骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2009-02-20 15:33


「中国で起きていることは、簡単に白黒つけることはできない」 ―映画『長江にいきる』フォン・イェン監督インタビュー

「“外国では、ドキュメンタリーは少数者のためのものだけど、中国ではドキュメンタリーは多数者のためのものだ”と言われ、まさにその通りだと思いました」
「中国で起きていることは、簡単に白黒つけることはできない」 ―映画『長江にいきる』フォン・イェン監督インタビュー
フォン・イェン監督

三峡ダム建設による国の移転計画に、一人のごく平凡な中国女性・ビンアイが抵抗する。ミカン園とトウモロコシ畑の大地に根ざした生活を貫く彼女の生き様を、7年間カメラに収めたドキュメンタリー『長江にいきる 秉愛(ビンアイ)の物語』が3月7日(土)よりユーロスペースで公開される。
山形国際ドキュメンタリー2007でアジア千波万波部門 小川紳介賞グランプリ、ナント三大陸映画祭、香港国際映画祭など数多くの国際映画祭で賞に輝いたこの作品の監督、フォン・イェン(馮艶)に話を訊いた。

(インタビュアー:藤岡朝子 / 山形国際ドキュメンタリー映画祭東京事務局)


藤岡朝子(以下、藤岡):先月1月にアップリンク・ファクトリーでの「月刊ヤマガタ」(山形国際ドキュメンタリー映画祭の後、あまり上映の機会がないまま忘れられた傑作・名作・珍作の定例上映会)で、あなたの長編第一作、1997年製作の『長江の夢』を上映しました。三峡ダム流域を撮ってきた写真家の小川康博さんとトークをして、彼は開口一番、こう言いました。「この映画を見ていて、カフカの『城』を思わせられた」と。

フォン・イェン監督(以下、フォン):なるほど。理由は何と?

藤岡:おそらく、中国の農村で暮らすということは理不尽で不条理なことだらけで、自分がこうと思っても普通のささやかな幸せが強大な力によって疎外される、そういうことだと思います。

フォン:郭ばあさんや、杜太平、ビンアイなどが『城』に登場する「K」という人物に見えたのかしら?

藤岡:そうだと思います。

長江にいきる02
長江のほとりで家族とつつましく生きる女性、ビンアイ。三峡ダム建設に伴う移住命令によって、平穏な生活が崩れゆくなか、ビンアイは権力に立ち向かう。

フォン:一生懸命もがこうとするけど、結局城に入れなくて、それでも精力的にその日の生活の打算をして、絶望の中から希望を見出そうする。ほんとうは悲劇の主人公なんだけど、自分ではそうは思わない…。

藤岡:『長江の夢』の登場人物たちは確かにそうですね。でも、あの映画の強さは(『長江にいきる』もそうですが)、抑圧する「城」システムの批判というよりも、翻弄される中の個人個人の感情が深い次元で感じ取れることじゃないでしょうか。

フォン:97年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映されたときには、ある先輩の監督からは「編集に問題がある。もっと“政府は悪、農民は善”というにはっきり言うべきだ」と言われました。

藤岡:アドバイスに従わなくてよかったですね。そんな典型的で単純な構図では映画がつまらなくなります。

フォン:「悲劇の主人公たちなのに、あなたはどうしてそうだとはっきり指摘しないの?」とも言われました。

藤岡:悲劇の主人公ではなく、反転してヒーローなんですよね。それぞれの物語の。

フォン:私もそう思います。中国で起きていることは、簡単に白黒つけることはできない。そういうことを言いたかった。

藤岡:一方で、中国で起きていることの振幅の幅広さは、日本にいると本当に「激流中国」で、信じられないくらい…。

フォン:私の思うヒーローというのは、いつでも勝つ方ではない。常に強い方ではないのだと思います。

藤岡:強くない? それはどうしてですか? 中国の農民が?

フォン:だって、いじめられても死なずに、しぶとく蘇ってくる。そういう憎たらしいほどに生命力のある人たち、この人たちこそ、一見強くはないけど、生きる術をちゃんと知っていて最後に残るだろうと思います。彼らがほんとうのヒーローです。

長江にいきる01
オリンピックと並ぶ中国、百年来の夢、三峡ダムが2009年に完成。300億ドルの国家プロジェクトは140万人もの住まいと田畑が代償である。『長江にいきる』は、そんな国の発展の影で取り残された人々の暮らしを見つめ続けている。

藤岡:そうですね。そういう視点を、フォン監督はどういう風に獲得したんですか? 例えば写真家の小川さんも、当初は「三峡ダム」という、あるジャーナリスティックな興味から通い始めたけど、行ってみたらとんでもなくわからない現実があってジャーナルみたいに整理できないかも、という実感を持ったみたいです。

フォン:カメラを持つと、自分も杜太平たちとあまり変わりがないと実感します。撮る行為って、自分のためと言っても言いすぎではない。ドキュメンタリーを撮りたいわけだから。実際、彼らの生活を助けられるわけではないし、何一つためになることができない。目の前で起きていることを、ただただ見守るしかできない。そういう無力さをときどき感じます。そんな中で、自分も大きな見えない力にコントロールされていると実感されます。

藤岡:それはおもしろいですね。カメラを持つと全能感が増す、とか言われますが。車のハンドルを握るような権力。

フォン:ビンアイが『長江にいきる』の最後にしゃべる言葉、「私は何があっても生き残ってみせる」という気持ちは、痛いほど分かるのです。自分のできることは、生き残ることしかないのです。生きて見せるって。中国にいると、カメラを持つということに無力を感じるのです。
先日、天津で『長江にいきる』の上映会がありました。その後の質疑応答で、観客の男の子が、「外国では、ドキュメンタリーは少数者のためのものだけど、中国ではドキュメンタリーは多数者のためのものだ」と言ったんです。私は、まさにその通りだと思いました。この発言は、ドキュメンタリーの社会的な機能についてだと思いますが、結局、ドキュメンタリーを撮る行為って、今の中国では多数者の声を記録するということなんですね。

