骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2009-03-20 17:24


イーストウッドとスピルバーグに同じ日に30分刻みであったときに、「俺ハリウッドにいるわ」と思いましたよ『ハリウッド監督学入門』中田秀夫監督インタビュー

インタビュー終了後録音のテープを止めてから大事な事を聞き忘れていたのに気づいた。「ところで、そもそもどうしてこういう映画を撮ろうと思ったのですか?」中田監督は「鬱憤をはらしたかったのです」と答えてくれた。そして「これからは日本をベースに仕事をしますのでよろしく」と言ったのだが次回作はイギリスのプロデューサーと企画しているという。映画の最後は空港で監督が移動しているシーンで終わる。ハリウッドの内幕を語りながら、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本と仕事があればどこに行っても監督をやりますという中田監督の営業用のプロモーション映画を拝見しましたという気になるのは僕がプロデュサーと言う仕事を少し経験したからだろうか。観終わった後、その作戦にまんまとはまったのか、中田監督に日本発の世界市場を視野にいれた英語映画の企画を相談したくなりました。

(インタビュー:浅井隆)

── スタジオのトップと映画作品のプロデューサーは、どっちがステイタスなんですか?

中田秀夫監督(以下、中田):難しいですね。権限としては当然スタジオのトップが持っています。企画のゴーサインが出せるのは、スタジオのトップなので。アメリカの場合、個人で出資できる規模の映画はなくて、基本的にスタジオがお金を出すことになっています。

── 製作費は『ザ・リング2』でいくらだったんですか?

中田:撮影所が公表していないので僕も正確に知らないですけど、数十億だと思います。

── 『ザ・リング2』の字幕でデレク・ジャーマンの名前がでてきたので調べたら、撮影監督のガブリエル・ベリスタインは『カラヴァッジオ』の撮影監督なんですね。

中田:ええ。メキシコ出身で、ドキュメンタリーとかを撮っていて。お父さんがブニュエルの映画に出ていた有名な俳優で映画一家なんですね。70年代当時は、わりと左寄りのドキュメンタリー系の人だったんだけど、イギリスで劇映画を習いたいといって映画学校に行って撮影監督になって。まだ新人だった頃にデレク・ジャーマンさんと出会ったようです。

── 今年はダーウィン生誕200年で、ダーウィンの進化論を信じているアメリカ人が40%で、44~47%が人間は神によってつくられたと信じてるらしいんですよね。アメリカはキリスト教国家なので、ホラー映画にしてもキリスト教がバックボーンであることを分かってないと全然わからないところがいっぱいあると思うんですね。そういうことは感じたことはありますか?

中田:『ザ・リング2』のとき、プロデューサーのウォルター・パークスさんがずっと言っていたのは、キリスト教の洗礼という儀式というのは、悪魔を取り除くために水につけて赤ん坊の中に潜む悪魔を一回殺すというか一回仮死状態にするという、もともとの意味があるらしいんですね。そこからまた死の世界から救い上げるという。それをずっと彼は最初に会ったときから説いていましたね。

欧米のホラー映画というのは、キリスト教の絶対的善の神と絶対的悪の悪魔っていうもののバックグラウンドがあって成り立ってますよね。日本の幽霊モノは、幽霊っていうのはもともと人間だから怖いけど相対的っていうか、絶対的ではないんですね。幽霊にも思い入れを持てるんですね。だけど、アメリカで撮ったときは確かに、悪魔っていう考え方を理解しない悪魔と神、神も仏教的なブッタではなくて絶対神的なものを理解しないとダメだなと思いつつ、どこかで知的に理解は出来るけど、僕自身仏教の方が馴染みが深いからどうしても距離感がありましたね。ただ、自分で見て分析するときには、まさにキリスト教の理解なしにはできないと思ってましたね。

ハリウッド監督学入門03

── 脚本をハリウッド版にするのはウォルターさんと誰と一緒につくっていくんですか?

