2009-09-24

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今週の火曜日に観た映画。

THE LIMITS OF CONTROL
監督:ジム・ジャームッシュ
撮影監督:クリストファー・ドイル
音楽:Boris
出演:イザック・ド・バンコレ、アレックス・デスカス、ジャン=フランソワ・ステヴナン、ティルダ・スウィントン、工藤夕貴、ジョン・ハート、ガエル・ガルシア・ベルナル、ヒアム・アッバス、ビル・マーレイ
2009年/115分/アメリカ

<無情な大河を下りながら―
もはや船引きの導きを感じなくなった>
アルチュール・ランボー
…この引用から始まり、

「自分こそ偉大だと思う男を墓場に送れ」…コードネーム“孤独な男“はただそれだけの任務のため、スペイン中を巡り、さすらう。「スペイン語を話さないのか?」という問いを合い言葉に、次々と現われる同じくコードネームしか持たない人物たちからマッチ箱に入った暗号を託されては、ただひたすら謎に包まれた任務の遂行を目指す…

そして極めつけのように、
<NO LIMIT , NO CONTROL>
…で終わる映画。

     * * *

作品の情報はあちこちで公表されていると思うのでこのくらいにして、私の感想、行きます。

私はこの映画、大好きです。意味不明なのが元々心地いいタイプだからかもしれないけれど…

まず、この主人公(イザック・ド・バンコレ)は“エスプレッソ2杯、携帯ナシ、仕事中のセックスもナシ”というこだわりがしっかりあり、部屋でもひたすら太極拳をやっていて、後は美術館やカフェに足を運ぶだけというストイックさ。しかも常にきっちりスーツを着込んでて、とにかく異様にCONTROLの効いた人物なんですね。

で、最初、「想像力とスキル」を使って「主観」で読み解くようアドバイスを受けて始まる任務なのだけど、旅を続けるうちに(だんだん辺鄙な場所へと移動していく)、世界の境界線が夢の中なのか現実なのか曖昧に交錯していく…

そして、終盤、厳重な警備でとても入れそうにないアジトに主人公が難なく入り込んでいて、ビル・マーレイ演じる人物から「どうやって入った?」と聞かれ、「想像力を使って」と答える場面で、それが極まる。

観客である私たち自身も各々の想像力でついて行けば、そのアジトの中へも一緒に入って行ける。NO LIMIT , NO CONTROL。

実は、現実というのは「想う」ということで形成されているからだ。人間はこれまで人生に価値を与えようと必死になってきたけれど…

この抑制の効いた主人公は、一見<THE LIMITS OF CONTROL>なのだが、そこを超える話なのだと思った。

そこで、逆説的な意味で、超えるためにはストイックさが必要にもなると言えるのだ。そもそもそれがないと超えることができないハードル競技のハードルのように…。なぜなら普通の状態では何らかの情報や常識で洗脳されているのが現代人だから。彼が「No Mobile」と携帯を拒絶することも結果的に必然だったのだ。

すごく些細なところなのだけど、この映画が始まった時、タイトルがいきなりブルーで出て、その後に続くクレジットがグリーンだったのだが、最後、主人公が任務を終え、ブルーのTシャツとグリーンのジャージに着替える時に「あっ、つながった」と思った。そして彼は持ち物を処分し、軽やかに去って行く。

この映画、解釈の仕方が無数に可能だと思いました。そもそも何も起こらなかった、ただ彼の頭の中だけでの妄想だった…と言うことだってできるし。

もしかしたら、わかりやすい感動を作りたがる最近の既成の映画に対する、ジャームッシュ独自のある種のアンチテーゼかも?という風にも解釈できる。

     * * *

予想通り、映像とサウンドが盛り上げ、意味不明さでは最近のデヴィッド・リンチの混沌よりはスッキリしていて、私的には面白く楽しく観れた作品。

帰りは何と渋谷から六本木まで歩いて帰り、翌日も1日野外で撮影…というすっかり肉体派な暮らしぶりのシルバーウィークでした!

キーワード:

映画


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中田 文

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中田 文

“今、ドキュメンタリーの編集にどっぷり浸かっていて、なかなかチェックできないし、webDICEのブログの仕組みもいまだよくわからないので、ほぼたまに日記状態ですが、どうぞよろしくです。”


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