骰子の眼

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東京都 渋谷区

2009-01-08 23:00


近藤等則×甲野善紀 トークセッション 身体からみる、これでいいのか日本

甲野さんが仰っている中にヒントがあると思うんですけど、人間というのは不思議で神秘で曖昧で捉えどころがなくて、同時並列に物事を考えている
近藤等則×甲野善紀 トークセッション 身体からみる、これでいいのか日本
近藤等則氏(左)と甲野善紀氏
いのちは即興だ

世界を舞台にグローバルな活動を続けるエレクトリック・トランペッター、近藤等則。93年に「大都市から発せられるイマジネーションはなくなった」と、日本を離れアムステルダムに活動拠点を移し、大自然の中で即興演奏をする『地球を吹く』シリーズを開始。イスラエル・ネゲブ砂漠からスタートし、これまでにペルー・アンデス、ヒマラヤ・ラダック、アラスカ・マッキンレー、富士山等で大自然と共振・共鳴しながらスピリチュアルな音を追求している。

2007年夏より開始された日本の四季を巡る『地球を吹く in Japan』の記録映像のダイジェスト版の上映、映像の中にも登場する「新体道」創始者・青木宏之氏を介して近藤氏とは旧知の仲であり、異なる視点と立場から人間と自然の関係を見つめ続けてきた武術研究者・甲野善紀氏をゲストに招いての豪華トークショーが12月23日アップリンク・ファクトリーにて開催された。 自著『いのちは即興だ』(地湧社・刊)を上梓されたばかりの近藤氏と甲野氏による日本文化から身体、科学の話までの幅広いトークが繰り広げられた。



坂本龍馬が「日本の夜明を開いた」のは果たして良かったのか!?

近藤等則(以下、近藤):甲野さんとは30年ほど前に新体道の稽古を受けていたときに初めて出会いました。あの頃、新宿のピット・インで僕が演奏していたら突然甲野さんがステージに飛び入り参加したということもありましたね。

甲野善紀(以下、甲野):そうでしたね。あの頃から近藤さんは早くジイさんになりたいと言っていて、きっとジイさんになっても変わらないだろうなと思っていたら、ますます過激な年配者、過激な老年になりましたね(笑)。さきほど『地球を吹く』の映像を拝見して思ったんですけど、大自然の広いところで音を出したら、数キロ先から聴こえるくらいの音量なんですか?

近藤:僕は電子トランペットのシステムを持っていて、音量は調整次第で強烈にデカイ音もでます。当然、自然の中では数キロ以上先も聴こえるんじゃないですかね。

甲野:動物が寄ってきたりしますか?

近藤:そういうことはいっぱいありますよ。僕自体が動物ですからね(笑)。アンデス山脈を一ヶ月間放浪してるときに、吹きたいと思ったところが偶然にもインディオたちの聖地だったりと、そういうことはありますね。体が自然に馴染んでくると、やっぱり気持ちのいい場所に人間も行くんですね。

甲野:私は2年ほど前に、コンテンポラリーダンスのダンサーに教えるために初めてフランスへ行ったんです。行く前はあまり行きたくないと思っていたんですが、行ったら結果として、ものすごくインパクトを受けたんですね。向こうに行っている間、夢も希望も何もないかわりに、悩みも苦しみも何もなくてひたすらニュートラルな状態で。ただ毎日ダンサーに武術の動きを教えることだけをやっていたんです。ちょうど11月で紅葉の季節でしたが、フランスは葉が黄色くなる木ばかりで、赤い葉はない。それがすごく印象的でした。

