2011-02-05

【『kocorono』クロスレビュー】:見たことの無いブッチャーズの「核」がチラッと見えた! このエントリーを含むはてなブックマーク 

見終わった直後の率直な感想は……不満だった。
ブッチャーズの信じられないメロディ、サウンド、音が描く情景、
ライブのMCなどから見て取れる、とても魅力的な人間くささ。
そういったものがこの映画で、伝わるのだろうか。
「kocorono」というタイトルにふさわしい叙情性は充分か。
いくらなんでもちょっと生々しすぎないか。
そう思ったのだ。

ブッチャーズのライブで体験できる素晴らしさとはまるで違う、
この「勝てないタイガース」のファンみたいな気持ちは何だ。

自分が長らくブッチャーズというバンドの「ファン」としてだけ、
音楽表現という角度のみから接してきたことは、
いわばファンタジーのみを味あわせてもらっていたのが、
いきなり、この映画では「金銭的な、ままならなさ」や
「メンバー間のぶつかり合い」、「市井に生きる日常」を見せつけられる。
憧れのヒーローが、一般市民である自分達と同じように
世知辛い思いをし、「1月」の歌詞そのままに、
「すべりおち、はいあがる」の繰り返しをしている。

ファンとしては複雑な心境になった。

しかし、これこそがブッチャーズなのかもしれない。
思い起こせばブッチャーズはいつもそう。
確かカウパァズのゲンドウ氏が言っていた言葉、
「そして、どこかに連れていかれ、置き去りにされる」
ブッチャーズはそういうバンド。

1996年に「kocorono」が発表された時、その変貌ぶりには大いに戸惑った。
3人で珠玉のアンサンブル、と思っていたのが4人になった。
そしてその良さがわかってくるのは10年後だったりする。

「ありのまま」だから得られる、大自然のような美しさ、
でもその反面、「ありのまま」だからこそ、
親切で予定調和的な心地よさや、
インスタントなカッコ良さは用意されていない。

バンドを良い状態にしていくために、
その気持ちが強いからこそ、
メンバー同士もごまかさずに言い合う。

ライブでの演奏のテンポについての言い合いにしても、
もし例えば、スマートに「この曲のテンポは○○」などと数値で共有してしまったら、
ブッチャーズのような音楽は生まれないだろう。

吉村氏は「速すぎて歌いにくかった!オレを見て察しろ!感じろ!」と言っているのだ。
「速い」、「遅い」の感覚はその時によって変わるのだから。

メンバーにとってはそんなのタマラン!無茶なのかもしれないが、
ブッチャーズの音楽はスマートな近道ではなく、
本当に凄いものを目指し、
人間同士が感じあうコミュニケーションの方を選んだ、
「贅沢な音」なんだと思う。

吉村氏の語気は荒く理不尽に見えるかもしれないが、
よーく考えてみれば、
それは向上心と、愛情そのものであると思う。

だから奇跡のような、彫刻のようなサウンドが、
しばしばブッチャーズのライブでは叩きだされるんだろう。

映画を見終わった直後は、不満だったが、
こうして書きとめたことで、
この映画もまた、ブッチャーズが音楽を作る上での
丹念で真摯な「がちんこコミュニケーション」を、
今度はそのまま映画館の観客に、
リアル過ぎるドキュメントという形で投げつけてくるという、
なんともブッチャーズらしい作品なのだということに気がついた。

人生そのものとの取り組み方にも直結する、この映画のテーマは深く、
「リアルに生きてるのか?」と問いただされる思いだ。

そしてまた、この「kocorono」という映画の
本当の良さに気がつくのは、また10年後になるのかもしれない。

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