2009-09-26

簡潔だと評価すべきか、舌足らずだと批判すべきか…。 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 9月17日(木)午後、渋谷のアップリンクで行われた試写会で、『ウイグルからきた少年』(監督・脚本・編集:佐野伸寿、出演:ラスール・ウルミリャロフ、カエサル・ドイセハノフ、アナスタシア・ビルツォーバ、ダレジャン・ウミルバエフ他、2008年、日本・ロシア・カザフスタン)を観賞。

 以下は、そのレヴュー。

 主人公は、中国・新疆ウイグル自治区で両親を不当逮捕され、カザフに一人で逃げて来た少年アユブ。彼は、カザフ最大の都市アルマトイの、大規模な高層住宅群の建設現場の中の、打ち捨てられた建物の一角に、裕福な家庭から家出して来た、カザフ人の不良少年カエサル、養父からの虐待を避けて家出し、売春をして生計を立てる、読書家のロシア人少女マーシャと共に、寝起きしている。

 基調は、アユブとカエサルの過去の記憶のフラッシュバックと最期、そして、病気に蝕まれたマーシャの、解放されて南洋を泳ぐ夢などによって表現される、三人の憂鬱と絶望と、カザフの表面的な繁栄の対比にある。

 ところで、2008年に撮影された本作は、アユブがカザフ在住の裕福なウイグル人によって、自爆攻撃者に仕立て上げられて、政府高官や軍関係者で賑わう街の一角をぶらつくシーンで結ばれている。明らかにそこで暗示されているのは、「自爆テロ」だ。

 しかし、今年七月に新疆ウイグル自治区ウルムチで大規模な騒乱が発生したことを受けて、上映前後の監督の挨拶では、ウイグル人と「テロ(リスト)」や暴力が結び付けられることを、危惧したのであろう、ウイグル人が非暴力の哲学を信奉し、専らこの原理に則ってのみ政治的独立を希求していることが、重ねて強調されていた。また監督は上映後、作品末尾の「自爆テロ」も、実は未遂に終り、アユブはその後も生き続けたのだと述べていた。

 確かに本作冒頭の、在カザフスタンのウイグル文化センター所長のコメントでも、ウイグル人の非暴力の哲学への言及があった。しかし、今年夏の騒乱を受けて、「テロ(リスト)」とウイグル人を結び付けないで欲しいという、監督のコメントなりを、作品末尾に付け加えるなど、更なる工夫が必要ではないかと感じた。

 と言うのは、予算や撮影に費やせる日時の関係等、様々な事情ゆえに、かなり簡潔な、と言うか、批判的な表現をすれば、やや舌足らずな、本作を観ただけで、上記のような事情を汲み取れるような観客は、そう多くはないだろうからだ。

 私が参加した試写会でのように、誰もが、監督から直接話を聴き、詳細な資料を読んだ上で観賞出来る訳ではないし、そもそも別途資料を踏まえた上でなくては、十分理解出来ないような作品は、やはり完成度に問題があると言わざるを得ない。

 また、EDが日本語の歌だったのには、個人的に違和感を覚えた。

キーワード:

ウイグル


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知世(Chise)

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