しばらくいて、ふと日本を思い出すと、日本の街並みがごちゃごちゃしているのにものすごい嫌悪感を感じたんです。それで、帰ってきたらさぞかし日本が嫌だろうなと思ったら、成田空港から出て、車が道路を走り始めた瞬間にフランスにいたことが数ヶ月前の出来事のような感じがして。夢から醒めたような気がして、今海外から帰国したばかりだという感じが全然しない。それで、「ああ、たいして影響は深くなかったんだな」と思ったらそれが間違いで、2〜3日たったら、いままでずっと愛読していた日本の昔の武術の伝書が読めないんですね。日本的なモノ、いわゆる和のモノがみんなニセモノのような気がして。というか、昔の伝書を読もうとしている自分がニセモノのような気がしたということでしょうか。それで困ったなと思って。

それは結局、明治のときに日本がものすごく西洋化した中でいろんなものが失われた。明治になって坂本龍馬が日本の夜明けを開いたと言われますが、幕末から明治にかけて日本に来た外国人は、旧幕時代の日本の方が風景は美しいし、人間はおおらかだし、何から何まで良かったと、明治維新以前を懐かしむんですね。
たとえば、おおらかさといえば女性でも人前で裸になることに全然抵抗がなかった。夏など、家の中から湯を汲んできて家の前で行水しながら近所の人と話をしていた。戦後も昭和20年代は地方へ行けばその名残りで、おばあさんは平気でお尻出して用を足していた。そう思ってみると、我々も すっかり明治以降に洗脳されていて、旧幕時代の日本というのはものすごく圧政に苦しんでいて、明治は日本の夜明でよかったと思われていますけど、そうでも なかったんじゃないかと思ったんです。こうしたことについては平凡社の『逝しき世の面影』という本に詳しく書いてありますから、興味のある方は読んでください。あと、フランスやドイツとかは何百年前の建物が単なる遺跡ではなくて、今でも役所などの建物に使われていますよね。

近藤:アムステルダムでは、日本が「関が原の戦い」時代のバーがそのまま残っていますね。

甲野:まあ、日本の場合はそういうことがほとんどない。明治維新で自らの手でそれまでの文化をぶち壊してきたわけで。そのエネルギーがあったから一気に近代化してきたんだと思うんですけど。そういう中で、近藤さんが言われた通り、まさにお金だけが至上の価値観になっている。資本主義というのはみんなで博打しているようなもんですから。これはほんとに余程の大仕掛けな価値観の大転換がないと変わらないだろうなと思っているんですけど、いまは何か壊れかけると、すぐそれを手当てしようとするんですよね。対策をあーだこーだとか。

近藤:残念ながら、我々には本当のことは全然知らされていないと僕は思うんですね。たとえば、サブブライムローンがはじけたといいますけど、02年から06年までは思いっきり儲けたはず。儲けたことをメディアは全然発表せず、損したことばっかり報じている。明治維新も実際は日本人が自力でやったわけではないですよね。ほんとうに残念なことですが、本質論が庶民には伝わってこない。そんなこと言い出したらキリがないですけど、ほんとに世の中には異常なカラクリがあるんでしょうね。

感情論に毛の生えたようなものが『科学的』といわれている

近藤等則×甲野善紀

近藤:なぜ、僕が武道を始めたのかと言うと、とにかく体をやり直さないとダメだと思って。僕は新体道を知らなかったのですが、いざ始めてみるといろいろなことが分かってきました。日本の武道の中でも霊的なものがいっぱい入ってると。武道は単なる技術論ではなくて、さらに霊的な流れがあるんですかね。

甲野:まあ、人間の動きというのは、単なる身体運動では、およそ説明のつかないことは少なくないですよね。私の技も以前は、踏ん張ってはいけない、捻ってはいけないと言っていて、その原理から技を考えていたのですが、最近は理由はよくわからないけれど、以前は出来なかったような状況下でも技が通る。何と言うか、出来ない気がしないような体の姿勢というか、体勢をとると出来るというような事が起きています。


近藤:心理的な部分で人間は動きをコントロールできるんですかね。

甲野:精神と身体の関係は切っても切り離せないというか、見方によったら身体とは精神そのものであったりするようにも思うのです。最近は相手にしっかり持たれていたりしても、その持たれている拘束感を私の身体の中に写して、肩甲骨の横だとかに、ある形をもって潜んでいる拘束感をどうすれば解体できるか、あるいは飛び出させるかを工夫して、それを行なうと、何故か相手が崩れるということも体験しています。そしてその時、時として何か昔日の幼い頃の記憶が生々しく蘇ってきたりして驚きます。
人間の身体というのは、何だか幾層もの地層のようなものが重ね合わせられていて、そのどこかにコンタクトしたかで思いだけないものが現れたりするんですね。

近藤:それは前世を含めての記憶ですか?

