報じる Voice of America の英文記事(2007年8月)
http://www.voanews.com/english/archive/2007-08/2007-08-05-voa15.cfm?CFID=202758512&CFTOKEN=63726013&jsessionid=883054e362c67b8f8ffa164621252f2d40f4

AFP BBの記事(2007年12月)
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2321657/2430305

また、2008年3月付けでJAXA(宇宙航空開発研究機構)は2007年6月に地球観測衛星「だいち」が観測した標高データと、2007年12月に「だいち」が捉えた画像を、鳥瞰図に合成した結果、氷河湖が国境のブータン側で拡大し、将来は決壊のおそれがあると発表している。
http://www.eorc.jaxa.jp/imgdata/topics/2008/tp080312.html

2008年11月には中国情報サイトの「レコード・チャイナ」にも氷河の消失は引用記事として紹介されている。 <温暖化>ヒマラヤの氷河、2035年に完全消失か―英紙
http://www.recordchina.co.jp/group/g25909.html

しかしその直後に中国科学院の専門家が「ヒマラヤ氷河2035年消失説」に反論し、「逆に寒冷化が進む可能性だってある」と主張している。
http://japanese.cri.cn/151/2008/11/18/1s129687.htm

アジア全域の村人たちが牛糞やヤクの糞を燃やしたから煤やCO2が出てそれで温暖化、というのは短絡している。中国やインドなど新興国の工業排出が主要な原因である可能性が強く、そこに工業生産を発注しているのは日本を含めた先進国なのだ。だから責任はみんなで負うものとなる。ただヒマラヤの麓に住むチベット人も入植した中国人も、温暖化にまつわる注意喚起を事前に与えられている様子はない。無頓着な雰囲気が漂っている。

チベットは政治的に、そして地理的に外の世界から遠い。隔絶された世界で、何世紀にも渡って蓄積された伝統文化はなかなか腐食されず、頑固に守り通されている。着る物がチュパからダウンジャケットや合成繊維のジャージに変わってもチベット人たちの精神構造は非常に緩慢なペースでしか変わっていかないようだ。その純朴さと保守性がチベット人の心を守り、また同時に無防備にもしている気がする。ヒマラヤの氷河が凍り続けていることと、チベットの魂が燃え続けることが一心同体に思えた。

モーリー07
チベット歴の大晦日、寺院の境内には巡礼者がごった返していた。地面に円陣を組んで座る尼僧は、コミッション制で読経してくれる。

旧正月の前日、シガツェの大きな寺でチャムという仮面舞踊の大がかりな儀式がとり行われていた。山門に巡礼者たちが内と外の両方向から押し寄せ、いっせいに通ろうとする。この押しくらまんじゅうに突っ込むことでしか寺に入ることはできない。ハンディカムを持ったまま、身動きが取れない状態で四方から人に押され、瞬く間に肺に届くほどの圧力を感じた。

子供をおぶった母親がこのスクラムの中で悲鳴を上げるのが近くで聞こえ、それを別の巡礼者がおもしろがって笑う声、怒声、興奮したチベット語、混乱に便乗して数人で押しはじめるティーネージャーたちなどで、いっきに混乱と緊張が高まる。自分の力で一カ所に立つこともできず、川の流れのようになった群衆の力にさらわれて山門に吸い込まれ、中へとはき出された。ほんの数十秒だったが、危険をくぐり抜けたばかりの感触に呆然とした。

広い境内の至る所に巡礼者の家族連れがたむろしている。人だかりの中で歌う大道芸人、無造作に棄てられた鶏の死骸、デジカメで記念撮影をする親子、壁をトイレ替わりに使う男や女。人の流れはおおむね寺院の中央へと向かっている。粉塵が舞う中、女性の多くはマスクを身につけている。

円陣を囲んで尼僧達が地面に座っていた。一定の料金を支払うと、お経を一通り唱えてくれるので、その金額を拠出して声明を収録させてもらった。これを日本に送信すれば、いずれミュージシャン達がテクノなどの音楽素材として使ってくれるかもしれないと思いながら、寒さに耐えてマイクを動かさないように握りしめた。生きた標本を殺さずに持ち帰ることができる、きわめて人道的なサンプリングだ。

