2010-03-02

音楽の源流 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 映画の冒頭、スクリーンの向こう側からこちらを穏やかに見つめているようなダワージャブ。ビルの屋上に立ち、草原を赤く染める太陽とその先にある故郷を寂しげに見つめるザヤー。そして、誰もいない劇場で部屋中の空気を全て震えさせるような迫力のダワースレン。ホーミーを奏でる時の表情は皆静かで、奏でている彼ら自身が周囲の空気に耳をそばだてて聞いているようであった。きっと日本でどんなに素晴らしいホーミーの演奏を目の当たりにしても「ホーミーは風が体の中を通り過ぎる音なんだ」という言葉に心から共感することは出来ないのかもしれない。そう思うほど、彼らのホーミーやオルティンドーなどの音楽はモンゴルの自然と共鳴していた。極寒の草原に吹く風の唸り声でさえ何かの音楽に聞こえたほどである。
 私は日本で聴いたホーミーの演奏に感動して興味を持ち、その源流を知りたいと思った。いったいチャンドマニのホーミーとはどんなものなのか、私が日本で聴いて感動した演奏とどんな風に違うのか。私がそれを実感したのは演奏それ自体からというよりも、むしろモンゴルのあまりにも壮大な自然とそれを愛する人々の表情からだった。信じられないほど果てしなく続く草原に落ちる太陽、チャンドマニに向かうバスから見たどこまでも続く真っ白な空と真っ白な雪道。彼らが歌う曲はどれもそんな自然を思う気持ちに溢れており、皆とても嬉しそうにカメラの前で何曲も披露してくれている。ドゥゲルさんやザグドさんが気持ちよさそうに歌うシーンや、北の地で遊牧を続ける友人に久しぶりに会ったザヤーが友人と二人で演奏を楽しむシーン、そしてダワースレンが雪の草原に向かって一人でホーミーを奏でるシーンには音楽の素晴らしさが詰まっていたように思う。この映画からは「パフォーマンス」としてではなく、モンゴルの厳しくも美しい自然に寄り添い、心や体の中からすーっと生まれてくる音楽の源流を感じることが出来たように思う。

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da_shu

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