甲野:そこまでいくかわからないですけど。私の中で、何十年ぶりに子どもの頃の感覚がふっと出てきて。やっぱり人っていうのは本当に、それ自体が不思議に満ちてる存在だなと思います。

近藤:グラハム・ハンコックの最近の本によると、人間が3〜4万年前に突然壁画を描き始めたのはドラッグによる、というんですね。その当時、人間はある種のドラッグを手にするようになって、それを調べてみたらアフリカもヨーロッパもアジアも同じ時期に洞窟に同じような絵を描いているらしいですね。ドラッグを摂取することで人間の中にインプットされている遺伝子が発揚して遺伝子からそういう情報が出たと。甲野さんは子どもの頃と言っていますが、遺伝子レベルの情報を自分の方に取り入れるような動きになってきたんじゃないですか。

甲野:どうですかね。ただ、いろいろな家紋やシンボルマークなどのアイデアは全部体の中にあるみたいですね。ありとあらゆる形としてある。だから、来年やりたいと思っているんですが、京都大学の数理解析研究所の准教授の方と「科学というものはなんなんだ」ということを根本的に問いかけるようなものをつくりたいと思っています。

近藤:具体的にはどんなことですか?

甲野:たとえば、現代は人間の体の話をしようとしても、すぐ「科学的にいえばどうですか?」って言いますが、それは実におかしい話です。 周りがみんな科学的になっていると、人間の体を扱う学問は科学的じゃないと恥ずかしいみたいな感じになって、なにもかも科学的っていう枕が付いてくる。変な形になってますね。しかし、よく考えてみると、論文を書けるというのは、一人が話しかけてくるのに対応しているようなもので、3〜4人が同時に話しかけてきたら書けません。

要するに、論文が書けるというのは、あちらからリンゴが来て取ろうと思っていたら、こちらから柿が来た。柿を取ろうと思ったらリンゴが取れない、リンゴを取ろうと思ったら柿が取れない。『あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず』という、そんな単純な構造に論文は縛られているわけです。しかし人間のやることは、そんなもんじゃない、車の運転ひとつ考えてみても、両手両足に目や耳を同時に動かせなければなりません。複雑系と言うけど、ただ複雑系といっているだけでそれに対して具体的な何かが始まっているわけじゃないでしょう。

近藤:一夫多妻制は複雑系だよね(笑)

甲野:中学生程度の理解力でよく考えてみれば、人間の動きを現代の科学で解明するというのはできてるわけがない。

近藤:科学とは仮説に基づいているんですか?

甲野:仮説を立てるも何も、同時にいくつものことが動いているものは仮説を立てようがない。おかしなことをしている。私の動きなんかは、ロボットを研究している人達には大変関心を持ってもらえるのですが、同時にこれは複雑すぎて今の我々にはとても手に負えませんという。ところが体育とかスポーツ をやっている学者は、それは支点・力点・作用点でこうなるといったものすごく単純に説明しようとする。当然矛盾だらけですから、私が説明していくとだんだん不機嫌になって黙っていく(笑)。

