2008-05-17

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 今日は日中は比較的暖かかったけど、昨日までは本当に寒かった。

 結局水曜日中では図書館から借りた本のノートづくり(付箋に書き込んだメモを基に書いてある内容をまとめ、該当頁数を記しておく。翻訳の場合は原書を見てオカしいと思う訳は直し、こちらも頁数を控えておく)は終らず、木曜夕方までかかってしまう。

 木曜夕方某大図書館に行くためにTシャツの上にGジャンで外に出たら…寒かった。最近運動不足気味だったので自宅と某大の間を往復ウォーキング。所要時間約三時間弱。疲れはしなかったけれど、ちょっと腰に来たかな…。

 入浴後、キムチ(イワシが入っているが先月から天然の魚は時折食べることにした)とヴェジミートの缶詰で作った豚キムチ擬きを肴にビールと常温日本酒で遅い夕食。ほうじ茶と八朔を食べてアルコールを或る程度抜いた後就寝。だいたい四時過ぎ。

 金曜は観たい映画があったので八時台に起床。朝食を食べ洗濯物を干してからウォーキングで下高井戸シネマへ。爽やかに晴れていて気持ちいい。観たのは『ぜんぶ、フィデルのせい』(原題“La Faute à Fidel”、監督・脚本:ジュリー・ガヴラス、出演:ニーナ・ケルヴェル他、フランス、2006年)。

 http://fidel.jp/

 舞台は70年代初頭のフランス。スペイン貴族の息子で弁護士の父親と雑誌記者の母の下に生まれた九歳の女の子アンナが主人公。彼女の下に一人ヤンチャな弟がいる。家はそれなりに裕福で彼女もカトリック系の女子校に通っていて、庭のある大きな家に住んでいる。

 しかし両親が民主的な選挙を通じて平和裏に社会主義への移行を成し遂げようとしていたアジェンデ政権下のチリ(1970-73年)滞在を通じて政治に目覚め、共産主義者を自称するようになって帰国してからアンナ一家の生活は一変する。

 一家は壁やドアを赤く塗ったアパルトマンに転居し、自宅は常にボサボサ頭にヒゲ面の社会運動家達のサロンと化す。父は弁護士の仕事を辞めてアジェンデ政権への支援運動や母国スペインの悪名高いフランコ政権への反対運動に、母は中絶合法化運動(当時フランスで妊娠中絶は非合法)に挺身する。

 当初アンナは生活の変化に戸惑い両親の共産主義思想にも嫌悪感を示していたが、家に来ている運動家達との接触を契機に両親の新しい政治信条を理解しようとし始め、自ら望んでスペインの父の生家にも行き、フランコ政権の将校姿の祖父の写真を見て、父がなぜフランスに留まったか、そしてなぜチリからの帰国後変わったのかをおぼろげに知るようになる。

 最後は、米国政府の支援を受けたピノチェトがクーデタを起こしアジェンデ政権が崩壊しようとしているというテレビ・ニュースを見て(1973年9月11日)、言い知れぬ苦しみに一人懊悩する父の手をそっと握りしめて励まし、転校した共学の公立学校で民族的にも階級的にも雑多な子ども達の輪に自ら加わっていくまでに成長したアンナの姿を映して作品は結ばれる。

 監督も70年生まれと言うことで、言わばアンナの目線に立って、70年代初頭のフランス左翼の政治・社会運動にも共感しつつも一定の距離をもって接している。上映中館内では要所要所で多くの観客の笑い声が聞こえてくるようなユーモラスな作品で、決して一部の人にしか受け容れられない政治的で堅苦しい映画ではなかった。

 ただし、僕自身はとても楽しんで観たけれど、当時のフランス(とスペイン)の政治状況やチリのアジェンデ政権の成立と崩壊等について、本作のホームページを観る等して事前に或る程度「予習」しておかないと退屈かもしれないなとは感じた。

 上映終了後半分歩いて半分電車で渋谷へ行き、食料品と芋焼酎を買って、重い荷物にヒーヒー言いながら歩いて帰宅。家に帰ってからは火曜日以来の寝不足と疲れで畳の上で二度も寝入ってしまう。昨日まで程ではないにせよ今日も夜は冷えるので風邪には気をつけないと…。
 
 移動中は電車の中ではティク・ナット・ハンを読みながら、今年度の短期的・長期的な研究計画について、そして自分の内部の人への恨みや怒りに向き合い、自分自身の心の平和なくしては反戦平和とか国内外の普遍的な公正とか言った主義主張も空虚であるという、ティク・ナット・ハンの指摘を噛み締めていた。

 ところで、今研究と研究者としてのキャリア形成以外に関心があって是非体験したいと思うのは、農作業と座禅ないし黙想(ただし、どこぞの宗教に「入信」したい訳ではない。念のため)。

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知世(Chise)

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知世(Chise)

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