2010-01-18

昨日の阿佐ヶ谷ロフトでの反貧困イベントのこと等 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 昨日は、午後一時から阿佐ヶ谷ロフトで行われる、イベントに参加するために、頑張って九時半に起きました。洗濯機を回し、蒸したサツマイモで簡単な朝食を済ませて、阿佐ヶ谷へ。行きも帰りも自宅と新中野駅の間はウォーキング。

 参加したイベントは、「まじめな男が作った過激な反貧困映画『蛍』とまじめなイギリス人が描いた魂の真実とまじめな貧困問題トークセッション 」。

 そもそも観てみたかった、映画『蛍』は、正直、観なければよかったと思いました(理由は後述)。他方で、あまり期待していなかった、稲葉剛さんによる、東京都「ホームレス2万円持ち逃げ」報道の実態の、すなわち、それが、都や右派メディアによる、反貧困運動に対するネガティヴキャンペーンでしかないということの暴露、安部芳裕さんによる、絶望的な世界経済の現状の概説と、それに対する対応策の、すなわち、地域通貨の国家版、つまり、公共通貨の発行の提案、白崎一裕さんによる、労働から存在へ、生産から分配へのパラダイムチェンジをもたらす、ベーシック・インカム制度についての概説と、その財政的な裏付けの提示などは、各々なるほどと思わされるものでした。

 また、会場に展示された、英日のホームレスを描く、イギリス出身の画家ジェフ・リードさんの作品も印象的でした(画像はリードさんによる、日本のホームレスの肖像)。

 http://www.facethestreet.com/jp/index.htm

 で、観たことを後悔した「反貧困」映画について…石倉慎吾監督(30代前半?)自身によると、昨今の貧困問題に対する怒りの表現であるのことですが、貧困問題を社会科学的に分析するナレーションは兎も角、作品全体を通じて、若年層ホームレスの気分の悪くなるような表現法(representation)は観ていて辛く、とりわけ、末尾近くの「蛍」という若い女性に対する暴力シーンには気分が悪くなって、途中で眼を背けてしまいました。

 少なくとも「頭」では、フェミニスト思想に影響されて、自分自身にこびり付いた性差別主義を痛切に反省してはいるものの、未だ未だ、「女」やセクシュアリティに対する、ポルノ的な感覚に規定されている僕でさえ、作中の、ホームレス生活を余儀なくされている若い「男」達の欲望に対して、あくまでも受け身でしか「応答」出来ない、半ば「モノ」的な存在としての「女」の表現法には(この点については、60年前に出版された、ボーヴォワール『第二の性』で、非常に説得的に明らかにされています)、強い違和感を感じざるを得ませんでした。

 他方で、部分的には、「男」の欲望を満たす、都合のよい「応答」するだけの存在に尽きない、「女」の主体性や、それに対する「男」の側からの尊重の試みの描写も、散見されたように感じました。

 質疑応答の時間に、怒りの表現としての『蛍』の中で、「蛍」という女性は、どのような位置づけをなされているのか、監督に問うてみたのですが、石倉監督からは、まともな回答は得られませんでした。残念。

 帰りは、阿佐ヶ谷で「沖縄倉庫」という沖縄物産店で、秋ウコンの粉末と島唐辛子の泡盛漬けを、ブックオフで欲しかった入江喜和の『杯気分!肴姫』を、新中野のスーパーで油揚げ等を各々買って、帰宅。晩ご飯に、初めて切り干し大根の煮物を作りました。切り干し大根が古かったため、黒ずんでいて、見た目はよくなかったけれど、味はグーでした。ただ、油揚げは炒めない方がよかったみたい。

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知世(Chise)

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