ところがいまの文部科学省は、ジャンルによって科学的見解がこんなにいい加減で困るじゃないかとは、まったく言わないし、放置している。何にでも科学科学と言いながら科学とは何なのか、という本質的議論はやらないで、そのことを、それをメディアもまったく問題にしていない。だからメディアがいう科学的とは、専門家が言ったことは感情論も、くしゃみもあくびも、みんな科学的になってしまう。専門家がこうですといったら、もう科学的っていう。中世の魔女裁判と変わらないですよ。なんでも科学的に考えるというフリをするようになって、文部省もいつのまにか文部科学省になっている。ですから、毒をもって毒を制すじゃないですけど、科学に対向するには科学で対抗しないとダメだと思って。

近藤:それで、京大と組んだと(笑)。

甲野:京都大学の数理解析研究所に医師免許を持っている量子物理学の准教授の方がいて、こんな人は他にいないですよ。それでよく聞いてみれば、いまの医学や体育でいう科学は、物理や数学の世界からみれば、かなりいいかげんな科学らしいですね。私の印象では、いわば感情論に毛の生えたようなものが科学的といわれている。その可笑しさを バッと白日のもとになんとかさらしたいですね。それで本質的なことをあらためて、多くの人に考えてもらえたらばと思います。

近藤:甲野さんが仰っている中にヒントがあると思うんですけど、人間というのは不思議で神秘で曖昧で捉えどころがなくて、同時並列に物事を考えている。それ自体を納得すれば面白いことになると思うんですけど、それは一人一人が気づけばいいことですよね。

甲野:でも、いまの教育システムっていうのはひたすら何かを信じ込ませる。そこが問題ですね。この間、朝日新聞の出張授業オーサービジッドで宮崎に行ったとき、そこの中学生に「君達はなんのために勉強するんだと思う?バカな大人に対抗するためだよ。バカだけど権力のある大人にだまされないために本当に勉強しないとねと。そしたら感想文が面白くて、「バカな大人に教育されたら子ども もバカになるんじゃないでしょうか」と(笑)。それだけわかっていればいいですよね。

近藤:僕も何年か前に京大で演奏したときに、卒業生として挨拶をしたんです。「日本は戦前までは“富国強兵”、戦争に負けたら“一流大学から一流企業へ”というキャッチコピーで前進してきましたけど、すでにこのキャッチコピーの時代は終わりました」と。だから僕は「目の前のエ ライ先生方、新しいキャッチコピーつくってますか?」と聞いたんですね(笑)。昔の京大だったら、「そんなアホなこというなー!」とか大声出して反論する んですけど、みんな真剣な顔つきで頭を下げてしまって(笑)。その後、みんなが僕に名刺をくれた。

甲野:それは、話が通じただけいいですよ(笑)。

精神的な部分を除けば『科学的』になるわけではない

近藤:人間って基本的に快楽動物だと思うんです。気持ちがいい方がいい。体を使って「ほんとに気持ちがいい!」と思うことは何歳までに体験しておくべきですかね。

甲野:それはやっぱり小さいときから体験した方が絶対いいと思いますね。

近藤:それを体験せずに、大人になった場合どうなるんですか。体を使わないと、頭だけで考えてしまうようになるんですかね。

甲野:いまそういう人が増えてきていますよね。いまは、体を使うっていうことがよくわかっていない。トレーニングと仕事に違いっていうのは、仕事は今日もあさってもある。ですから仕事はいつの間にか、よりできるだけ体が疲れないように使おうとしている。しかし、トレーニングはわざと疲れさせる。加圧トレーニングなんて極端で、早く疲れさせて細胞を痛めて、それで再生させようという。それでどうなるかといったら体の中で「俺が俺が」っていうお山の大将みたいなのがいっぱい出来てきて、その部分部分をトレーニングする。だから全体を考えない、「俺が俺が」みたいなのがいっぱい体中にできてきて、お互いがまったく協力しあわない。だから肉離れ起こしたりする。それでもやめないんですから、いまのトレーナーはほんとにおかしいですよ。

近藤:以前ヒクソン・グレイシーと高田延彦が闘ったとき、高田からテーマソングつくってくれといわれて(笑)。で、高田道場行ってきたら、高田がトレーニングしていたんですよ。テレビを見ながら自転車(トレーニングマシン)をこいでいて。それでテーマソングをつくるのはやめようと。あんなのトレーニングじゃないですからね(笑)。

