2015-01-11

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今パリに来ている。明日日曜日、国を挙げて、表現の自由のための大規模デモが3時から行われるドイツのメルケル首相をはじめEUから要人も参加する。メディアに対する前例のないテロということでwebDICE編集長としてもそれに参加しようと思う。
しかし、事はそう単純ではない。

今泊まっているところは『I,K,U,』を監督しメディアアーティストの台湾系のシューリー・チェンのフラット、同居しているのはパリで生まれたアラブ系マリック。
デモの合言葉は『JE SUIS CHERLIE』「私はシャルリー」
これが既にフランス各地で起きているデモのプラカードだ。

TVも左隅にこのメッセージをずっと表示したまま放送している局もある。
一方『JE NE SUIS PAS CHARLIE』「私はチシャルリーではない」という意見も出てきている。今回のテロがイスラムの教義に基づいていない個人の暴走であとイスラム圏からも非難する声が上がっている。

『シャルリー・エプド』誌は、イスラム教の預言者ムハンマドをテロと結びつけて漫画にしてきた。仏で、イスラムが恐ろしいと漫画によりイメージを植え付ける役割を担ってきたことは否定できないだろう。シューリーは、昨日TVの討論を見ていて出演者は白人の男ばかりだったと憤慨している。

マリックはデモに参加するが「私はマリック」というプラカードを掲げたいと言う。事件後、いつも行っているテコンドーの練習に行くのはアラブ系への視線が気になるので昨日はやめたという。殺された警官の一人はアラブ系の名前の警官だ。

なぜプラカードが「私は表現の自由を支持する」「私はテロに反対する」にならなかったのだろう。
ここに今回の事件後のフランス、ヨーロッパとイスラムの問題があるように思う。サッカーなどのスポーツでも競技場でも「わたしたちはシャルリー」というメッセージが掲げられている。

芸能人も続々「私はシャルリー」を表明している。
ジョニー・アリディ、ジェラール・ドパルデュー、
しかし、『パリ、ただよう花』に出演していたアラブ系のタヒール・ラヒムはどうなのだろう。
「私はシャルリー」と表明するのだろうか。

さらに政府によるショック・ドクトリン現象も始まっている。ナオミ・クラインが呈した本来の意味は大惨事で国民が茫然自失の状態の時に政府が自由主義経済を一気に推し進めるという意味だがフランスでは政府が警察権力を押しすすめている。

TVを見ていると犯人を射殺した映像が流れ、その後、特殊部隊の訓練風景、さらには過去のオリンピックの映像を流し、人質立て篭もり事件時にいかに特殊部隊が活躍してきたかの映像がTVで特集され流される。人々は彼らを頼もしく思い、予算増額も当然だと思うだろう。

ソニーの『ジ・インタビュー』だが、オバマ大統領は脅かしに屈するなといったが「私はジ・インタビュー」だとはいっていない。だってお尻の穴に金正恩暗殺の武器を突っ込んでるのと一体化したらお馬鹿すぎる。

シューリーが画面を指差して言う。
「TVに出てきたアラブ系は彼らだけだよ」
二人のアラブ系の人がデモに来ていて答えていた。
番組のゲストは白人だけ。
TV局がこの問題をさらに掘り下げ考える番組を作るならイスラムの人を出してもいいのに。
特殊警察の大活躍は映すが。

表現の自由はあるが、『ジ・インタビュー』(みてないが)一国の最高指導者をしかも生きている人をそこまでからかうのはいかがなものだろうか。
狂ったテロリストをなぜすぐイスラム教と紐付けるのか、狂ったキリスト教徒は宗教と結びつけられないのに。
世界には狂った仏教徒だっているはずだ。

「私はシャルリーではない」ということはテロを支持するということと同意になっているのが今のフランスだ。

僕は「私はシャルリーではない、でも表現の自由を支持し、それを圧殺するテロ行為には反対する」という立場である。

だれが最初に「私はシャルリー」というプラカードを掲げ、なぜそれが一気に拡散したのか、あるいはそれを利用しようという動きが一気に広がったのか。それがフランス国民の潜在的意識の表れなのか。

水曜日に100万部に増刷されて発行されるシャルリーの漫画に注目したい。

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浅井 隆

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