チベットから生放送を実現するまで
文:モーリー・ロバートソン
(ラジオDJ・ポッドキャスト「i-morley」主催者)
『風の馬』を観て、チベットとは不思議な縁だったのだと改めて感じました。映画の中で、歌手のドルカと拷問された従姉妹のペマが幼い頃の思い出の歌を歌うシーンがあります。「牧場で靴をなくした兄弟 靴のことは心配しないで 明日の朝 市場へ出かけて 新しい靴を買いましょう」といったチベット語のフレーズで、ゆっくりなテンポの童謡なのですが、この歌が入ったVCDを2002年に中国青海省の西寧(せいねい)という街で手に入れました。当時はまだ西部大開発が進んでおらず、西寧は偏狭の地だったのですが、チベット人が集うレストランやバーで大ウケしている「唐古拉」(タングラ)というVCDがあり、若者が総立ちで踊るようなポップな曲の中の1曲目がこの歌だったのです。
今にして考えると、『風の馬』が最初に欧米で上映され、中国政府が不快感を示した時期に、「中国資本できちんと管理するから、自分たちの歌を歌って良いですよ」というガス抜き的な意味でチベットの歌やVCDの販売を許可しており、そういったせめぎ合いの真っ只中だったのでしょう。チベット人の若者があの歌で楽しそうに踊っているお店に入ったのですが、なぜか怪しい雰囲気があり、「外国人なのに来るな、なぜお前たちがここにいるんだ」というような目で見られました。それがずっと腑に落ちないまま、2007年に初めてチベットのラサを訪れたのです。
チベットへ行くきっかけは、青蔵鉄道が開通して恐ろしい速さでチベットに行けるようになったので、これはチャンスだと思ったのと、ハイビジョンのハンディーカムが売り出されたので、面白い映像が撮れるという期待がありました。そこで、チベットの知られざる風景と文化を写真にとらえ、現地から配信するという趣旨で日本ポラロイドに提案をしたところ、企画が通ったので、2007年に約2ヶ月間にわたりアート・プロジェクト『チベトロニカ』の総指揮を務めました。『チベトロニカ』とはチベットのラサ等で取材し、直接触れて実感したことを日記、写真、映像、音声等でレポートする企画です。映像配信には「iTunes」のポッドキャストや「YouTube」、「Skype」を使用し、更に現地からインターネットラジオでの生放送を行いました。
撮影:モーリー・ロバートソン
チベットから外の世界に出てくる情報は、NGOや一部のジャーナリストが書く内容と中国政府の発表が真っ向からぶつかっています。あまりにも違うので、チベットに実際に行くまで、どちらの情報も信じ込まないようにしました。「人助け」を大義名分にする活動家にはむしろ不信感を持っていたほどです。また、そもそもチベットを取材する行為そのものにリスクがあるので、当初はプロジェクトが中断されないことだけを気にしていました。ですが、現地入りしてあちこち撮影する内に、だんだんと皮膚感覚で実情を捉えられるようになりました。このプロセスも未発表のドキュメンタリー素材になっています。何日かすると、NGOや活動家側の主張がおそらく100パーセント正しいな、という直感が働きました。そうなると、現地からリアルタイムでいったい何を伝えるのか、ということが次の大きな課題になりました。見たまま・感じたままを語ってリスクを冒すべきか、沈黙すべきか。チームのみんなで相談した上、イチかバチかで全部しゃべっちゃおう、という結論に至りました。
『チベトロニカ』の暗黙の了解として、政治的なタブー領域に触れないという条件が盛り込まれていました。本音と建前を使い分けたのですが、建前としては『チベトロニカ』でチベットの風光明媚を語るという内容で、放送は夜11時に終了し、その後ポッドキャストの『i-morley』に切り替わったことを生放送の中で宣言しました。そこから先はポラロイド社の協賛企画の管轄外である、という形式を取ったわけです。『i-morley』は本音の部分で、チベットでの最初の3日間は、中国がいかにチベットを良くしたかについてわざと話し、時おり「うっかり」危険な言葉を発したりしながら中国の反応を見ました。今の状況では、おそらく日本語版や英語版の「Skype」でも盗聴可能なのではないかと思いますが、当時の「Skype」では、日本語版や英語版には盗聴機能がついていなかった。だから結局私が何を発言しても、中国からは何も言ってこなかったのです。ですから、帰国間際には「ダライ・ラマ万歳」だとか 「チベット独立!」だとか、好き放題に言っていました。
