2009-10-07

究極のベーコン映画 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 ヴィジランテ(自警)映画。寡聞にして初めて目にしたジャンルだが、少なくとも配給元は本作をそのように売りたいようだ。チラシに書かれた字体の雰囲気は古臭いし、ざらついたスティール写真も然り。意図的に70年代のヴィジランテ映画の雰囲気を出そうとしているのは間違いない。

 
 確かに今年はイーストウッドの『グラン・トリノ』があり、去年は『ダークナイト』があった。来年は本作と同じブライアン・ガーフィールド原作によるチャールズ・ブロンソン主演の名作『狼よさらば』をスタローンがリメイクをするという話もある。オバマが黒人初の大統領となり、友愛を唱える鳩山首相率いる民主党が選挙に圧勝した時代の気分の反動なのか、警察は頼りにならない、やられたらやり返せ的なヴィジランテ映画が復興の兆しを見せているのは、恐らく本当なのだろう。

 
 だが、果たしてこの映画はヴィジランテ映画の括りでいいのだろうか? 前述したように『狼よさらば』のブライアン・ガーフィールドが原作です!と言われれば、それはハイそうですか、と答えるより他ない。頼りにならない警察に変わって主人公が復讐を遂げるという表面的なストーリーだけ取れば、ヴィジランテ映画の要件は十分満たしてはいる。しかし、『狼よさらば』のそれとは随分違う。一言で言えば我慢が足りないのである。それはやる方も、やられる方もだ。

 
 いきなり話は逸れるが、最近のミステリで隆盛を極めるジャンルに、イヤミスと呼ばれるものがある。例えば湊かなえの『告白』がそうだが、読者が共感できないイヤな登場人物があれやこれやをし、最終的な結末も読者に不快な思いをさせて終わるという、何ともイヤなミステリのことだ。そして私見では、本作の監督ジェームズ・ワンこそイヤミス映画のホープなのである。否、この際イヤムビ監督とでもしておこう。『SAW ソウ』にしろ『デッド・サイレンス』にしろ、ストーリーは陰惨で、その結末は驚天動地であるばかりか、この上なく救いがなく不快。余りの不快さに笑ってしまう程である。

 
 ということで、本作でも陰惨な話が展開する。冒頭のホームムービー風の“幸せな家族像”からして既に不穏な空気を孕んでいるが、フットボールで奨学金を得て進学しようとする自慢の息子が、いっさいセリフなしのサイレント風の演出で、あれよあれよという間にガソリンスタンドで刺し殺されるシーンの残虐さ、身も蓋のなさ加減は、ジェームズ・ワン監督ならではのものだろう。ワン監督のデビュー作から一貫してタッグを組む、元ナイン・インチ・ネイルズのチャーリー・クロウサーのエモーショナルな音楽が、そうした陰惨さに拍車をかけているのも明らかだ。出し抜けの不幸と悲しみが一気に観客に襲い掛かり、一種の高揚感に至る演出は、初期のブライアン・デ・パルマを彷彿とさせる、と言ってもいいかもしれない。

 
 だが、その後の展開は、イヤムビ的ではない。ごく普通の会社員、そして父親だったケビン・ベーコンは心の傷も癒えぬままに裁判を迎え、息子を殺した犯人に極刑を与えることは不可能だと知る。犯人はギャング団の一員であり、息子は度胸試しの駒でしかなく、目撃者が自分ひとりでは極刑に処することは出来ないのだ。ということで、自ら復讐を遂げようとするのだが、そこから先は血で血を洗う、ギャング団との戦争状態を呈することになり、陰惨さとは違う、アクション映画的な興奮が訪れる。初めてナイフを持った時の、あるいは銃を持った時の、男の喜びにフォーカスがシフトして行き、長男の死といった動機付けとは無縁な方向に進んでいくのである。

 
 ここで、本作がヴィジランテ映画なのか?という命題に戻る。追い込まれ、耐えに耐え、やられにやられた後の逆襲こそがかつてのヴィジランテ映画のもっとも大事なところだと思うのだが、本作の主人公は違う。もちろん、ギャング団との戦争状態の中、家族に及ぶ不幸は長男の死だけではなく、暴力の連鎖は妻や次男をも捕らえるのだが、妻は余りにもあっさり殺され、陵辱シーンなど一切ないのが驚きである。『狼よさらば』だろうが『処刑教室』だろうが、かつてのヴィジランテ映画なら、それを抜きに復讐するなど考えられない。逆に言えば、主人公が暴力衝動に身を任せるのは、あえて描かれてはいないものの、それまでの夫婦生活で限りなく不能に近い状態への意趣返しの側面があることは否定できなかった筈なのだ。

 
 しかるに、本作の主人公は、最初の不幸はともかく、それ以降はむしろ先手を打って、殺戮を繰り返している感がある。正直な話、ギャング団より遥かに怖いし、最早夫婦生活うんぬんなど関係ないのである。そして、何ゆえにそうなったかと言えば、それはケビン・ベーコンが主演だから、と言う他ないのである。

 
 冒頭のホームムービーでマイホーム・パパを演じる様の似合わないこと。殺しを覚え、獣性に目覚めた変質者の目。それでこそケビン・ベーコンじゃないか。とはいえ、ベーコン大熱演である。長男が殺されれば号泣し、最初の復讐の現場ではオドオドと戸惑い、傷ついて妻に甘え、兄貴と比較されて愛されてないといじける草食系次男に愛を注いで和解する。喜怒哀楽すべてを演じきる。おまけに『ワイルド・シングス』、『秘密のかけら』でもお馴染み、『インジブル』に至っては全裸以上の皮膚透過ヌードを披露し、毎回脱ぐことで定評のあるベーコンらしく、シャワーシーンまでも! いっそ長男の奨学金はフットボールでなくフットルースの設定でもいいくらい…というのは冗談として、変種のアイドル映画と言ってもいい程のベーコン万歳ぶりなのだ。とりわけ凄いのは、病室で横たわる次男に涙ながらに語りかけた後、すっくと立ってカメラを見つめる冷たい目。恐ろしすぎて笑ってしまうこと請け合いだ。

 
 その後、自ら髪を剃り、でも微妙に後ろは伸ばしたオシャレ坊主姿で、ギャング団のアジトへ単身で戦いに挑むベーコンを阻む手段は最早ない。スクリーンで久々に観たジョン・グッドマン演じる犯人の父親像も対比としてなかなか素晴らしいが、もちろんベーコンの敵ではない。更にはクライマックスで、ギャングのリーダー格に観ている誰もが思っていることを告げられても怯むことなどないベーコンなのだった。

 
 結論。本作はヴィジランテ映画でも、イヤムビでもない。ケビン・ベーコンと共演した俳優を1、1の俳優と共演した人を2、2の俳優と共演した人を3、以下・・・という有名なベーコン数に倣って言えば、絶対ゼロであり無限、すなわち究極のベーコン映画なのである。

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