2012-09-04

「知らない人にはついていくな」、じゃあ、知らない人がついてきたら? このエントリーを含むはてなブックマーク 

ルーマニアで女子大生が、到着早々殺害された無残な事件。
彼女を海外インターンとして派遣したアイセック・ジャパンがどこまでいってもだんまりを通し続ける中、
週刊誌の扱いも小さくて勢いがなく、この事件はやはりこのまま忘れ去られていくのだろうか。
「知らない人にはついていくな」を唯一の教訓として。

「知らない人にはついていくな」?
そんなの誰だって知っているし、彼女だって知っていたに違いない。
肝心なのは、それを知っていても、そうせざるを得ない状況に彼女が追い込まれたのかも知れないこと、
そして、「ついていった」のではなく、「ついてこられた」のかも知れない、ということを、状況として想像してみることだ。

そもそも、どうしてこんな言葉をみなが口をそろえて言うようになったのかというと、
それは、ルーマニアの一部メディアが、加害者を出した側にもかかわらず、
彼女の行動を批判したからと思われる。
いわく、
「いきなり声をかけてきた男に従ってタクシーに同乗するなんて信じられない」、
「益野さんが取るべき行動はただタクシー乗り場に行くだけだった。男と行動する必要は何もない」、
「日本では3歳になった少女に“知らない人について行くな”と教えることはないのか」

私はこの発信源を自分の目では確認していないけれど(見つけたところで、ルーマニア語はわからないし)、これを日本で最初に伝えたのは、<日刊サイゾー>に8月22日付けで掲載された、『ルーマニア邦人殺害事件に現地報道の厳しい声 渡航にかかわったNPOに責任は――?』というタイトルの以下の記事なのだろうか。
http://www.cyzo.com/2012/08/post_11262.html

結論としては派遣元に責任があるのではないかという内容になってはいるものの、
自分の目からすると被害者の女性の「愚かさ」をいささか強調した文章に感じられる。

「現地メディアが伝える通り、益野さんがなぜわざわざ男と寄り添ったのか分からない」
(同記事より)

それこそなぜわざわざ、「寄り添った」などという書き方をしているのだろうか。
「被害者が容疑者と同行することになった理由は不明」ぐらいで十分だったのでは? 
これが元となって、まるで彼女が喜んで男に「ついていった」かのようなイメージが一般に流布してしまったのではないだろうか。
承知のとおり、得てして被害者(場合によっては加害者)のイメージは、こういった報道の姿勢によって形作られる。

しかし実際には、彼女が喜んで男に「ついていった」のかどうかは誰にもわからない。
そして現実には、一人旅の女にはこっちがついていこうとしなくても、男のほうからわんさかついてくる。

少し長くなるけれど、例を上げてみよう。

バスで観光名所に着いたとする。目当ての寺院の入館料を支払おうとすると知らない男から声がかかる。そっちは博物館のチケット売り場で、寺院のチケットの売り場はこっちだよ、と。それが事実であれば、男の注意に従わないわけにはいかない(つまり、この時点で無視という手がすでに効かなくなる)。
正しいチケットを買ってチケット売り場から出てくると、男がまだそこに立っている。荷物を下ろしたくない? こっちだよ、と案内するので、てっきり寺院の荷物預かり所でもあるのかと思ったら、ただのパン屋のような個人商店。しかし長い間バスに揺られて疲れていたし、実際背中の荷物が重かったので、そこは男の言うとおりひとまず荷物を置かせてもらうとする。
寺院に行く前にトイレに寄っても、出たところでまだ男が立って待っている。今日はどこに泊
まるの? ここ? と質問攻めが始まり、いい宿を紹介するから、と寺院に向かう階段を上り始めてもしつこくついてくる。なので、険しい声で「ついてこないで!」と突っぱねることになる。
しかし、ゆっくり一時間以上寺院を見学して戻ってきても、やはり男が立って待っている。口は聞かずにとりあえずは預かってもらった荷物を取りに店に行くと、当然のことだが男も後をついてくる。
荷物を返してもらったらさっさと立ち去りたいところだが、同時におなかもすいていて、その先にも簡単に食べるところが見つかりそうになければ、ここでなにか食べておかないわけにもいかない。肚を決めてひとまずその店のテーブルに着くと、男も断りもなく同じテーブルに着き、仲間らしき別の男もやってきてすぐそばに着席する。
二人して町を案内しよう、などとしきりに話しかけてくるのを断り、ひたすら食べ物を詰め込み、バス乗り場に戻るために一人で歩き出す。男はそれでもついてきて、今度はバスよりもタクシー(三輪)に乗っていけばいい、とうるさくまとわりつく。いや、いいから、いいから、と断っているのに、バス乗り場とタクシー乗り場が同じために、はた目にはまるでそこまで男に連れられていったかのような格好になる。男は乗り場に着くと、勝手にタクシー運転手に、「この女を乗せてってやれ」と話をつけている。