中田:彼は脚本家出身なので本作りにはすごくこだわります。『ザ・リング』も『ザ・リング2』もアーレン・クルーガーという『スクリーム3』を書いた脚本家が雇われて。その彼がウォルターと僕の意見を反映しつつ、『ザ・リング2』の場合はアーレンが直しも全部やりました。ハリウッドは全体を書く人と直しをする人と役割りが通常分かれているんですけどね。

── 中田監督は『THE JUON 呪怨』の興収を抜きたいと言っていて、でも結局抜けなかった。プロデューサーのウォルター・ワークさんが、その結果を分析すると親子の問題はティーンエイジャーの観客には興味がないんだと言っていた。でもそれは企画の段階でわかると思うんですけど。

中田:『THE JUON 呪怨』の場合はサム・ライミという人がいて、彼は『死霊のはらわた』シリーズとかやっていて、10分に一回はジャンプ・スケアというか、チープ・スケアがないといけない。それさえあれば、とりあえずなにかしら話があればいいと。ホラー映画では物語そのものは問われないんだと。
ウォルターは自分がホラーの専門家でないとわかっているし、超インテリなわけですね。イエール大学とスタンフォード大学の両方を出て、アカデミードキュメンタリーの賞を若い頃にもらっている。なにか自分も思い入れの持てるテーマ性を『ザ・リング2』の中で見出したいと。『ザ・リング』は日本のリメイクなんで、その線でいこうと。『ザ・リング2』はオリジナルだからチープ・スケアだけでつくっちゃダメだと。実際に、僕がチープ・スケアいるんでしょって思って入れてたら、彼から切ろうという提案があったりはしました。

── 鹿の頭が落っこちるとこを撮ったけど、カットされたということですね。

中田:サム・ライミだったら必ず入れると。ああいうのを切ったことが、小さいことかもしれないけど、マイナスに働いたと彼が言っていた。それは比べてみないとわからないですね。正しかったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれないし。

『ザ・リング2』予告編

── 映画の中で言ってることはみんなもっともだし、とくに編集のマイケル・クニューさんが言ってることはすごくマーケットのことを発言していましたね。

中田:UCLAで教鞭とったりするんで話がうまいんです(笑)。アメリカの編集マンって日本と違うのは権限をすごく与えられているんですね。ちょっとプロデューサー的視点をもっている。要は、撮り方は日本と全然違いますから、監督がこういうふうにして絶対こういうふうにつなげようって指示はださないわけですよ。もちろん僕が編集室に入っていろいろやりとりするんですけど。彼がもう一回、シナリオの内容と撮られた素材をつきあわせて、こういうふうに構成してみようという案を僕にぶつけてくるんですよ。日本より、編集マンの権限が大きいですね。

── それは、ある場合だとシーンをひっくり返したりとか。

中田:もちろんあります。日本でもやるけど、アメリカの場合は素材の各シーンをいろんなアングルから撮るっていうこともあるけど。たとえば『ザ・リング2』の場合、最初全部ラフをつなげて3時間以上あったらしい。そこからどう切っていくかということになります。話の絶対に必要な骨格を見つけながら。

── 3時間というのはシナリオ通りにとりあえずつないだ。それは設計ミスなの?

中田:いや、それはアメリカだと喜ばしいことだと思いますね。選択肢がたくさんあるので。日本だと、僕はそういう映画作りは嫌なんですよ。アメリカだとやらざるを得ないんで、僕はそれにのってやるしかない。どんなに撮影が長くなっても、とにかく撮るものは撮ると。撮りきって、そこから無駄だと思われるものをどんどん除いていく。もったいないけど、それがハリウッド方式。

── それは予算があるってことですよね。同じシーンを、視点を変えて撮るというカバレッジは監督なりがどれがマスターショットかというのはわからないんですか?