近藤×甲野

甲野:トレーニングに科学がつくと、どうしても精神と切り離そうとするんですよね。だからBGMでも聴きながらすごく単純なことを繰り返しやらせようとする。でもそんな事では体全体の微妙な感覚のネットワークを育てることなんて、およそ出来ないと思いますよ。 また、同じ身体に関する科学ということで、医学の方でも、精神的影響が薬の作用に大きな影響を与えるプラシーボ効果(*1)というのがあるから、二重盲検法(*2)なんていう方法で精神的影響を排除しようとするということ自体、人間のための学問という感じがしませんよね。本当におかしいと思います。

タイタニックが沈んだときに、投げ出された人が冷たい水の中にいたら40分くらいでほとんど死んだようですが、ところが同じ水温でも北朝鮮の脱北者が川にもぐっていて、水面を照らされて銃殺されそうなのを隠れて助かったという状況だと、水の中で何時間もいたって大丈夫なんですよ(笑)。それは、銃で殺されると思ってそっちの恐怖のほうが大きいから、冷たさが気になる度合いが船の沈没のときより、はるかに低くなったわけです。つまり、精神的影響ってそのくらいものが違うんです。それが人間じゃないですか。そういう精神の影響、つまりプラシーボ効果を除いて医学を考えるっていうのは最初から考え方が間違っていますよね。ところが精神的な影響を除いたものを科学的だっていうこと自体、それがすごくおかしいことだと多くの現代人は思わない。そこが、もうおかしいですよね。

よく何にでも疑問を持つのが科学の第一歩だ、というような事を言いますが、実態は素朴な疑問を強引に押し潰していることが多いですね。私は以前、新潟県のスキー場で多くの科学者が集まって、様々な話題について自由に話し合う集まりに招かれて行ったことがあるんですが、そこで昼間青空にクッキリと、いわゆる地震雲が出ているのを見て、何気なく側にいたジャーナリストのNさんに「あれ地震雲って言うんですよ」と話をしていたら、鳥取の方でかなり大きな地震があったんです。そうしたら、そのNさんが夜、科学者が何人も集まった席上でその地震雲の話をしたんですね。

私はその時、「あっ、あんなこと言わなければいいのに…」と思ったのですが、もう手遅れで「あーぁ」と思っていたところ、案の定同席していた地震学者の人が「地震と天候というのは関係ないんです」と言い切ったんですね。私は「ああ、やっぱり面倒なことになったなぁ」と思ったんですが、その地震学者の人があまりにも断定的に言われるものですから、ムッとして「では伺いますが、近年になって世界中の地震の記録も一昔前に比べればずいぶん正確になっていますよね。けれど、その詳しい記録を調べて頂ければわかると思いますが、人が死んだり建物がいくつも倒壊するような地震の時に、雨が降っていたという話は全く耳にしませんよね。という事は、統計学という学問もあるのですから、地震と天候の間には何か関係があるのではないと考える方が科学的な態度ではないのですか?」と逆に尋ねたのです。そうしたら、「もう、だから素人と話すのは嫌なんだ…」というような、すごく不機嫌な顔になって何も返答しないんですよ。

そこでもう一つ念押しに、「御存知かも知れませんが、ガリレオが地動説を教会に反対され、『それでも地球は回っている』とつぶやいたといわれる話は有名ですが、そのガリレオが海水の満ち干きに関して『あれが月の影響だなんてバカなことを言う者がいる』と批難しているのです。現代なら海水の満ち干きが月の引力の影響だという事は子供でも知っていますが、当時はそれが占星術で言われていることだったので、ガリレオは別に科学的根拠があったわけではないのに感情的に『あんな遠くのものが影響を与えるわけがないだろう』と単に思い込んで反対したのでしょう」と話しました。つまり、その地震学者に「あなたの意見も感情論じゃないんですか」と言ったわけです。そうしたら、ますます不機嫌になって何も返事をしてもらえませんでした。


近藤:京大の先生たちが僕のキャッチコピー発言に頭を下げたということは、彼らは優秀なんでしょうか?