すべて、私が6年前にスリランカをバックパックした時の実話です。
もうそれ以上断り続けるのがめんどくさくなったので、
次の目的地まで、そのままその三輪タクシーに乗りました。
大してぼられはしませんでしたし、そのほうがバスに乗るよりずっと早かったのでよかったですが。

また、はるか以前、まだ彼女と同じ二十代だった頃の20年以上前に、
トルコをバックパックした時のことだった。
始点となったイスタンブールに戻る際、ヤロバという町からイスタンブールまでのフェリーに乗ろうとしたところ、『地球の歩き方』で紹介されていたはずのその便が運行されていなかった。そうすると、また別のルートを改めて探すしかなく、まごついていたら、横で話を聞いていた男が、少し手前の町まで行く別のフェリーに車ごと乗っていくので、そこから
イスタンブールまで自分の車に乗せてってやろう、と言い出した。
しかしもうそこにたどり着くまでに、道中散々男にまとわりつかれてこりごりしていたので、いえ、けっこうです、けっこうです、と頑なに拒み続けていたら、今度はそのやり取りをはたで聞いていた現地の女性が、「なにを断っているの! この人は親切で言ってくれているのよ?」(どう見ても、グルではなかった)と口をはさんできた。でも……としばらく迷ったものの、同じ女性がそうまで言うのなら、とその話に乗ることにした。
ところが、フェリーが着いた町でその男の車に乗り込んだら、案の定「イスタンブールなんか行かずに、自分のうちに泊まればいい」などと言い出す。ひたすら断り続け、なんとか最初の約束どおりイスタンブールで降ろしてもらった。

と、いうこともありました。

私は「愚か」な女でしょうか? そうですね、悪い手本ですね。相手が悪かったら、私ももうこの世にいなかったかも知れません。

しかし、女が海外を一人で旅するというのはそういうことなのだ。
切っても切っても、男が後から後から湧いてくる
(まあ、ハワイなどはさすがに日本人観光客が多いせいかそういうことはなかったけれども)。
一番極端な例としては、上海に行くまでのたった数時間の飛行機の中で、
隣に座っていた男(この時は白人アメリカ人だった)と、
礼儀上のおしゃべりをしていたつもりが、ナンパに変わってしまったことがある。
非常にげっそりした。男漁りに海外に行ってるんじゃないし。

こう書くと、「モテじまんですか?」という意地悪な声も聞こえてくるかも知れないけれど、当然、私が言いたいのはそういうことじゃない。
海外に女が一人で行くのなら、それだけの覚悟が必要だ、ということなのだ。

こっちについていく気がなくっても、男のほうでしつこくつきまとってくる。
生はんかな断り方では引き下がってくれない。
無視しろ、と言われても、私のように無視できない場合もある。
一言でも口を聞いてしまったらアウトなので(まあ、それは日本国内でも同じだけれど)、
その後もどこまでもつきまとってくるようなら、
全力をふりしぼり、般若のような顔になって撃退しなければならない。

彼女が置かれた立場を考えてみよう。

成田を出る時から不安で大泣きで(というつぶやきが残されていた)、
怖くてしかたなく、やっと空港に着いても、そこからまたタクシーで鉄道駅まで行き、
さらに夜行に乗って、目的地の町まで行かなければならないという強行スケジュール。
元から大して不安じゃない人でも、知らない国に夜到着すれば、
飛行機の小さな窓から見える夜景に心細い気分になる。

