骰子の眼

books

東京都 ------

2009-05-15 21:50


『マンガ漂流者(ドリフター)』第3回:女性マンガ家の先駆け「やまだ紫」【前編】

5月に逝去したやまだ紫は、60年代から女性向けマンガを描き始め、現在のマンガ家たちに多大な影響を与えてきた。吉田アミがやまだ紫の仕事を前編・後編に分けて大検証!
『マンガ漂流者(ドリフター)』第3回:女性マンガ家の先駆け「やまだ紫」【前編】
(左より)『愛のかたち』(PHP研究所/2004年)、『しんきらり』(青林堂/1984年)

やまだ紫 (やまだ・むらさき)

マンガ家、エッセイスト、詩人。1948年東京世田谷区生まれ。69年4月、虫プロ商事の「COM」5月号にて、『ひだり手の…』が入選。以降、同誌にて作品を発表する。71年1月、青林堂の「ガロ」2月号に『ああせけんさま』が入選。同年10月に結婚。出産、育児、離婚による休筆をはさみ、78年「ガロ」12月号にて『ときどき陽溜まり』を発表。以降、同誌を中心に、日本文芸社「COMICばく」、講談社「コミックモーニング」(現在のモーニング)にも連載を持ち、女流マンガ家の先駆けとして後続の作家に多大な影響を与えた。代表作は『性悪猫』、『しんきらり』、『ゆらりうす色』など。06年からは京都精華大学マンガ学部専任教授に就任、後進の指導に尽力した。09年5 月5日脳内出血のため死去。享年62歳。2度目の夫は元「ガロ」副編集長でもあった白取千夏雄。

公式サイト

はじめに

2009年5月5日に逝去したやまだ紫。今回、取り上げるやまだだが、彼女の作品のほとんどが短編、中編ばかり。またどの作品も少しずつ世界観を共有しているところがあり、代表作を1作絞るのが難しい。なので、今回はやまだ紫作品全般として、紹介させていただくことにする。

・やまだ紫『愛のかたち』

2004年、PHP研究所『愛のかたち』が最後の刊行となった。今まで発売されている作品の多くが絶版となっおり、復刻が熱望されている。(※トップ画像参照)


「少女マンガ家」ではなく、「女性マンガ家」だった

少女の理想を描いたのが「少女マンガ」なら、女性の現実を描くものは「ヤングレディース」もしくは「女性マンガ」だ。

1960年代、女性作家の活躍の場はまだ少女マンガ誌に限られていた。今では信じられないかもしれないが当時の少女マンガ誌は児童向けという建前もあり、ラブシーンはご法度。家族、兄弟愛をテーマにした作品が多かった。

1969年に「COM」でデビューしたやまだ紫が描いたのは成人女性がヒロインの作品だった。女性向けマンガという概念はなく、「ヤングレディース」というジャンルが確立するずっと前のこと。そういった時代背景を考慮すると、彼女の作品がいかに革新的であったかお分かりいただけるだろうか。

やまだはその後、結婚、出産による休筆を経て、1978年より再スタート。「ガロ」での『ときどき陽溜まり』を皮切りに、次々と傑作を発表する。代表作の一つ『性悪猫』の連載がスタートしたのはこの時期だ。

女性の内面を表現した詩のようなモノローグ、自分の価値観を持ち、周りに迎合しない女性像、少女マンガのようなデフォルメはなされず等身大の女性の描画、ドキリとさせる魅力的なセリフ……私たちが今日「女性向けマンガ」「ヤングレディース」作品ってこんなんだよなーとぼんやり抱くイメージは、すでにやまだによって表現されていた。やまだは、後続するマンガ家たちに多くの影響を与えたのであった。

Second Hand Love_04
『Second Hand Love --』より。生活に溶け込む詩のようなモノローグ。現実に引き戻すように吐露される内心。(C)やまだ紫

また、サラリーマン向けマンガ誌の創刊が相次いだのもこの頃。1980年には小学館「ビッグコミックスピリッツ」、1982年に講談社「コミックモーニング」が創刊され、新しい作家の受け皿になった。これまで、エロ雑誌や「宝島」といったサブカルチャー雑誌で活躍してきたマンガ家たちが合流。原律子、岡崎京子、桜沢エリカ、内田春菊など多くの女性マンガ家が活躍。もちろんそこには、やまだ紫の姿もあった。