中田:全部マスターっていうのは変だけど、いろんなサイズを通して撮りますから、マスターもなにもないですよね。寄りだけでずっといこうと思えばいけるし、クレーンに乗っかって、ガーッと寄っていくのとかは、マスターといえなくもないけど。僕も3~4日目になってコンテとか考えるのやめようと思いました。現場でカバレッジをこれだけ撮るんだったら、しかも常に2台ありますから、カメラのそばにいる日本スタイルなんてほとんどできないです。デジコン(カメラの映像を映すモニター)の前にいて2~3台のモニターを見て、ここからのアングルはこの辺が使いどころだっていう自分の押さえどころはありますけど、いろんなアングルから見て俳優さんの演技が一定であると、同じトーンに見えるっていうことに集中しましたね。

── 映画の中で、ワンカットワンカット切って撮影しうるなんてハリウッド俳優たちがそんなのできないっていってましたね。そうなんですか?

中田:そうだと思いますね。『ザ・リング2』でいえば、そうはいってもアクション的な場面っていうのはコマ切りに撮っていきますよ。それは絵コンテというのがあって、『ザ・リング2』で鹿が襲ってきてビックリするとかっていうのをずっとビックリしてもしょうがないから、前のカットがこうであって、ここで「わー!」ってビックリするんだよって、そこだけを撮るんですよ日本的に。そういうときに、「今ここはどこをやってるの?」って必ず俳優は聞くんですよ。シーン全体を通してなら、頭に叩き込んでるからできるんだけど、この部分だけっていわれると必ず何回か聞かないとしっくりこない。

僕がこの映画の中でカバレッジっていう「章」を設けようと思った理由は、『ザ・リング2』の撮影の前日に、クランク・インの日のロケーションの場所に行って、ある家具屋でナオミと家具が引っ越すからソファを選ぶというシーンをリハーサルしましょうと、スタッフもほとんど皆呼んでやるわけですよ。クランク・イン一日前まで僕は日本流に撮影できると思っていた。スタッフからも「お前は日本流のやり方でやればいい」と言われていて。で、リハーサルして、僕が「カット!」といったら、皆シーンとなって(笑)。なにそれって感じになって。

キャメラマンとスクリプターが寄って来て、日本ではエディット・オン・キャメラ、要するにコマ切れで撮っていくのは知っていると。お前が好きなアングルから撮ればいいんだ、だけどなるべくシーンの最初から最後まで通して撮ろうと。コマ切れで撮っていくと必ずスタジオがシーン全体を取り直せといってくるから、お前を守るためにこれは言わなきゃいけないと。なるべく全部通して撮ってくれと言われて。僕はえーっと思って、事前に編集を考えずに映画を撮ったことは一度もないからすごいナーバスになって、ラインプロデューサーの女性を呼んで酒飲んだりして(笑)、気を強く保たないとやばいなと思って。一日分全部撮り直せと言われてギチギチのスケジュールだったしダメだと思ったから、わかった、全部通して撮るよと。絵コンテも考えてたんですけど意味がないとわかったので、違うアングル違うサイズでおんなじ演技を30回ぐらい見るわけですよ。

ハリウッド監督学入門02

── 何回ぐらい撮るんですか、ワンシーンで。

中田:少なくとも5セットアップぐらいはあるので。10アングルずっと。しかもここがアメリカ的なところで、日本だと撮り方はさておき、最初リハーサルをして照明を準備して、テストを何回かやるわけです。で、本番テストみたいなのもあったりして。そこまでで俳優さんは結構身体が温まっているから、本番一回目がよかったら皆気持ちいいんですよ。技術パートも全部OK!となったら、はい次行きましょうとなるんですけど。