空港に着いた彼女が、イミグレーションを出てぽつんと一人立ち尽くしていると、
すぐさま男から声がかかる、というか横合いから出てきた男にほとんどスーツケースをもぎ取られる形になる。「重そうだね、持ってあげよう」と。
たとえ、彼女が正規のタクシー乗り場に向かおうとしていても、
「そっちじゃない」などと言われて勝手に歩き出されれば、とりあえずはあわてて後を追うしかない。
そこで、どこまで行くのかと聞かれて、クラヨバまで行くために駅に行かなければならない、などとうっかり答えてしまえば、
「その電車に乗るには、あそこのタクシー乗り場に並んでいたのでは間に合わない」だの
「駅に行くためのタクシー乗り場はこっちだ」だのと言われたりして、
混乱しながらも、従わざるを得なくなってしまうかも知れない。

仮に彼女が、ほんとうに親切な人だ、と心から信じ込んだとしても、
同じ車に乗ることには女性として抵抗があったに違いない。
でも、「親切にここまで案内してくれたんだから、断ったら悪いかも知れない」とか、
「荷物まで持ってもらっていながら、突然じゃけんにするわけにもいかない」
などといった心理が働いて断れなかったのかも知れない。
しかも、最初から男といっしょに車に乗るつもりであったかどうかははっきりしない。
単に親切な人に乗り場まで案内してもらっただけのつもりが、
いきなり駅までいっしょに行こう、と言われて、隣の席に滑り込まれたのかも知れない。
それを拒み通すことができなかっただけなのかも知れない。
命がかかってるかも知れない時になんてことを、
と似たようなことを経験したことのない人は言うかも知れないけれど、
育ちのいい人ほどそんなもんだと思います。

もちろん、これらはすべて私が自分の経験してきたことと考え合わせながらの想像に過ぎない。
彼女のツイッターに残された書き込みを見る限り、彼女は他人にやさしさや善意を求める人だったようなので、
手を貸してくれた見知らぬ人を、やさしい人だと思い込んだかも知れない。
でも、ほんとうのことはもはや誰にもわからない。そしてこの場合には、常識などに照らして考えてみるだけではなく、その人が置かれた立場に立って、その場の状況を想像してみることが大切だと思う。それを単なる「妄想」と呼んで片づけることはできないだろう。

しかし、こんなムチャクチャな旅行スケジュールがあるだろうか。
私だってそのスリランカに入国した際には、夜着だったので、
その晩のホテルは日本から予約してあったし、ホテルまでのタクシーも日本から手配しておいた。
それでも、空港でドライバーと無事落ち合えてほっとしながらも、その男を全面的に信じたわけではなかった。

元々、治安の悪いとされている国で、一人で夜行バスや夜行電車に乗りたがる人など男だっていやしない。
たとえ彼女が空港から駅まで何事もなくたどり着くことができたとしても、
その先に乗車した夜行電車でトラブルに巻き込まれたことは必至だったと思える。
どういった経緯でこのようなスケジュールが組まれたのかは依然としてわからないものの、
このようなスケジュールで女性を単身海外に派遣することを見過ごしたアイセック・ジャパンという団体は、
法的にどうのこうのは置いても、やっぱり相当いいかげんな組織だと言われてもしかたがない。

だから、ここでもし、亡くなった彼女に対して失礼なような気がしながらも、
教訓としてわたしたちが学ばなければいけないことがほんとにあるとするのなら、
それは、事業者側の
「謳い文句を丸々信じてはいけない」だろうし(アイセック・ジャパンはホームページで、110の国と地域で活動する世界最大級の学生組織の日本支部であることを誇らしげに謳っている。その割りには今回の件は国際的なネットワークがまったく活かされていなかったようだが)、
ルーマニアに限らず、「女一人の海外旅行を侮ってはいけない」だろう。

女が一人で海外に行けば、知らない人がついてくる。そのことをまず心しておかなければ。

そして、本人がどれだけ心しておいたつもりでも、
長旅の疲労や、不安や、周りの人々の言葉や、ふとした気の迷いなどによって、
その判断力は鈍らされてしまうことだってある。

なにも彼女だけが特別無思慮で危機意識に欠けていた、なんてことあるわけがない。

日々、多くのニュースが報じられ、これ以上の詳細がつまびらかにされない中で、
この事件は、冒頭に書いたようにもはやこのまま忘れ去られていくように思える。

でも、今一度考えてもらえないかと思って、拙いながらも改めて言葉にしてみた。

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なお、9月のReiko.AのTabelaでのタロットスケジュールはこちらです。

http://www.webdice.jp/diary/detail/7514/

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Reiko.A/東 玲子

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