1950年、突然の中国軍の侵入により主権を奪われた仏教国チベット。その9年後、ダライ・ラマ14世はインドへの亡命を余儀なくされた。中国共産党政府によって統治されたチベットでは、宗教弾圧、人権侵害などの圧政が続き、それを嫌って亡命するチベット人はあとを絶たない。チベット亡命政府のあるインドのダラムサラに暮らす難民もすでに3世代目となった。
現在、日本で生まれたチベット人の「第3世代」はほとんどチベット語を話せず、驚いたことにチベットに興味がない人もいるという。チベットコラム第1回で紹介した西蔵ツワン先生のご子息である西蔵タシさんに、彼ら第3世代がチベットについてどう感じているのか、話を聞いた。
タシさんは、チベット生まれの両親をもち、彼自身は日本で生まれ、大学で国際政治を学んだ。現在はオーストラリアの大学院に通っており、難民支援やチベット問題を学んでいる。
── まず、映画『風の馬』をご覧になられていかがでしたか?
チベットにおける人権侵害の話は、本やペマ・ギャルポさんのエッセイなどを読んで知っていましたが、映像で観たのはこれが初めてでした。映画の主人公であるドルカなど第3世代のチベット人と中国人との関係、それとドルカのお祖母さんたち第1世代と中国人との関係は違っていて、どんどん複雑化しています。ドルカは歌手で中国人の恋人がいますし、刑務所でペマを拷問する看守がチベット人だという設定からも、チベット人と中国人が関係を持たざるを得ない状況になっているのだと思います。一方お祖母さんの世代は完全に対立していたので、両者の関係は遠かったのでしょう。
── では、タシさんのように外国で暮らすチベット人にとって中国人はどのような存在なのでしょう?
チベットで生活するチベット人と、外国にいる僕たちの状況もまた違っていて、僕たちの場合は直接迫害を受けているわけではないので、嫌悪感情みたいなものはありません。しかし、また別の問題が出てきており、例えば、僕たちはチベットの文化を維持できていません。もしチベットが10年後に独立したとして、外国にいるチベット人が祖国に帰りたいかというと、多くの人が帰りたくないと言うでしょう。両親はよく、「独立したらチベットに行くぞ」と言っていますが、僕は日本で生まれ、日本で育ったので「チベットに帰るんだ」と素直に思えないのです。
チベット人は、日本に60人程度住んでいますが、両親がともにチベット人の子供というのは、うちを含めて2家族だけで、あとはチベット人と日本人の子供です。僕はチベットの言葉や文化を学びたいと思っていますが、なかなか学ぶ機会がありません。なぜ両親が僕にチベット語を教えてくれなかったのだろう、と不思議でしたが、両親が日本で働くことは容易なことではなく、父は医者になるのにとても苦労していますし、母も看護婦として働いており時間がなかったのだと思います。
映画『風の馬』より
── お父様のツワン先生から、チベットにいた幼少期に洗脳教育を受けて“ダライ・ラマは反逆者だ”と信じ込んでいたという話を聞いてとても驚きましたが、タシさんはどう思われますか?
簡単に洗脳されてしまうのだから、面白いと思いました。中国共産党は中国人に対してもそういった歴史教育を行っているわけだから、僕の父と同じように洗脳された考えを持った人が大多数でしょう。ただその中でも、都市部の若者は変わってきているのだと思います。現在、オーストラリアに留学して約8ヶ月が経ちましたが、僕には中国人の友達もいます。彼らは都市部の出身者が多く、お金持ちで共産党にいくらかお金を払って外国に来ています。彼らはインターネットを介して中国がチベットにやってきたことを知っていますが、彼らにとってチベットは遠い世界の話だと感じているようです。
僕の場合も、チベット問題はアフリカの貧困の問題と同じように、決して身近な問題ではありませんでした。血はチベット人ですがチベット語も話せないし、日本で生まれて育ったのでアイデンティティがあやふやだという理由もあります。ですが、自分の幸せは何だろうと考えたとき、最終的には親を幸せにすることだと思っているので、チベット問題を解決するという意識を持つようになったのだと思います。
── 昨年の北京五輪開幕時の騒動が起きたとき、何かアクションを起こしましたか?
長野の聖火リレーには行ってきました。ちょうど卒論を書いていた時期でチベット問題を調べており、その時は感情的にも中国人のことが嫌いでしたし、関心がピークにありました。それと、自分の目で現場を見て、実際に中国人と対話できるのか試したいと思ったのです。そこで受けた印象は嫌なことばかりでした。対話は全くできないし、対話しようとすると、「君は中国の歴史を知っているのか」と言われてしまう。「チベットはずっと中国の一部だったんだ」と言われ、最終的には「ダライ・ラマはクソだ」と。だんだん小競り合いみたいになるので、警察がすぐに止めてしまう。すごく気分が悪くなって帰りました。
映画『風の馬』より
── まわりの方からチベットの問題を聞くことがあると思いますが、タシさんはこのチベット問題をどのようにお考えですか?
僕は自分なりにチベット問題を客観的に見ようと思って努力しています。色々なチベットの悲しい話を耳にするのですが、僕自身はそういった感情的な部分だけでいつも「チベットはかわいそうだ」という結論に達することに、実はうんざりしています。そういったことばかりを情報として流して、国際的な支持を得ようという戦略もあるのでしょう。政治や国際社会の中で、中国とチベットの関係はどうだったのかと考えた時、例えば、地理的な問題や仏教の国だから軍隊を持ちたくないという理由で、チベットは外交をせず国として成立していなかった。だから、簡単にどこの国でも侵略できたのだし、外交も積極的にしていなかったから、結局中国とイギリスの間で話がまとまって、チベットは疎外されてしまっていた。そういう問題も、冷静に客観的に見ないといけないと思います。
── 今、チベット問題を解決する方法はあると思いますか?
一番有効だと思うのは、中国人に直接働きかけることだと思います。『風の馬』のようにチベットの映画を上映することも一つの方法でしょう。この映画をもしかすると中国人が観るかもしれない。逆にこの映画を観た日本人が中国人に働きかけることもできる。そういった小さな積み重ねで、中国の民主化が促進されれば良いと思います。
将来は国連職員になり、難民支援に従事したいという。国連は中国が常任理事国であり、またチベット人を難民だと認めていないため、チベット問題に関わるのは難しいそうだが、「僕の父が医者という仕事を持ちながら、チベットの難民キャンプで働いていたように、僕はアフリカの難民支援をしながらチベットのことも支援していきたい」と夢を語った。
(取材・文:神田光栄)
『風の馬』
2009年4月11日(土)より渋谷アップリンク他、全国順次ロードショー
監督・脚本・編集:ポール・ワーグナー
出演:ダドゥン、ジャンパ・ケルサン、他
1998年/アメリカ/97分
配給・宣伝:アップリンク
公式サイト