2013-10-05

『もうひとりの息子』クロスレビュー: 複眼的にみて考えること このエントリーを含むはてなブックマーク 

 この映画は、簡単に言うと「出生時の子どもの取り違え」が起きた2組の家族を描いている。しかし、その内容の詳細は、1度や2度観たからといって、私にはそう簡単に説明できない。なぜなら、その「取り違え」が、イスラエル北部の都市ハイファで起き、一方がイスラエル人夫婦の息子で、もう一方がパレスチナ人夫婦の息子だという設定であったからだ。

 
 イスラエルとパレスチナの長く根深い対立の歴史は、宗教・民族・政治等が複雑に絡み、容易にわかるものではないように思う。しかし、「知りたい」「わかりたい」と思い自分なりに学んできた私にとっては、上映時間(101分)があっという間に過ぎた。

 「僕はまだユダヤ人なの?」と、取り違えがわかりユダヤ人としてのアイデンティティを揺さぶられて苦しむイスラエル側の息子=ヨセフ。兄から「お前はもうユダヤ人で、弟じゃない」と冷たく突き放されるパレスチナ側の息子=ヤシン。この2人の息子たちの視点から考えることもつらいけれど、親たち4人の言葉や態度に同情したり、反感を感じたり……と、私の頭と心はずっとフル回転だった。それだけこの映画は、複雑で解決が難しい問題に対して、「敵か味方か」「善か悪か」というような二項対立的な見方・考え方・感じ方ではなく、複眼的にみて考え、感じることの大変さを教えてくれたのだ。だからこそ、私はこの映画をさらにもう一度観たいと思う。それほど私には感銘深い映画だった。

 最後に、印象的だったシーンについて述べたい。パレスチナ側の息子=ヤシンが、医学部留学していたフランスから戻り、父親のサイードに、土産として買ってきた市販薬を渡すシーンがあった。パレスチナでは、ヨルダン川西岸地区にせよ、ガザ地区にせよ、医師も医療物資も足らず医療が十分受けられない状況にある。市販薬があったとしても非常に高価で入手しにくい場合が多い。そうした状況を、私はこのシーンからリアルに感じることができた。占領され、分離壁まで建てられ、イスラエル側に移動の制限を受けている、パレスチナの人びとの日常生活についてあまり知らない(知る機会のない)人たちにも、ぜひ観てもらいたい映画であるとも思う。

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Ibaragi Yoshiko

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