2010-01-16

いい意味でも悪い意味でもなく、俗の映画 このエントリーを含むはてなブックマーク 

手前勝手で支離滅裂な妄想を脈絡なくつなげあわせるという作品である。

奔放な女、南国での破目を外した生活、金持や企業のお偉いさんという格差の肯定、『サラリーマン金太郎』的な企業戦士ぶり、エロ、破滅、敗れた恋愛、待つだけの女、若い過ちへの後悔、父親に反発して家を出る息子、・・・すべてのパーツが揃っている。

村上龍の『ラッフルズホテル』や『トパーズ』を思い出した。この映画の中でも中山美穂が「高尚なつもり?」という台詞を吐くが、つまり、この映画は「俗」なのだ。過去の映画と比較してどうのこうのと評価するものとは異なる(悪い意味ではない)。

こちとらは皆、服を着て社会生活を営んでいるものの、所詮は「俗」である。妄想も育んでいる。だから、映画で次から次へと繰り出される「俗」の妄想のオンパレードには、愉しませてもらった。

妄想のパーツが揃っているということは、観る者は、それぞれの妄想を核として、さらに妄想を膨らませることができるわけである。その証拠に、観てから何日も経つが、ふと映画のことを思い出している。「俗」だから、人間=「俗」にへばりついたわけだ。

西島秀俊は良い俳優だと思っていたし、この映画でも存在感を発揮している。ただ、あまりにも異常なシチュエーションであって、こちらの日常生活に妄想の核はさほど多くないから、感情移入できない。しかし、それでいいのだ。

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Sightsong

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