アメリカの場合は、リハーサルは一回やって、カメラワークも研究して、もう一回俳優さん呼んだときにチーフ助監督が「監督、もう一回リハーサルやっとく?すぐ回す?」とかってすぐ回し始めるんです。それで一回目がいいっていうこともあるわけです。「いまのよかったね、はいOK!」となってもみんなシーンとなって。なんか技術的なミステイクがあるかもしれないし、俳優さんの方も一回じゃ不安なんですよ。一回目がいいっていう、少ないことが美しいという考えはないんですよ。とにかく材料はたくさんほしい。テイクは必ず2本はいるんです。それは保険としてセイフティというんですよ。だけど僕の方は1本目の方がいいから、2本目で下がるじゃないですか。するとくやしくて、もう一回撮るんですよ。だったらもっと1よりいいものがあるんじゃないのって。そうすると3が4になり5になり時間がかかる。

── 5になったということは、同じ2カメのポジションでの5テイクですよね。最低同セットでポジションを変えて5回を撮るということは…

中田:それは微妙に変わったりするから。編集マンは5回あることで使い用はあることはあるんだけど、日本流でいえば無駄なことをやっているということになりますね。

── 俳優は同じ事を何度もやるんですね。10回以上そのシーンを通して確実にやってるわけですね。

中田:それは全然問題ないです。松田優作さんが『ブラック・レイン』で、ずっと同じ演技させられるから困ったというけど。彼なんかグッと力が入っちゃってるから30回もやるとヘロヘロになったらしいです。僕も最初はヘロヘロでしたけどね。ただ、向こうの俳優さんは大丈夫です。それは技術的にやってる節もなくはないけど。日本なんかそんなことやったら気力が続かなくて、ただやってますということになってしまう。そこは不思議と30回目だけど、大丈夫かなっていう不安はなかったですね。

── 今年1月にアップリンクで黒沢清さんのトークイベントがあったときに、クリント・イーストウッドの映画『硫黄島』に出ていた俳優・伊原剛志さんが現場に行って、黒沢さんも早いけどイーストウッドももっと早かったよと言っていたみたいですね。

中田:僕も誰かから聞いたんですけど、『硫黄島』の現場では基本的に一発OKなんですよ。イーストウッドはそれを認められているんだけど。

── それはハリウッドのシステムの中にいても認められている?

中田:イーストウッドの場合は、たぶん彼はファイナルカットも持っているんだと思います。彼がOKなのは全部OKで。自分が俳優さんだろうからだけど、なんか面白いこと言ってましたよ。リハーサルせずに撃たれて死ぬ場面で、バーンと撃たれて死んだら、イーストウッドが横にやってきて「いや、ほんとはまだ死んでいない」と言って(笑)、急にまたこの演技を始めて、ずっとまわっているんですって。「いや、ほんとはまだ死んでいない」というから必至で演技を続けて、OKよかったよって。なんかいい加減だなと思うんですけど(笑)。

僕も別の作品でイーストウッドのキャメランを長いことやっていたジャック・グリーンという人と一緒に仕事をするはずだったんですよ。ジャックさんが言ってましたね。朝のリハーサル事態は僕がやってることをやるんだけど、ライティングのセットアップができたらほとんど何も言わずに、すぐ本番。ほとんど何もせずに、もうOK。よく溝口健二とかが俳優に何も言わずに演出をしてたっていうんだけど、それと似ているのかもしれないですね。イーストウッドの現場は覗いてみたいですね。

── ハリウッドってそれだけ優秀なスタッフがいるのに、つまらない映画をつくってますよね。これがわからないんですよ。準備に何年もかけ、脚本のデペロップに期間をかけ、秀才ばっかりが集まってつくっているのに。

ハリウッド監督学入門A

中田:僕もその中で1本つくったからどういう表現していいかわからないけど(笑)。要するに映画の中で言っているように、工業製品をつくるようにテストスクリーンとかを繰り返しながら、お客さんに受けるためを最優先に編集もそれに応じて変えていく。そのためにカバレッジがいっぱいいると。それで、最大公約数的映画作りというものを目指し、『ザ・リング』があって『ザ・リング2』があって、『パイレーツ・オブ・カリビアン』のシリーズがあるように、当たったもののシリーズあるいはリメイクみたいなもので、売り物として外見が売れそうだというのはある。中に込める内容の、やっぱり作り手側のスピリットですよね。これ面白いだろっていうスピリット、あるいはエッジの効いたクリエイターたちの心意気みたいなものが、そがれる方向に傾きやすい。

