骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2009-05-15 00:30


『風の馬』チベット連載第10回:モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.5』【動画付き】

2007年2月、モーリー・ロバートソン氏らはチベットのラサ等を訪れ実感したことを映像・音声でレポートする企画「チベトロニカ」に挑戦。未発表の映像をwebDICE限定配信!
『風の馬』チベット連載第10回:モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.5』【動画付き】
山の中腹の村に帰るところだった少年たち。すごくいい目をしている。遊び道具として木の枝を振り回していた。

成田から3度飛行機を乗り継いで青海省の西寧に到着した一行は、チベット文化圏「同仁」を訪問。チベット人巡礼者が集まる寺院や庶民が集う露天市場で、その空気を吸収する(『チベット・リアルタイムvo.1』)。その後、漢族向けに運営される「チベット・レストラン」で異様な光景を目にし、翌日、山奥にあるダライ・ラマ14世の生家に足を踏み入れる(『チベット・リアルタイムvo.2』)。一行はラサを目指して青蔵鉄道に乗り込み、運行中の車内で携帯電話をマイクロフォンがわりにし、日本への生放送を試みた(『チベット・リアルタイムvo.3』)。そして、いよいよラサに到着。チベットの旧正月(ロサール)で賑わうバルコルや、かつてダライ・ラマ14世が住んでいたポタラ宮を訪れる(『チベット・リアルタイムvo.4』)。
「チベトロニカ」の旅は後半に差し掛かり、作られた観光産業やプロパガンダの情報に惑わされることなく、5感でチベットの現在を感じようと、ラサ郊外に足を向けて見たもの感じたことを日本に実況する。



かつて1998年の5月に、ぼくはさいとう・たかを作の『ゴルゴ13』シリーズをいっきに読み切り、世界を旅することへの強い欲求をかき立てられた。その1ヶ月後、夢を叶えるべく中国を列車で初めて横断し、中央アジアのカザフスタンにまで行った。しかしその旅はNHK「シルクロード」を追体験するような枠組みからはみ出せなかった。日本の旅行会社を通して手配した現地の中国人ガイドたちがそれを許さなかったためだ。来る日も来る日もシルクロードゆかりの遺跡に案内され、中国人向けに作られた観光スポットでひたすら土産物屋や絨毯を売りつけられたことぐらいしか記憶に残らない旅だった。『ゴルゴ13』の世界はそこにはなく、日本人慣れしてしまった観光産業には歯が立たない。濃厚だが模造品のような世界をひたすらくぐり抜けた6週間だった。

それから9年間、最初の旅のフェイクさの裏に何があったのかをとにかく本や資料、インターネットで調べ続け、中国内陸の旅をなんとか一人でできる程度の土地勘をも徐々に養った。この拉薩(ラサ)入りはそうした堆積層の上に計画的に行われたものだった。初めて入境したチベットで、とにかく五感を通してプロパガンダの向こうに触れようという決意があった。したがって今回は「実感優先主義」とし、チベットについて知識や雑学のカタログを作り上げるようなプロセスはあえて通らないことを選んだ。

実体験が無いまま、日本の受験勉強で教わった中国史を起点に「悠久の中華民族」を図式のようにとらえたくなるという誘惑は強いものだ。すべてを漫画「三国志」と日本の戦国武将を掛け合わせたような抽象化の序列にはめこみ、「黄河文明」「殷墟」「万里の長城」「律令制度」「社会主義と資本主義」「毛沢東と文化大革命」「トウ小平と4つの近代化」といったような一種の塗り絵で、目の前にある世界を覆い隠すことができてしまう。その思考法をさらにチベットにまで拡張すると「顕教と密教」「チベット仏教4大学派」「死者の書」「日本の仏教との共通点」といった、小ぎれいな知識の断片をおはじきのように並べて楽しむ、という「箱庭思考」に陥りやすい。そんなおとぎ話で自分をあらかじめ洗脳してしまうと、現地のプロフェッショナルなガイドさんの餌食になる。それはガイドさんの言い値で散在するだけの観光者だ。悠久のロマンを求めて青蔵鉄道で上ってくる外国人ほどちょろい相手はいないだろう。また、「チベット問題を語る前に日本がやったことをきちんと謝らないといけない」といった妙な理論のループにもはまってしまう。思考プロセスの高山病かもしれない。

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写真:ロサールの直前になると、中国政府はきまってチベット人たちに向けて気前よくテレビを提供するそうだ。中国の正月特番は日本の特番を一桁上回る予算と人員で作られているので、中国の偉大さを宣伝するうってつけの手段となる。また、箱だけでも転売価値があるらしく、老婆達はテレビの空箱を担いで道路を歩いていた。

チベットに行って結局、「東洋思考と西洋思考が出会った場所におれは立った」といったような恥ずかしい発言だけは、けしてしたくないと思っていた。 観光産業も中国政府のプロパガンダも数々の旅行記も情報としてなるべく遮断し、現在を感じることが今回の目標だった。チベット人は何を感じているのか、過去とどう連結し、どう断ち切られてしまっているのか、これから存続することは可能なのか、共産主義から仮に何かの拍子に解放されたところで東ドイツのように経済が陥没した状態で無防備になってしまうのか、スターバックスはお湯の沸点が低いラサへと、圧力釜を使ってでも進出してくるのだろうか?

