今から20年前のこの日、ビルマ(ミャンマー)の首都ラングーンでは一人の大学生が治安警察に銃殺された。この事件をきっかけに軍政に対する民衆の怒りは88年8月の大規模なデモへと一気に加速する。以来、この日はビルマ民主化運動の象徴の一つとされてきた。
「独裁ミャンマー軍事政権は国民への人権侵害をやめろ!」「やめろ!」平日の午後2時、都内の路上に鳴り響くシュプレヒコール。
在日ビルマ人の民主化活動グループは、民主化運動の象徴的な日である「ビルマ人権の日」の3月13日、軍政に対する抗議アクションとしてデモ行進を行なった。
在日ビルマ人共同実行委員会(JAC)の呼びかけにより東京都品川区の公園に集合したのは300人以上の在日ビルマ人。反政府勢力組織や少数民族グループ、政治囚支援協会などのメンバーが中心となり、軍事政権による人権侵害批判やアウンサンスーチー氏および政治囚の即時解放を訴え続けながらミャンマー大使館前までデモ行進を展開した。
ビルマでは先週、潘基文(バンギムン)国連事務総長が軍政に宛てた民政移管に関する提案が否定された他、10日には同国を訪問したガンバリ国連特別顧問による軍政トップのタン・シュエ議長との会談が今回も拒否された。一方ではアウンサンスーチー氏と会談したガンバリ顧問だが、仲介者としての役割を果たせぬまま訪問を終えた。
昨年9月のデモ弾圧以来、出口の見えない情勢不安に国際社会が業を煮やすビルマ。母国を逃れ日本に暮らす在日ビルマ人の多くは、民主化の暁には帰郷することを夢見つつ、自分達にできる事を模索する。今回のアクションを主催したJACのメンバーに話を聞いた。
都内のレストラン従業員として生計を立てているミンスイ氏は、JACの中心人物の一人として積極的に活動を引率するヤンゴン生まれの47歳男性。在日ビルマ人市民労働組合の書記長として多くの仲間から信頼される重要な相談役でもある。デモ活動の意義について「具体的に大きな変革はもたらさなくとも、小さなアピールを重ねることによって世界中の仲間と連帯し、いずれは国内の人々のための力となることを信じている」と語る。
現在JACの議長を務めるタンスエ氏は1988年のデモに学生として参加。軍政によって武力鎮圧された運動はその後、タイ側に逃れた学生によって結成された全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)に引き継がれる。氏はタイ側へ同士を手引きする調整役として運動を続けた。しかし仲間が軍によって拘束されてからは身の危険を感じ、89年の11月に日本へと逃れた。建築設備会社の職人として生計を立てる一方、民主化運動グループBurma Democratic Action Groupの代表を勤める。
さらに、昨年8月に設立されたJACの議長に任命され、首都圏で活動する31のビルマ人団体の調整を引き受ける。今年のデモに関しては「若い人が増えて嬉しい。88年の時も学生がまず立ち上がったのだから、体制を変えるにはいつでも若い世代が動かなくては」と語る。
公園を出発してから約1時間後、目的地のミャンマー大使館前に到着したデモ隊は、88年当時の犠牲者や政治囚と昨年9月のデモ弾圧によって繰り返された惨劇の様子をおさめた写真パネルを掲げて集会を行った。参加者に向けたスピーチの中で、タンスエ氏は声高に「国政転覆まで時間はかかるかもしれないが、民主化の日は必ずやってくる。何があってもその日を信じて我々は断固抗議を続ける」と訴えた。
また、取材に対して氏は「日本はODAの縮小にとどまらず、アジアの中で影響力を持つ国として軍政に対し、より一層のプレッシャーを与えるべきである」と述べた。日本人に対しては「多くの人はビルマが問題を抱えている事は知っていても、実際に何が起きているのかをあまり理解していない。人権が侵害されていることは中国もロシアも認めているが、事実を認めるだけでは意味がない。後を絶たない深刻な人権侵害について、より具体的に知って欲しい」と語った。
AAPP(B)―ビルマ政治囚支援協会
ビルマの政治囚や彼らの家族への支援を目的に設立された。政治囚へ食料や物品を届けるほか、国際社会と協力してビルマの政治囚の早期釈放を訴える活動を行っている。
政治囚の現状について(出典:ビルマ市民フォーラム、2008年1月31日)
ビルマ国内では1,864名以上の政治囚が刑務所での生活を強いられている。
ドキュメンタリー映画『ビルマ、パゴダの影で』
軍事政権による少数民族への迫害を描いたドキュメンタリー作品。渋谷アップリンクXにて3月15日(土)より公開
★公開を記念し、3月20日(祝・木)にはゲストにいとうせいこう氏を招いてトークイベントを開催