僕も90年代くらいから、ハリウッド映画って最近誰が撮っても同じだなーと思っていて。そのカバレッジがどんどん進化することによって、ずっと通して撮ると限られるんですね。たとえば監督がこだわって、このセリフのところは足だけがあればいいんだと。それを最初から最後までずっと撮るわけにはいかないじゃないですか。日本だと、この瞬間の前は足を撮りたいと監督が必要とすれば撮れるんですよ。アメリカだと撮れないんですよ。そういう監督の妙な視点とか削ぎ落とされていって、その人にしかない個性がなくなる。で、それがいくところまでいったということかもしれないですね。中身のスピリットがどんどん薄まっていって、特に日本でハリウッド映画が当たらなくなっているのは若い人が見抜いているというか。


── 今回ウォルターさんがドリームワークスの当時の最高責任者であり、『ザ・リング2』のプロデューサーでもあった。そのカバレッジというのはスタジオのトップも観ているものなんですか?

中田:観ていますね。他の撮影所の場合は、トップといっても経営のトップと制作部門のトップがいますから。制作部門のトップは大体見ていて。制作部門のトップの下に担当エグゼクティブというのがいますから、その人は絶対全部みています。フォックスのある若い30代のエグゼクティブが正直にいってましたけど、彼はアクション映画担当で、デイリーが届いて最初に見るものはアップがいっぱいあるかどうか。アップがたくさんシーンで撮られていたらOK。そういうのがないと不安になって、どうするっていうことになる。それは象徴ですね。彼も自虐的に言ってましたけどね。
なぜかと言えば、アップがあると編集で困ったときにどんどんとばせるので。特にヨーロッパや日本などの外国人監督ってかっこよく長まわしで引き目の絵で、ここはさすがにいいでしょっていうのを撮ってしまう。寄りがないと、「え~売れないよ」っていうことになるらしいです。だから、担当エグゼクティブは必ず観ています。

── ある意味、ここ数年ハリウッド映画が均一化しているのは、実態のあるエグゼクティブが観ているのならいいけど、今おっしゃった担当はアップがあると安心する。それは、さらにその上の人に対しての自分のポジションの保険ということですよね。

中田:もっと前からなんですよ。ジャック・グリーンさんが言ってるのは、70年代くらいからハリウッドのスタジオには親会社がつくようになって、親会社の意向で、ある大企業の映画部門みたいなショウウィンドウ化して。そこから始まってるといってましたけどね。たとえば、コッポラみたいな人がどんどん映画が作れなくなった。80年代くらいまではやってたじゃないですか。ああいうパワーと情熱を持った、でもちょっとぶっ飛んだような監督がスタジオシステムの中で機能しなくなったっていうあたりからおかしくなった気がしますけどね。

── M・ナイト・シャラマン監督とか最近つまらないんですけど、なんで作り続けられるんですか?ハリウッドのシステムとちょっとズレてるんですかね、お金の集め方とか。

中田:彼なんかはカバレッジはいらないらしいです。彼は『シックスセンス』という絶対的な自分の名刺みたいなものを持っているからその財産が大きいんですかね。

── 『インファナル・アフェア』のリメイク版『ディパーテッド』がアカデミー賞をとった時点で、ハリウッドに興味がなくなって。アジア映画のリメイクで、しかもオリジナルに比べたら三流の映画じゃないですか。

中田:そこのハリウッド映画が、自分たちで企画を苦しみながら立ち上げていくっていう努力を怠ってきた。そのツケがきているのは間違いないですね。経済自体が縮んで、しかも脚本家組合だ、俳優組合だ、ストライキで、いまはもう相当疲弊していると思いますよ。でも、疲弊した中でも当然アカデミー賞は毎年やりたいわけだから。その中で選ばれるわけですかね。