とにかく具体的な疑問を思いつくままにぶつけていった。また、現地のチベット人たちと会話することが危険な場合には直感を頼りに通じ合うことを心がけ、その日々の葛藤を実時間の中で、実はマイクロフォンとして作動している携帯電話から日本へと実況し続けた。チームワークを通して中国人側に察知されないように取材を進めるうち、『ゴルゴ13』よりもさらに味わい深い世界が五感の末端から体に流れ込んできた。

観光地にもなっている寺院や伝統建築に使われている原色は、絵はがき用に塗られたものではなく、伝統的に原色が使われている。日本風のわびやさび、といった陰影やシェーディングはまったく考慮された痕跡がない。もちろん内面世界では微細に密教が構築されているのだろうが、とにかく目に飛び込んでくる色やデザインは強烈の一言に尽きる。紫外線が強く、水分が少なく、細かい埃、つまり微塵が常時空中を舞っているこの土地だからこそ打ち出された色合いだろう。

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山寺から空を見上げたところ。日本のいささか抽象的な寺院建築とはほど遠く、具象された動物やオブジェが目の前で物語をつむいでいる。色彩感覚も原色でどぎついものが多い。

ラサの郊外を1時間ほど行ったところに、くねくねと蛇行する舗装道路と並行して川が流れている。あるポイントには素朴な造りの金属でできた橋が川に架けてある。中国政府に認められる業績を残したチベット人の女性歌手が架けた橋だと聞いた。その歌手はいったい何を思い、どんな歌を歌っていたのかをチームで話し合った。

次第に険しくなる坂道を運転する途中、山を駆け下りながら道路を横切っていく三人の男の子に出会った。外国人をほとんど見たことがないような素振りだった。拾った木の枝を遊び道具にしながら、鼻水を流して走り回る、昭和の後期に絶滅した日本の子供だった。本当の「B-Boy」という存在は、この子たちを言うのかもしれない。

あまりの強い紫外線に一眼レフの計器類も振れきってしまい、カメラマンは勘に頼るしかなくなった。川はある地点から凍って、汚れた氷柱(つらら)のようになっている。舗装道路が終わる地点に砂利を敷いた駐車場があり、どう猛な黒い大型犬、チベット・マスチフが鎖を引っ張ってこちらに吠え続ける。マスチフからゆっくりと遠ざかりながら、尼寺へと向かう山道を徒歩で上がりはじめた。鹿やウサギが糞を残し、人気があまりない、砂だらけの道を1時間上り詰めた。そこいら中に大小の石や岩が道から斜めに突き出ていて、印象に残る形をした岩にはチベット語で経文がペンキ塗りされている。

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尼寺は素朴な伝統建築となっているので、階段の傾斜は急だ。みんなバランス感覚が、とてもいい。

酸欠状態ではゆっくりとしか上れない。同行の池田有希子氏と二人だけ取り残されたので、ICレコーダーを取り出し、監視がいないことを確認した上で本音をぶちまけ合った。「なんでダライ・ラマの名前も言っちゃいけないんだ?」「チベットが独立したところで中国には何の損もないじゃないか?」「チベット人をすりつぶして中国人に吸収しても意味がない。もう中国人の人口も多すぎる!」「ネットがあるのはうれしいけど、中国のファミリーマートみたいなのは、ここにはいらない!」と空にこだまするような声で言い合った。しゃべっているとひんぱんに息がとぎれるので、立ちすくんで休憩を取ってはまた歩くという繰り返しだった。池田さんは寒い中でも持ちこたえるバッテリーを内蔵したデジタル一眼レフで撮影を続けた。

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山寺から空を見上げた光景。デジタル一眼レフで撮影した映像なので自動補正されているが、実際の空はもっときつめの青色だ。

山の中腹に尼寺があった。小型の羊の群れが丘をのろのろと上下する。尼寺には大型のストゥーパ(仏塔)がもうけられ、山の麓からかろうじて電線が一本引かれているようなインフラに支えられ、尼達は洗い物や寺の修復などの雑用に黙々とたずさわっていた。石畳の踊り場では、チベット犬の母親が子犬におっぱいをあげている。人間に慣れた山羊がのろのろと横を通っていく。寺から離れた山肌沿いに尼達の寄宿舎が見えた。空は群青を通り越して何とも形容しがたい青さで晴れている。つまり、雨雲がない青さだ。