藤岡:でも、現代中国だけじゃなくて、ドキュメンタリーがプロレタリアート運動と近かった日本やイギリスの映画史でもそうでしたね。ジャーナリズムも弱者の代弁者と言われ、ジャーナリズムは状況を掌握してまとめた形で伝えるということが必須だけど、フォン監督が作るドキュメンタリーはそうではないですよね。

長江にいきる03

フォン:状況をまとめて伝えるということは、なんだか私にはすごく権威主義で、見下ろす行為に思えます。農村の現場にいると、とてもじゃないけど一概にまとめられるような状況じゃないのです。毎日毎日、彼らの選択や行動などにハッとさせられることが起きる。農民たちの行動は理論的に、あるいは私たちが考える一般的な常識にしたがってはいないのです。ですから、最初はやはり当惑しますね。知識人が農村に行くと、当惑してしまうのです。結局、彼らは目の前の、毎日の生活を行動する基準にしているのだ、という結論に最後にたどり着いたのです。

藤岡:多数者というか、農民や社会下層の人たちが捉える世界というのが、知識人の見て表現する世界と違うということですね。

フォン:それから、今起きている事件だけで彼らを判断してはとても危険だと思います。一作目の『長江の夢』は、私が彼らを理解し始めた第一歩だったけど、『長江にいきる』を作って一番強く感じたのは、主人公のビンアイが背負っているのが、まさに中国の現代史そのものなんじゃないかということです。

藤岡:そのことをジャ・ジャンクー監督が推薦コメントで適確に言ってくれましたね。「権力と自由、生存の厳しさとの直面、生きる勇気を表現した映画である。中国人の精神の歴史そのものだ」と。

フォン:もっと遡って、歴史を見渡す角度から見ようじゃないかというのが現在の私の気持ちです。ですから、映画の中でダム建設の一点だけをどうのこうの、というのは意味がないと思ったのです。

藤岡:むしろ、歪んだヴィジョンになってしまうんですね、魚眼レンズのように。

フォン:そうですね。

藤岡:最後に一言お願いします。

フォン:ぜひ『長江にいきる』を観にきてください、ですね。


■フォン・イェン(馮艶)PROFILE

フォン監督

1988年から13年間日本に滞在し、京都大学大学院に留学。1994年からドキュメンタリー製作を開始。初の長編作品『長江の夢』(1997)は山形国際ドキュメンタリー映画祭’97、香港国際映画祭、台湾国際ドキュメンタリー祭(優秀記録賞)などで上映。学校に行けない子どもたちや、三峡ダムで水没する長江沿岸部など中国農村部の人々の暮らしを撮り続ける。また、ドキュメンタリー映画作家小川紳介の語りを収録した『映画を穫る―ドキュメンタリーの至福を求めて』(山根貞男編集・筑摩書房)、『ゆきゆきて、神軍』(原一男著)などを中国語に翻訳出版。



『長江にいきる 秉愛(ビンアイ)の物語』
2009年3月7日(土)~27日(金) 渋谷・ユーロスペースにてロードショー

長江のほとりで家族とつつましく暮らすお母さん、秉愛(ビンアイ)。働き者の彼女にとって、育ち盛りの子どもたちを育て病弱な夫と連れ添うことは、滔々(とうとう)と流れる川のように十分な幸福だった。政府から降って来た移住命令によって、今の土地から離れなくてはならないなんて、なぜ?平穏な生活が営まれるなか、小役人がときどき嵐のようにやってきては、甘い言葉や脅迫で一家を追い出しノルマを達成しようとする。学もコネもない秉愛は、理不尽には頑固でしか対抗できない。次第に一家は追い詰められていく…。

山形国際ドキュメンタリー映画祭2007 アジア千波万波部門 小川紳介賞(グランプリ)、他多数受賞
監督:フォン・イェン(馮艶)
音響設計:菊池信之
中国/2007年/117分
公式サイト


月刊ヤマガタ2月号 『チーズとうじ虫』上映&トーク
~個人で作るデジタル・ドキュメンタリーを劇場公開する~
2009年2月23日(月) 19:00開場/19:30開演

山形国際ドキュメンタリー映画祭2005に小川紳介賞(アジア部門最優秀作品賞)とFIPRESCI(国際批評家連盟賞)に輝いた加藤治代監督の『チーズとうじ虫』を上映。この作品はヤマガタでの受賞後、有志たちによる配給と劇場一般公開が実現した。フォン・イェン監督の『長江にいきる 秉愛の物語』が劇場公開を控えるこの時期に、個人映像の配給について考える。

会場:アップリンク・ファクトリー[地図を表示]
(東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F)
料金:1,500円(1ドリンク付)

『チーズとうじ虫』(日本/2005年/ビデオ/98分)
監督:加藤治代
母親の看病のために故郷に帰ってきた加藤治代は、母親の病気が治る奇跡を信じ、撮影を始める。そこでカメラに収められたのは、限られた命を精一杯生きる母と、高齢の祖母と何気ない日常風景だった。母親の死後、肝心なものがなにひとつ撮れなかったという空白感から、思い出を辿る祖母と自身の心情を記録していく。

山形国際ドキュメンタリー映画祭 公式サイト

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