僕がこの映画をつくったのは必ずしもハリウッドはダメ、日本はいいよっていうわけではなくて、日本映画の裏返しの意味で跳ね返ってくるものはあるだろうし、ハリウッドはハリウッドで反面教師としてでも何か学べるものがあるはずだという思いもありましたけどね。ただ、おっしゃっるように、僕の言い方で言うとスピリットがつまっていない。いまの例でいうと、人のものを借りてつくって、それで当てようっていう安易な映画つくり方ではもうだめだっていうのが、ハリウッドの中の人も当然気づいてると思いますけどね。

── 『インファナル・アフェア』のトニー・レオンがインタビューで自分はハリウッドに行く気はない。ハリウッド映画の俳優の演技はアジア人と違って繊細さにかけると。自分はアジア人としての繊細な演技することに誇りを持っているからアメリカ映画ではやりたくないといってましたけど。でも、俳優の層はハリウッドは厚いなと思いますけど。

中田:すごいですよ。単なるオーディションはごめんだよっていうレベルの俳優さんとかでも、裾野の広さは半端じゃないですよ。すごい役者がこの役やりたいとかって。競争率がすごいですから、そこはうらやましいです。素晴らしい俳優たちがいるんですけど、スピリットというか。コッポラだけじゃないと思うけど、あの中で個性をつねに発揮し続けられる人、好きに撮れる監督ですよね。ティム・バートンとかはシステムの中で機能しつつ、自分の世界観を維持している。例外ですけど。

── 『ファニーゲームU.S.A』をミハエル・ハネケ監督がリメイクして、それにもナオミ・ワッツが出演していましたね。あれはヨーロッパ資本で製作されていましたが。

中田:でしょうね。僕も映画の推薦文書いたんですけど。ナオミさんはイギリス生まれでオーストラリア経由で、好きなんだと思いますよ。『ザ・リング』の前にデビット・リンチの『マルホランド・ドライブ』に出ていて、そういう思考は常に持っている人だと思いますよ。ハネケ監督は、ハリウッド的スリラーの展開を全部ひっくり返してやる、こっちの読みを全部はずすっていう点では痛快でしたね。物語とか演出とか。ハリウッドで言うと、ダンナが殺され子どもが殺され、ナオミさんが最後闘って勝利するわけじゃないですか。え?っていう。それを全部はずしたいという。スタジオだったら通らない。アメリカでも当たらないから。

── 中田監督は一本撮られた経験から、ハリウッド映画の定義を改めてすると何ですか。

中田秀夫監督

中田:立ち位置で全然違うと思います。監督個人としてみると、アメリカへ行って英語だけで喋ると決めてスタジオのシステムの中でやったというときに、たとえばオールスタッフ会議とかを日本でもやりますけど、150人くらいのスタッフを前に「俺ほんとにやるんだな」と思ったり、ナオミさんはじめオールキャストと本読みやったときに全部英語でやって、「俺ほんとにやるんだ」って、ちょっと離人症になるんじゃないかってくらい、俺が俺じゃない感じぐらいにビビリましたけど、これがハリウッドだなと。

あと、おのぼりさん的なことを言うと、ドリームワークスの受付にいたら、たぶん『硫黄島』の打合せだったと思うんですけどイーストウッドが前を通るわけですよ。子どものときからスターだった人が目の前に来るとかっこいいなぁと思うし。あと、ウォーターさんと打合せしてるときにスピルバーグがやってきて、日本語で話しかけてくるんですよ。そういうときはなんか蝋人形館にいるような(笑)。イーストウッドとスピルバーグに同じ日に30分刻みであったときに、「俺ハリウッドにいるわ」と思いましたよ(笑)。それが僕にとってはハリウッド体験で。

ユニバーサルの中にドリームワークスがありますから、ユニバーサルのスタジオの中でずっと仕事をして、映画少年時代だった頃に、自分がハリウッドで映画を撮るなんて全然思っていないですから。自分が体験したことでいうと、スタジオの中でやれたっていうのは、確かに日本で撮ってアメリカで配給してもらうという違う体験は出来たと思う。

