2013-11-06

『マイ・マザー』クロスレビュー:多才な個を確立したデビュー作 このエントリーを含むはてなブックマーク 

巷でアンファンテリブルの称号を欲しいままにする神童、グザヴィエ・ドランのデビュー作。製作当時、19歳にして監督・主演・脚本を務めたという事実だけで、驚愕を禁じ得ない。

『I killed my mother』(=ぼくは母を殺した)。原題はショッキングである。だが、これは尊属殺人を犯した少年の犯罪を描く作品ではない。人生で乗り越えるべき葛藤に邂逅した少年が、それと対峙する様を描く通過儀礼のドラマなのである。

食事の仕方、喋り方、話す内容、悪趣味な服装センス。ドランの自伝的存在である高校生の主人公、ユベールはその総てが気に入らず、忌むべき存在の母親へ反抗心をたぎらせる。愛しているけど、ウザい親。思春期には誰しも経験するだろう。但し、その口論の激しさ、突き詰め方は、感情のセッションとでも呼ぶべき振り幅と容赦の無さで、うるさい!の一言で済ましてしまう、ディスコミニュケーションな関係性とはまるで違う。

ドランの作品においてその様な関係性が成立するのは父親ではなく、常に母親である。実際、本作にしろ、『わたしはロランス』にしろ、劇中に登場する父親は全く意思疎通が図れぬ、断絶した存在でしかない。最新作『トム・アット・ザ・ファーム』では、男性性の権化の様な人物との葛藤も扱われるから、様相は変化しているのかもしれないが、母親もしくは女性を介した魂の苦悩はドランの主テーマなのだ。逆に言えば、主人公が自ら対峙する男性は、自分だけ。本作でも、時折挿入される自分語りのモノクロビデオ映像で自己との対話が映し出される。

だからと言って、重々しい心理ドラマに終始せず、時に滑稽なほどポップな色彩の夢想シーンが挿入されたり、劇中で母親が他人から知らされてショックを受ける、ゲイであることの描き方に、些かの翳りも見えない若者らしさがあるのも素晴らしい。

更に言えば、自らの代弁者である主人公のみならず、女性側に反転し、彼の才能を認める女性教師や母親の視点に立つ台詞を書けてしまうのが、ドランの凄いところ。特に「僕が今、死んだらどうするの?」という問いに対する母親の痛切な答えには、胸を衝かれた。

シンプルな物語を多彩に語り、独りよがりでない視点で描ける才能。僕の母親であり、私の息子である存在を越え、互いを一個の人間であるとみなして、象徴的な“母殺し”を達成するラストの、彼岸のように穏やかな光景は、そうしたドランの才能を映画の神が祝福しているかに見えるほど。恐るべきデビュー作である。

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