甲野:優秀ですよ(笑)。日本がどんなにひどくなっているか認識があるんですよ(笑)。

※1…薬効成分を含まないフプラセボ(偽薬)を薬だと偽って投与された場合、患者の病状が良好に向かってしまうような治療効果をいう
※2…特に医学の試験・研究で、実施している薬や治療法などの性質を、医師(観察者)からも患者からも不明にして行う方法

■近藤等則PROFILE

1948年愛知県今治市生まれ。本場ヨーロッパ、アメリカのジャズシーンで高い評価を得ている孤高のトランペッター。日本においても映画、CM等への音楽提供、出演など多数。1984年より近藤等則IMAバンドとして天安門事件への抗議ライブ、映画『てなもんやコネクション』テーマ曲など多方面に大活躍の後、93年から活動の拠点をオランダ、アムステルダムに移す。
2000年「Mt. Fuji Aid 2000」、2001年「ダライ・ラマ14世提唱 世界聖なる音楽祭・広島2001」をプロデュース。また、ライフワークとする「地球を吹く」シリーズ(NHK)では、イスラエル・ネゲブ砂漠、アンデス山脈などの大自然と対峙して入魂の演奏を続けている。現在は「FREE ELECTRO」「CHARGED(w/ビル・ラズウェル)」等のユニットでも活動中。2008年7月、1年間の『地球を吹く in Japan』の模様をまとめた『地球を吹くin Japan 〜息吹き〜 第一年目 07夏〜08春』『地球を吹く in Japan 〜雪月を吹く〜』2作のDVD・CDをリリース。同年10月、『いのちは即興だ』(地湧社)を出版。

「地球を吹く in Japan」上映会+トーク、ライブ情報:
2月10日(火) 六本木・RISE Tokyo DJ Sahib & DJ TAKADA 開場19:30/開演20:00
2月15日(日) 大阪・第七芸術劇場 開場・開演未定
2月17日(土) 京都・UrBANGUILD 開場19:00/開演20:00
2月27日(金) 横浜・黄金町バザール 試聴室 開場18:30/開演19:30
※全日程、前売3,000円/当日3,500円

「地球を吹く in Japan」Vol.5 2009年 冬 京都
2月21日(土)、22日(日) 京都・上賀茂神社 本殿前 開場16:30/開演17:30
屋内席5,000円/屋外席2,000円
※詳細は随時公式サイトで告知します


■甲野善紀PROFILE

1949年東京生まれ。武術研究者。神戸女学院大学客員教授。1978年自分自身が納得いく武術の研究をするため武術稽古研究会松聲館を設立(同会は2003年、発展的に解散)。「踏ん張らない、捻らない、ためない」という従来のスポーツ運動論の枠にはまらない独自の身体操作論にもとづき、人の身体の仕組みに逆らわず、負担を極力減らす術理、技法を探究する。また日本に古くから伝わる「ナンバ歩き」をいち早く紹介し、世に広めた事でも有名。
講演会やワークショップを全国各地で開いており、空手、柔道などの武道から、スポーツ、介護、楽器演奏、演劇など様々な分野で身体操作術の応用を提案している。主な著書に、田中聡との共著『身体から革命を起こす』(新潮社)、養老孟司との共著『自分の頭と身体で考える』(PHP研究所)、井上雄彦との共著『武術への招待』(宝島社)、内田樹との共著『身体を通して時代を読む』(バジリコ)、茂木健一郎との共著『響きあう脳と身体』(バジリコ)、名越康文との共著『薄氷の踏み方- 時代に塗りこめられないために』(PHP研究所)、他多数。
松聲館

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