ハリウッドの資本が入るか、ハリウッドスタジオが配給して、受け取る側がアメリカ映画として受け取るかどうかってことかな。僕は確かにスタジオでやったときに…ドリームワークスは新興スタジオだから、ヒッチコックが通ったユニバーサルだけど昔のハリウッドとは違うんだよねっていう思いと、さっきのおのぼりさん的な事でいえば、ドリームワークスだけどダビングはフォックスの中のサウンドステージでやって。ハリウッドの中で一番といわれるダビングスタジオで。そこにはジョン・フォードの言葉とかが書いてるんですよ。ジョン・フォードステージとかハワード・フォークスステージとかって。かっこいいんですよ言葉が。「私は自分の作品をアートとか、世界を揺るがしてやるぜなんて思ったことはない。私にとって映画作りとは仕事でしかない。だけど私はこの仕事をこよなく愛してきた。それ以上でもそれ以下でもない」という言葉が書いてあって。そこで仕事できただけでも嬉しいですし、一生の記念というか、非常に楽しかったですね。


── 最後に、自動車業界にたとえるのが適当なのかわかりませんが、フォードとか、アメリカのGMとかがマーケット的にも全然支持されないと。すると、フェラーリのように大きな大衆には受け入れられないけど世界中の誰もが知っているブランドじゃないですか。日本映画はなかなかフェラーリにならない。映画祭の中では出て行くけど実際売れるかといえば現実は非常に難しい。フェラーリは数は少ないけどいろんな国に売れていると。

中田:やっぱり、売り物としてのスピリットがないから、たとえばハリウッド映画は日本では支持されなくなってしまった。フェラーリのようにエッジの効いた突き抜けたある得意ジャンルを持っていると世界に通用するブランドになるというのはまさにそうだと思います。僕流にいうと、ハリウッド映画のミニチュアみたいな映画づくりでは日本もやっていけないよというのは明らかですよね。じゃあどうであればやっていけるのかは、僕もシンプルな答えはないですけどね。やっぱりエッジがきいていないと出て行けない、でもエッジがきいているだけじゃ映画祭レベルでとどまってしまう。じゃあ何?っていったときに、その答えが簡単に言えたら、向かうところ敵なしですね(笑)。

── 次回作は監督なりの答えになりそうなんですか。エッジが効いていてなおかつイギリスで撮る英語映画と聞きましたが。

中田:まだ最終決定はしていませんが、アイルランドの劇作家が自身の戯曲を映画用に脚色した『チャットルーム』という、ティーンエイジャーたちが会話しあってインターネット自殺とか殺人が起こる話です。その劇作家はヨーロッパだけじゃなくてアジアや南米でも評価が高い人です。彼は去年カンヌで『ハンガー』っていう、アイルランドで刑務所で囚人がハンガーストライキ行い死ぬという映画で、キャメラドールをもらった作品の脚本家です。僕も4回打ち合わせにいって、あとはお金が100%積みあがったらやりましょうということになっていて、そこの最終のツメをいまやっています。


『ハリウッド監督学入門』
2009年3月21日(土)より、シアター・イメージフォーラム他全国順次ロードショー

ジョン・ウー、アン・リー、ギレルモ・デル・トロ。ハリウッドで映画を撮ってきた外国人監督は数多い。ハリウッドで映画を撮るのは、他の国で映画を撮るのと、どう違うのか?『ザ・リング2』でハリウッド進出を果たした中田秀夫が、自らの経験を基に撮りあげたドキュメンタリー。

監督:中田秀夫(『リング』『L change the WorLd』『ザ・リング2』)
2008年/日本/73分
配給:ビターズ・エンド
★初日3月21日は中田秀夫監督の舞台挨拶あり!詳しくはシアター・イメージフォーラム


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