花のつかなくなっていた私のシャコバサボテンが、
今年になってようやく4年ぶりに、たった一つだけ美しい花を咲かせました。
ここまで来るのにどれだけ苦労をしたことか。
植え替えや、挿し芽や、鉢上げをくり返し、
気をもみ、気を遣い、世話をし続けたことか。
最初は弱らせてしまった株を植え替えてもへたったままだったので、
その10日後にまた植え替え、
それでも見るからに元気がなさそうだったので、
これはもうだめだ、と思い切ってその株は捨て、
まあ活きのよさそうな葉を摘んでそこから育て直すやり方に変更し、
しかしその後も、せっかくある程度育った株の根元にかびが生えているのを発見し、
また葉っぱから育て直す、などといったことを試みながら、
やっと一株だけがこの夏ある程度の大きさにまで成長して、
四つついたつぼみのうちの一つが落ちずにふくらんで、ついに開花することができた。
4年前に園芸店の人にしわくちゃの葉っぱを持って相談しに行った時には、
大して高いものじゃないんだから捨てれば、と言われたけれど、
そういったことのできない私は、
いや、絶対持ち直させる、と意気込んで、ここまで頑張ってきたわけだけど、
何度も失敗をしたので、ある日シャコバが生き永らえることができるかどうかをタロットで占ってみたら、
結果は、命の豊かさやたゆまない生産性を表す3番の女帝の逆位置だった。
しかし私はそれを、時間がかかっても持ち直す、と読んだ。
そして年月をかけて、信じたとおりになったというわけだ。
こんな私は自分のことを長期戦型の持久走者タイプ、と思っているが、
人によってはこういうのは執念深いと受け止めるようで、
ある数年にわたる別のエピソードを中学1年の時に作文にしてクラスで発表した時
(まあ、当てられて読まされたんでしょうね、確か)、
「女の執念深さを感じました」
というコメントを男子クラスメートからもらったことがある。
そのエピソードとは、
小学校の2年か3年ぐらいの時に少女まんが雑誌の懸賞ページで見かけた、
紫と黄色のツートンカラーのかわいい目覚まし時計に一目ぼれをし、
しかしどこで売っているのかはわからないし、
懸賞に応募したのかどうかは忘れたものの手に入らなかったので、
ほしかったものの記憶としてのみ心に残っていたのだけれど、
それとまったく同じ目覚ましに、中学1年の夏休みに旅行に行って泊まった高原のヴィラの、
ショーウィンドウの向こうで思いがけなく出会って、
父親に頼み込んで買ってもらった、というもの。
その喜びをそのまま作文につづったら、ほかの子たち――特に男の子――には、
何年経っても同じものを心に抱いている私の気持ちが理解しがたいものだったらしく、
女の執念、と呼んだのだった。
そう言ったのは確か、吉岡君。
なにかと調子のいい奴でふまじめな子だとみなしていたが、
ある時、学芸会で『アリババと40人の盗賊』をクラスでやることになり、
色白だったせいか、彼は女のモルジアナの役にされたもののろくに練習にも出てこないので、
言わんこっちゃない、と心中やきもきしていたけれど、
本番になったらタンバリンを持って赤いライトの下に飛び出し、
見事に即興でモルジアナとして踊りこなして私を含めた皆をうならせたのだった。
まあ、そういったところが要領がいい、と言えばそのとおりなのだけれど、
安易に人を見くびってはならない、と中学生ながらに思った一瞬でした。
私の場合はそういった要領のいい物語は紡げませんので、
4年越しでの苦労が実ってうれしさひとしおであるのと同時に、
この先も万が一でも枯らすことのないように、と今から心がけるばかりです。
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今月の私のTabelaでのタロット・スケジュールはこのとおりです。
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http://www.webdice.jp/diary/detail/8680/