見終わった直後の率直な感想は……不満だった。
ブッチャーズの信じられないメロディ、サウンド、音が描く情景、
ライブのMCなどから見て取れる、とても魅力的な人間くささ。
そういったものがこの映画で、伝わるのだろうか。
「kocorono」というタイトルにふさわしい叙情性は充分か。
いくらなんでもちょっと生々しすぎないか。
そう思ったのだ。
ブッチャーズのライブで体験できる素晴らしさとはまるで違う、
この「勝てないタイガース」のファンみたいな気持ちは何だ。
自分が長らくブッチャーズというバンドの「ファン」としてだけ、
音楽表現という角度のみから接してきたことは、
いわばファンタジーのみを味あわせてもらっていたのが、
いきなり、この映画では「金銭的な、ままならなさ」や
「メンバー間のぶつかり合い」、「市井に生きる日常」を見せつけられる。
憧れのヒーローが、一般市民である自分達と同じように
世知辛い思いをし、「1月」の歌詞そのままに、
「すべりおち、はいあがる」の繰り返しをしている。
ファンとしては複雑な心境になった。
しかし、これこそがブッチャーズなのかもしれない。
思い起こせばブッチャーズはいつもそう。
確かカウパァズのゲンドウ氏が言っていた言葉、
「そして、どこかに連れていかれ、置き去りにされる」
ブッチャーズはそういうバンド。
1996年に「kocorono」が発表された時、その変貌ぶりには大いに戸惑った。
3人で珠玉のアンサンブル、と思っていたのが4人になった。
そしてその良さがわかってくるのは10年後だったりする。
「ありのまま」だから得られる、大自然のような美しさ、
でもその反面、「ありのまま」だからこそ、
親切で予定調和的な心地よさや、
インスタントなカッコ良さは用意されていない。
バンドを良い状態にしていくために、
その気持ちが強いからこそ、
メンバー同士もごまかさずに言い合う。
ライブでの演奏のテンポについての言い合いにしても、
もし例えば、スマートに「この曲のテンポは○○」などと数値で共有してしまったら、
ブッチャーズのような音楽は生まれないだろう。
吉村氏は「速すぎて歌いにくかった!オレを見て察しろ!感じろ!」と言っているのだ。
「速い」、「遅い」の感覚はその時によって変わるのだから。
メンバーにとってはそんなのタマラン!無茶なのかもしれないが、
ブッチャーズの音楽はスマートな近道ではなく、
本当に凄いものを目指し、
人間同士が感じあうコミュニケーションの方を選んだ、
「贅沢な音」なんだと思う。
吉村氏の語気は荒く理不尽に見えるかもしれないが、
よーく考えてみれば、
それは向上心と、愛情そのものであると思う。
だから奇跡のような、彫刻のようなサウンドが、
しばしばブッチャーズのライブでは叩きだされるんだろう。
映画を見終わった直後は、不満だったが、
こうして書きとめたことで、
この映画もまた、ブッチャーズが音楽を作る上での
丹念で真摯な「がちんこコミュニケーション」を、
今度はそのまま映画館の観客に、
リアル過ぎるドキュメントという形で投げつけてくるという、
なんともブッチャーズらしい作品なのだということに気がついた。
人生そのものとの取り組み方にも直結する、この映画のテーマは深く、
「リアルに生きてるのか?」と問いただされる思いだ。
そしてまた、この「kocorono」という映画の
本当の良さに気がつくのは、また10年後になるのかもしれない。