2009-09-27

少年たちの声なき叫びが聞こえる このエントリーを含むはてなブックマーク 

最近、話題になっているウイグルに関して知ることができるか、と思い試写会に出向いたら、ウイグルてはなくカザフスタンの実情が描かれた内容だったのには、少々残念には感じた。しかし、主人公の少年たちから見えてくる、混迷している中央アジアの現状は、充分に理解できる内容だったと思う。

 地元のカザフスタンの少年カエサルとロシアから来た少女マーシャ、そしてウイグルから来た少年アユブの奇妙な同居生活が中心のこの作品からは、発展するカザフスタンの国内で、その発展に取り残されたように貧しさをむさぽる者たちの悲劇が語られている。カエサルは富裕な同性愛者に遊ばれることで、少女マーシャは売春で金銭を稼がなければならない。その仲間に加わったアユブもまた、なんとか金銭を思う中、自爆攻撃をたくらむ仲間へと入っていく。その悲惨な境遇に対して、彼らは手をあげることもせず、叫びもしない。そこが、この作品を制作した人たちの訴えるものがある。

 私たちは、生きるために、希望をもって仕事をする。それが普通なのだが、この作品に登場する少年たちは、生きるためだけでなく、死を受け入れる準備もしていることには驚かされた。つまり、少年たちの前に希望が見えてこないのだ。自分たちに希望も未来もない、ことを声高に叫ばずとも、彼らの生き方から聞こえる声なき叫びは、見る者に深く、重く染み渡ってくる。

 この作品のタイトルのウイグルが、カザフスタンに近いところ、そして古来からのウイグル人たちが中国から迫害されていることは、薄々ながら感じられた。それに自爆攻撃を結びつけたかのように見える演出には、若干の違和感はあるにしても、それもまたウイグルの人々の生き様のひとつである以上、映画の中のリアリティとして受け入れるべきなのだろう。さらに深い、さまよえるウイグル人たちの物語を、この作品を見たあとに見たくなってきた。

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山中英寛

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山中英寛

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