お経の途中からでんでん太鼓と金剛鈴がリズミカルに鳴らされる。尼僧達のリズム・キープはいわゆるプロのものではないが、いっせいに動く身振りの素朴さに存在感と気迫が感じられる。西洋の商業音楽からはすでに無くなってしまったリアリティーだ。キリスト教会の聖歌隊のようにハーモニカや音叉で絶対的にチューニングすることはなく、リーダーとなる尼僧が最初に歌ったピッチに他のみんなが合わせ、それも適当にゆらぐという歌唱法である。1/fのゆらぎが含まれた極めてアジア的、ブラフマン(梵天)的なサウンド。だが一方で、声明の音階は日本のメロディーにも通じるように聞こえ、等間隔のリズム体は曼荼羅や宗教画の幾何学を思わせる。混沌と幾何パターンが紡ぎ合わされ、三昧境(サマーディ)をもたらす仕掛けとして聴こえた。

モーリー09
チャムを踊るパフォーマーを手前で僧たちが見守る。最高位と思われる僧侶はステージの奥で机に座り、バター茶を飲んでいた。

境内の中央に位置する石畳の舞台でチャムが繰り広げられていた。巡礼者たちは舞台の前面へと押し寄せ、地元の警察官たちがなんとか交通整理をしようとする。警官は群衆の方向を向いて興奮が沸点に届かないようにしている。外国から来た我々は、警察側の親切心で人垣をくぐり抜けさせてもらい、舞台横に上げてもらった。女性の警官は流ちょうで上品な英語を話した。

チャムの音階、そしてリズムはまったくつかみどころがない。実演する僧侶達もミュージシャンらしい雰囲気ではなく、長さ2メートルに及ぶラッパ、シンバル、チャルメラ型のリード楽器を「当番制」で演奏しているかのように聞こえる。あくまで宗教にエンベッドされた形でのみ、つまりコンテクスト(文脈)の中でのみこの音楽は存在しているかのようだ。エコシステムと不可分に冬虫夏草が生息しているようなサウンドが、ただ延々と続く。なのにチベット人たちは退屈しない。舞台の前の方から群衆の視線とバイブレーションが壇上へと押し寄せてくる。

モーリー08

死者と生者を、たぶん、意味するかぶり物をボディースーツのようにまとったパフォーマーたちがのろのろと壇上を右往左往する。白い絹の布であるカタが本堂まで延長されると、やがて忿怒形吉祥天と思われるコスチュームの演者が登場、とにかくずっと同じ感じで舞い続ける。忿怒尊は第三の眼が開いており、その顔はインド式に高貴な青色となっている。おそらく舞うこと自体が目的であり、舞のストーリー性らしきものは暗号解読ができない。舞台後方の席で舞いを見守る高僧達は小僧に茶を注がれ、お互いに私語を交わしている。

写真:チャムの演者。装飾の一つ一つに宗教的な意味合いがある。

乗りがつかめないままチャムを撮影・収録し続けた。小一時間経った頃、体内から熱が逃げ始めて、もう帰ろうということになった。群衆は相変わらずの熱気でチャムを凝視している。地元警察官の誘導で人混みをかき分けて外に出た。


(写真・動画・文:モーリー・ロバートソン)

【関連リンク】
モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.1』
モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.2』
モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.3』
モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.4』
モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.5』
i-morley
チベトロニカ


“生”i-morley「チベトロニカ」特別編
モーリー・ロバートソン×池田有希子トークイベント
2009年5月23日(土) 開場18:30/開演19:00

出演:モーリー・ロバートソン氏(ラジオDJ・ポッドキャスト「i-morley」主催者)、池田有希子氏(女優)
会場:アップリンク・ファクトリー
(東京都渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F) [地図を表示]
イベント料金:一律 1,800円(チベット風フィンガーフード、ドリンク付き)

“生” i-morley「チベトロニカ」特別編

webDICEで連載している『チベット・リアルタイム』の映像を上映しながら、モーリー・ロバートソン氏と、「チベトロニカ」に同行した池田有希子氏のトークショー開催。まさに二人がメインパーソナリティをつとめるポッドキャスト番組「i-morley」のライブ版!当日はチベット風味のフィンガースナックとドリンク(バター茶を予定)も振舞われる。
★詳細・予約方法はコチラから
(定員に達し次第、予約受付は終了いたします)



『風の馬』
渋谷アップリンクにて公開中

公式サイト



『雪の下の炎』
渋谷アップリンクにて公開中

公式サイト


レビュー(0)


コメント(0)