2010-10-20

『堀川中立売』クロスレビュー:解釈の拒否か?解釈の多様性か? このエントリーを含むはてなブックマーク 

おどろおどろしいものが多く行きかう京都を舞台に描かれた
さまざまなプロットの錯綜する物語とでもいおうか。

怪しげなものが、怪しげでないものと行きかい
怪しげにもなるし、そうでないようにも見える
見るものを幻惑させるものが続々と登場する。

でも場所や登場人物に関する説明は
かなり少ない。

そのためか、場合によってはどうして
このような展開になるのか頭を悩ますところも多い
ただ、「物語」は見たものがそれなりに作り上げることが可能だ
ただし、その物語は他の解釈を拒否する
「確定」したものではいえない

私が作り上げた「物語」は次のようなものだ

地球防衛軍を名乗る安倍は
現代の安倍晴明
地球の平和を守るため
新しいタイプの式神も登場させ(!?)
新旧織り交ぜたさまざまな手法で
活躍させる。

しかし、こう解釈して問題が解決したかというと
解決したかのようで解決していないかのように見える
一時は無事に終わっても
物語は終わっていない
と言いたげである。
(だから式神も開放されない)

安部や「式神」たちと交差する
過去に殺人を犯した第二の主人公と思しき人物は
このような、大きなプロットとは別のところにいるようにも見える。

しかし、こうやって話を納得いくように構成してみると
彼を通じて、映画製作者(監督?)
見たものにこう語りかけているようにも聞こえるのだ

その解釈、自分勝手に作り上げたものちゃいますか?
自分はまったく別の動機で動きましたっせ

そうか、じゃあ、こういうのはどうだろう
映画を見終わった後に
帰る電車の中でいろいろ考えてみる。
非常に後を引く映画である

そして、まったく手に負えない映画である。

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samandabadra

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