この寺には活仏であるグル・リンポチェが住まわっており、高齢の男性である活仏以外は全員が尼僧だと聞いた。グル・リンポチェは日向ぼっこをしていたので、その場で謁見をいただいた。チベット式の礼をガイドに教わり、にわか仕込みのあいさつを行った。土埃に汚れたダウンジャケットをまとったグル・リンポチェは相当なお年であるため、はしご式の急な傾斜の階段を上るときには尼僧に脇を支えられる。活仏の隣には近くから来たおじさんがあぐら座に座り込み、ロサールで使う植物の茎を刃物で研いでいる。おじさんの帽子をよく見ると、ナイキのコピーだった。後にグル・リンポチェに招き入れられ、尼寺の台所でバター茶とツァンパの食事をふるまわれた。

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尼寺の壁面に描かれていた結合仏。釈尊の父母を描いたものらしい。周囲には他の神々や菩薩同士が結合した姿も描かれていた。

尼寺の屋内は素朴で荒削りな建築様式になっていた。木造の壁は暗い色に塗られ、光沢を放っている。清楚な気配が漂う。物音も、ほとんどない。だが礼拝所の壁面には最近描かれたと思われる種々の結合仏、つまり男女のまじわりが原色で大きく描かれていた。尼達の信仰の対象は釈迦を身ごもった瞬間やさまざまな神秘的な存在同士の性交へと向けられているようだ。仏像や宗教オブジェのおびただしさの中に何ら矛盾することなく、性の営みが連続しているという解釈の方が正しいかもしれない。キリスト教もイスラム教もけして受け付けることのできないタントリックな性がイメージへと凝縮され、そのパワーを尼達の禁欲修行がひたすら増幅させているのである。池田さんはこの場の力強さに感極まって涙を流し、「できることならここに住みたい」と漏らした。

台所でグル・リンポチェに見守られながら、一行はバター茶を飲んだ。尼達が大型の器で茶をかき回し、水蒸気が座っているところまで届くので、乾いた中ではありがたかった。グル・リンポチェは唸るようにしゃべり、独り言もかなり言う。尼達はその言葉を聞き取って、来客に復唱する。池田さんは高齢の尼さんが少女のように恋する表情でグル・リンポチェにお茶を差し出すのを見た、と言った。

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バター茶を作ってくれた山寺の尼僧。台所の壁にも宗教が描かれている。尼達の静かな生活は100パーセント密教にひたされたものだ。

下山する途中で、ものすごく頭が痛くなった。とうとう高山病のマイルド版に冒されたのだ。帰りの車の中、とにかく水を飲み、持ってきたお菓子をことごとく食べ続け、頭痛を忘れようとつとめた。そのままホテルの部屋で寝ついて、深夜まで動かないようにした。だが頭痛が少し引いたタイミングでホテルのマッサージを呼んで即席の足裏治療を行い、その後にLANから目黒のスカイプ中継基地に接続、ラジオ放送を再開した。

(写真・動画・文:モーリー・ロバートソン)

【関連リンク】
モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.1』
モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.2』
モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.3』
モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.4』
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チベトロニカ


“生”i-morley「チベトロニカ」特別編
モーリー・ロバートソン×池田有希子トークイベント
2009年5月23日(土) 開場18:30/開演19:00

出演:モーリー・ロバートソン氏(ラジオDJ・ポッドキャスト「i-morley」主催者)、池田有希子氏(女優)
会場:アップリンク・ファクトリー
(東京都渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F) [地図を表示]
イベント料金:一律 1,800円(チベット風フィンガーフード、ドリンク付き)

“生” i-morley「チベトロニカ」特別編

webDICEで連載している『チベット・リアルタイム』の映像を上映しながら、モーリー・ロバートソン氏と、「チベトロニカ」に同行した池田有希子氏のトークショー開催。まさに二人がメインパーソナリティをつとめるポッドキャスト番組「i-morley」のライブ版!当日はチベット風味のフィンガースナックとドリンク(バター茶を予定)も振舞われる。
※混雑が予想されますので必ずご予約ください。
★詳細・予約方法はコチラから



『風の馬』
渋谷アップリンクにて公開中

【5月16日(土)トークイベント開催】
ゲスト:岩佐寿弥(「モゥモ チェンガ」監督)
     望月沙織(アムネスティ・インターナショナル日本 チベットチーム コーディネーター)
★詳細・予約方法はコチラから

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『雪の下の炎』
渋谷アップリンクにて公開中

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