1986年に「FEEL YOUNG」の前身となった祥伝社「フィール」、集英社「セブンティーン」から派生した「YOUNG YOU」が創刊し、レディース・コミックではない、成人女性向けマンガが支持されるようになり、やっと「ヤング・レディース」というジャンルが確立することになる。

それ以前の彼女たちの活躍の場は、もっぱら青年誌に少しだけしか用意されていなかったのだ。

凛として美しいヒロイン

shinkirari_03

「君のはいつも“相談”じゃなくて“報告”じゃないか」

これは『しんきらり』のヒロインである山川ちはるに夫が向けた一言だ。この言葉はやまだ紫の描く、女性たちの性格をよく表していると思う。彼女たちは誰にも影響されることのない「絶対領域」を持っている。「絶対領域」といっても、もちろん黒のハイソックスとスカートの合間の話ではない。「価値観」と言い換えても良い。

彼女たちはの意思決定は不可侵。それは世間にも夫にも誰にも変えることができない。そういった「部分」を擁している人とは、凛として美しい。しかし、この「絶対領域」を持つが故に、その場所が「聖域」になってしまうことがある。そうなってしまうと、「聖域」を侵そうとする者を敵と見做し、攻撃をはじめる。こうなってしまっては、美しさは保てない。醜い争いがはじまってしまう。

画像左:『しんきらり -家庭内太陽-』より。やまだの柔らいタッチで描かれる後ろ姿は凛として美しい。(C)やまだ紫

やまだ紫の描く女性たちが、最後まで柔かでいられるのは、自分の「絶対領域」を守るためになりふり構わずに相手を傷つけたりしないからだ。
『やまだ紫作品集 2 しんきらり』に収録された山田太一の解説でも、指摘されていることだが、海外に女を買いに行く計画を練っていた夫に対して「上手く怒りたい 憎しみに近い程怒っていることを 有効に伝えたい」と感情的にならず「怒り」をぶつるのだ。このシーンにおける彼女の静謐な怒りは、恐ろしくも感じる。しかし、「解決」しないほうがずっと不幸だ。『しんきらり』の読後感が軽やかなのは、きっぱりとした彼女の「主張」が嫌味ではなく提示されるからだろう。また、自分ではどうしようもできない不幸に対しては、抗うことなく諦めてしまう。不幸への対処法として、美しいまま自分自身で居ることのできる方法の一つのように思う。


また、『陽溜まりのへやで』の第5話「ケンカ」では、同棲するカップルの二人が家事の分担が発端となりケンカ。掃除、洗濯、食事と一方的に家事を請け負うのは女性。そのことに疑問を持たない男に苛立ちを感じてしまう。「わたしはタローさんのお母さんじゃない お母さんの役をさせないで!」と佐和子は訴える。そこではじめてタローは「そうだな俺ただ座ってめしが出来るの待ってるもんな……」自分が何も手伝っていないことに気がつく。

hidamari_05
『陽溜まりのへやで』より。(C)やまだ紫

ここでも、「主張」はされるが、「強制」はされない。「もういいの そういうこと考えてるって 覚えていてくれればいい」と、佐和子はつぶやき、「……女って ミョーな生き物だな」とタローがつぶやくところで物語は終わる。

そう思う誰かが、世界に存在すること。それを無視しないこと。気づかなかった誰かに想像する余地を与えること。やまだ紫は小さな変化を見逃さない。どんなささやかな「主張」も溜め込まずに吐き出すこと。また、その「主張」を語ることが許されること。これが理想のパートナーのかたちなのかもしれない。


一方で、自分が作った人形が売れたことに喜んでいると実は人形を購入したのは夫だった事実が判明したり、娘が名づけた紙人形の名前に夫と二人で大爆笑したり、ドロップ一つでケンカしてしょげる娘の姿に成長を感じ取るといった、日常におけるささやかな幸せが、効果的に鮮やかに浮かび上がる。

shinkirari_bakusyo_06
『しんきらり』より。「おそなえ さなえ」「ゆみだ けみ」、子どもの名づけた紙人形の名前に爆笑する二人。(C)やまだ紫
shinkiraridorop_07
『しんきらり』より。冬のある日、コタツでの親子の会話。「オレンジドロップスに失恋している あんな目をして」印象に残るモノローグだ。(C)やまだ紫