インターネットは四つ星以上のホテルだと、中国政府が太い光ファイバーをひいているので中国国内では東京都内よりも速いスピードで繋がり、その日チベットで撮ったものを同じ日に日本でも見ることができます。政府が政策として4000m級の山に回線をひいたのですが、利用者が少ないので回線の繋がりが速いのでしょう。また、街のネットカフェだと監視が厳しいのですが、ホテルはチベット人が出入りできない場所ですから監視が甘かった。いろいろな実験をしましたが、運良く危険な目には一度も遭いませんでした。
チベットの印象ですが、イメージしていたものとは全然違いました。山に行くと写真で見たチベットと同じ風景でしたけれど、ラサは既に漢族化が進んでいましたので近代化していました。驚いたのは、中国で買ったNokiaの携帯で「Skype」を着信できることです。「Skype」から直接一般電話や携帯に電話をかけることを「SkypeOut」というのですが、東京に『チベトロニカ』の心臓部があり、そこから「Skype」で発信するとNokiaの携帯に繋がります。誰も考えたことがないと思いますが、携帯が中継車のマイクになるのです。実は行ってみて初めて現地の状況がわかったので、その新たなデータを基に、日本側にいたハッカー級の技能を持ったチームが次々と通信の裏技をリアルタイムで編み出していきました。その連携の上で生放送が成り立ったのです。
撮影:モーリー・ロバートソン
ラサ市内を歩く際は、必ず日本語が話せる中国人ガイドがついてきました。ガイドは監視も兼ねていましたが、彼らが知っている日本語は限られていますし、英語はほとんどわからないようなので、仲間同士の「危険な」話は英語でしました。チベット人が集まる賭場に入り込んだ時には、中国人がいないのでチ ベット人が「ハロー」と陽気に声を掛けてきました。ICレコーダーをONにしたままで、いろいろな面白い話を聞きました。
例えば、「チベット人は自業自得 だ。自分たちの文化を大切にせず仏教ばかり信じて科学を否定した。だから近代化に遅れて今の状態になった」といった内容をチベット人が話してくる。でも実 は、彼が本当に言いたいことは「若者が漢化政策でチベット語を話せなくなり、文化消滅の危機にある」ということ。相手にもこちらの意図がわかるので、言っ てはいけないことをモザイクがかかったような遠い言い回しで話し、阿吽の呼吸で会話しました。もうひとつ気をつけたのは、中国政府は検閲でフィルムやカー ドを没収するので、ICレコーダーに録音したデータをその日のうちにサーバーにアップし、ICレコーダーからすぐに消すということです。
『風の馬』はデジタルカメラだったからラサで撮影できたわけで、アナログの時代だったら難しかったでしょう。『風の馬』の内容は、私がいろいろなところで 漏れ聞いた話とほとんど同じだと思います。この内容をチベットで劇映画として撮ったのはすごいと思う。今もどんどんデジタル化していますから、ITの技術 を駆使すれば中国の「金の盾」と言われる情報検閲システムが無力化し、真実がすべて明るみに出る日も遠くはないでしょう。
『風の馬』
2009年4月11日(土)より渋谷アップリンク他、全国順次ロードショー
監督・脚本・編集:ポール・ワーグナー
出演:ダドゥン、ジャンパ・ケルサン、他
1998年/アメリカ/97分
配給・宣伝:アップリンク
公式サイト
『風の馬』公開記念イベント 4月12日(日)
日時:2009年4月12日(日) 上映12:30 / トーク14:10ゲスト:モーリー・ロバートソン(ラジオDJ・ポッドキャスト「i-morley」主催者)
福島香織(産経新聞記者)
会場:アップリンク・ファクトリー(東京都渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F)[地図を表示]
料金:当日一般1,500円/学生1,300円/シニア1,000円
※前売り券もご利用いただけます。
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