2012-04-13

海へ回帰し行く快原理の彼岸~『まだ、人間』松本准平初監督作 このエントリーを含むはてなブックマーク 

私達は、全て水であった。
曖昧に溶け込む液体であるからこそ、バランスよく存在し続けた。

私が最初に今作を観て感じた事だ。

東大出身の初監督作という触れ込みで、今作は話題になっているようだが、映画はどのような作品であれ平等に観る。

これが私の主義である。

松本の作品は、「意味」というキーワードで全てのものが存在している感がした。

例えば、世の中には多種多様な人間が共存している。そして、そこには善人もいれば悪人もいる。
だが、この世は善人だけが生きて良いのか?悪人にも生きる権利があるはずである。

また、こうも訴えているようにも感じる。

私達はいったいいつ死ぬのか?

そんな事は日々背中合わせに感じずに生きている。だが、では何故今まで死ななかったのか?
私達は生きる為に動機づけが必要なのか?ただ、普通に生きているだけでも私達の存在は成立するのである。

そんな存在価値を見事に表出していたのが、女優 穂花であったのではなかろうか。
恥ずかしながら、私は彼女が元AV女優だという事をGoogleで検索するまで分からなかった。
そして、今それを知った。
なるほど、全てを晒した彼女であるが故にこの独特の透明感が演じ切れたのかもしれない。
特に何が突出しているかというのではなく、水面に漂う水鳥のように、彼女は映画の中を彷徨する。

また、今作には日本アカデミー賞 最優秀助演男優賞のでんでんが一際存在感を持ちこの作品に溶け込んでいる。彼の宗教観、俳優としての哲学が、今作では突出していた。俳優とはこうであらねばならぬなどというクサイ哲学ではなく、むしろこんなんで良いんだよ、といったような柔らかくも強く繊細な存在感をさりげなく提示しているような気が、私にはしてならない。

私達の住んでいる世界は、本当は目に見えない、感じない、液体の中の世界なのかもしれない。空気に包まれているというのは、あたかも錯覚であり、私達は目に見えぬ液体の中を漂っているのかもしれない。

松本の描く世界は、男も女も溶け込んで一つの海となり、生も死も、空も大地も何もかもが、ただたださまよう、迷い子の見たおぼろげな、未来記憶的連鎖の世界だったのかもしれない。

だから、まだ、人間。
これからも、まだまだ、人間なのもしれない。

詩人 近藤善樹

2012年5月26日からヒューマントラストシネマ渋谷ほか、全国順次公開予定。

『まだ、人間』公式サイト
http://www.madaningen.com/

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kafuu

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“モノクロームとフィルムの質感が好きです。”


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