日々の営みとは、小さな諦めと小さな幸せの連続である。すべてが完璧な相手など居ない。もちろん、自分も。どこかで妥協し、慈しむ気持ちを持たなければ相手と共に歩み続けることはできないのだろう。

やまだ紫は、理想ではなく現実を描く。美化せずとも現実はこんなにも豊かなのだ。

次回後編は、やまだ紫作品の「育児、教育」、「猫」、「食」の要素に焦点を当てたい。武富健治の『鈴木先生』やよしながふみの『きのう何食べた?』の共通点も!? お楽しみに!


「主婦マンガ」でリンク! すでにノスタルジー!? 平凡な主婦の幸せと秘密

まだ八月の美術館

岩館真理子『美代子さんの日記』(『まだ八月の美術館』収録)

意識不明になった母、美代子の電子手帳を見つけた娘冴子は、そこに書かれた日記を盗み見てしまう。「わたしは 三国谷さんを 愛している」―「普通のおばさん」だと思っていた母の隠れた一面を知ってしまった冴子は、衝撃を受けつつも日記を読み進めるが……!?また、同作以外にも「月と雲の間」でも、女を諦めてしまった平凡なおばさんの心の内を描いている。『美代子さんの日記』にはなかったユーモラスさも兼ね備えており、こちらもおすすめです。


高野文子『美しき町』(『棒がいっぽん』収録)

高度経済成長期を迎えた1960年代頃の日本。お見合いで出会い結婚した、ノブオとサナエ夫婦の慎ましい生活を描く。俯瞰した視点で、淡々と状況を語るモノローグに混じり、時折吐き出される登場人物たちの心情が印象的だ。やまだ紫の作品の「気分」に似ている。




garo1993_02

【参考文献】
・青林堂「月刊 漫画ガロ」2・3月号
1993年刊行、青林堂「月刊 漫画ガロ」2・3月号では、やまだ紫が総特集されている。インタビュー、年譜、描き下ろし『くず湯』、代表作『性悪猫』の再録、人気絶頂にあったバンド「たま」のボーカル知久寿焼とやまだ紫の対談、「ガロ」編集長、長井勝一がやまだ作品を語ったインタビューのほか、つげ義春、内田春菊、津野裕子、イタガキノブオ、「COMIC ばく」編集者でライターの夜久弘、詩人でエッセイストの井坂洋子らがコメントを寄せている。
・筑摩書房「やまだ紫作品集1~4」、他。


(文:吉田アミ)

【過去のコラム】
吉田アミの新連載コラム『マンガ漂流者(ドリフター) ~新感覚★コミック・ガイド~』がwebDICEでスタート!(2009.4.22)
『死と彼女とぼく』川口まどか(2009.5.2)
川口まどかにリンクするコミックはコレだ!【リンク編】(2009.5.8)


吉田アミPROFILE

音楽・文筆・前衛家。1990年頃より音楽活動を開始。2003年にセルフプロデュースのよるソロアルバム「虎鶫」をリリース。同年、アルスエレクトロニカデジタル・ミュージック部門「astrotwin+cosmos」で2003年度、グランプリにあたるゴールデンニカを受賞。文筆家としても活躍し、カルチャー誌や文芸誌を中心に小説、レビューや論考を発表している。著書に自身の体験をつづったノンフィクション作品「サマースプリング」(太田出版)がある。2009年4月にアーストワイルより、中村としまると共作したCDアルバム「蕎麦と薔薇」をリリース。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売される予定。また、「このマンガを読め!」(フリースタイル)、「まんたんウェブ」(毎日新聞)、「ユリイカ」(青土社)、「野性時代」(角川書店)、「週刊ビジスタニュース」(ソフトバンク クリエイティブ)などにマンガ批評、コラムを発表するほか、ロクニシコージ「こぐまレンサ」(講談社BOX)の復刻に携わり、解説も担当している。5月下旬より佐々木敦の主宰する私塾「ブレインズ」にて、マンガをテーマに講師を務める予定。
ブログ「日日ノ日キ」

キーワード:

吉田アミ / やまだ紫 / マンガ / 漫画 / ガロ


レビュー(0)


コメント(0)